シムーン短編集   作:bounohito

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「我が良き片羽」

 

 夕闇に窓から見える街灯りが、何故か哀しい。

 自室で休憩していたグラギエフはため息をついた。

 いつもなら、まだまだ執務室の方で書類と格闘している時刻だったが、既に仕事は無いに等しい。もっとも、この状況では仕事をする気にもなれなかったろうが……。

 宮国は、既に停戦という名にすり替えられた『降伏』に応じ、このアルクス・プリーマにも敵兵が駐留していた。

 グラギエフだけでなく、アヌビトゥフをはじめとするアルクス・プリーマ乗員、シムーン・シヴュラ他、戦争に関わったとされる主立った人物は、停戦決定後は残務整理と機密を理由にアルクス・プリーマに禁足されていた。例外はメッシスのワウフ艦長ぐらいだが、監視付きでメッシスとアルクス・プリーマを往復するだけの話で、とても羨ましいと思えるようなことではない。

 再び、グラギエフの口からはため息が出てしまった。

 

 デュクスという立場は、何と無力なのであろうか、と。

 今この瞬間に自分がシヴュラであったなら、と。

 そして、アヌビトゥフがその自分のパルであったなら、と。

 

 無意味な仮定が心の奥からわき上がってくることに、自分はこんなにも想像力が豊かな方だったかなと、苦笑せざるを得ない。

 そういえばと、グラギエフは一つの歌を思い出した。

 シヴュラ時代に憶えた歌だ。

 感傷的になっているなと思いつつも、そんな自分も嫌いではないことに満足を覚えた。

 自然、歌が口をついて出る。

 

 

  我が良き片羽と 蒼穹に

 

  祈りを捧げ 航跡を

 

  描く心に安らぎと

 

  胸の痛みがこだまする

 

 

  安らぎは 共にある証

 

  痛みは 巫女に許されし

 

  選びの泉に ゆくまでの

 

  限られた 時のゆりかごか……

 

 

 二番まで歌い終えた時、微かな風を感じてグラギエフは振り返った。

 いつの間にか、部屋の扉が開かれている。小さな笑みを浮かべたアヌビトゥフがこちらを見て立っていた。

「アヌビトゥフ……いつからそこに?」

「少し話そうと思ってな。

 ……変わらずいい声だ。聞き惚れたよ。流石に音程が低くはなっているが」

 驚くというほどでもないが油断していたグラギエフに、アヌビトゥフは珈琲を差し出した。

「ああ、丁度いい具合に喉が乾いていたところだ」

「それは結構」

 アヌビトゥフはグラギエフに杯を手渡すと、いつもの場所に腰掛けた。

「やれやれだよ。艦橋にも歩哨が立っている。

 自分の席にも近づけやしない」

「それは仕方ありません。私の執務室の前にも兵士が居座っていましたから。それこそ無意味だとは思いますが。

 私室の並びの……こちらの方は大きい出入り口に数人いるだけですが、嶺国の巫女さまがいらっしゃいました」

「……ああ。ここへ来る途中に見かけたよ」

 アヌビトゥフは何事もないかの様に脚を組み替えて珈琲を啜っていたが、その実、相当怒っているらしいことがグラギエフにはわかった。シヴュラ時代を含めると、もう十数年の付き合いになるのだ。

 これも一種の甘えなのかとも、グラギエフは思う。ついぞ、アヌビトゥフが他人の前で見せることない態度だ。

 アヌビトゥフが冷静に見えて熱い男であることは知られているが、自分ほど彼と深い関わりを保っている者はいない。宮国を代表する大型艦の艦長職にある者から甘えられる自分を、誇りに思うことにしよう。

「……?

 何を笑っている?」

 アヌビトゥフは不思議そうにグラギエフを見上げた。若い頃と少しも変わらない、力強い瞳がグラギエフには嬉しい。

「いえ、少し昔のことを……」

「そうか。

 ……泉に行く前の夜も、こんな風だったかな」

「はい」

 窓辺から街を見ようと、グラギエフは立ち上がった。

 西北大聖廟に係留されたアルクス・プリーマから見下ろす街灯りは、あの頃と一つも変わらないように思える。

 そう、あの夜、あの時と。

 

「……私が歌っていたら、丁度貴方が部屋に帰ってきた」

「そう、あの時も君は歌っていた」

 グラギエフは、アヌビトゥフに向けて静かに微笑んだ。

「貴方は今日と同じように、両手に飲み物を持っていた」

「ああ、あの夜は……夏にしては少し寒い夜だったからな」

 アヌビトゥフは、手に持った杯を軽く傾けて答えた。その杯の中で揺れる自分見ながら、グラギエフは続ける。

「どちらの性を選ぶのかと、私は貴方に聞いた」

「私は迷わず『男』と答え、君に同じ質問をした」

「私は『迷っているが泉に行くまでには決める』と、貴方に返した」

「そして君も男を選んだ」

「そのことに後悔はない。デュクスという職には満足している……いや、していた」

「ああ、私もだ。

 アルクス・プリーマの艦長席は座り心地のいいもの……だった」

 それからお互いに、心の底まで射抜くかのように見つめ合う。

 あの時巫女だった二人は、無論、いつまでも巫女のままではいられなかった。

 二人は既に性を選び、あれから決して短くない時間が過ぎ去っている。

 シヴュラと呼ばれ、二人がパルであったのは、遙か遠い昔のことだ。

 そして。

 同じアルクス・プリーマには今、泉へ行くことを他者に『決められた』巫女たちがいた。

 

 コール・テンペストの巫女たちに申し訳なく思うのは、彼女たちの中で時が満ちて、少女時代と決別するために性を選択ではなく、政治と戦争の道具として泉へ行く時を決められてしまったこと。いやコール・テンペストだけではなく、コール・ルボル他の巫女達も同様だった。

 自分たちの様に、戦が続いていても自分で泉へ行くことが決められた者は、まだしも幸せであったのだろうか?

 いや、満足や幸せと性を選ぶこととに、そもそも関係はあるのだろうか?

 テンプスパティウムは未だに答えを授けてはくれず、人々は性以外にも様々な選択を、日々迫られ続けてゆく。

 そうして生きて、生きて、最後にテンプスパティウムの御元に逝く頃には、答えが見つかるのだろうか……。

 

「ところでグラギエフ、テンペストの巫女さま達のご様子は?」

 想いを巡らせていたグラギエフに、アヌビトゥフは再び声を掛けた。

「はい、動揺はされていたようですが、今は皆落ち着いておられます」

「そうか。

 ……そういえば、巫女さま達が」

 アヌビトゥフは、ふと思いついたそれをより詳しく心に描き出そうと、一旦言葉を切った。

「巫女さま達がどうかされましたか?」

「うん。……停戦の少し前に、私も出撃しただろう?」

「はい」

「その時に仰られていた。『心配いらない、もう決めた』、と」

「『決めた』?」

「ああ。

 『いま出来ることを精一杯やる』、とも」

 そうか、彼女たちがそう言ったのか。

 グラギエフの心に、僅かに救いの光が射した。

「それで、だ、グラギエフ」

「はい、艦長」

 アヌビトゥフの変化した態度に、グラギエフも居住まいを正した。

「我々にも、『いま出来ること』ぐらいはありそうじゃないかね?

 ……と言っても、足がかりになるような情報集めが先かな」

「ええ、ええ。勿論」

 グラギエフの心も高揚した。羽が生えたように、重苦しかった気分が飛んでいった。

「……やっと笑ったな」

 アヌビトゥフの視線が、にやりとグラギエフを見上げた。

「え!?」

「これでも気を使っていたんだが……

 最近の君は、あの時の君と同じ、不安を意地で覆い隠したような表情をしていたからな」

 あの時。

 シヴュラ時代、様々な軋轢や抑圧に心が壊れかけたグラギエフに手をさしのべてくれたのは、アヌビトゥフだった。

 ……また同じ罠に陥りかけていたのか。そして、またも自分はアヌビトゥフに救われたのか。

「アヌビトゥフ、あの……」

「気にするな。普段は私の方が君に甘えているんだ。

 これぐらいはさせてくれ」

 アヌビトゥフはいつもと変わらない様子を装って答えた。

 なるほど、自覚はあるんだなと、グラギエフは思った。彼にはいつもかなわない。

「わかった。……そういうことに、しておく」

 少し照れたように、グラギエフは下を向いた。

「その表情かな?」

「え!?」

 今度は何だろうと、グラギエフは身構えた。

「ワウフ艦長曰く、『男にしておくのはもったいない』」

「なっ!?」

「無論、私も同じ意見だよ」

「アヌビトゥフ!!」

 グラギエフは赤くなって拳を握りしめた。

「はは、悪い悪い。

 ……そうだ、もう一つ思い出した。

 昔話の続きになるが、いいか?」

「脈絡がなさすぎます」

 昔から、アヌビトゥフはそういう感じだった。自分で始めた話の腰を折る。

 まあいいか。自分も先程までは感傷的になっていたのだ。夢の続きを心に想い描くのも悪くない。

「さっきの歌に替え歌があるのを、君は知っているかい?」

「さあ……思い当たりません」

 グラギエフは本当に知らないようだった。アヌビトゥフは、再びにやりとして先を続けた。

「シヴュラ当時の君には、とても聞かせられない歌詞だが」

「……猥歌?」

 グラギエフは眉をひそめた。本当にこの人と来たら……。

「まあ、その類だな。

 だがな、これでなかなか含蓄にも富んでもいる」

 アヌビトゥフはグラギエフの返事を聞かずに歌い出した。

 

 

  我が良き片羽と 早急に

 

  想いを遂げて 愛情を

 

  描く身体に安らぎと

 

  破瓜の痛みがこだまする

 

 

「どうだい?」

 歌い終えたアヌビトゥフは、グラギエフの表情を伺った。

 何とも返事に困ったグラギエフだが、アヌビトゥフの言いたいこともわかるような気がして、苦笑せざるをえない。

「……確かに、シヴュラ時代の私には聞かせられない歌ですね」

「だろう?」

 アヌビトゥフも笑っていたが、いやらしい笑いではない。青春を振り返る爽やかさに満ちた、見事な笑みだった。

「でも……」

 グラギエフも少し逆襲してみることにした。

「うん?」

 あの頃の、真面目一辺倒の自分なら、委細構わずアヌビトゥフを叱りつけていたに違いない。気の利いた問いかけに、洒落のある答えを返せるような自分など、若い頃には想像もつかなかった。

「もしも……」

 最早、あの頃のようにアヌビトゥフに常に可愛がられ、守られ、からかわれていた自分ではない。

 

「泉に行く直前、あの夜に貴方からこの歌を聴いていたら、私は女を選んでいたかもしれない」

 

 今度はアヌビトゥフが赤面する番だった。

 だが、その言葉に嘘はないとも、グラギエフは思う。

 アヌビトゥフにも、グラギエフが思い描き、迷っていたような架空の未来を、同じく夢想していたことがあったのだろうか。

 しばらく言葉を探していたアヌビトゥフは、やがて一つ、肩をすくめてみせた。

「しまったな。……おかげで未だに独身だ」

「私もですよ。

 こんな苦労を背負い込まずに済んだかも」

 グラギエフも、それに倣って肩をすくめた。

 しばらく気の抜けたような顔をしていたアヌビトゥフだったが、やがて、あさっての方をむいたまま感情のない声でつぶやいた。その小さな声を正確に聞き取ったグラギエフも、それに同調した。

「……『ただいま、愛しいグラギーア。今帰ったよ』」

「……『お帰りなさい、あなた。今日は早かったのね』」

「……『おや、この匂いは君の自慢の……』」

「……『ええ、そうよ。あなたの好きな、馬鈴薯の煮込みよ』」

 使い古された冗句に棒読みの合いの手を返しつつ、グラギエフはあの頃抱いていた心の揺らぎと感情に、想いを馳せた。

 それでもなお、グラギエフには男を選んだことへの後悔がなかった。

 

 この人がいたから。

 この人が、今ここにいるから。

 この人の側に、今も私は立っているから。

 

「私は、デュクスである今の自分に満足していますよ」

 グラギエフは自分にも言い聞かせるように、先程と同じ様な言葉を繰り返した。

「でなければ、この夜に、そう……敵兵に囲まれたアルクス・プリーマの艦内で、貴方とこんな話をすることは出来なかった筈だ」

「そうだな」

 やはり、男を選んで正解だったのだろうと思う。今この瞬間に、アヌビトゥフと共にいない自分などは、想像すらしたくない。

「それに、敗れたりとは言え、宮国最後のデュクスとして『いま出来ること』がある。

 こんなに嬉しいことはありません」

「……そうだな」

 愛すること、愛されることよりも、共に手を取り進むことを自分は選んだ。家にいて、夫の帰りをただただ待っていることなど、自分には出来なかっただろうとグラギエフは思う。

「……なあ、グラギエフ」

「はい?」

「さっきの歌、もう一度歌ってくれないか?」

「最後まで?」

「ああ、最後までだ。

 ……頼む」

 そう言うと、アヌビトゥフはグラギエフの返事を待たずに目を閉じた。

 もう聞き入るつもりになっている。

 仕方がないなとグラギエフは立ち上がり、アヌビトゥフと同じように目を閉じて歌いはじめた。

 

 

  我が良き片羽と 蒼穹に

 

  祈りを捧げ 航跡を

 

  描く心に安らぎと

 

  胸の痛みがこだまする

 

 

  安らぎは 共にある証

 

  痛みは 巫女に許されし

 

  選びの泉に ゆくまでの

 

  限られた 時のゆりかごか

 

 

  翼をおりたる 二人には

 

  胸の片羽は 消えてなお

 

  新たな時の はじまりに

 

  互いに翼を 支え給う……

 

 

 歌い終わったグラギエフは目を開けた。

 アヌビトゥフは、杯を持って目を閉じたまま、先程とは寸分動いていなかった。

「グラギエフ……」

「何です?」

「ありがとう……」

「ええ」

 グラギエフは、差し込んできた薄明かりに目をやった。いつの間にか窓の端に月がかかっている。今日が終わって明日になる刻限になっていた。

 グラギエフは暫くそのまま月を眺めて余韻に浸っていたが、ふと気になって振り返ると、アヌビトゥフはもう寝息を立てていた。

 やはり、この人には一生かなわないのかもしれない。

 揺り起こそうか迷いながらも、グラギエフはアヌビトゥフの寝顔を見つめ、明日からは忙しくなるなと、ひとりつぶやいた。

 

 そしてそれは、現実のものとなる。




附記・雑記

<物語の背景>
 第23話「永遠の少女」の停戦の調印式の夜か、その翌日と思われる第24話「選択」中盤の夜。内容としてはどちらとも取れる仕上がりに。登場人物はアヌビトゥフとグラギエフのみ。場所はアルクス・プリーマ艦内、グラギエフの私室。「君の部屋」ことデュクスの執務室ではない。第25話「パル」での、アヌビトゥフの口づけや、グラギエフの暗躍と大立ち回りのきっかけにつながるような内容に。
 題名の「我が良き片羽」(もしくは、「我が良き片翼」)は英語だと「MY BETTER HALF」。運命の人や良き伴侶、最高の相棒を表す成句。
 「紙巻の艦長と細巻の巫女」でのヴューラの心境にも、それとなくリンクさせる意味も。

<アヌビトゥフとグラギエフの『あの時』>
 第6話「傷と痛み」でのアヌビトゥフとグラギエフの会話より。ただ、本編でも詳しい内容は明かされていないので推量するしかない。助けたのがアヌビトゥフ、助けられたのがグラギエフ。ただ、真面目で一途なグラギエフだけに、どのような壊れ方したのか想像がつきやすいとも思える。

<グラギエフの歌>
 シヴュラに歌い継がれてきた歌で、戦争とシヴュラが無縁だった時代に作られ、パル同士の心持ちと少女時代の多感な心境、そして未来が盛り込まれた歌という設定。「玲瓏の巫女」らしく、綺麗にまとめる。三番の「翼をおりたる」はシムーンを降りたことと、クロスの翼を折って性別化したことの二重の意味。

 「片羽の詩」/作者不詳

  我が良き片羽と 蒼穹に
  祈りを捧げ 航跡を
  描く心に安らぎと
  胸の痛みがこだまする

  安らぎは 共にある証
  痛みは 巫女に許されし
  選びの泉に ゆくまでの
  限られた 時のゆりかごか

  翼をおりたる 二人には
  胸の片羽は 消えてなお
  新たな時の はじまりに
  互いに翼を 支え給う

 ※作者注・八五調だからと言って、くれぐれも「あヽ人生に涙あり」や「どんぐりころころ」、「軍艦行進曲」等の節で歌わないように!

<アヌビトゥフの歌>
 替え歌の方は、いかにも「赤錆びたシヴュラ・アウレア」の二つ名を持つ不良シヴュラらしく。但し、アヌビトゥフ自身が作ったのではないことに留意。ヴューラやフロエ、アムリアあたりが歌い継いでいたら面白いかも。パライエッタやカイム、現役時代のグラギエフには間違っても聞かせられない。
 作中にもあるように単なるふざけた替え歌ではなく、パル同士の恋愛、その一つの終末点を含んだ内容になっている。

 替え歌/作者不詳

  我が良き片羽と 早急に
  想いを遂げて 愛情を
  描く身体に安らぎと
  破瓜の痛みがこだまする
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