幻を想う   作:亮馬

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天満月《あまみつつき》

     ◆

 

 天上に輝くは真円の白い月。

 夜の女王という名に相応しく、暗黒の空を統べるかのように煌々と威風を放っている。

 昔は満月が恐ろしかった。あの大きな白い顔はニヤニヤと意地悪く地上を見下ろし、妄言で私を狂わせる。

 毎日毎日少しずつ満ちていく月を見るのがたまらなく嫌だった。ずっと太陽が昇ったままだったらいいのに、と何度願ったかわからない。

 だが、いつからだろう。あの月が恐くなくなったのは。

 私を受け入れてくれる友人が出来たからなのか。私を必要としてくれる場所が出来たからなのか。

 分からない。きっと私の周りの全ての事柄がきっかけなのだろう。自分でも恵まれていると思う。幸せだと思う。

 だからこそ、私は私に出来ることをやらなければいけない。私の周りの世界を守る為に。

 深夜の里は森閑とした空気に包まれていた。虫の声も風の音すらもしない、寂寞たる静寂。物音が目立つのは仕方ないが、誰も居ないのは都合がいい。人目につくことだけは避けなければいけない。

 被ってきたフードをしっかりと確認して、いよいよ目的の場所に到着した。見覚えのある民家。この家の中にいるはずだ。

 引き戸に手をやると、鍵が開いていた。不用心な。とはいえ壊す手間が省けた。静かに戸を滑らせていく。その透間から中を確認した。

 家の中は明かりがついておらず薄暗い。だが月のお陰で見えないことはない。部屋の中央に布団が敷いてあり、小さな山が出来ている。どうやら家主は寝ているようだ。

 速やかに体を中に滑り込ませ、後ろ手に戸を閉める。念のため鍵も掛けておく。これでこの空間には、私と相手の二人しか存在しない。

「こんばんは」

 返事はないと分かっていても口にした。それだけ高揚しているのか。ああそうだ。私は高揚している。緊張か不安か興奮か。いずれにせよ、騒がれる前に手短に済まさなければ。

 布団の小山がのそりと動いた。起きてくれるのなら丁度良い。寝起きだろうが関係ない。あとは『思い出せた』か聞くだけだ。

 ――そうして、布団から出てきた彼を見て、私は言葉を失った。

「こんばんは、慧音さん」

 

     ◆

 

 心臓が早鐘のごとくけたたましく胸の奥で鳴り響いている。唇が乾く。指の先が震える。これから起こす行動がいったいどういう結果を生むかは分からない。だけどここまで来たのなら、覚悟を決めるべきだ。

 こんばんは、という彼女の言葉に俺は返事をする。

「……こんばんは、慧音さん」

 ローブのような服で体を隠し、フードを目深に被ったそのシルエットは口元はかろうじて見えるものの、誰なのか判然としない。だがそれでも俺にはそれが誰だかわかった。

 彼女にしてみれば本当に予想外だったのだろう。暗がりの中でも慧音が驚いているのが分かった。

「な……」

 状況を少しずつ呑み込んできたのか、やがて慧音が戸惑いながら尋ねてきた。

「何故あなたがここに……?」

「俺が幸ちゃんの家にいる理由なんて、ひとつしかないと思いますけど」

 信じられないといった様子で慧音は首を振った後、ぎこちない笑みを浮かべた。

「あぁ、もしかして長屋の場所が分からなくなりましたか? 暗くなると見た目も変わって分かりづらくなりますからね」

「長屋の場所はちゃんと把握してます。ここには偶然でも何でもなく、俺の意思で来てるんです」

「…………」

 慧音が沈黙する。俯き気味になった為、表情はよく見えない。怒っているのだろうか。腹を立てているのだろうか。

 沈黙はそう長くは続かなかった。慧音が大袈裟に肩を竦める。

「何か勘違いしていませんか? 私がここに来たのは幸ちゃんについての話があったからで、それ以外に何の意味もないんですよ」

「……こんな夜更けに、そんな格好で、ですか?」

 慧音が不自然に大きい自分のフードの端を摘まむ。

「言ってなかったのですが、実は私、半獣と呼ばれるものなんです。満月の夜になると姿がかなり変わってしまうので、驚かせないようにこうやって隠しているんですよ」

 俺は一度目蓋を閉じて、ゆっくりと息を吸った。いっそ慧音の言っていることを全て受け入れて、何事もなかったかのように帰ってしまいたい衝動に駆られる。だけど、それは出来ない。

 再び開いた俺の眼が、妖しく光る二つの赤い瞳をとらえた。

「俺が言った格好、というのは、まさしくその変わった姿のことなんです。ワーハクタク、慧音さん」

 空気が停止した。衣擦れの音すらしない薄闇から、慧音が眼を見開いて俺を見ている。

 その視線から逃げるように、俺は口を動かす。

「歴史を創る程度の能力……ハクタクの時だけ使えるんですよね? 今日は歴史の編纂の手伝いも休んでいるそうですけど、その作業を休んでまでわざわざこの家に来た理由――認めないなら俺が代わりに言ってあげます」

 もし俺が幻想郷に来た意味があるのだとしたら、この瞬間の為だったのかもしれない。自惚れでも勘違いでも何でもいい。ただそう思いたかった。

「あなたは、幸ちゃんと文秋君の歴史を、完全に消しに来たんだ」

 それが彼女の最終目的。決着の場が今夜のこの家になる予定だった。俺がここに居なければ。

 慧音がフードを取った。戸口から差し込む月明かりが彼女の頭部に生えた異質なものを照らし出す。それは角だった。牛を思わせる一対の角。ストレートに近かった髪の毛も、所々がうねっており荒々しい雰囲気を感じる。確か尻尾も生えているはずだが、首から下が隠されているせいで確認は出来なかった。

 慧音はまだ落ち着いていた。

「……言っている意味がよく分からないんですが」

「順を追って説明します。始まりは、幸ちゃんが父親から虐待を受けていたことでした。それに気付いたあなたは、幸ちゃんを匿うことを決めます。だけどただ匿ったのでは、何の解決にもならない。だから、食べたんです。彼女の歴史を」

 幸ちゃんの生きた歴史を食べるということは、彼女の存在を消すことに等しい。だから誰もがその違和感に気付きながらも、ほとんど気にしていなかったのだ。過ぎ去った歴史に興味を引かれるのはそこに思い入れのある者だけ。今回の場合でいうと、それが親ということになるのだろうか。

「おそらく、文秋君が幸ちゃんのことを慧音さんに相談でもしたんじゃないですか? そして、文秋君の歴史も食べることで、二人一緒に人生をやり直す機会を与えた。全ては、幸ちゃんと文秋君の為に」

「ちょっと待ってください。さっきからまるで私が全て仕組んだように話していますが、あなたに文秋君達のことを話したのは私なんですよ? もし私が黒幕だとしたら、何故わざわざバレるようなことをしなければいけないんですか?」

「慧音さんは事件を広めて欲しかったんです」

「はい? 事件を広めることで私にどんなメリットがあるんです?」

「あなたの目的はあくまで『幸ちゃんの家庭環境の改善』です。あの父親が心を入れ替えてさえくれれば、早々に幸ちゃんたちを帰していたはずです。しかし思惑とは裏腹に、父親は改めるどころか幸ちゃんのことをほとんど覚えていなかった。だから毎晩この家に来て、『思い出せなければ殺す』と脅していた。幸ちゃんへの想いを呼び起こさせる為に」

「だから、何故事件を広める必要があったんです? 思い出せないのなら別にそれだけの話だと思いますけど」

 慧音の口調から微かに苛立ちを感じた。胸の奥がちくちくと痛む。願わくば早くこの問答が終わってほしい。俺の為にも、慧音の為にも。

「あまりにも幸ちゃんたちの記憶が早く消え過ぎたんです。印象に残っていた出来事は覚えていてもそれ以外の事は瞬く間に消えていってしまった。だからこそ、子供がいなくなったことを広く知らせなければいけなかった。そうしないと、この事件が風化してしまうから。俺が博霊神社に行くと言ったときに知らせたのも、霊夢や魔理沙がこの事件を聞けば、解決に動くと踏んだからです」

「それこそ本末転倒な。霊夢たちが解決してしまえば目論みは全て水泡に帰してしまうと思うんですが」

「別に解決されてもよかったんです。それがきっかけで幸ちゃんの家庭環境が良くなるのなら。まぁどうせ解決はされないと思ってたんでしょうけど」

「……何が言いたいんですか」

 俺の言葉に含まれた意味合いを感じ取ったのか、慧音が勘ぐるように聞いてきた。俺は一度浅く呼吸をして慧音を見据えた。

「見つけましたよ。二人とも」

「――――」

 慧音の目が驚愕に見開かれた。

「命蓮寺。確かにあそこなら匿うにはうってつけですね。部屋もたくさんあるし、ぬえもいるから万が一の場合にも隠しやすい。子供たちの世話を小傘に頼んだのも慧音さんですよね。昨日の夜に下駄の音も聞こえましたし、定期的に連絡をとっているんじゃないですか?」

 寝ている間に聞こえた音が本当に下駄だったという確信はないが、小傘がこの件に関わっていることは確実だ。子供たちの所に居るのを椛が目撃した。

 慧音が不敵な笑みを浮かべる。すでに動揺の色はどこにも見えない。

「失礼ですが、それは本当にあの子たちだったんですか? 命蓮寺にだって人の出入りはありますし、子供が行くことだってある。たまたま同じような年齢の子がそこに居ただけという可能性は? 勿論実際に行って確かめたんですよね?」

 その問いは切り札のひとつだったのだろう。だがそれは逆でも言える。

「俺は行ってはいません。椛に命蓮寺を視てもらって、そこに男の子と女の子がいることを確認しただけです」

「ほら、やっぱり――」

「どうせ人間には見ることは出来ませんから」

 慧音が言いかけた口をつぐんだ。

「見えるのは妖怪だけで、俺らには見えません。すでに幸ちゃんたちの歴史は食べられています。顔を確かめることも、名前を聞くことも出来ない。おそらくは、命蓮寺の人達も名前を知らないんじゃないでしょうか? ただ、名も無い子供二人を慧音さんから預かっているだけ。そういう認識かもしれません」

「……くだらない。全部憶測の域を出ていない。だったら妖怪の誰かに頼んで連れてきてもらえばいいだけでしょう? 探偵気取りもいいですが、どれもこれも的が外れすぎじゃないですか。推理というのは明確な証拠を提示して初めて成り立つものなんですが」

 小馬鹿にした態度も、煽るような口調も、どれも嘘にしか思えない。だって、俺は知っているから。

「証拠、ですか。だったら俺も聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「なんですか?」

「俺が『二人を見つけた』と言ったとき、なんですぐに『何処で』と聞かなかったんですか? 普通ならすぐに場所を尋ねるはずですよね。命蓮寺に居ると聞いても、疑うばかりで詳細を知ろうともしない。あんなに心配そうにしていた慧音さんが、です。その理由は何ですか?」

「それは……」

 弱々しく口ごもり、慧音は俯いた。その態度こそが、彼女が全てを仕組んだ黒幕である何よりの証拠だった。

 俺は彼女に語りかける。

「もう、やめにしませんか? 文秋君のお父さんは、すごく落ち込んでいました。息子がいなくなったことだけじゃなくて、自分の記憶が薄れていっていることにショックを受けているようでした。あんな良いお父さんと息子が離れ離れになるなんて間違ってる。幸ちゃんの家庭のことはもっと違う形で――」

「違う形? それはいったいどんな方法なんだ? 誰も悲しまず、傷つかない、素晴らしい案なのか?」

 ゆらり、と慧音が顔を上げた。虚ろな表情には力がこもっておらず、くすんだ赤い瞳が朧げな視線を向けている。

「何度も何度も何度も何度も、あの男と話し合った。改善する為の妥協案を模索した。だが何処に幸ちゃんをやろうとも、二人を引き離そうとも、酔っ払ったあの男が必ず連れ戻しにやってきた。素面ならまだ少しは話せたが、酒が入るともう手に負えなかった。結局、何をやっても無駄だったんだ」

 深い溜息とともに、慧音が吐き捨てる。その言葉の端々から、疲労と諦観が滲み出ていた。

「このまま黙って見ていては、いつか幸の身に深刻な被害が及ばないとも限らない。もはや一刻の猶予もなかった」

「……だから、歴史を食べたんですか?」

「あぁそうだ。あとは、あの子たちの居た痕跡を全て消して、新しい名前と歴史を与えるだけだ。それで全てが丸く収まるわけだが――」

 いつしか丁寧だった口調は、中性的で荒々しいものへと変わっていた。赤い瞳に明確な意志が宿る。敵意、と呼べばいいのか。剥き出しになった怒りは俺に向かって一直線に牙をむく。

「そこまで分かっていながら何故私を止める! 綺麗事など通用しない! 助けを求める子供に必要なのは優しい言葉でも将来の理想でもなく、状況を打破しうる確かな行動だけだ! まともな解決案も述べられない若造が、軽々しく私の前に立ち塞がるなッ!!」

「――――」

 だから嫌だったんだ。何が悲しくて幻想郷に来てまで怒鳴られなければいけないのか。それも、大好きなキャラクターに。

 でも、もっとつらいことがある。

「……幸ちゃんの父親に、何をするつもりですか?」

「あの男の歴史も消して、新しく創り変える。もっと真面目で父性に溢れた人間に」

「なら、最初からそれだけやってれば――」

「歴史を書き換えるというのは、そんな単純で万能なものではないんだよ。記憶の齟齬の解消、過去との繋がりの消却、代替する歴史の確保……つまり、やるなら根本的に全部を変えないといけないし、気軽にそう何度もやっていいことじゃないんだ」

 先生をやっている癖なのか、こんなときでも分かりやすく俺に説明をしてくれる。

「今晩を逃せば、また来月まで待たなくてはいけなくなる。頼む。あの男が何処にいるか教えてくれ」

 一歩、また一歩と慧音が近づいてくる。俺は後ずさることもせず、棒立ちのまま彼女が側に来るのを待った。

 手を伸ばせば届きそうなほど近くなって、慧音は立ち止まった。こうして改めて間近で見て、やっぱり慧音は美人なんだな、と場違いな感想を抱いた。満月の夜にハクタクと化すのは、それが似合ってるからなんじゃないかと、そんな気さえしてくる。

「手荒な真似はしたくない。何処だ」

 ローブの透き間から手を出して指先をこちらに向ける。その白い指を俺は見つめた。

「脅しですか」

「そうならないことを祈る」

 慧音先生お得意の頭突きを食らえるんだったら、それも悪くないかなとは思う。いや、流石にどこぞのセコンドみたいに体がバラバラにはならないだろう。多分。

 俺が落ち着いていたのを見て勘違いしたのか、慧音が息を吐いて言った。

「どうせ近くに霊夢たちが待機しているから大丈夫だと思っているのかもしれないが、駆けつけて来る前にお前を叩きのめすくらい造作もないぞ。一緒に来てもらえば良かったものを、わざわざ一人で待ち構えるような真似をして……私を嘗めているのか」

「いえ、霊夢は俺が一人で行くことを最後まで反対してました。その代わり、このお札を俺に渡して」

 ポケットから一枚のお札を取り出す。表面には理解出来ない文様や文字が赤い筆で描かれている。

「危なくなったらこのお札を握り潰して、と。そうすればすぐに駆けつける、と言ってくれました」

 そのまま、俺はお札から手を離した。お札はひらひらと音も無く布団の上に落ちた。

 慧音が怪訝な顔でお札と俺を交互に見た。

「呼ぶんじゃないのか」

「必要ないです」

「? お前の目的は私を止めることだろう? だったら応援でも何でも呼んで、私を拘束すればいい。もっとも、タダでは捕まってやるつもりはないが」

 俺は首を横に振った。

「俺の目的は慧音さんを止めることじゃない。助けに来たんだ」

 慧音が鼻で笑う。

「助ける? 何を頓珍漢なことを言うのやら。助けが必要なのは私じゃなくて幸の方だろう」

「求聞史紀によると」

 俺は慧音の言葉を無視して話を続ける。

「上白沢慧音の人間友好度は高く、危険度は低い。半妖でありながら、人間側の味方に立ち、大事な人の為なら自分の命さえも張る熱血さも持ち合わせている」

「突然何を……?」

 いきなり自分の説明をされ、慧音がやや困惑の色を浮かべる。

「それほど人間のことを想い、人間を愛している慧音が、誰かの歴史を書き換えることを本当に良しと思ってるんですか?」

「当たり前だ! 幸の為にはこれが最善の方法だ!」

「俺は! 慧音にとっての最善なのかを話してるんです!」

 思わず怒鳴り返してしまった。これじゃあただの逆切れだ。胸中で猛省しつつ、未だ興奮覚めやらぬ慧音に問いかける。

「食べた歴史は、どうなるんですか?」

「……私がずっと持っている。歴史を戻すときが来るまで」

「そんなときは来るんですか?」

「さてな。そうそうはないだろうが」

「つまり、ずっと慧音がそれを抱えたまま生きていくってことですね」

「何が言いたい?」

「誰もが覚えていないつらい出来事を、あなただけが覚えている」

「それがどうした。今までだってずっとそうしてきた。今更同情されることではない」

「そうやって自己犠牲して皆を助けて、あなたは満足かもしれませんが、あなたの周りの人達が喜ぶと思うんですか?」

「うるさい! 昨日今日来た新参者に、私の何が解るというんだ!」

 そう聞かれて、俺は返答に詰まった。だがそれも一瞬のこと。すぐに俺の口は暗記していた事柄を述べる。不思議と気持ちは落ち着いていた。

「永夜抄のとき、里を守る為に里を隠し、妹紅を守る為に霊夢たちの前に立ちはだかった。後天的に半妖となり、この幻想郷に流れ着いた経緯は想像するしかないですけど、それでもこの隔離された世界で人間の為にいつも行動してきた」

「――――」

 慧音の目が丸くなる。まさか俺の口から永夜抄という単語が出るとは思わなかっただろう。俺は話しを続ける。

「幻想郷に来る前から、俺は慧音のことを知ってたんです。あなたがどういった人で、どういう能力があり、どんな事件に関わってきたのか。慧音だけじゃない。他の人のことだって、俺は普通のやつらより詳しい自信がある。俺にとってあなたたちは初めて会った他人じゃなく、もっと身近で好意的な、友人以上の存在なんです」

「……なんだそれは。最初から私の正体なんかお見通しだったっていうのか」

 慧音が乾いた笑いを浮かべ、髪を掻き上げる。その仕草にはどこか悲壮感すら漂っていた。

「俺の知ってる慧音は、子供たちを親から引き離して喜ぶようなそんな人物じゃない。きっと、一生引きずりながら生きていくに決まってる」

「断言とは恐れ入ったな。たとえそうだとしても、そんなのはお前には関係ないだろうに」

 俺は反射的に声をあげた。

「関係ならある! 誰だって自分の好きなキャラが苦しむ姿なんて見たくないんだよ! 俺は、俺や他の東方ファンの為にも、慧音を悲しませるわけにはいかないッ!」

 俺がここに来た理由――慧音がひとりでつらいことを抱え込むのが許せなかった。

 これが俺のエゴだというのは承知している。見当違いの善意の押し売りになっているかもしれない。でも、たとえそうであったとしても、少しでも慧音が楽になれるんだったら、俺はいくらでも罵倒を受ける。

 東方が好きだから。

「は、はは、なんだ? キャラ? ファン? はは、おかしなことを言う……」

 慧音が笑い出した。おかしそうに口元に手を当てて肩を揺すらせる。

 しまった。つい勢いに任せて色々と口走ってしまった。でも、慧音が笑ってくれるんだったら、口を滑らせるのも悪くない。

 そのとき、戸口がすっと開いた。

 外から現れた人影は、ルーミア、霊夢、魔理沙、小傘。そして――。

「すみません、本当は俺達、妙蓮寺に行ったんです。実際に確認したのは文さんですけど」

 言って、右足の下からお札を拾う。さっき叫んだときにわざと踏んだ。あの子達を呼ぶ為に。

「な、なんでここに……?」

 慧音が目を見開き、自分の足元を凝視している。俺にはそこに何も見えないが、慧音にはしっかりと見えているはずだ。

 ルーミアが俺の側にとてとてと駆け寄ってくる。

「今、幸が泣きながら慧音の足にしがみついてるな。ほら、引っ張られてる所」

 指をさされた場所を見ても、やはり俺には姿を見ることも声を聞くこともできない。ルーミアが彼女たちの会話を小声で伝えてくれる。

「お父さんには危ないことしないでって。もう会えなくなるなんてイヤだ。文秋君もわたしも大丈夫だからもう先生やめてって。文秋が後ろでごめんって謝ってる。俺が余計なことを言ったせいで。でも俺も父ちゃんと会えなくなるのはイヤだよ」

 慧音がしゃがんで見えない子供たちに両手を回す。

「すまない……。この方法しかないと思って、先生勝手なことをしようとしてた。お前達の気持ちも考えずに……本当にすまない」

 慧音の声は震えていた。ぎゅっと両手に力を入れて、強く二人を抱きしめている。

「慧音」

 戸口に立ったままの霊夢が言った。

「精神薄弱男の性根を叩き直すんだったらいつでも手伝うわよ」

 魔理沙がそれに続く。

「おうよ、なんだったら鬼や吸血鬼だっているしな」

「わ、私も深夜に脅かすくらいなら……」

 小傘が控えめに付け加えた。慧音が彼女達を見やる。赤い瞳には涙が溜まっていた。

「皆……ありがとう」

 自分で背負い込むことを常にしていた慧音は、人に頼る術を知らなかった。ただそれだけの、簡単な話だったのだ。

「慧音さん」

 胸に広がる安堵を感じながら、俺は声を掛けた。

「白沢《ハクタク》っていうのは中国に伝わる聖獣だそうですね。白沢に遭遇すると、その家は子々孫々まで繁栄するといわれてるんですよ。だからきっとこの家にも――」

 慧音が抱き締めたまま、しっかりと頷いた。

「あぁ――そうだな」

 笑みを浮かべたその横顔は、これまで見てきた慧音の表情のなかで一番輝いて見えた。

 きっと今日の出来事は、悪いものじゃなく良いものとして慧音の歴史に刻まれるだろう。そうなることを願いたい。

 ふぅ、と深く息を吐く。久しぶりに喋り過ぎたせいで頭がくらくらする。慣れないことはするもんじゃない。全身に気怠い疲労感がやってきた。だがそれ以上に、何ともいえない歓びが胸の内に広がっていく。

 長いようで短かったこの事件も、これでようやく終わりだ。幸ちゃんの家庭のことはまだ残っているが、それは大丈夫だろう。なんたって幻想郷の人達は、皆親切でいい人達ばかりなんだから。彼女達の力が合わされば、解決できないことなんて何もない。

 これまでの異変がそうであったように。これからもきっと。

 

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