幻を想う   作:亮馬

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転回

 幸運、と聞いたときまず何を思い浮かべるだろう。

 宝くじ、懸賞、大口の仕事……。ほとんどの人は金銭の類いが真っ先に出るのではないだろうか。お金で買えないものはほとんどない。お金さえあればほぼ幸せであると言い切れる。だから人はお金を望む。

 しかし、てゐの幸運となると話は変わってくるのではないか。普段てゐが人間に幸運を与えるのは、迷いの竹林で迷った人に対してのはずだ。そしてその幸運は、迷い人が竹林を抜けるのに消費されてしまう。

「ま、あいつのことだしな。案外道端でお金を拾ってはいおしまい、なんてオチじゃないのか」

 魔理沙が呑気に言った。

「そんな幸運があるなら毎日かけて欲しいわ」

 思い詰めた表情で霊夢が呟く。その視線は無意識に路上を追っていた。

「ん?」

 そのとき霊夢の視線が前方で固定された。俺と魔理沙が釣られて先を見てみると。

「おいおい、マジか……」

 道の真ん中でぐでんと中年の男性が横たわっていた。

「道端でおっさんを拾うのは幸運ってより不幸だと思うんだが」

 まったく同感だ。

 

 さすがに寝かせておくわけにもいかず、近場の広場に運ぶことにした。広場、と言っても小さな公園ほどの広さで、遊具などはなくベンチや花壇があるのみだ。近所の人達の憩いの場でもあるらしく、主婦の人達が談笑をしている。

 端の方の空いているベンチに俺が背負ってきた男性を寝かせる。力の入っていない人間というのは重いものだ。おまけに酒臭い。

「こりゃ酔っ払ってるな」

「まだお昼前だっていうのに、まるで何処かの鬼みたいね」

 魔理沙と霊夢が男の顔を覗き込みながら所感を述べる。魔理沙が向き直った。

「で、どうする?」

「どうするったって、別に怪我とかしてるわけじゃなさそうだし、起こして帰宅させればいいんじゃないの?」

「だな。水汲んでくる」

 そう言って魔理沙が駆け出した。

 俺は改めて眠ったままの男性を観察した。年齢は四十歳前後。服装は簡素な平服。顔は赤みを帯び、髭は最近あまり剃っていないのか不精髭が目立っている。泥酔しているようで、意識はまったくない。

 なんとはなしに霊夢と目が合った。彼女は苦笑した。

「幻想郷に来たばっかりだっていうのに、変な事に巻き込みっぱなしですみません」

「いや、そんなことは……。その、俺のいたところは、毎日何かしら事件が起きてましたから」

「そうなんですか?」

「はい。誰かが失踪するというのもよくありますし、酔っ払いなんて金曜の夜にいくらでもいます」

 強盗や殺人だって、毎日ニュースで流れる世の中だ。人が死んでいないだけ、幻想郷はまだマシだろう。さすがにそんなことは言えないが。

「おまたせ」

 魔理沙が戻って来た。手には水の入った瓶を持っている。霊夢が寝ている男性の肩を揺さぶった。

「起きてくださーい。起きないと水掛けますよー」

 三秒待って、男性にまったく起きる気配がないのを見て取ると、霊夢が瓶を受け取った。男性の頭を横向きにする。

「ちゃんと忠告しましたからねー」

 言いながら、瓶を男性の耳の上で傾けた。透明な水がびちびちと耳の中に入っていき。

「!!!?」

 男性が飛び起きた。

「まさに寝耳に水だな」

 納得した面持ちの魔理沙を余所に、霊夢が優しく男性に話しかける。

「大丈夫ですか? 意識ははっきりしてますか?」

「え、あ、あぁ……」

「道端で倒れていたのでここまで運んできたんです。どこも痛くはないですか?」

 男性がきょろきょろと見回したあと、自分の体を確認して、耳に手を当てる。

「濡れてる?」

「あぁ、苦しそうだったのでお水を飲ませてあげようと思ったら、零れて耳の方まで垂れてしまったんです。あ、よければ飲まれますか?」

 男性が頷き、瓶を渡されて水を飲んだ。魔理沙が意味ありげににやにやと笑っている。この二人は敵に回したくないなと素直に思った。

 霊夢が男性に二・三質問をすると、だんだんと覚醒してきたのか口調もはっきりとしてきた。それを受けて霊夢が言う。

「それでは、ご自分で家まで戻れますよね。私達は他に用事がありますので」

 去ろうとした霊夢を男性の言葉が止める。

「……帰りたくないんだ」

 男性はベンチに腰掛けたまま地面を見つめている。霊夢はその姿を冷めた目で眺めた。

 …………。

 誰も何も喋らないまましばらく時間が過ぎる。あるのは風のざわめきと、主婦たちのかすかな話し声だけ。いい加減待ちわびたのか、男性が怪訝な表情で顔を上げた。それを見計らって霊夢が言う。

「で?」

「あ、いや、帰りたくない理由とか、ほら……」

 霊夢が地面に思いっきり足の裏を叩きつけた。男性がびくっと身を縮める。

「往来で酔い潰れて介抱してもらったあげく、家に帰りたくないから話を聞いてくれ? 私はね、あんたみたいなかまってちゃんが大っ嫌いなの。人様に迷惑を掛けたらまず謝るのが筋ってもんじゃないの? そんなに自分が一番大切なの? 私はカウンセラーでもボランティアでもあんたの家族でもないの。そんなことよりももっと大事なことを今――」

「お、俺の方だって! こ、こ、困ってんだよ!」

 突然男性が大声をあげた。

「あ、あんた、博霊の巫女だろ? 異変を解決してくれんだろ? だ、だったら俺のとこの異変も解決してくれよ」

 霊夢は嫌な顔を隠しもせず魔理沙を見た。

「一応話だけでも聞いてやったら?」

 大きく嘆息をしてから霊夢が男性に聞く。

「異変って?」

「あぁ、実は……夜な夜な幽霊が出るんだ」

「幽霊?」

「毎晩枕元に立って、『思い出さなければ殺す』ってずっと俺に言うんだ。気味が悪いし恐ろしいしで寝不足だし、酒でも飲まなきゃやってられねぇっての」

「幽霊の姿は見たの?」

「いや、窓の辺りから声がするんだが、外には誰もいねぇし近所のやつに聞いても誰も知らねぇしでさっぱりだ」

「どう思う?」

 と、霊夢が魔理沙に尋ねる。

「これだけじゃなんともな。夢とか幻聴ってことはないのか?」

「とんでもねぇ! ここ数日で急に聞こえるようになったんだ。アレは絶対に何かいるんだよ!」

「それで、『思い出さなければ殺す』っていう言葉に心当たりは?」

 男性が沈黙した。視線を彷徨わせて不審な挙動を取る。

「隠し事は承知しないわよ」

「じ、実は! 俺には娘がひとりいたんだが、気付いたらそいつがいなくなってたんだ!」

「――――」

 俺達が無言で視線を交わす。霊夢が少し口調を和らげて聞いた。

「その娘さんの名前は……」

「幸《さち》だよ。『幸《しあわせ》』って書いて幸」

 三人が息を呑んだ。まさかこんなところで行方不明の子供の親と出会うなんて。

「とんだ拾いものだ。てゐの幸運も馬鹿に出来ないな」

 ぼそっと魔理沙が呟いた。

「いなくなったときの詳しい様子を聞かせてもらえますか?」

 霊夢の態度が変わったのに気付いたのだろう。男性はどこか揚々と語り始めた。

「正直いついなくなったかすら分からねぇんだ。それどころか俺はあいつの顔や声すら思い出せん。ただ娘がいたってことは覚えているんだが……」

「顔も声も? 自分の娘なんでしょ?」

「言いたいことは分かるが、忘れたもんはしょうがねぇだろ」

「じゃあ消えた理由や原因について、何か知りませんか?」

「……その……」

「何? 聞こえるように話してもらえます?」

「きょ、教育の一環での話だぞ。あくまで教育・指導の一環で――」

「くどい。簡潔に」

 男性が霊夢の顔色を伺いながら、まごまごと話し出す。

「愚図な所が多かったから、せ、折檻みたいなことを少し、な」

 そのとき、早苗の言っていた話を思い出した。

『子供のいなくなった家からは怒鳴り声や子供の泣き声がよく聞こえて……』

 二人もそれを思い出したのだろう。険のある顔で男性を睨んだ。

「少しじゃなくて頻繁にでしょ?」

「ま、まぁちょっとは……」

「あんた自身が子供を殺めかけて隠してあるっていうことは無いでしょうね?」

 底冷えするようなトーンで霊夢が男性に詰め寄る。

「ないない! 誓ってもいい! 俺だって手加減くらい知ってる!」

 両手を上げて降参する男性を見て、霊夢が息を吐いた。

「まぁいいわ。それと、文秋君っていう子も同じ日にいなくなったらしいんだけど、何か知らない?」

「ん? あのガキもいなくなったのか?」

「ガキ?」

「ああいや、そのお子様もいなくなってたとは知らなかったよ」

 ははは、とわざとらしく男性が笑う。魔理沙がそれを無視して質問する。

「文秋君のことは知ってるのか?」

「そりゃあな。隣の家だし」

「隣? 隣って、隣のことか?」

「隣は隣だ。まぁお隣さん、つってもあそこのオヤジとはウマが合わなくてな。付き合いはほとんどないが」

 霊夢と魔理沙が黙ったまま思案している。まさか家が隣同士だとは思わなかった。文秋君たちは仲が良かったらしいが、お隣さんだったというのも関係あったのかもしれない。

 霊夢が顔を上げた。

「失礼ですが、奥さんは?」

「いんや。昔に病気でな。隣んとこも同じようなモンで、父親だけだったな」

「ちなみに、隣から怒鳴り声や泣き声が聞こえてきたことは?」

「……どうだったか。あんまり無かった気はするが」

 魔理沙が腕を組んで男性を見やる。

「その話って慧音にしたのか?」

「けいね?」

「寺子屋の先生だよ。聞きに来なかったか? あんたのとこの子供たちを探してくれてる」

「あぁ、あの人か。んなもん話すわけねぇだろ。俺が怪しまれちまう」

 きっぱりと言い切った男性に、二人が吐き捨てるように言った。

「クズね」

「クズだな」

 自分より二回り近く歳の離れた女の子たちに見下げられ、男性はすっかり消沈してしまった。自業自得だが。

 …………。

「じゃあ、あなたの家まで案内してもらえる?」

 おもむろに霊夢が言うと、男性の表情が明るくなった。その顔を非情な声が叩き壊す。

「あなたの隣の家に用があるだけなの。勘違いしないでね。なんなら場所だけ教えてくれてもいいんだけど」

「……案内するよ」

 男性に連れられて広場を後にする。歩きがてら魔理沙が口を開いた。

「そういや、幽霊の声? だっけ。どういう感じの声なんだ?」

「女の声だった。多分若い」

「幸ちゃんって可能性は?」

「違……いや、どうだろうな。俺には分からん」

「本当に娘のこと何も覚えてないのか?」

「……あぁ、残念だが。幸が居たことは覚えていても、姿や声は朧がかってあやふやのままなんだ」

 なんだろう。何か気に掛かる。だがそれがうまく形にならなくてもどかしい。

「写真とか肖像画とかは?」

「そんな高価なもんがうちにあるわけないだろうが」

「だよなぁ」

 分かっていたことだが、魔理沙が溜息をついた。

「とりあえず文秋君の家に行きましょ。そこで話を聞いてみないと」

「あ」

 男性が立ち止まって声をあげた。

「どうしたのよ急に」

「いや、そういやこの時間だったらあのオヤジ――」

 

 そうして連れられて来たのは、里の外れにある田園だった。ここで野菜や米を育てているようで、かなりの広さがある。そのあちこちで里の人達が農作業に従事していた。さすがに大型機械は無いようで、すべて人力で行っている。堆肥の匂いが鼻をついた。

 幸ちゃんの父親はここまで案内すると早々に里に戻っていった。よほど文秋君の父親と会いたくなかったのか、これ以上小言を言われるのは御免だと思ったのか。

 文秋君の父親は恰幅のいい中年の男性だった。麦藁帽子に作業着姿。露出している肌は浅黒く、農家の方によくあるエネルギッシュな空気をまとっていた。愛嬌のある笑みを浮かべながら挨拶をしてくる。

「おー、巫女さんでねぇですか。儂に用があるっつう話でしたが、どういう用件ですかい?」

「文秋君がいなくなったことについてお伺いしたいことがありまして」

 男性の顔が曇った。

「あぁ、そのことですか。残念ですが、何にもわからんのです」

「あなたも文秋君のことを何も覚えていないんですか?」

「そんなことはありません。食べ物の好き嫌いや、漢字が苦手だったこと、寝るときはよくうつ伏せになっていたこと。ちゃあんと覚えてます。ただ、顔や声は日に日に思い出しづらくなっとります」

 幸ちゃんの父親とは証言が少し食い違っている。個人差があるのだろうか。

 男性は消沈した様子で溜息をついた。

「不思議なことに、周りの誰も息子のことを覚えとらんのです。それどころか、いないことが普通のように思うとるものもおりました。儂なりにほうぼう探してはみたんですがまったく見つからず、結局慧音先生にすべてお任せするようになったんです。農作業する気分じゃないんですが、せめて体を動かしてないと気がまぎれんので……」

 突然愛しい息子を失った父親の姿は、痛ましいものがあった。人が悲しみを受け入れるときの行動は主に二種類だ。諦観と逃避。向き合おうとする意志があるだけ、この人は立派だと思う。

 魔理沙が複雑な表情で男性を眺めている。もしかすると、自分の父親のことを思い出しているのだろうか。疎遠になっているとはいえ、親子の縁は永遠に変わらない。嘆き悲しむ父親の姿に、何か思うところがあるのかもしれない。

「つかぬことをお伺いしますが、隣の幸ちゃんはご存じですか?」

「勿論です。と言うより儂が一番疑っとるのはそこなんです」

「疑う?」

「あの家からよく幸ちゃんを叱る声が聞こえてきとりました。何度も注意しに行ったんですが、まったく聞き耳も持たん有り様で。息子も幸ちゃんのことをかなり気にしとるようでした」

 魔理沙が顎に手をやり、呟いた。

「まさか、文秋君が幸ちゃんを連れ出したとか」

「儂はそうじゃないかと、いや、そうであって欲しいと思うとるんです。でももしそうなら、せめて儂に一言相談して欲しかった……」

 かすかに震える男性に、霊夢が言葉をかける。

「文秋君のことは私達も探していますので。どうか安心してください」

 男性が俺達を見て、深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 

「なんか、変だと思わない?」

 畑から戻る道すがら、霊夢が切り出した。

「あぁ。どうも匂うな」

 魔理沙の同意を受けて、俺にも視線を投げる。同意するように頷いて見せた。

「単なる家出の類いだとすれば、おかしいと思います」

「えぇ、個々人に差はあるけど、誰もが子供たちに関しての記憶を失っている」

 そうだ。そこがどうにも気に掛かる。何故彼らは自分の子供についてまで記憶が薄れているのだろうか。

「もうひとつあるぜ。幽霊の件」

 幸ちゃんの父親の元に現れるという幽霊。だが文秋君の家には現れているという話は無かった。そして『思い出さなければ殺す』という言葉。要するに、自分の娘のことを思い出せ、と幽霊は言っているのではないだろうか。

「人の仕業じゃないわね」

 そう呟いた霊夢の表情には困惑の色は一切浮かんでいなかった。遠く何かを見据えたまま、堅く口元を結んでいる。

「霊夢、何か分かったのか?」

「……まぁ、ね。確信はないけど。あとは……」

 俺も、確信はないが気付いたことがある。この事件の全容とまではいかないが、その根幹たる部分。何故この事件が起こったのか――言い換えると起こせたのは誰か。

 だが、それを詰める為には絶対にかかせないものがある。状況証拠だけではなく物的証拠が必要だ。

「「子供たちの居場所」」

 意図せず霊夢と被ってしまった。霊夢が驚いた顔で俺を見る。恐らく俺の顔も相当まぬけなものになっているだろう。

 霊夢が笑った。

「やっぱりすごいですね。もしかして、私と同じ答えですか?」

「えっと、あー、どうでしょう」

「ちなみに、何処が怪しいと思います?」

「うーん……多分里から離れてはないと思います。なるべく近くで、それでいて安全に匿える場所」

「となると、結構絞れてきそうですね」

「なんだなんだ、私はのけ者か? 二人だけで進めるなよー」

 口を尖らせた魔理沙に霊夢が手のひらを振る。

「はいはい、ちゃんと後で説明するから」

 そのとき、空から声が聞こえてきた。

「みなさーん」

 上を振り仰ぐと、射命丸文がちょうど降りてくるところだった。

「なんだ、てっきりもう来ないのかと思ってたぜ」

「色々と記事の準備をしてたら遅くなっただけですよ」

「ゴシップの間違いじゃないのか」

「失礼な。私にだってジャーナリズムとしての矜持くらいありますよ。……多少の強調はしますが」

「そういうのがゴシップのゴシップたる所以だな」

 文が尚も反論しようとしかけたとき、ふと止まる。さっきから霊夢が文の顔を凝視していたのに気付いたようだ。

「あの、霊夢さん? どうかしましたか? 霊夢さんまで私を貶めるというのであれば私はペンで戦わざるを――」

「そうよ。いるじゃない、うってつけのが」

「はい?」

 会話が噛み合わずに文が首を捻る。霊夢は気にせず頷いて独りごちる。

「遠くから相手に気取られずに確認するなら適任よね」

 ようやく俺にも霊夢が何を考えているのか分かった。彼女の能力なら確かにこういった事柄に適している。

 霊夢が文の肩をがしっと掴んだ。

「椛のところに案内しなさい」

「え、あ……はい」

 抗うのは無駄だと悟った文が、潔く返事をした。

 

 再び魔理沙の箒に乗るという極楽を経て、俺達は妖怪の山の麓にやってきた。岩肌に囲まれた小さな湖。山から流れてきた水が滝となって水面を強かに打ち付ける。滝の音というのは聞いていて気分が洗われるような気になる。マイナスイオンなんてものがあるかは知らないが、リラックス効果は十分にあるのではないだろうか。

 文が滝の裏へ消えてから数分後、ひとりの少女と一緒に外へ出てきた。

 犬走椛。妖怪の山を見回る白狼天狗。

 見かけは霊夢や魔理沙と同じか少し幼いくらいに見える。小さく纏まった目鼻立ちは、鼻が少し高いせいで澄ましたような印象を与えている。白髪の髪は短めに揃えられ、頭の上には山伏風の帽子。襟の立った白い和服の胸元にはポンポンのようなものが二つぶら下がっている。霊夢の衣装と同じく腋の部分が露出しており、白い肌がわずかに覗いている。黒を基調としたスカートには赤いぎざぎざが縁取られていて、色彩と相まって紅葉を連想させる。足元は白足袋に赤い一本下駄。天狗には下駄だと決まっているのだろうか。

 何よりも目を惹くのは、その名前にある通りの犬耳(厳密には狼耳?)と、お尻に下がった尻尾。髪と同色の為分かりにくかったが、よく見るとぴくぴくと動いている。毛並みが綺麗ですごく柔らかそうだ。

 幻想郷には魅力的な耳や尻尾を持つキャラクターが多すぎて困る。触りたい。でも触れない。この圧倒的ジレンマを前に、そろそろ俺のフラストレーションがねじ切れてしまいそうだ。

 ――落ち着け。今はそんな場合じゃないだろ。

 自分の腕の肉をぎりぎりとつまみ、深く呼吸をして自制を保つ。改めて椛を見ると、あからさまに不機嫌な態度で俺達を見やっていた。

 文がやれやれと息を吐いた。

「椛、普通の人間もいるんですからもう少し抑えなさい」

「今日は非番だったんですけどね。そんなときでも烏天狗様にこき使われないといけない私の気持ちが理解できますか?」

「私に対する不満は後で聞きますから、手助けしてください。里の子供の為です」

 椛はふん、と鼻を鳴らして霊夢に向き直った。

「で、どういったご用件で?」

「時間は取らせないわ。ある場所を視て欲しいだけ」

「別にあなたなら直接乗り込めばいいと思いますけど」

「そうも出来ない理由があるのよ。お願い」

 椛がちらと文の方を窺った。

「そうですね。烏天狗様がどうしても、と頭を下げてお願いするなら考えてあげなくはないですけど」

「は?」

 途端に文のこめかみがぴくと動く。

「なんで私が椛に頭を下げなきゃいけないんですかねぇ。困ってる方がいるんだから快く助けてあげなさいよ」

「だから、烏天狗様がお願いしてくれればすぐにでも助けてあげますよ」

「は? すみませんが文章能力に長けた私にも理解しやすいように言葉を選んでもう一度言ってもらえますか? 誰が何に何をする必要があるって?」

「あれ? 山の動物たちにでも分かるような内容でしか話してないんですけどね。何故烏天狗様には理解できないんでしょうか」

 二人とも俺達を無視して口論をヒートアップさせていく。

 えっと、どうしたらいいのだろう。すがるように霊夢を見ると、困ったように額に手をあてていた。平然とした様子の魔理沙が言う。

「やるか?」

「えぇお願い」

 次の瞬間、魔理沙が帽子の中から八卦炉を取り出して空に向かって高らかに掲げた。これはまさか……。

「マスタースパーーーク!!」

 轟音と共に光の柱が青空へと突き刺さっていく。森の鳥たちが驚いて一斉にどこかへと飛び立っていった。

 あのマスタースパークをこの目で見ることが出来るなんて。興奮が収まらない。というか、こんなビーム撃つ相手とよく勝負が出来るものだ。俺なら一秒で逃げ出す。

 目の前の二人も争うのをピタリと止めて、仲良く首だけをこちらに向けた。

 霊夢が腕組みをして尊大に告げる。

「今すぐ手伝うの? 吹っ飛ばされてから手伝うの? どっち?」

 答えはすぐに決まった。

 

 …………。

 椛に千里眼で視てもらった後、再び口論を始めた文達を残して里へと戻った。

「――で、これからどうするんだ?」

 定食屋に入り、少し遅めの昼食を取りながら魔理沙が聞いてきた。霊夢は箸を動かしながら返す。

「どう、というのは?」

「何でこんなことしたのか問い詰めにいくか、ってこと」

 千里眼の結果は予想通りだった。魔理沙としては一刻も早く彼女の所に行って、問いただしたいのだろう。

「行きたいのもやまやまなんだけどねぇ」

 霊夢の表情は晴れない。

「動機はともかく、最後の目的が分からないのよ。だって、どうせいつかはバレることでしょ? 子供を二人も永遠に隠し通すことなんて不可能なんだから。だったらいったい何をどう持っていったらこの事件は終わりになるのかしら」

「ん~、そんなのは本人に聞かないと分からないんじゃないか?」

「それはそうだけど、本心を語ってくれるとも限らないし、むしろ犯行を否定されるかも」

 俺は一足早く食べ終わり、箸を置いた。

 食べている間、会話に加わらずにずっと考えていたことがある。この事件の全容。彼女の目的――いかにして幕を下ろすつもりなのか。

 止めなければという焦燥と、部外者が首を突っ込むべきではないという躊躇が入り交じり、自然と眉間に皺が寄る。果たして、俺はどうするべきか。何の力も持たないただの一般人であるこの俺が。

「難しい顔して悩んでますけど、何か気が付いたんですか?」

 その声にハッとして顔を上げると、二人が不思議そうに俺を見ていた。

 俺は慌てて愛想笑いを浮かべる。

「い、いえ、別に何でもないんです」

「そうですか。もし何か気になることがあったら小さいことでもいいんで言ってくださいね。結構頼りにしてますから」

 その微笑みを俺は直視できなかった。俺みたいなのやつが霊夢に信頼される価値なんてない。現に、今俺は事件と向き合うことを恐れている。

 だって、事件を解決するということは、彼女と敵対するということ。それは嫌だ。嫌われたくない。もしも俺の素性を疑われ、軽蔑され、罵られたら……。

 別にもういいじゃないか。元より異邦人である俺が関わるべき問題ではなかったのだ。これは彼女達、幻想郷の、里の人達の問題だ。だから、俺がここで何もしなかったからといって、誰も責めたりはしない。

「ま、子供も見つかったし、はやいとこ文秋君をお父さんの処に連れて帰ってあげようぜ」

 魔理沙が箸をくるくる回しながら提案した。霊夢がそれに頷く。

 ……違う。それは何の解決にもなっていない。たとえ連れて帰ったとしても、文秋君と幸ちゃんは家には一生戻らない。これはそういう事件だ。

 恐らく二人は気付いていない。いや、彼女達に気付けというのは無理な話だ。今回の件で、どれだけあの人が切羽詰まっていたのか。それに至らなければ何も見えてはこない。

 文秋君のお父さんの顔が頭に浮かんでくる。人の良さそうな顔を悲しげに歪め、息子の身を案じて俺達に頭を下げた。

 もし俺に子供が出来て、その子供がいなくなってしまったとしたら、あんな風に誰かに頭を下げるのだろうか。いや、きっとそれが普通の親なのだろう。世界で一番、自分のことを想っていてくれる存在。……近年ではそれも疑いたくなる事件も多くなったが、根底の部分では変わらないと信じたい。

 文秋君親子が、今後二度と一緒に暮らすことが出来なくなる。それはダメだ。理由や理屈じゃない。俺の感情がNOと叫んでいる。

「あんな良いお父さんが息子と離れ離れになるなんて、間違ってるよな……」

 俺の口から出た小さな呟きは霊夢たちには聞こえなかったようだ。

 いったん深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そんなもので落ち着くような単純な心臓ではないが、やらないよりかはマシだ。

「あの……」

 俺は大人になって初めて、自分の意志で自分の口から、提案をした。

 

 

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