ここは間違いなく幻想郷だ。
とりあえずそう決定することにした。これまで会った人もそうだし、何より里に来て五感で感じるこの空気が、まさしく現実のものとしか思えなかったからだ。
俺は里の団子屋で三色団子をほお張りながらこれからどうするかを考えた。
まず何をしたいかだが――これは簡単だ。せっかく幻想郷に来たのだから、住人たちとお近づきになりたい。だがその為には注意しなければいけないことがいくつかある。
まず俺の素性についてだ。俺がどこからきて、どういったことを知っているのかを知られてはいけない。
誰だって初対面の人に自分の過去や来歴を語られたら不気味だろう。それに、普通の人が知らないことを知っているというのはそれだけで危険な存在だ。俺に悪用する気がなくても、誰かに使われたり、意図せず何かを改変してしまいかねない。
それを踏まえると、さとりと紫には可能な限り会わないようするべきだ。さとりに心を読まれて利用されては困るし、紫に俺のことがバレたら強制送還されてしまうかもしれない。
なるべく目立たず、しれっと一般人を装って彼女達に話しかける。もしくは近くで見守る。それしかない。
よし、と俺は決意を固めた。
この幻想郷を楽しみ尽くす! さしあたって必要なのは幻想郷の地図だな。多少の位置関係は把握しているが、そもそもどの方向に何があるのか分からなければ動きようがない。こういうときグーグルマップがあれば、と思うのは現代人の証拠なのだろうか。
「あ、すみません……」
俺は団子屋の店員に尋ねた。
「この辺で地図とか売ってるところないですか?」
「地図、ですか……? そうですね、ちょっとあるかは分かりませんが、鈴奈庵という貸本屋にならもしかしたらあるかもしれません」
鈴奈庵……! そうだよ何故気付かなかったのか! 絶対に行く! いや行かなければいけない!
詳しい場所を店員から聞いて、忘れないように頭に刻み込んだ。
お勘定を支払ってから、すぐに鈴奈庵に向かう。
それにしても、手持ちのお金が使えてよかった。円じゃなかったり、時代が合わなかったらどうしようかと思ったが。まぁでもここの妖怪だって日本由来が多いし、お金も日本円なら何でもいいのだろうか。そもそも幻想郷というのが日本にあることは言われてきたし、そういうものかもしれない。東方の神主が日本人だから、というのはおいておくとして。
ちょうど財布にお金を下ろしていたのも運がよかった。しばらくは大丈夫そうだ。とはいえカードも使えないし銀行も無いので、何かしらお金を稼ぐ方法を考えなければならないだろう。
思案しながら里中を進んでいく。里の人達と何人もすれ違ったが、特に俺が怪しまれている様子はない。どこかに『罪』と書いた袋をかぶっている人間はいないものかと探してみたが、残念ながら見つからなかった。
教えられた通りに進んでいくと、鈴奈庵らしき平屋が見えてきた。外観は住宅街にひっそりと佇んでいるような古本屋に近い。こぢんまりとした趣のある木造家屋。暖簾に小さく『鈴奈庵』と記されてある。
軒先には大きな板の上に本が何冊も干物のように並べられている。本を干しているのだろうか。
そのとき、店のなかから和服の女性が出てきた。
明るい褐色の髪を鈴のついた髪留めでツインテールにしている。市松模様の着物のうえにはエプロンをつけていた。くりっとした目は大きく、あどけない顔がどことなく子犬を連想させる。
本居小鈴。東方鈴奈庵の主人公。
感動にも近い喜びが沸いてきた。だが、俺は一旦建物の陰に向かう。
さて、どうしたものか。地図を探しにきました、はいいがそれだけでは会話が続かない。どうせなら何か話でもできたらいいのだが、あいにく俺には初対面の人と和気藹々歓談できるほどのコミュニケーションスキルはない。妹紅のときは向こうから来てくれていたのでまだ何とかなっていただけだ。会社でも飲み会とか苦手だったし。
このまま隠れていては不審者扱いされかねない。とりあえず地図があるだけでも聞くべきか。
そのとき突然後ろから肩を掴まれた。
驚いて振り向くと、青い衣装の女性が立っていた。
青いメッシュの入った長い銀髪。頭の上には学者の帽子にも似た奇妙な青い帽子を乗せている。襟付きのワンピースはほぼ青色で統一されており、裾の部分から幾重にも重なった白いレースが覗いている。胸元にはアクセントとして結ばれた大きな赤いリボン。手には布製の手提げ袋を持っていた。
上白沢慧音。里の寺子屋に勤める半獣人の先生。
「あ、人違い? 格好が似ていたもので……すみません」
顔を見合わせるやいなや、慧音が頭を下げた。確かに紛らわしい格好だな、と自分でも思う。ただ、髪も体格も雰囲気も全く似てないが。
俺も合わせて頭を下げる。
「あぁ、この服妹紅さんから借りたんですよ。だからその、間違ってはないです……」
慧音が驚いたように目を見開いた。
「妹紅が? えっと……どういうことか教えてもらえますか?」
俺は軽く経緯を説明した。倒れていた所を永遠亭に運んでくれたこと。里への道を案内してくれたこと。途中でお風呂と着替えを借りたこと。
一通り聞き終えてから、慧音が納得したように頷いた。
「それでか……いや、髪は黒いし短いしでおかしいとは思ったんだ」
「はは……」
愛想笑いを返す。おかしいと思っても肩を掴んでくるあたり、少し天然なところがあるのかもしれない。
慧音がかしこまって俺を見つめた。
「申し遅れてすみません。私は上白沢慧音。この里の寺子屋で教師をしています。妹紅とは良く見知った仲だったもので、つい見間違えて」
恥ずかしそうに慧音が俯き加減で微笑んだ。
俺もこんな美人の先生に教えてもらえてたら、もっと勉強に身が入ったんだが……現実はかくも無常也。
「それで、こんなところで何をされているんですか? 遠くから来られたという話でしたが」
「えっと、地図がないか探してまして……」
「地図? この里のですか?」
「あ、いえ、幻想郷全体のが欲しいんです」
「幻想郷全体の……」
ふむ、と慧音が考え込んだ。何かまずいことでも言ったのだろうか。やおら慧音が顔を上げた。
「分かりました。なら私が鈴奈に聞いてきましょう」
「え?」
「新しい土地で勝手も分からずに困っていたんですね。あぁ、鈴奈というのはあそこにある貸本屋の店主でして、寺小屋に使う教材をたまに借りたりしているんですよ。では、少しここで待っていてください」
任せてください、と言わんばかりの笑みを浮かべて、慧音は鈴奈庵に向かっていった。その背中をぽかんと見つめる。
もしかして、俺が店の人にもろくに話しかけられないコミュ障だと思われたのだろうか? いやまぁ、実際そんな感じではあるけど……。ただ、永琳も妹紅もそうだったが、慧音も初対面の自分に対してすごく親切に接してくれる。都会ではしばらく感じたことのなかった優しさが、何ともむずかゆい。
慧音が店先の鈴奈に声を掛けた。元気よく振り返った鈴奈が笑顔で応えている。それだけで仲の良さが伝わってくる。俺が話しかけて果たしてあんな笑顔を返してくれただろうか。
鈴奈がこちらに目を向けてきた。慧音が俺のことを説明したのだろう。鈴奈は俺に軽く会釈してから、店のなかへ入っていった。慧音もそれに続く。
十分ほど経ってから慧音が外に出てきた。俺の方に向かって手招きをする。来て、ということか。俺は戸惑いながらも鈴奈庵に向かった。
店の中は本で埋め尽くされていた。天井まで届く本棚にぎっしりと本が並べられている。日本語のものもあれば英語やフランス語っぽいもの、よくわからない文字のものまで様々だ。古い本独特の匂いが少し懐かしい。
慧音と鈴奈は店のカウンターの所にいた。慧音が口を開く。
「探してみたんですが、やはり幻想郷の地図はなさそうです。あっても不完全だったり解読不能だったりするものばかりで」
鈴奈が申し訳なさそうに眉をハの字にして言った。
「お役に立てなくてすみません」
「あ、いえ、いいんです!」
俺は両手をブンブン振った。鈴奈にこんな顔をさせるつもりは毛頭ない。
「ただ博霊神社とかの詳しい位置を知りたかっただけですので……」
「博霊神社、ですか?」
慧音が聞いてきた。こうなればおおまかな目的を言ってしまった方がいいのでは。俺は俯き加減に答えた。
「はい、その……博霊神社や守矢神社や紅魔館とかに行こうと思ってまして……。だから行き方さえ判ればどんな地図でもいいんですけど」
「…………」
何だろうこの反応は。慧音と鈴奈が無言で目を合わせた。
また何かやらかしてしまったのだろうか。俺は恐る恐る尋ねた。
「あの、なにか?」
慧音が向き直る。彼女は真剣な表情で口を開いた。
「失礼ですが、どういった目的で行くおつもりですか? 神社はともかく、紅魔館は普通の人間が気軽に行くような場所ではありませんよ」
言われてハッとした。レミリアの人間友好度は極低とされている。実際どれほど人と付き合いがあるかはわからないが、一般人がわざわざ吸血鬼に会いにいこうとするのは奇妙なことなのだろう。素性を疑われるのも無理はない。
「え、あ、そ、そうなんですか!? そんな恐いところだって知らなかったもので……。なら絶対に行ったりしませんからあはは……」
我ながらわざとらしい返しだが、仕方ない。慧音はまだ納得のいってない顔をしていたが、諦めたように息を吐いた。
「まぁいいでしょう。それで、行きたい所は博霊神社と守矢神社以外にありますか?」
白玉楼に地霊殿に香霖堂に太陽の畑……他にもまだまだある。だがそんなことを言えばますます疑われてしまう。
「いえ、ないです」と俺は首を横に振った。
慧音が描いてくれた地図は分かりやすかった。
里を中心に、東方向に博霊神社。北方向に守矢神社。博霊神社までの道程は一本道なので迷いようがないらしい。ただ、守矢神社は途中何回か別れ道があるので注意するようにとのこと。わざわざ描いた道の横に注釈まで記してくれた。寺小屋で教えているだけあって丁寧で分かりやすい。
その地図をもらい、慧音と一緒に鈴奈庵を出た。少し名残惜しかったが、また来ればいいだけだ。里の出口まで慧音が案内してくれるということで、二人肩を並べて道を歩く。
「どちらに向かうんですか?」
出口の門らしきものが見えてきたとき、慧音が尋ねてきた。
「あ、はい。とりあえず博霊神社に行こうかな、と……」
「行って何をするんです?」
「な、何を、とは」
「ただ行くだけではないでしょう? 一般の方があそこに行く理由もないですし、何か目的があるんですよね?」
観光です! などと答えられるはずもなく。だがここで黙っていては余計に怪しまれるだけだ。俺はぎゅっと拳を握り締めた。
「行かなければならないんです……博麗神社に……っ!」
それが東方ファンとしての義務であり、夢なのだ。辿り着けたのなら死んでもいいと誰もが思う楽園――幻想郷。その中枢たる施設こそが博霊神社であり、物語の始まりの地なのである。ここに行かねば、幻想郷に来たことには決してならない。
俺の熱意が伝わったのか、慧音は「そうですか」とだけ言ってそれ以上追求することはなかった。
「けーね!」
突然頭上から元気な女の子の声がした。
見上げると四つの人影が路上に降りてきていた。
その少女たちの姿を見て俺の全身が固まった。鼓動が早くなっていく。
チルノ。大ちゃん。ルーミア。リグル。
東方ではおなじみの四人グループ。ここにミスティアがいれば勢揃いだなと頭をよぎるが、そんなことはどうでもいい。この四人の少女を間近で見られたことに比べたら他は全部瑣末なことだ。
最初に地上に降りたのはチルノだった。セミショートの青い髪の毛には大きな緑色のリボン。白いシャツの上に青いワンピースを着込んでいる。何より目を引くのは背中に浮いている六枚の氷の羽根。太陽の光が屈折し、まるで水晶のようにも見える。背丈は四人の中で一番小さい。腕を組んでえっへんと胸を張っている様は子供が偉ぶっているように見えて微笑ましい。
降りてきた風に交じってかすかに冷気を感じるのはチルノが現れたからだろうか。だが氷の妖精という名とは裏腹に、小さな身体の全身からは溢れんばかりの元気が放たれていた。二次創作において人気があるのも頷ける。
チルノの後を追うように降りたのは大妖精、通称大ちゃん。緑色の髪をサイドテールでまとめている。服装はチルノと似たようなシャツとワンピースだが、デザインが若干シンプルになっている。背中からは透き通るような一対の羽根が生えている。絵本で見るような妖精の羽根に近い。見た目も雰囲気もおとなしそうな少女だ。
続いて降りてきたのはルーミアだった。金色に近い黄色の髪の毛はふんわりとしたミディアムボブでまとめられている。白いシャツの上に黒のチョッキと赤いネクタイを合わせ、黒のロングスカートを履いている。白黒の洋服のなかで、頭の赤いリボンと赤い靴が印象的だ。顔立ちは幼く、特徴的な赤い瞳は焦点が定っていないのかふらふらと揺れている。じっとしているとその見た目から西洋人形を連想させる。
「――――」
ルーミアと目が合った。いかん、大の大人が少女たちを観察しながらニヤニヤしていては怪しまれる。俺はつとめて平静を装って目を逸らした。ルーミアも興味を失ったのかすぐにそっぽを向いた。
最後はリグル。緑色のショートカットヘアーの前頭部から、二本の触覚が生えている。白のシャツに紺のパンツルックで傍目には男の子のようにも見える。胸元で結ばれている燕尾状のマントが更に男の子っぽさを助長している。無邪気な笑みと仕草は子供っぽくて見ていると癒されそうだ。決して黒光りの高速移動する何かを連想したりはしない。彼女の名誉の為に断言しておく。
「どうしたんだ四人揃って」
慧音が四人に聞いた。どことなく口調が先生っぽい。
チルノが不満顔で腕をぶんぶん振った。
「どうしたって、けーねが全然来ないからでしょー」
「時間になっても先生が戻ってこないから探しにきたんです」
大ちゃんが付け加えた。それを聞いて慧音がハッとなる。
「すまない、ちょっと用事が出来てな。今から戻るよ」
用事とは当然俺のことだろう。何だか申し訳ない気持ちになる。俺なんかより寺小屋を優先してもらって構わないのに。
「なー、この人は誰なんだ?」
いつのまに背後に回っていたのか、俺の後ろからルーミアが顔を出した。一瞬驚いたが、それはすぐに喜びへと変わった。
俺の左腕をくすぐるルーミアの髪の毛。決して俺は髪フェチでも幼女趣味があるわけでもないが、東方を愛する者がキャラたちに触れることを喜ばないわけがあるだろうか。いやない。
少し汗が出てきた。
「こらルーミア、その人は最近この辺りにやってきた方だ。あんまり失礼なことはするなよ」
「ふーん」
ルーミアが俺の顔を見上げる。綺麗な赤い瞳は俺を捉えると細く歪んだ。ルーミアは笑っている。
「おいしそう」
それだけ言うとタタタと走って三人の元に戻っていった。
おいしそう? 俺ってそんなおいしそうなのか? でもそこまで太ってないし、体臭だって風呂に入ったから問題ないはずだ。思わず袖口に鼻をあてる。服について石鹸の匂いがした。
慧音が「ルーミア!」と一喝したあと、俺に頭を下げた。
「すみません。あの子たちは寺子屋の生徒で。いつもやんちゃばっかりしてて困ってるんですが」
「あ、いえいえ、俺は全然大丈夫です。むしろもっとやってほしいくらいで」
「え?」
「え? ……あーあはは、こ、子供は元気なのが一番ですよね、はは……」
全員俺より年上だろうけど、と胸中で付け足す。
慧音が共感するようにあたたかく微笑んだ。
「そうですね」
その笑顔を見れただけで幸せな気持ちになれる。
慧音はこのまま四人と寺子屋に戻るらしい。いつでも遊びにきてください、という言葉に俺は頷いた。
「あ、そうそう」
背を向けきる前に慧音が言った。
「つい最近、里で子供がいなくなる事件が起きていまして。それほど危険ではないとは思いますが、里外を出歩くときは少し気をつけた方がいいかもしれません。もし何かあれば大声で助けを呼んでください」
「どんなヤツだってあたいがぶちのめしてあげる!」
「チルノじゃ返り討ちにされるのがオチじゃないか?」
「なにおぅ!」
「でもチルノは食べられないからなー」
「別に食べられるって決まったわけじゃ……」
騒ぎだした四人を慧音がたしなめる。
「こらこら、道の真ん中で騒ぐんじゃない。それでは、また」
お辞儀をして五人は去っていった。わいわいと話す声が次第に遠のいていく。 あとにはぽつんと自分が独り残された。賑やかさが消えたあとの静寂はどこかうら寂しいものがある。あの輪に入りたいとは思うが、同時にやっぱり自分は異邦人なんだという認識が拭いきれない。
まだここに来たばかりだ。馴染む馴染めないではなく、馴染もうとする努力をするべきだ。会社の派閥に比べればなんてことはない。皆いい人たちばっかりだし、俺もいつかは立派な幻想郷の住人になってみせる。
決意新たに大きく足を踏み出した。
目指すは博霊神社。今から行けば夜までには里に戻ってこられるだろう。
あの楽園の素敵な巫女に会える……そう思っただけで陰鬱な気分はどこかに吹き飛んだ。
天気は快晴。絶好のおでかけ日和だ。うだうだと考える前に行動する。まだまだ幻想郷は始まったばかりなのだから。