暗い。
私はどこを歩いているのだろう。自分が先程までしていた事も思い出せない。ただ、ふと気付いたらここを歩いていた。
水の中という感じはしないのに、息を吐くとゴボリと音を立てて気泡が飛び出す。
ここは暗い。そして深く、重い。体は鉛のように重く、前に一歩踏み出すことも煩わしい。先の見えない程の暗闇は私の不安を駆り立てる。
だが、進まねばならない。それは全く無意識の使命感。何に突き動かされているかわからない。何に求められたのかわからない。だが、確かに私は呼ばれた。それが何か、何者か、それは重要ではない。私が行かなければならない。私を呼ぶものの元へ。
それは突然に現れた。ふっと火がついたかのように、暗闇に一点の光。そこには朽ち果てた祠のような物があった。その切妻屋根には所々穴が開き、今にも朽ち落ちてしまいそうだ。普通閉じられている筈の観音開きの扉は無造作に開け放たれている。
「ようやっと来よったか」
突然背後から話しかけられた。驚き振り向くと其処には真っ白な女性。髪も着物も白色だ。面識がない筈なのに見覚えがある。
「初めまして、ではなかったか。会うのは二度目じゃな」
挨拶を返そうと口を開くも出てくるのは大小の空気ばかり。
「あぁ、スマンの。これじゃ話しづらくてかなわん」
不意に女性の白い手が私の頬を撫でる。すると、私と女性自身包み込む優しい光。その全身を包み込むと口から漏れる空気は気泡ではなくなった。
「ほれ。これで喋れるじゃろ」
「あの…ありがとうございます。」
「よいよい。私が畔と喋りたかっただけじゃ」
柔らかに笑う女性は私の名を知っているようだ。
「申し訳ないんですが…何処かでお会いしましたか?」
「む? 丁度一日程前にあったじゃろう。あの時は言葉を交わさないうちに分かれてしまったがの」
思い出した。夢の中で見た女性だ。
「ああっ! す、すみません! 忘れてしまっていて…」
「よいよい。夢の内容を覚えておけなど難しいことは言わん」
「そ、それでお名前は…」
「おおすまんすまん。私の名は
「えっ!?」
もっとちっちゃくて可愛らしい小動物ちっくなのを想像していた。
「あっえっと水知不畔といいますっ! よろしくお願いしますっ!」
私が緊張気味に名乗るとクスクスと笑われてしまう。
「クックッ…。どうしたのじゃ、そんな畏まって。私をペットにするつもりだったのじゃろ? もっと尊大に振舞ってよいぞ?」
「え―――。あぁっ! いや、あれはそのちょっとした冗談でですね…」
そう言えば姫ちゃんとそんな事を話していたきがする。
「クックッいや、やはりお主は面白いの。人魚の友人がからかうのも分かる気がする」
「あの、どうしてご存知なんですか?」
「ん? あぁそれはじゃな。大体外の音はここに響いて来るんじゃよ。他にする事もないからずっと聞いておったわ」
プライバシーもクソもあったものではない。
「それはそうとじゃ。私に敬語はいらんぞ。どちらかと言えばお主に世話になっているのだからこちらが使う方じゃ。名前も気軽に呼べばよい」
「い、いえそんな…。で、では白忌様?」
「堅い、堅い。柔らかさがまるで足りん。それでは主従になってしまうわ。もっともっと緩くじゃ。白とかでも良いぞ?」
「―――では白忌さんと」
「むぅ。まだ堅いがよいか」
「あの…それでここは何処なんでしょう? 夢の中?」
「おや、お主気付いておらんのか?」
「何をでしょう?」
「お主死んでおるぞ?」
「はい?」
「いやぁ、見事な一撃じゃったなあの人間の小娘。人間ながらにあそこまでの術を使えるとはなかなかやりよるわ」
「…あ」
段々思い出してきた。確か私はあの黒白の少女に攻撃されたのだ。そこからの記憶がないということはそういう事なのだろう。
「そっか…。私死んじゃったのか…」
自然と俯いてしまう。結局誰にも別れを告げることなく逝ってしまった。自身が死んだ悲しみよりもそこからくる淋しさと悔しさが心を叩いた。
「そんな顔をするでない。確かに死んでるとい言うたが、あくまでそれは肉体の話じゃ。お主の魂は生きておるよ。実際に今こうして話しているわけじゃからの」
「魂?」
「そうじゃ。人間にしても妖怪にしても、魂の器が肉体なのじゃ。魂が死なぬ限りは完全に死んだとは言えん。ただ、相当特殊な場合でない限りは肉体が死ねば魂はその器を失い消滅する」
「じゃあやっぱり…」
「そう急ぐでない。今回は相当特殊なのじゃよ」
「?」
「肉体が死んだお主の魂はやはりその拠り所を無くし、霧散しようとした。それを私がここに呼び込んだのじゃ。この私一人ではまだまだ広すぎる龍石の中にの」
「それは白忌さんがこれから成長するということですか?」
「お主も知っている様に龍石の中の龍はその中で成長していく。魂についても同じように言える」
「…ってことはここもいずれ白忌さんで一杯になります。体の死んだ私では結局行き場が無くなるんじゃ...」
「そうじゃの。このまま行けばそうなるの」
「そうですか…」
「だからそう急ぐなと言うておる。お主はちとせっかちじゃぞ」
「でも…」
「一個だけ助かる方法があるんじゃよ。そりゃ完全復活とまでは行かんだろうが、体を生き返らすことはできる筈じゃ」
「あるんですかっ!?」
「なに、単純な話じゃ。少々力ある妖怪なら誰しもやっているようなこと、私がお主の体に入り込み私の妖力で治すだけじゃ」
「そんなことできるんですか?」
「魔女なら魔力、神霊なら神力、妖怪なら妖力を使って体を修復する。そうじゃな、例えばフラン等は吸血鬼じゃ。その有り余る妖力ならば例え体が粉々になろうとも復活できる筈じゃ。まぁ、尤も妖力のほぼないお主には無縁の話じゃな。だからこそ私がお主の体に入り龍の妖力を以て死んだ体を戻す。私は何も無くて詰まらんここから出れて嬉しいと二人ともにいい話だと思うのじゃがの」
確かに一見素晴らしいように思えるが、腑に落ちない。
「あの…ここから出ていったとしてこれから大きくなる白忌さんの魂は私の体に入るんでしょうか?」
「宛がある。お主は気にしなくてもよい」
「……。それともう一つ。何故今まではここから出ていかなかったのですか?ここが辛いなら何時でも…」
「それはじゃな。私の魂が出ていったとして入る器がない。無理やり入り込んだとして、本来一つの器に二つの魂が乗ることは無い、すぐに喧嘩してしまうのじゃよ。自ら唯一の器を求めての」
「じゃあ私たちも」
「同意があれば別じゃよ。これから私がまた出ていく迄の間、お主の見たもの、聞いたもの、感じたものを私と共有してしまうことに同意してもらえるのならば問題ない」
「…」
「まぁ決めるのはお主じゃよ。ここで消えていくのをまつか、これからを生きるのかどうか」
白忌さんの言う宛が気になるが、そんな聞き方をされては答えは決まっているようなものだ。
「…生きたい。私まだ死にたくない」
「うむ、よう言うた。ならば助けてやる。これから暫くの間宜しくの」
白忌さんがその白い右手をさしだす。
「っはい!」
私は勢いよくその手を掴んだ。
〇
目を覚ますと私は壁にもたれていた。
「っ痛!」
体には小さな切り傷や、火傷が残っていた。
(すまんの。無くなった足だの手だの、焼け落ちた頭の一部だのは治せたのじゃが、何分私もまだまだ成長途中じゃ。妖力が尽きてしもうた)
「いえ、大丈夫です」
(お主だけ喋っていると頭おかしいと思われるぞ?声に出さずとも、考えるだけで良い )
(はい)
(して、ここからどうするのじゃ?)
(と、取り敢えずフランちゃんを探します)
私と違ってフランは吸血鬼だから死ぬ様なことにはなっていないと思うがやはり心配だ。恐らく私を攻撃した少女は異変解決に来たのだろう。であればフランにその矛を向ける筈だ。
キョロキョロと首を回しているとふと地面の血痕が目に止まった。抉れた地面の上に滴っているところを見るに私の物ではなさそうだ。
「怪我してる…」
私は点々と続く血痕を追おうと足を早めようとした。
(のう、畔よ。ここを出る前に一つだけ確認してもらいたい事があるんじゃが…)
(はい? 何でしょう?)
(ほれ、わかさぎ姫とやらに見せていた美しい石があったじゃろ。あれは今何処じゃ?)
(あれですか? あれはただの石なので多分私への攻撃で壊れていると思いますが…)
そう言って合羽のポケットを裏返しにして確かめてみる。するとゴトリと音を立てて青い石が地面を叩いた。
「あれ?」
(おお、残っとったか。それだけじゃ。すまんの呼び止めて)
(?ええ)
なんだか良くわからない事を聞くものだ。それにしてもこの石も妙だ紅魔館の通路をいともたやすく破壊したあの攻撃を耐えている。一体この石は――――
(ほれほれ、フランを探すんじゃろ。急いだ方が良くないかの)
(あぁ、はい。そうですね。)
私は思考を隅へ押しやり血を追った。
血は階段の上に続いているようだった。
「はぁ…はぁ…長い…」
階段が長く感じる。やはり一度死んだ体、暫く無理は出来ないということだろうか。
息を切らしながら登りきるとそこは酷い有様だった。数え切れない程の本棚がほぼ全てひっくり返り、その蔵書を濁流のように氾濫させている。
「…」
言葉を失う、ある種の無常感すら覚える惨状。更に酷いのはその上空。灯っている筈の人口的な光はなく照り輝くのは赤い月。そこへ届かんと黒い手を伸ばしているのは赤い爆炎。
よく見ればその黒煙の中に浮かぶ鮮やかな宝石。その前にはフランと同じくらいに見える蝙蝠羽の少女。恐らくあれがフランの姉なのだろう。そして本の海の上に立つ二つの影。件の黒白の少女と博麗の巫女だ。やはり戦闘になっている様だがどうにも様子がおかしい。フランの姉が人間二人を庇っている様にも見える。なにやら言い争っている様だ。
「だから私がっ!! 私が畔ちゃんのかたきを討つんだ!! 畔ちゃんの為にっ!! 私の為にっ!!」
まずい、完全にフランの中で私は死んでる。いや、死んでたけど。
半狂乱になりながら頭を振り叫ぶフランを見て、確信する。
(弾幕ごっこは…)
(どうやらその様じゃの。いや、これは不味いかもしれんぞ。弾幕ごっこをしないのであれば巫女に退治されてしまうのではないか?)
(!!)
(もう遅いやもしれんが、これ以上お主についての勘違いで何か問題を起こさせるわけには行くまい)
(わ、私止めてきます!)
急いでフランの近くまで行こうとすると
「そレを邪魔すルなら姉でも殺ス! 人間なんてもっと殺ス!」
フランがとうとう静止を振り切り、右手を巫女にかざした。
(あれは…不味いのう。巫女が死ぬぞ。)
物騒な言葉を聞いてしまった。私の遅い足でフランに向かう時間などない。私は火傷でチリチリと痛む喉に思いっきり空気を通して叫んだ。
「フランちゃんっ!!!」
〇
声が聞こえた。
もはや聞くことを諦めた声が、私を呼んでいる。
私の手から集めた人間の“目“が散っていく。目的を失った右手が下ろされる。
目を見遣った先には黄色い合羽を着たボロボロの少女。お姉さまやあの二人の様子を見るに幻覚ではなさそうだ。その場にいた全員がゲホゲホと痛そうに咳き込む彼女を見ている。
「…畔ちゃん?」
声が震えているのがわかる。信じられないのだ。見間違えようのない程、どうしようもなく死体だったのだ。立つことは愚か、瞼さえ開くことは出来ないだろうと思っていた。本当に彼女なのか?私は自分の目を信じられない。
「…畔ちゃんなの?」
確認したかった。彼女が本物であることを。
確信したかった。自身の判断が過ちであったことを。
ゲホゲホと咽ぶ彼女にも聞こえたのだろう。人間には聞き取れないほどに弱々しい声で返事が帰ってきたのを私は聞き漏らさない。
「わ、私だよ…。ごめんね、心配かけて」
あれだけ喋ったんだ。彼女の声を忘れるはずがない。ガラガラになってしまってはいるが、その声にはしっかり彼女の残滓があった。
私は飛んだ。その鼓動を聞きたかった。一時、私の掌からすり抜けた宝物。もう一度見つけたのだと実感が足りなかった。
地面に降り立つことなく飛ぶ勢いのまま彼女に抱きついた。そのせいか私達は倒れてしまったけど構うものか。
彼女の胸に耳をつけると聞こえてくる小さな心音が愛おしい。
私を抱きとめてくれる小さな手が心地よい。
その様は母に甘える子供のようにも見えたかもしれない。私は泣きじゃくりながら彼女の名を呼んだ。
「っ畔ちゃん!!」
透明な雫が彼女の服を濡らしていた。