教授、研究してください! 作:犬山未来
ナーシャさんが去ってから数分後。程なくしてやってきた医者は、ナーシャさんのような見た目ではなくて、白髪で黒目にあごひげを伸ばした、なんだか仙人のようなおじいさん先生でした。普通にスーツに白衣を着ています。名前はリン先生というらしいです。間違いありません。だって、入ってくるなりそうそう、私に向かって、
「やあやあ、お嬢さん。私の名前はリンです、どうぞよろしく。」
なんて話しかけて来たのですから。患者に向かってずいぶん馴れ馴れしい先生です。その仙人っぽい見た目と声が台無し極まりありません。もっと自分のキャラを察して欲しいところです。
そんなリン先生は、手にカルテのようなものを持っていました。少し何が書かれてるのか気になります。そこに私の症状等はすべて書き込んであるはずです。おおかた頭を打って昏睡中とかそんなのなのでしょうけど、それでも気にならないなんてことはありません。
椅子に座りカルテを持ちながらじっと私を見る先生。どんな質問が飛んでくるかと思えば、次に出てきた言葉は質問でも何でもなく、そしてより訳の分からない言葉でした。
「似てないのぉ…、そもそも、どうして君たちはそんなリシオン人の典型のような姿をしているくせに、このリューリア人の見た目も良い所の少女が妹だと言い張るのかね。全く持って、無茶があるわい。」
そう言いながら、リン先生はナーシャさんを見上げます。思わずつられて私も見上げると、ナーシャさんは何とも言えない曖昧な感じの笑みを浮かべていました。まるで、私に聞かれても困るとでも言っているかのようです。
何を言ってるんでしょうか、この人は。わけがわかりません。状況に全くついていけません。いったいどういうことでしょうか。
一気に混乱の極みに叩き落とされる私ですがらここは無理やりにでも私は自分の頭をフル稼働させて答えを出します。つまり、病院に入院するにあたって、私は名前と身分が不明だから、ナーシャさんの妹ということになって入院させられたのでしょうか。でしたら、もしかしたら、助けてくれたのはそこにいるナーシャさんなのかもしれません。とはいえ、これはさすがに私も無茶がある気がします。
というか、ナーシャさんはリューリアの人ではなかったのですね。初めて聞いた話ですが、納得です。なにせ、私もリン先生もいかにも東洋人な見た目なのに、ナーシャさんはどう見ても西洋人なのですから。ここではリシオン人と呼ぶのですね。
私がそんなことを考えている間、しばらくリン先生はナーシャさんの顔を見つめていましたが、やがて大きくため息をつくと、
「で、お嬢さん。本当の名前は?」
と聞いてきました。思わずナーシャさんを見ると、ナーシャさんは慌てたように自分をさしながら口をパクパクさせたあと、私を指して口をパクパクさせています。何を言いたいか全くわかりません。ですが、なんとなく「エ」「シャ」と言っている気もします。
ですが、なんでこんなにナーシャさんは慌てているのでしょうか。もしかすると、この理解不能なテーマパーク世界の場合、身元不明の人間は牢屋にでも送られるのかも。それは拙いですから、慌てて答えてしまいます。
「エーシャ・ケルウタムです。」
「なんと、まあ。」
リン先生はそう言いながらカルテと私の顔をまじまじと見比べています。そして、しばらく困ったように頭をかくと、
「ああ、もう、それでいいわい。ところでエーシャさん、調子のほうはどうかね。」
と、どうも諦めたような調子で話してきました。どうやらうまく行ったようです。その嘘だと明らかにわかっている顔を見れば、私に偽名を名乗るだけの意味があったのかは結局とても疑問なところでしたが、それで都合が悪いなら、後でどうにかすればよいでしょう。
「とても良いです。」
リン先生の方を見て、ニヤニヤしながら答えてやります。それを見て、リン先生は露骨に顔を顰めました。そうして、
「どうしてケルウタムの名を名乗る子らはこうも意地悪なのかね。美人が台無しもいいとこだわい。」
やらなにやら、ブツブツとつぶやき出しました。ありがとうございます、美人と言ってもらえるのですね。変にがたくさん顔にできているのがコンプレックスなのです。たちの悪いことに、大きくはないのですが、コンシーラーで塗りつぶしても消えてくれないのです。
そのままブツブツとつぶやき続けるリン先生を尻目にナーシャさんのほうを見ると、やはりとても楽しそうに笑っていました。目が思い切り、愉悦と言いきっているような笑いです。美人なので様にはなっていますが、たしかにこれはひどい。
前にも友達に意地悪だと言われたりしたことがありましたが、これが原因だったのですね。よくいじめられなかったものだと、いまさらゾッとします。
ただ、私の視線に気づいたのでしょうか。ナーシャさんはふとこちらを見ると、今度はとても恥ずかしそうにうつむいてしまいました。だいぶこの人のことがわかってきた気がします。
そうこうしているうちに復活したのでしょう。リン先生は大きな大きなため息をついたあと、指を私に向かって出してきて、何本に見えるか聞いてきました。
聞けば、とても古典的な話ですが、意外と大事な事で、ぶれてたりしたらちょっとまずいらしいです。ですが、とりあえず異常がないことをつたえると、リン先生は昨日の献立などを聞いてきました。すべて問題無く答えられます。
ひと通りの検査の結果は異状なし、だそうです。あまりにあっさり終わったので、
「MRI検査とかで頭の状態をしらべなくていいのですか?」
なんて聞いてみましたが、リン先生は、
「なんだいその検査は、ワシはそんな検査法知りませんぞ。」
などとにべもありませんでした。さっきのをまだ怒ってるのかもしれません。
とにかく、今日は安静にしているようにつたえると、リン先生はさっさと部屋を出ていってしまいました。
沈黙が部屋を支配したあと、私たちは思わず笑い出してしまいました。
なにあれ、とてもかわいいんですけど。
ふたりしてナーシャさんと私で笑い尽くすと、改めてナーシャさんが、
「ごめんなさい、戸惑ってしまいましたよね?」
と尋ねてきました。一応責任を感じてくれていたようです。
「いいえ、大丈夫です。面白かったですし。あ、もしかしてなんですけど、私を助けてくださったのはナーシャさんなのでしょうか?」
ここぞとばかりに聞き出します。もし私を助けたのがナーシャさんだとすればこの人は私をへんてこなこの状況に追い込んでくれた食えない人ということにはなりますが、それでも、倒れて頭を打った私を助けてくれた事実にかわりはないでしょう。
「えっと、私じゃなくて、あなたを突然ここに連れてきたのは、私の姉です。」
どうやら、少し違ったようです。
「昨日の夕方にあの人が突然車をここに回してきて、『裏路地に倒れていたんだ!』なんて言いながらあなたを連れこんだときには、私も先生も他の皆さんも、姉がはねたんじゃないかと思ったみたいです。姉は運転が荒いですから。」
どこか達観したようにナーシャさんは遠くを見るようにしながらそう言います。
「そしたら、姉さんがいきなり『私の妹なんだ!』なんて言い出しまして。もう、そこからは皆さん大わらわです。さすがに姉さんでも妹ははねないでしょうし、やけに慌ててましたからね。そのあとはリン先生が怪我を確認したり、他の看護師さんたちが消毒したりしてる中で、私も慰めて貰ったりしたんですが、もう、訳がわからくて分からなくて。」
なるほど、どこか遠くを見るようなその視線は、普段からそのお姉さんに苦労させられているからのようです。
ただ、少し聴き逃せません。なぜなら、私を運んできたのはナーシャさんのお姉さんだというのですから。
「あの、ひとついいでしょうか。」
おすおずとそう聞くと、ナーシャさんは慌てたように、
「は、はい、なんでしょう。」
と我に返ったようです。
「お姉さんは、その、見ず知らずの人をふだんから助けてくださるような方なのでしょうか…?」
さすがに、お前の姉が誘拐犯か、なんて、聞けませんから、ほかに似たような人がいないか、婉曲に聞き出そうとします。
「いえ、私が知る限りこれが初めてですが…。」
ですが、結果は白のようでした。少なくともナーシャさんの知る範疇ではこんなことはないようです。となると、少なくとも今のところ、お姉さんは犯人ではないということになります。怪しいことに変わりはありませんが、取り敢えず留保します。
「あ、そうそう。そういえば、姉が明日も様子見に来る、なんて言ってましたから、よろしければそのときに何かご不明なところなどを聞いていただければ。」
そうナーシャさんは付け足してくれました。
それならば、お姉さんが来るまで待つのも悪くないかもしれません。
「わかりました。それでしたら、お願いがあるのですが。」
静かに切り出します。
「はい、できることならなんでも。」
そう微笑んでくれるナーシャさんに、私は今、たったひとつの要望を付け足しました。
「ご飯ください…。」
グゥ、と私のお腹がなったのはその瞬間のことでした。