こほん、と霊夢が咳払いをしてから周囲を見やった。
「えー、この度の誘拐事件も無事解決と相成りまして――というか慧音からお詫びの酒やら食べ物やらたくさんもらったから、今日はパーっとやるわよー!」
威勢のいい掛け声に続いて、おおおお、と集まった一同が歓声をあげる。
昨日から一夜明け、解決祝の宴会をするからと誘われて博霊神社にやってきたはいいが、早くもその光景に圧倒されている。
広い日本間の中央に用意された長机の上には所狭しと料理が並べられている。鍋、焼き鳥などのつまみ、煮物、そして大量の酒瓶。
今回の事件に関係した人以外にも、見知った顔がちらほらと見える。結構な人数になったが、誰もが表情に喜色をたたえ、これから始まる宴を心待ちにしているようだ。
「じゃあ乾杯の音頭を――」
と霊夢が視線をさまよわせ、ピタリと一点で止めた。というより、しっかりと俺と目が合った。まさかと思い左右を見回すが、いつの間にか周囲の視線が俺に注がれていることに気付いた。見るのはいいが、見られるのはどうにも落ち着かない。俺は小刻みに首を横に振って、拒絶の意思を示した。
「なに言ってるんですか。こういうのは一番頑張った人がやるんですよ。ほら、コップ持って」
俺の横に座っていた文が、無理やり俺の手にグラスを握らせて日本酒を注ぐ。今度は反対側にいた魔理沙が俺の襟首を掴み、強引に立たせた。
全員の視線が俺の全身に突き刺さる。途端に頭が真っ白になった。注目されることにすら慣れていないのに、彼女達に一斉に見られて平静を保っていられるわけがない。
固まった俺の足が叩かれた。
「んな緊張しなくていいんだよ。適当に一言言って、乾杯って言やおしまいだ」
魔理沙の言葉に励まされ、なんとか意識を取り戻す。大きく息を吸って、改めて部屋を見回した。
霊夢、魔理沙、文、萃香(すでに飲んでいる)、ルーミア、チルノ、大ちゃん、リグル、早苗、神奈子、諏訪子、小傘、小町、幽香……。
これだけのメンツに囲まれて、幸せと言わずしてなんと言う。居たたまれなさも気恥ずかしさもとりあえず置いておいて、今はこの幸せを噛み締めよう。
「え、えっと、そのですね……えっと」
だからといって、うまく話せるわけではないが。
「お、俺なんかをこんな場所にお招きいただき、恐悦至極と申しますか、その、身に余る光栄と申しますか……。これもひとえに他の皆さんのお力添えの――」
「手短に頼むぞー。喉が乾いてしかたないんだ」
ヤジが飛んできて、周囲がどっと笑う。顔が熱い、胃がきゅっと縮む。なかばやけくそ気味に俺は声を張った。
「ぶ、無事終わってなによりでした! か、乾杯!!」
「乾杯ー!!!」
それぞれがグラスを掲げて一斉に飲み始める。そこからは本当に、お祭り騒ぎだった。誰も彼もが大声で喋り、笑い、歌いだし、部屋全体が大きな音の塊なのではないかと思えてくるほどだ。
文がしきりに質問をしてくるのを愛想笑いで誤魔化していると、横から声をかけられた。
「お疲れさん」
見ると、背丈に差のある二人の女性が俺を見下ろしていた。俺は思わず息を呑んだ。
陽気に笑いかける背の高い女性は、紫がかった青い髪をボリュームのあるセミロングにまとめている。クセっ毛に縁取られた小さな顔は目鼻立ちがきりりと整っており、知性や貫禄を感じさせる。頭には冠のような注連縄をつけており、アクセントとして楓と銀杏の葉が飾られている。服は赤い半袖の下に白の長袖を重ね着し、袖や腰元を大小の注連縄で留めている。胸の所にはくすんだ鏡。赤黒いスカートはゆったりと膝下まで覆い隠すくらい長く、揺れる裾の下から白い足袋が覗いていた。
守矢神社に住まう神の一柱――八坂神奈子。
その横に立っている背の低い女の子は、見た目は幼い少女そのものだった。市女笠《いちめがさ》と呼ばれる、凸部分がバケツを引っ繰り返したように高く出っ張っている特徴的な帽子。帽子の天辺のところに、二つ目玉がついている。その目玉と一瞬目が合ったような気がしたのは気のせいではないのだろう。帽子の下は金髪のショートボブで左右に垂れた髪を赤い紐でまとめている。真ん丸とした大きな目とちょこんと出た小さい鼻が、見た目以上に幼く感じさせる。
服はセパレート式の紫のワンピースに見えなくもないが、よく見ると縫い方や紐などが和装のそれだと分かる。スカートの裾あたりに絵画のような蛙の刺繍がしてあった。タートルネックの大きな袖付きの衣装を重ね着しているので、上半身は巫女さんのようにも見える。ただ、下がミニに白いニーハイソックスなので、和なのか洋なのかよく分からなくなっているが。
同じく、守矢神社の祭神――洩矢諏訪子。
妖怪の山の二大神を前に、俺は訳が分からず反応が出来なかった。
あの神奈子と諏訪子が俺に話しかけてきた? な、何か悪いことでもしたか?
「隣失礼するよ」
そう言って、神奈子がどかりと腰を降ろす。おなじみの背中の大きな注連縄の輪っかは持って来ていないようだ。まぁあれがあったら座りづらそうではある。
続いて諏訪子も座ると、神奈子がおもむろに酒瓶に手を延ばした。
「まずは一杯、ほら」
瓶の口を俺の方に向ける。そういえばかなりの酒豪なんだったか、と思い出した。俺はというとあまり酒は得意じゃないので、始まってからまだグラス半分も飲んでいない。
これが飲み会の上司とかなら適当に断るとこだが、相手は神奈子だ。神様からの勧めを断るなんて罰当たりにも程がある。
俺はグラスの残りを一気に飲み干し、瓶の方に持っていく。神奈子が嬉々として笑った。
「いい飲みっぷりじゃないか。結構イケるくちかい?」
「いえ、そんなには……」
とくとくとグラスに酒が注がれる。八割程満たして神奈子が瓶を引いた。会釈をして少しだけ口をつける。
「あんたが今回の立役者なんだって?」
聞かれて俺はとんでもないと首を横に振った。
「別に俺はなにもやってないですよ。霊夢さんとかが頑張ってくれただけで」
「そうか? 私が聞いた話じゃハクタク化した慧音とサシでやりあったってことだったが」
「やりあったってそんな、ただ話しただけですよ。結局最後は子供たちを連れてきてもらってなんとか説得できましたし」
「恐くはなかったのかい? 妖怪を目の前にして」
「妖怪って言っても、慧音さんは慧音さんなので……」
神奈子がほぉ、と興味深そうに声を漏らした。
「こっちに来たばっかりだと聞いてたんだが、えらく慧音のことを信頼してるんだねぇ」
「え、あ、まぁ、色々とよくしてもらってましたし、悪い人には見えませんでしたから」
ふと横を見ると、諏訪子が俺の方をじっと見ていた。とりあえず社会人によくある意味のない愛想笑いをしておく。
「……あんた、変わってるね」
幼い声色なのに、口調はどこか尊大に諏訪子が言った。
「な、なにがですか?」
「いやさ、これだけ妖怪やら何やらに囲まれても面食らった様子もない。私の帽子と目が合っても平然と受け流す。これは、なんか匂うね」
ニヤリと諏訪子が意味ありげに笑った。相手は蛙だというのに、俺は蛇に睨まれた蛙のように身じろぎひとつできない。
そのとき、文が顔を挟んできた。
「それってあれですよね。元々いた場所で、幻想郷のことを知ってたとかいう話ですよね?」
俺は返答に窮した。霊夢と魔理沙には、俺がある程度の情報を持っていることは話したが、だからといってそれを広めて欲しくはなかった。その旨は伝えてあったが、文のことだからどうせ無理やり聞き出したに違いない。
内心焦りながら俺は頷いた。
「知ってるっていっても少しだけですから……」
諏訪子が興味深そうに俺の全身を眺める。
「見たところ私らのいた時代に近いとこから来てるみたいだが、もしかして私らのことも知ってるのかい?」
「え? い、いや、そんなことは……」
いえ、かなり知ってます。というか八坂神社も諏訪大社もお参りにいきました。とは言えず。
諏訪子の顔が更に笑みで歪む。
「おや? 私らの時代、と言って通用するんだねぇ。ということは、年代も出身もご存じというわけか。その辺り、是非是非詳しく話を聞かせて欲しいなぁ」
しゃがんだ諏訪子が、帽子の目と共に俺を下から見上げる。近い。ここぞとばかりに文が手帳を構えるのが横目に入った。神奈子も笑って酒を飲むばかりで何も言わない。誰も止める気はなさそうだ。
冷や汗がこめかみを伝っていく。愛想笑いで誤魔化せる相手では到底ない。かといって逃げられる体勢でもない。
五秒、十秒と時間が過ぎていく。宴の喧噪は依然変わらないのに、俺の周囲だけがいやに静まり返っているような気がする。
諦めて話してしまおうかと考えたとき。
「飲んでますかー!」
凍った空気を滅茶苦茶に叩き壊しながら、早苗が割って入ってきた。ニコニコとした頬は赤みがかり、頭がふらふらと揺れている。始まってまだ三十分も経っていないはずだが、もう酔っ払っているのか。酒に弱いのかもしれない。呆気に取られている俺のグラスに、早苗が自分のグラスを軽くぶつけた。
「かんぱ~い」
そのまま一気にグラスをあおり飲み干し、プハー、と気持ちの良さそうな息を吐く。
自由奔放な巫女さんに諏訪子がおもむろに苦言を呈す。
「早苗、守矢の巫女なんだから、あまりハメを外し過ぎずに」
「わぁかってますよぅ~。あはは、ほらほら、飲んでください」
上機嫌の早苗が俺のグラスに無理やり酒を注ぐ。溢れそうになって慌てて口を付けた。
「その……すまん」
神奈子が申し訳無さそうに謝った。
「あ、いや、俺は平気ですから。というか、お酒飲んで大丈夫なんですか?」
「ん? なにがだ?」
「ほらその、二十歳越えてないと飲酒は……」
ずい、と横から早苗が首を突っ込む。
「誰がそんなこと決めたんですかぁ。元居たところはそうであっても幻想郷《ここ》は違うんです。そんな常識にとらわれないでください~。もっと自由気ままでいいんです」
「は、はぁ」
そこまで言うと早苗は急にしゅんと肩を落とし、表情を暗くさせた。いきなりどうしたのかと戸惑っていると、ぽつりと呟いた。
「ありがとうございました」
「え?」
「子供たちを見つけていただいて」
「あ、あぁ。たまたま予想が当たっただけですし、霊夢さんがいたから――」
「謙遜しないでください。霊夢さんから話は聞いています」
「…………」
そう言われては黙るほかない。早苗が沈んだ声でゆっくりと続ける。
「奇跡を起こせる、なんて持て囃されていても、こういうときに私は何の役にも立てない。結局全部あなたや霊夢さんに任せっきりで、ろくにお手伝いも出来なかった。駄目だなぁ、私……巫女になってここに来ても、昔と何も変わってない」
奇跡、というのは人の手の届かない領域にのみ有効だ。例えば、テストでマークシートにデタラメに記入してそれが全部正解するのは奇跡として起こり得るが、1+1=3と書いて正解になるのは不可能だ。今回の事件においても、意図的に隠された子供たちを発見するのは奇跡ではなく人の手でしか出来ないことだったのだろう。
「そんなことないですよ」
気付けば自然と俺の口が開いていた。
「早苗さんの奇跡で救われた人もたくさんいると思いますし、守矢神社だって信心を集めているじゃないですか。……その、この神社よりも。だからもっと、自信をもっていいと思いますよ」
途端に早苗の目から涙が溢れ出した。突然の光景に困惑する。
何か変なことを言ってしまっただろうか。傷つけてしまったのだろうか。どう言葉を掛けていいのか分からずにあわあわとしていると、早苗が目元を拭いながら潤んだ声で言った。
「すみません、ちょっと込み上げてきちゃって。……ありがとうございます」
尚も震える早苗を諏訪子が連れて行く。小声で何か言っているようだが聞き取れはしない。
続いて神奈子も腰を上げた。
「いや、色々と探るような真似して悪かったね。せっかくの宴だってのに無粋だったよ」
俺の肩を神奈子がぽん、と叩いた。
「ありがとうね、うちの巫女に言ってくれて。私らが言っても意味がないからさ。早苗もああ見えて結構精神が弱いんだよなぁ。ここの巫女みたいに、とは言わないが、もっと図太くなってもいいんだが」
「誰が図太いって?」
いつの間にか神奈子の背後に霊夢が立っていた。その形相に、思わず居住まいを正してしまった。
「早苗も霊夢並に色々と強くなってくれればなぁって話だよ」
だが神奈子は動じた様子もなく答える。霊夢が息を吐いた。
「早苗は十分強いわよ。あとはあの子がそれを自覚するかしないかでしょ」
「それが難しいんだよ」
神奈子が溜息をついてから歩き出す。三歩程進んで、何かを思い出したかのように振り返った。
「ま、よかったらあんたもちょくちょく早苗の話し相手になってやってよ。外の世界での共通の話題もあるだろうし」
ウィンクをして神奈子が背を向ける。片手をひらひらと振りながら歩いていった。
全部わかったうえで俺をからかいに来たのだろう。人が悪い。いや神様が悪い。
「そういえば」
霊夢が手を腰に当てて俺を見下ろす。
「どこの神社が信心を集めてないって?」
微笑んだその顔は見惚れるくらい可愛いが、同時に鬼のような怒気を匂わせる。
「い、いやその、あの、すみませんでした!」
畳に額が当たるくらい頭を下げる。周りでクスクス笑っているのは魔理沙や文だろう。くそう、他人事だと思って……。
「なんて、冗談ですよ」
顔を上げると、霊夢が相好を崩して手をぱたぱたと振るった。
「守矢の方が参拝客も多いし、うちが寂れてるのは事実ですから。別に今更そんなことを言われて怒るわけないじゃないですか」
「お陰で賽銭も全然だがな」
魔理沙が横から口を挟む。
「いいのよ。暮らしていく分には問題ないんだから」
「当座はあの一万でいいですしね」
「うるさいわね! あんたには関係ないでしょ!」
皮肉めいた文に怒鳴ってから、霊夢が申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべて俺を見た。あげた一万でかなり助かっているらしい。いっそ全部渡してしまおうか。せめてどこかでキャッシュカードが使えたらいいのに。
「前々から思ってたんですけど」
この際なので聞いてみる。
「もっと参拝客を集める為に色々としてみないんですか?」
「え?」
霊夢が驚いた表情で見返す。
「色々って言われても、来てもらうのを待つしか……」
「甘いですよ」
酒が少し入ったせいか、自分でも驚くほど舌がよく回る。
「まず里から少し離れてるんだから、道を鋪装して行き来しやすくしたりとか、階段をもっと分かりやすくしたり手摺りを付けて上りやすくした方がいいと思います。あと、お守りとかのグッズですね。魔除けの札なんかも博霊神社のお墨付きっていうブランドで売り出せば欲しい人だっているでしょうし、おみくじを置いておけば気軽に引いていってくれるかもしれません」
俺の語勢にいくらか気圧されたのか、霊夢が戸惑いながら呟いた。
「いやでも、別にここに明確なご神体を祀ってるわけでもないし……」
「なくてもいいんです! 御利益がありそうだなと思わせれば勝ちなんですよ。世の中には見物するだけで拝観料をとる寺だってたくさんあるんです。それでもそこには世界各国からたくさん観光客がやってくる。何故だと思いますか?」
「な、なんで?」
「ネームバリューですよ」
「ねーむばりゅう?」
聞き馴れない単語が出て、霊夢が首を傾げる。
「ようするに、名前で有名になって、その土地に行ったらまずそこを観光しようと思わせているんです。霊験がどうとか御利益がどうとかは呼び寄せる為のエサに過ぎません。その為にも広告戦略がかかせないわけなので、この際だから文々新聞も利用して大々的な広報を――」
「それってさ」
魔理沙が口を差し挟んできた。
「幻想郷のなかだけだと意味ないんじゃないのか?」
「あ」
そうだ。幻想郷自体が隔離されているのに観光客を呼び込むも何もないではないか。そもそも知名度はあるに決まっているのに今更宣伝のしようがない。
「だ、だったら名所を作るっていうのはどうでしょうか?」
俺は更に提案する。
「滝とか池とか塔とか作って、適当に有り難い名前を付ければそれっぽくなりますし」
「作るのにお金がかかりそう」
「なら、大きめの石を置いて、『持ち上げたとき予想より軽ければ幸運になれます』的なことを書いておくっていうのは」
「絶対酔った萃香に壊されるわね」
駄目だ。何を言っても打開策にならない。出店、という単語が頭をよぎるが、嫌な予感しかしなかったので言うのは止めた。結局俺には博霊神社を盛り上げることは出来ないのか。
「ま、まぁ、石段を上りやすくするっていうのはいい案だと思うから、手が空いたら取り組んでみます」
霊夢のフォローが空しく俺に突き刺さる。
「でもどうせ来るのは妖怪くらいですけどね」
文が冷静に告げた。
「それだけじゃダメだから改善していこうって話なんじゃない」
「無理だな」
「無理ですね」
容赦ない二人の突っ込みに霊夢がぐぬぬと唸る。魔理沙がこれ見よがしに溜息をつく。
「神事すら見よう見まねで適当だし、かといって媚を売るのは嫌だとかでろくすっぽ営業にもいかないし。土台霊夢にゃ商いは無理なんだよ」
「妖怪が過ごしやすい神社っていうだけで私は良いと思いますけどね」
それは神社としてどうなんだろう……。思ったが口には出さなかった。
しばらく霊夢が悔しそうに黙っていたが、はたと妙案を思いついたとばかりに手を打った。
「ねぇ、外の世界で博霊神社の名前って割りと知られてたりする?」
「え、えーと……まぁそこそこ」
途端に霊夢の顔が明るくなった。
「じゃあ外の世界に分社なりなんなりと建てれば、そこそこには御賽銭稼げるんじゃないかしら! 回収は紫にでも頼めばすぐ出来るし、信心も集められて一石二鳥!」
確かに本物の博霊神社が俺の世界に出来たとなれば、日本のみならず世界中から人が押し寄せてくるだろう。
「なんだったら私も外の世界に行って神楽やってもいいし」
「それはダメだ!」
俺の叫び声に、霊夢がビクっと体を震わせる。周りの皆も驚いたように俺を見つめている。
「霊夢さんが行くのは止めた方が良い……絶対!」
見て欲しくない人や物がたくさんある。知られてしまえば俺の世界にも、俺にも幻滅してしまうかもしれない。いや、東方オタだって至極まともできちんとした人もたくさんいる。だが霊夢のコスプレをした成人男性(ガタイがいい)を前にして、霊夢が正気を保っていられるかどうか。あと薄い本。
俺の危機迫る表情に圧されて、霊夢が「あ、うん」と頷いた。よかった。それでいい。
それからも楽しい宴は続いた。
神奈子と萃香が飲み勝負を始めたり、早苗が突然歌い出したり、幽香にちょっかい出したチルノが粉雪になったり、それは夢のような時間だった。
夢はいつか醒める。気付けば夜の0時を回り、宴もおひらきと相成った。
人がいなくなり、すっかり静けさを取り戻した部屋は、どこかうら寂しさを感じさせる。
「片付けは私達でやっとくから構わないですよ」
霊夢が俺に声をかける。
「いえ、ご馳走になってそのまま帰るっていうのもあれですし、せめてこの部屋だけでも」
「いい心構えだな。他の連中にも見習わせたいくらいだぜ」
お盆の上にお皿を重ねながら魔理沙が言った。現在この部屋にいるのは俺と霊夢と魔理沙、それと部屋の隅で萃香が寝ているだけで、他の皆はすでに帰っていった。
「まぁいいんじゃない。私達だって他の家行ったら後片付けあんまりしないでしょ?」
「そりゃ家によって勝手が違うからな。家主に任せるのが一番早い」
「そういうこと。あ、鍋とか大きい皿は井戸のとこで浸けておくんで、こっちにまとめちゃってくださいー」
はい、と返事をして手近な鍋を運んでいく。重いものは俺が運ぼう。それくらいしか役立てないだろうし。
「そういやさ、やっぱり慧音のやつ来なかったな」
ぼそりと魔理沙が呟いた。
「さすがに顔出しにくいでしょ」
そう言って霊夢がちらと俺を見た。
慧音もこの宴に誘ったのだが、本人がそれを断ったらしい。無理もないだろう。自分の起こした事件の解決祝いになど参加できるわけもない。その辺りを気にせずに誘えるのはさすが霊夢だと思う。
「あ、幸ちゃんの父親なんだけどさ」
魔理沙が思い出したように言う。
「うちの実家が小間使いが欲しいみたいなこと言ってたから、そこに行かせるのはどうかって話が出たんだが。空いてる部屋にでも住まわせれば監視もできるし」
「いい案じゃない。あの店だったら性根も鍛えてもらえるわね」
「……言っとくが、私の発案じゃないぞ。香霖の案だ」
「別に誰のだっていいわよ。幸ちゃんが幸せになれるのならそれに越したことはないでしょ」
二人の会話を聞いて、俺は安堵の息を漏らした。
良かった。一番の気掛かりがなんとかなりそうだ。俺のやったことが一時的な措置でしかないことは良く分かっていた。結局本人と周りの人達に任せる形でしか纏められなかったのだが、これで少しでも家庭環境が改善されればと切に思う。
三人でやると片付けもスムーズに終わった。最後に長机を台拭きで拭いて、畳んでから部屋の隅に積み重ねる。この間も萃香は寝たままで一度も起きなかった。「あとで布団のとこに運ぶからそのままでいいですよ」と霊夢が言っていたので、いつものことなのだろう。それにしても、あの角だと寝づらそうだ。
「お邪魔するよ」
突然外から声がして、縁側の暗がりから妹紅が顔を覗かせる。手には風呂敷の包みを携えている。軽い足取りで部屋に入ってきた。
「残念ね。宴会ならもう終わったわよ」
「お構いなく。用件は別にあるんだ」
スタスタと妹紅が一直線に俺に近づいてくる。
「え、あ、どうも」
「元気そうでなにより。活躍は噂で聞いてるよ」
「活躍だなんて……。あ、貸してもらった服なんですけど」
「慧音が持ってるんだろ? あとでもらっとくよ」
どうしたんだろう。服のことでもないし、こんな夜更けにわざわざ博霊神社に来てまで俺に会いに来るなんて。なにかやらかしたか?
心当たりを探る俺に、妹紅が風呂敷を手渡してきた。
「それ、見てくれないか?」
言われるがままに包みを開けると、スーツのジャケットが畳まれていた。色は黒、質感も手触りも安物特有の薄っぺらさがある。襟元のくたびれ具合も、袖のボタンがとれかけているのも、よく見知っているものだ。間違いなく俺のジャケットだった。
「あの……これはどこで」
「あぁ、昨日のことなんだが、竹林に見慣れない廃墟が出来ててな。なかに入ってみたらそれが落ちてた」
廃墟。鈍い痛みと共に、忘れていた記憶がふっと蘇ってきた。俺が倒れていた理由。意識を失う直前、何処で何をしていたのか。
いや、忘れていた、なんて都合のいい言い訳だ。俺はきっと忘れていたかっただけだ。自分自身の愚かさを。
「その服と一緒に変な機械も転がってたんだが、そっちに覚えはないか?」
妹紅の問いかけに俺は微かに頷いた。
「たぶん、それも俺のだと思います」
「やっぱりそうか。じゃあ明日案内するよ。昼くらいに竹林の前に来てくれ」
用件はそれだけだと言わんばかりに、妹紅が踵を返して部屋を出て行く。その後ろ姿に「はい」と小さく返事を投げた。
「なんだあれ? 私達には目もくれずに」
魔理沙がぼやいた。霊夢は俺の手元の上着をじっと見つめている。その視線が上がり、俺とぶつかると躊躇いがちに口を開いた。
「あの、ルーミアが言ってたんですけど……」
「ルーミア?」
「……いや、ごめんなさい。なんでもないです」
控えめに微笑んで霊夢が話を終わらせた。気にはなったがそれ以上俺から聞けるわけもない。
二人に里に送ってもらうまで、その微妙な空気は続いたままだった。
楽しかった宴は終わり、憂鬱な明日が幕を開ける。
布団に横になり窓際を見上げると、すっかりしぼんでしまった月下美人の花がうなだれるように頭を垂らしていた。