その12
ラッパが鎮守府に鳴り響く午後5時/鎮守府内の廊下
掲揚塔の方向をふらつきながら辛うじて向く女がいる/銀髪である。
「おえっぷ……」
ラッパが鳴り止んだあと、その者は近くの壁に寄りかかり、ナメクジのように体や頭を擦って移動し始めた。
髪がボサボサ=これまでの道のりもそうしてきたらしい。
普通に歩くよりも何倍も時間をかけて十数メートルを歩く/ある一室の前で壁から離れ/手櫛で髪を直し/身なりを整えた。
扉に手をかけ、ノックしようとしたが/無性にむかむかしたので、彼女はそのままノブを回し/扉を開ける。
「やあ、叢雲。」
なんだか朝も同じことを聞いた気がする/いろんなことがありすぎて忘れてしまった。
銀髪少女――叢雲は赤子の影を探したが、提督の膝にはいないようだ。
「酒臭いぞ、お前。」赤ん坊=ソファに座る長門の横で眠っていた。
長門は赤ん坊を膝の上に移動/空いた場所をポンポンと叩いた。
座れということらしい。
「騙されたのよ、龍驤と利根に。あいつら、コーヒー牛乳みたいな酒を飲ましてきて。」
中指でこめかみを抑え/赤子のいたスペースに腰掛けた。
「カルーアミルクか。確かにあれは、上手く作れば酒とはわかりづらいな。」
「ええ。わからないで、飲んだ途端にバタンキューよ。おまけに起きたら頭も痛くなるし、本当、酒を飲む奴らの気がしれないわ。」
叢雲は背もたれに体を預け、天井に向かって息を吐く。
何か気づいたように眉を寄せ、彼女は2,3度背もたれに背中を押し付けて弾ませると、「スプリング壊れてんじゃない? このソファ。」と悪態をついた。
「新調したばかりだから、バネが熟れてないんだよ。」
詰襟を脱いでYシャツの男は執務机の水差しとコップを手にとった。
「水を飲めばいいよ、叢雲。少しは楽になる。」
「あー、こっちに持ってきて。」
フフと微笑む/彼はコップと水差しをテーブルに置き、自分も彼女の横に座った。
コップに水をなみなみに/叢雲はひといきに飲み干した。
空になったものをテーブルに置くと、また硬いスプリングに背をもたれかかる。
また息を吐いて上を向く/清廉な細工の入った電灯の傘が目に付いた。
「答えは出したの。」
語尾を上げず、叢雲は問うた。
「まあね。」
曖昧な返答に無言で返していると、反対から女の声が飛ぶ。
「目の前の灰皿の中が答え、だそうだ。」
眼だけでテーブルの上を探ると、水差しの向こうに陶器の灰皿があった。
歪んで見える/水とガラスと大気の屈折率の違い/器の中=何かを燃やした痕跡。
「――――あっそ。」
その13
「ハアアァァーアアアアア!?」
朝の大気に叢雲の叫びが震える。
「てことは、あんたの嫁の子なの? どうしてこっちに来てるのよ?」
「昨日乳母が二人がかりで抱いてきてね。でも、水に当たっちゃったらしくて、今日1日預かることになったんだ。」
そこで提督は二枚の紙を出した。
叢雲が机からかっさらいひろげる/長門が子供をあやしながら覗き込んできた。
それは提督に宛てた達筆な手紙/もう一枚は片方だけの名前が書き込まれた離婚届であった。
「は? なによ、これ。」
「離婚届だな。どれ、手紙の内容は――――
――『前略 艦娘の皆様とお元気しておりますでしょうか。
この度は貴方のお心をかき乱すことを報告せねばなりません。数ヶ月前、私は3800グラムの女児を産みました。あなたはお心当たりもないでしょう。私は不貞を知らずのうちに働いていたようで、そちらへ向かわせた子は嫡子ではありません。相手は、2丁目の商屋の若旦那で彼自身がそう申しておりました。私を信じ海へと出て行った貴方を裏切ってしまい、後悔の念で胸が張り裂けそうです。本家に伺いましたところ、そんなはずはない、彼自身の目で確かめてもらえ、と当然のことながら憤慨させてしまい、今、私は外に出ることができません。そうして、乳母とともに子をそちらに送った次第です。身勝手な申し出ではありますが、判別の程をお願い申し上げます。自分の子ではないとあれば、同じく送りました紙に判を押していただきたく――――』
なんだ、これは。」
少しの間、執務室に子供のはしゃぐ声だけが響いた。
「あれの実家は力は無かれど華族だ。娘の不倫が許せないか信じられないのだろうね。」
男=細く息を吐く。
「さっき、自分の子だといったのは間違いだった。
僕の子かどうかはこれから決めねばならない。」
また3人の間に沈黙が響く。
詰襟が切り出した。
「僕は、どうすればいい?」
「知らん。」
即答したのは、長門。
続いて叢雲が、
「自分で決めなさいよ。」
と吐き捨てた。
「単純に考えろ。嫁を許すか許さないかだ。ほら、どうだ軽くなったろう。」
「なよっちいこと言ってんじゃないわよ。あんたとあたし達は上官と部下って自分で言ってんじゃない。職場に私情を持ちこむんじゃないわよ。」
罵倒された提督=困ったふうにへにゃりと笑った。
「単純に考えられないし、自分だけじゃ答えは出ないよ。」
ふん。
叢雲が鼻を鳴らす。
「じゃあ、期限でも決めれば踏ん切りもつくでしょ。明日の朝までに決めなさい。あすの朝にまだ泣き言のたまってたら、あんたの部屋から欲しいモノ全部持ってくから。」
「それは困る。」とぼけたように男がつぶやく。
「ならば私はあのキネマポスターが欲しいな。前から欲しかったものだ。」
「あら、それならじゃんけんね。」
提督は勝手に話を進めるふたりを手で制する。
「わかった、わかった。じゃあ、話はこれだけだけど、長門、10時に合同演習が入った。それに間に合うようその子を誰かにあずけてくれ。」
そこのおむつとかも一緒にね、と付け足し/男は椅子を回し/二人に背を向けた。
「……叢雲。」
「いやよ。」
執務室を出る:長門は叢雲に声をかけた。しかし即答される。
「そっちじゃない。共に飯を食べようといいたかったのだ。」
「それならいいけど。」
並んで歩くと叢雲の方が小さいが、彼女が大股で歩くのを知っている長門は、歩幅を合わせずに歩みをすすめた。
「相当参ってたわね、あいつ。」
朝ごはんの配給の列に並んで暇になったので、叢雲は長門に話をふった。
隣を見ると、長門は好奇の目に晒されていた――――が、気にしてないようである。
「マラリアあけにこんなこと起きるなんて、災難ね。」
まったく気の毒そうに思ってなさげな口調=叢雲。
「こんなことがあれば誰だってああなるだろう。」
自分たちの番になり、叢雲は両手が塞がっている長門の代わりにトレーを二つ受け取った。
「それにしてもだ。あの手紙、おかしくはないか。」
「何がよ?」
「知らずのうちに不倫してたと書いていた。まるで砂糖と塩を間違えたような言い草だ。」
逡巡したあと、「そうね。」
離婚届や不倫のインパクトに流されてしまったが、よく考えれば文面がおかしいような気がする。
「でも、こうなっちゃったもんは仕方ないわ。あとはあの青瓢箪がどうにかする話よ。」
適当な席に座り、叢雲は目の前の焼き鮭に手を合わせた。
「まあ、それもそうだな。」
赤ん坊を膝に乗せ、長門もそれに続いた。
その14
時計が5時半を回った、鎮守府執務室。
「浮気ねえ。あんた、そんなにあいつのこと放ったらかしにしてたの?」
右横から飛ぶ罵詈雑言に「そんなことはない」と男は反論。
「本土から鎮守府ごと左遷された諸島の本島から、さらに島流しをくらった男だぞ、僕は。些細な報告でもわざわざ本土に出向したのは、何のためだと思ってるんだい。」
叢雲/長門と、現在遠征任務中の足柄/神通は、彼が本土にいた頃から彼の指揮下に入っている。彼の妻にも何度か会ったことがあるし、正月の祝いの席に呼ばれたこともあった。
一度目の左遷は設立からすぐのことで、軍全体の事情によるものだが、二度目は彼が一向に指揮下艦娘を増やさない=警戒意識に欠けるとして、本島の守護には見合わないとしたものである。
島が激戦海域とは真逆にあるのをいいことに、彼は年に何度も本土に帰っていた。
胸を張れないことを自慢げに話す提督/叢雲がくすくすと笑う。
「ええそうねえ。元はエリート街道にいた人間ですもの、それくらいの余裕はあってもいいでしょうね。……でも、その度に大淀が煽りを食らって泣いていたわ。今じゃあっちのほうが艦隊指揮がうまいんじゃない?」
「非道い男だな、二人も女を泣かせるとは。」
片手を背もたれにかけた長門が、フフフと体を揺すった。
「妻を泣かせた覚えはないよ。大淀には、悪いとは思っているけれどさ。」
「気をつけなさい。大淀ってば、ケラカラって笑いながらぶち切れるから、とっても怖いのよ。」
「ご忠告ありがとう。」
3人で笑い合い、それから少し黙った。
提督/不意に立ち上がった。
「さて、叢雲にはまだ子守のお礼をしてなかったね。」
執務机から赤い箱の何かを出し/叢雲に投げてよこす。
叢雲がうまくキャッチすると、それはミルクチョコレイトだった。
箱を開けて中身を確認しても、当然銀紙に包まれた甘苦い板があるだけだ
「足りないわよ、これじゃ。」眉間にシワを寄せた目線が提督を射抜く。「こんなの、5、60苑ぽっちじゃない。長門にパフェ食べさせてたって知ってるんだから。」
バリバリとチョコを食べると、甘ったるさが口に広がる。右手側に差し出すと、長門が首を伸ばして、端っこを噛みとった。
「じゃあ、こっちは?」
また執務机から出したのは、緑のチェック柄をまとったテディベアだ。
「ヨーロッパの本場物だぞ。ほかの時に誰かにあげようかと思っていたんだが。」
叢雲は話にならないとばかりに左手を降る。
「私が部屋を飾らないの知ってるでしょ。」
「そうだぞ、」
そこに、チョコのかけらを口の中で転がす長門が口を挟む。
「コイツは大事なものは飾らずしまっておく質だ。現に、文机の引き戸は貝殻や小壜や写真でごちゃごちゃ――」
べちん/叢雲が長門の腿を叩く。
「ちょっと、なんでそんなこと知ってるのよ。」
長門はカエデ型に色づいた桃をさする/仕草だけで、顔は平素のままだ。
「正月の神酒で酔っ払って、私が部屋まで運んだ時に、見せびらかして自慢してきただろ。覚えてなかったのか。」
叢雲は下唇を噛んで、小難しそうな顔/その顔が可笑しくて、男は微笑んだ。
「とにかく、そんな子供だましじゃ私は釣れないわよ。今度の私の非番の日、本島の、一等美味しいレストランに連れて行きなさい。それで勘弁してあげる。」
「高いじゃないか。」
男は駄々をこねる子供の声をあげた。
「兵士の休日を潰したにしては、安いものよ。」
Yシャツ姿の彼は、長い間唸っていた――――やがて諦めた様子で息を吐き、第一ボタンを外した。
「次の次の水曜日に、となりの提督がハネムーンから帰ってくる。今、彼のとこの業務を肩代わりしているから、その分こちらの業務を一日くらい預けようと思っていたんだけれど……。まあ、その時にでも行こう。」
「本当?」
打って変わって、彼女は目をきらめかせた/ゴクリと彼女の喉が鳴る。
「わたし、ビフテキを頼むわ。」
「おいおい。」
「あら、その分それまでの任務は頑張るつもりよ。」
現金な態度/提督は呆れていた。
「私もついていこう。」
「あんたが来たんじゃ、私のご褒美になんないでしょ。」
「自分で払うさ。神通や足柄も誘おう、久しぶりに5人で。」
少し面白く無さそうな顔したが、馴染みの面子と久しぶりに御飯が食べられるとあって、叢雲はすぐに機嫌を直した。
「それなら、なおさら楽しみ。エイ・エイ・オーね。」
叢雲が満足そうにチョコの最後を口に頬張った。
同時――――ババンと音を立てる扉。
「ヘーイ! 提督ぅー!」
巡洋戦艦:金剛型四姉妹/仁王立ちの金剛/その後ろに比叡/さらに後ろに榛名/最後に申し訳なさそうな霧島/の順でドアをくぐってきた。
「な、なによあんたたち。」
叢雲はよくわかってないが、長門/提督は理解できたようだった。
ふたりの思考=『ああ、失敗したな、霧島。』
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ありがとうございます。
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『バタンキュー』『エイ・エイ・オー』など、好きな言葉を使えたので満たされた気分です。
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次話投稿予告
9月8日(火)
天てれが始まる前ごろ
投稿ミス修正しました。