教授、研究してください! 作:犬山未来
思考を停止してから、何分が経ったでしょうか。
数分ほど訳のわからなさに呆然としてから、壁のボンボン時計が三回ほど鳴ったので、私は我に返りました。
見れば、時計が指し示すのは三時。さしずめ、おやつの時間と言ったところ。なんだか寒気もしてきたので急いでお布団にくるまりながら、今日のおやつは何かしらと現実逃避にはしります。プリンでしょうか。甘くてふわっととろけるプリンと、ちょっと甘さ控えめのカラメルの組み合わせ。たまりませんね。
こうして、かくも辛くも現実逃避の中でふわとろ甘々のプリンを想像しながら、私はなんとか精神の平穏を保つのでした。そう、追い打ちがかかるまでは。
ガチャン、と音がします。背を向けていたのでとっさに反応できませんでしたが、扉が開いてしまったのです。いったい誰が入ってきたのでしょう。
神が現れたか悪魔が現れたか。さて、確かめなければなりません。もちろん神というのは、優しそうなナースさんが入ってきたか、家族や友達が見舞いに訪れた場合。悪魔というのは、見知らぬいかにもなグラサン金髪臓器男みたいなのが現れた場合です。ヤクザになんて拾われたくもありません。
意を決して振り向きます。さあ、どっちが現れたのでしょ…う。
「え?」
思わず声が漏れます。これは今日何回目でしょうか。
はたして、そこにいたのは、ヤクザな男でも家族でもありませんでした。普通にナースさんです。特にきつそうな人というわけでもなければ、別にお婆ちゃんだったとかそんなこともありません。
ただちょっと想像できなかったのは、ナースさんが西洋人だったことです。それも、かなり美人の。
美しい金の髪に青い水晶のような瞳、お人形のような顔。なんて小説なんかではよく出てきますがまさにその通りのナースさんが目の前にいました。もう私なんて顔向けできないくらいに美人です。
ただ、少々ナースさんというにはナースさんすぎるような格好をしてる気もします。白くて清潔そうなその服は仕立てがとても良いらしくて、今時の白いズボンと上着の中性的な看護服ではなくまるでお値段の張るワンピースのように仕立てられているのです。ボタンや襟のついた上の部分から、腰のところできゅっと一度締められて、ふんわりしたスカートが足下まで伸びていて。一度着てみたくなるような服かもしれません。
ただ、頭にだけはなぜか、小学校の頃、給食の配膳で被ったようなふわふわに似たのをかぶっています。綺麗に斜めに被られているのでそんなにダサくはないのですが、とても違和感です。
そんなナースさんは、私が突然振り向いたからでしょうか。少し驚いたような顔をしていましたがからすぐに天使のようなほほ笑みを浮かべると、私に向かって話しかけてくれました。
「Menga tzaame ta none?」
……は?
訳がわかりません。というか、何語でしょうか。
どうやら、うすうす恐れていた事がついに現実に起きてしまったようでした。
なぜなら見えるのは見知らぬ外の景色。常識とはかけ離れた病室。そして、金髪のナースさん。
ここは日本ではないようなのです。
そして言葉が通じなかったことでそれは確定してしまいました。私は、何かの間違いで外国に送られてしまったのです。
人さらいか何かでしょうか。
そういえばここ最近臓器移植の発達に伴って、人をさらっては臓器を抜き出して転売する闇ビジネスが拡大していると聞いたことがあります。それは、おもに日本ではなく他の治安の悪い国などで起きていることと聞いていましたが、ついに日本にもその波がやってきたのでしょうか。そして、道に倒れてた高校生を一人さらって、外国に送り込んで…。
想像するだけでゾッとします。そうなるとこのナースさんも、闇ビジネスの一員だというのでしょうか。
「Are, Kotzoha nga tzuudi neno kasira?」
いえ、まってください。今、この人「あれ?」とか、「かしら?」とか言って首を傾げてましたよね。いったい全体何なんでしょう。もしかして、噂に聞く日系人という外国に移民した日本人の子孫だったりするのでしょうか。日本人が出てきたから、頑張ってお婆ちゃんから教わった日本語で話しかけてみたら通じなくて困っちゃってるとかだったらすごく可愛らしい人なのかな、と思います。
そう思うと、なんとなくほっこりしてしまいました。今まで闇ビジネスの一員とか考えていたのになんだか正反対の方向に思えてきたからです。もしかしたら、私は倒れたあと、外国のお金持ちみたいな人が走らせていた車に見つかって、そのままお金持ち外国人御用達の病院に入院させてもらえたとかなのかもしれません。そうしたら、きっと運が良かったのでしょう。
あれやこれや考えていた私を見ながら、しばらく困ったようにナースさんはオロオロします。絵に描いたような可愛らしい光景に思わず笑ってしまいました。正直その絵になるあたりがとても羨ましいです。笑ったことの効果もあったのでしょうか、意を決したように彼女が私を振り返ります。ですが、その言葉を聞こうとしたとたん突然、私は一瞬の頭痛に見舞われました。思わずクラっとして頭を抱え込んで丸くなります。ナースさんは慌てて寄ってきて、言葉が通じもしないでしょうに尋ねてきます。
「Daijoubudesuka?」
「だ、大丈夫です…。」
思わず言葉を返しながら頭を持ち上げて縦に振ります。ですが、その頭痛も一瞬で収まってしまいました。頭のうちどころが悪かったのでしょうか。最悪のタイミングです。せっかくナースさんが「大丈夫ですか?」と話しかけてくれたのに……。
あれ?
今、ナースさん、「大丈夫ですか?」って、話しました?
ついに通じる日本語がとっさのタイミングになって思いついたのでしょうか。ナースさんを見上げると、きょとんとしていて。
「良かった、てっきり言葉が通じないのかと思いました。」
と、流暢な日本語で話しかけてきました。
良かった、よくやくナースさんは日本語を思い出したみたいです。
「ええ、私も通じないのかと…、日本語がお上手なんですね。」
と愛想よく返事をするように心がけます。なにせ、今はこのナースさんが初めての病院関係者です。仲良く接しておくに越したことはありません。さて、褒められたナースさんはどのような反応をするのでしょうか。そう思いながらじっと見つめると、再び困ったような顔をして、ナースさんは、
「ニホンゴ…?」
と、首をかしげました。
これは、どうしたことでしょう。これだけ流暢な日本語を話しておきながら、この人は日本語という単語を知らないというのです。ますます不思議な感じですが、このままではナースさんが可哀想なので、私はちょっと得意になりながら教えてあげることにして、ゆっくり話しかけてみました。
「あなたが今話している言語のことですよ?」
「……今話している言語ですか?
私が話しているのは、トーキトーヴ語中央方言のはずですが?」
なにやらヘンテコなことをナースさんは言いました。
今話している言語はトーキトーヴ語、だそうです。ちょっと、何言ってるかわかりません。およそ、意地悪なお祖父ちゃんがフザケて教えたのに騙されてしまったのでしょう。とてつもなくかわいそうな人です。ですが、これを教えてあげる義務は私にはありません。とりあえず気にせず次に気になっていたことを口にします。
「えっと、ここはどこで、今日は私が倒れてから何日目でしょうか?」
だいたい、これですべてがわかるはずです。病院の名前と日にちさえわかれば、変なことが起きたかどうかや、私の推測が正しかったかどうかわかるでしょう。
期待を込めてナースさんを見ます。ですが、次の瞬間に待っていたのは、不思議なものを見るような目をしたナースさんが、ゆっくりと吐いた理解不能な言葉でした。
「今日は二月十日ですね。あなたが病院に運ばれてきた日の次の日です。あと、ここはトーキトーヴ第三病院ですよ。」