「っ!!」
なんだこの刺すような殺気は。
何なんだこの吐き気を催す程濃密な妖気は。
一体なんだ眼前の狂気は。
紅い涙を流す妖怪が振り向いた時に頭をよぎったのは殺されるという予感ではなく、まるで人形の様に私の四肢が吹き飛び、トマトを壁に叩きつけたようにひしゃげて飛び散る体の欠片たち。
それは運命の予見。
それは明確な死のイメージ。
先程迄あった余裕など何処かへ無くした。精々裏ボスだと? バカも休み休み言え。間違いなく負けイベントだ。これは戦っていい類ではない。
魔理沙の行動は素早かった。フランから確定的敵意を向けられた瞬間に箒に跨り来た道を戻り、階段をかけ上がる。それも魔理沙の出せる全速力でだ。霊夢にも勝るトップスピードで一気に距離を離し、撒こうとしたのだろう。
魔理沙の判断が悪いとは言わない。魔法の森の妖怪なら吹き飛ばせると自信満々に語る彼女が攻撃せず逃げる選択をしたのは賢明な選択と言えるかもしれない。だが、ここにおいて一般的な解答はベストではない。
確かに魔理沙は速い。大抵の妖怪ならば捲ける程の速度なのだろう。間違いなく人間最速と言っても過言ではないのだろう。
しかし今魔理沙が相手をしているのは妖怪。それも吸血鬼である。力は鬼、速度は天狗と言われる吸血鬼である。
つまり完全にイレギュラーな事態なのだ。決定的なミスをしたと言えない彼女の選択の中で強いて間違った点を上げるのならば、吸血鬼と出会ってしまったことが最大の失態と言えるだろう。
魔理沙の引き離したいという意思なぞゴミのように無視した手が箒にかかる。箒にかかった白い五本指がメキメキと食いこみ、その華奢な細い腕からは想像できない程のパワーで吹き飛ばされる。先のパチュリーの様に魔理沙も本の山へ沈みこむ。
「ぐっ!」
魔理沙とてただの人間ではない。それしきのことで気をやるほどヤワな体はしていない。だが、問題は箒だ。完全に折れている。箒がなくても飛べないことはないが魔力効率の問題だ。
魔理沙は自身の魔力を推進力に飛ぶことが出来る。普段は箒という媒介を通じて、言わば魔力排出口を絞っている。故に人間最速を語れる程のスピードを誇る。ホースの蛇口を絞れば出てくる水の勢いが増し、飛距離が伸びるようなものだ。箒なしに飛ぼうとすれば膨大な魔力を垂れ流しにして浮かび、そこからさらに魔力を消費して動かなければならない。
仮に全速力を出しても今のように捕えられてしまうのであればどうあっても逃げることは適わないだろう。
(こりゃ拙いか)
痛む体を叱咜し、その場から離れる。凄まじい勢いで投げられたからか上がる煙は濃く、その中はかなり視界が悪い。
すぐに先程まで魔理沙のいた場所にフランが突っ込んでくる。さらに上がる煙の中、フランの輝く紅い目だけがよく見える。フランから魔理沙の位置はわかっていないようだ。キョロキョロと目が煙の中を泳ぐ。
(見つかってないならっ)
逃げられない人間が化物を前にした時にする事など限られている。動き回る目に八卦炉を構えた。簡単な話だ。出来る出来ないはさておき、逃げきれないのであれば倒してしまえばいい。本能的に先程は逃げてしまったが、私とて何の準備もなく妖怪のゴタゴタに首を突っ込むような命知らずではない。それというのもこの八卦炉は単体で山一つ焼き払う程の火力がある――らしい。実際に試したことなどない。普段放つマスタースパークにはほぼ殺傷力はない。そりゃ妖精やただの人間が浴びればその限りではないだろうが、飽くまで弾幕ごっこの範疇に抑えている。しかし今から放つのは文句ナシに本気の一撃。どうなるかわかったものではない。
(悪いが弾幕ごっこをやめたのはそっちが先だぜ)
煙を上げ始める八卦炉。
放たれるは以前までのと比でないほどの巨大な魔力の奔流。大気を震わす轟音を放ちながら津波のように地面を撫であげ竜巻のようにその中に一切の存在を許さない。およそ人間の放つ攻撃とは思えない。正しく災害と銘打って遜色ないほどの一撃だ。
「…痛た」
その反動で逆方向に吹っ飛んだ魔理沙が化物を消し飛ばした絶対的確信を持って顔を上げる。だが、災害に淘汰される程度の化物なら絶対数的に人間より先に当の昔に滅んでいる。
「……ははは。なんだよ、それ」
乾いた笑いしか出てこない。紅魔館の壁に大きく穴は空いているがそれだけだ。どうやら化物を消し飛ばすことは適わなかったらしい。
化物のいた場所に何本も突き刺さる巨大な焔の剣。その刃の群れの中からふわりと浮かび上がる小さな影。それは炎の剣の柄を握り強引に引き抜く。
剣の上げる業火の中、紅い涙を流しながら一際大きな剣をこちらへ構える少女は死を表現する1枚の絵画のように見えた。
〇
なんだこれは。
こんな筈ではなかった。
私は巫女を倒し、その先にいる八雲紫を倒す筈だった。
それを何故この巫女は堕ちない? 何故私は地に伏している?
「スペルカードブレイクね。そろそろ終わり?」
上から淡々と響く声。私がここまで弄したスペルカード三枚で使わせた相手のスペルはたったの一枚。
「こんなやつ…私が本気で戦えば…」
口に出してから気付いた。それを言ってしまった時点で自身の敗北を認めていることに。悔しさで作る握り拳には血が滲んでいる。
「ねぇ、貴女。もう終わりでいいの?」
掛かる声には余裕の色が溢れている。
「まだっ! まだよっ!」
自分を律し空へ上がる。
「そう、なら続けましょうか」
吸血鬼を前に平然とできるこいつは本当に人間なのか?
(私はまだ負けちゃいない。私を馬鹿にする八雲紫の鼻をあかすまで―――。)
「レミリア? だっけ。一つだけいいかしら?」
「…何よ?」
「私は私を見ていない奴にやられる程、雑魚じゃないわよ」
「――――…。フフッ心でも読めるの? いよいよ人外ね」
「人外とは心外ね。れっきとした人間よ」
「心が読める奴はここでは人間なの?」
「心なんて読めないわ」
「じゃあ?」
「勘よ」
「フフッ、あっハハハハ!」
「何よ。何がおかしいの?」
「フフフっ。貴女面白いわね。気に入ったわ」
「いらない、いらない。吸血鬼に気に入られても私に何の利益もないわ」
「そう連れないこと言わないでよ。――でもそうね今までの腑抜けた戦いでは駄目ね。最後の一枚であなたの鼻をあかしてやるわっ!」
「…そう。いい心がけね」
私が間違っていた。ここは鳥籠などではなかった。ただ外から隔てられた妖怪の楽園。適度に妖怪が鬱憤をはらすことが出来る楽園。その鬱憤が異変であり、それを納めるのがこの巫女なのだ。そう甘いわけがない。事もあろうに勘で私の心まで読まれて、挙句アドバイスまでされてしまった。これでは楽しくないわけがない。井の中の蛙は私だった。人間にこんな奴がいるなんて考えもしなかった。
「ままならない」
八雲紫など知ったことか。私はこいつを倒したい。人間ながら吸血鬼を叱咜する豪胆なこいつに勝ちたい。
「本当にままならないものね」
笑みを零しながらそっと呟く。
「ねえ、あなた。始める前にちゃんと名前聞いてもいいかしら?」
こいつとならば私も―――。
「霊夢よ。博麗霊夢」
「そう…なら霊夢。行くわよ! 私の最後の―――」
私が最後のスペルを宣言しようとした瞬間、紅魔館が、大気が大きく揺れた。
「ちょっとちょっと、何よこれ!」
紅魔館のちょうど図書館の位置が爆発し大きく穴を開けている。其処から轟轟と音をたて立ち上る火炎。
(パチュリー?いや、この感じ…)
私は悟る。これは紛れもなくフランのものだ。だが、理由がわからない。フランには地下で待っておくように伝えてフランも頷いてくれた。それが何故こんなことになっているんだ。
「霊夢っ!一時中断よ。非常事態なの!」
霊夢との決着はまだ着いていないがそれどころではなさそうだ。急いでフランの元へ向かおうと霊夢に声をかける。
「…魔理沙?」
「は?」
霊夢も先ほどまでに見せていた余裕の表情は消え、焦った様子になる。
「レミリア、私も行くわ」
「…どうして?」
魔理沙が一体誰なのか、何なのかはわからないが現状何を考えているかわからない霊夢を連れていくのは好ましくない。もし霊夢がフランに何らかの攻撃や危害を加えるつもりであるのなら私はそれを止めなければならない。それこそ弾幕ごっこを無視してでも。あちらも心配だが、霊夢は行かせてはならない。霊夢は弾幕ごっこでなくても私やフランに届きうる。私のカンがそう告げていた。
「私の友達も今来ているのよ。あそこにいるの」
「それも勘かしら?」
「いえ、確信よ」
「…そう。なら行きましょう」
霊夢が嘘をついていない事は目を見ればわかった。仮に嘘だとしても私には選択肢はなかったのかもしれない。何よりも時間がおしい。霊夢と主に轟轟と黒煙と焔を上げる中へ飛び立った。
降りていくと見えて来た霊夢の友達だという金髪の少女と異常な様子のフラン。霊夢は金髪の少女の元へ、私はフランへと近寄っていく。
「フラン、どうしたの!?一体何が――」
「邪魔」
無造作に下ろされる灼熱の刃。
「あっ?」
まさか攻撃されると思わず何の防御もなしにそれを受け入れてしまい、右肩から半身がずり落ちる。呻くより先に、半身が完全に地面に落ちてしまうより先に、それは霧となり私の元へと帰ってくる。
「ちょっとフラン!? 何するのよ!」
「あア、お姉さまだったノ。今忙しいからまた後でネ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
明らかにおかしい。紅い涙を流しているのも十二分におかしいが、その表情。三日月型に歪んだ口を貼り付けたその顔は仮面のようにぴくりとも動かない。
「一体何があったの?」
「…」
「ちゃんと聞くから、私に教えて頂戴?」
「―――あいつが…」
『神技「八方鬼縛陣」』
突如フランが周りを何百という札に取り囲まれる。凄まじい勢いで動く札の列は幾何学模様を描きつつフランを封殺する。蠢く札が帯状に連なり鎖の様にフランを絡め、まるで意思を持つ生物の様に形を縦横無尽に変えて、完全に捕縛する。今やフランの体には至るところに札だらけだ。
「ちょっと霊夢!?」
「魔理沙から聞いたし、聞かなくても大体わかってたけど、そいつスペルカードルール無視しまくって攻撃してたみたいね。悪いけど、そっちがその気なら私もいつも通り退治させてもらうわ。」
「ま、待ってよ! 話くらい聞いても―――」
「何されるかわかったもんじゃないわね。それにそいつはやる気満々みたいよ?」
振り向くと札で出来た鎖をブチブチと力任せに引きちぎるフランが目に入る。
「邪魔ばっかリ…。もうイイ。あいつ以外は…」
徐に霊夢へ向けられる右の手。
「!! フランっ止めなさい!」
今フランがやろうとしているのは、あまりに理不尽なフランの能力。対象の“目“、物として形を保つために必要な鍵を手の中に集めそれを握りつぶす。形あるものなら例外なく壊せる代物だ。[ありとあらゆるものを破壊する程度の能力]誇張ではない。破壊できないものがあるとするならばそれは概念、思想、時間、或いは無形のものに限られるだろう。
それを今霊夢へ向けてやろうとしている。殺してしまえば、フランが八雲紫を初めとするここの妖怪達から命を狙われるようになる。それはだめだ。フランは此処で友達を作るんだ。
「待ちなさいフラン! そ、そんな事したら一生友達なんてできないわよっ!」
フランがビクリとして動きを止める。
「…」
「そう、落ち着いて。取り敢えず今は冷静に―――」
「違うよ」
「えっ?」
今までこちらを見ようともしなかったフランが私と視線を交わす。その目は濁った泥のように深く、私の脳裏にベッタリとはりついた。
「違うんだよ…お姉さま。私ね友達できたの…。やっと出来たんだ! 長かったよね。生まれてからずっと友達なんて出来なかった! お姉さまがここに攻め込むって言った時はああ、これからも無理なんだろうなーって思ってたんだよ? でもねっ! やっと…やっと出来たんだ友達っ! それでね私安心しちゃったの! ああ、もうこれからはこの子がいる。私には友達が! この子がっ! いるんだって!!」
突然、饒舌に語るというより叫び始めたフランは先程までの仮面を脱ぎ、 確かに笑っている筈なのに寂しそうに。楽しそうに悲しげに叫ぶ。その悲しみを自身から吐き出すようにして。
「でもねっ!! それも直ぐにいなくなっちゃったわ!! そいつ…そいつのせいで! 畔ちゃんはそいつに殺されたっ! 私の畔ちゃんはそいつにっ! 何もしてないのにっ! 何も出来ないのに!!」
もはや笑みは消えた。一つ二つとこぼれ落ちる涙はいつのまにか絶え間なく流れ出して頬に線を引く。
「だから私がっ!! 私が畔ちゃんのかたきを討つんだ!! 畔ちゃんの為にっ!! 私の為にっ!!」
強く噛み締めすぎたフランの歯がガリガリと削れる音が聞こえる。フランの心がバリバリとささくれだつ音が聞こえる。
「そレを邪魔すルなら姉でも殺ス! 人間なんてもっと殺ス!」
顔が憤怒に染まっていく。元の可愛らしい無邪気な表情のかけらすらない。それは吸血鬼ではない。完全に鬼だった。その身に宿す感情もぶら下げる表情も。
「レミリア退きなさい。私はそいつを滅するわ。事情がある様だけど私も魔理沙もまだ死にたくないからね」
霊夢が鋭い針を構える。フランは剣を左手に構え、右手を突き出す。
(間に合わないっ!!)
フランがその指を閉じていった時だった。
「フランちゃんっ!!」
体中傷だらけで、合羽を着た小さな少女が瓦礫の中に立ち、フランの名を呼んでいた。