幻を想う   作:亮馬

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博麗神社

 だんだんと周囲の景色に緑が多くなってきた。辺りは木々が立ち並び、先があまり見通せない。

 そろそろ着いてもいい頃合いではないだろうか。

 そう思い始めたとき、路の真ん中に木の看板が立ち塞がった。かなり古いものらしく、所々が腐食してしまっている。かろうじて書いてある文字が読めた。

『これより先、不用意に進むべからず』

 どういうことだ。危険な区域にでも入ってしまうのだろうか。だが博霊神社がすぐそばにあるのに人に害なす妖怪がいるとも思えないが。

 看板をよく見てみると左下に『左手、博霊神社』と書かれてあった。

 その言葉に従って左を見る。そこには木々の茂みに隠れるように、ひっそりと石段が続いていた。どうやらここが博霊神社らしい。

 いよいよだ。

 急速に動悸が早まってくる。俺はいったん呼吸を整えて、石段を上ぼり始めた。

 一歩、また一歩頂上に近づくにつれ、吐きそうなほどの緊張が襲ってきた。興奮、喜び、不安、戸惑い……様々な感情が胸の内で渦巻いている。日本の首相に会ったとしてもここまで緊張はしないだろう。

 たかが神社に行くくらいで、と言われるかもしれないが、俺にとってはそれほど重要で何物にも替え難い事柄なのだ。

 やがて石段を覆っていた木漏れ日が晴れ、先が開けた。

 顔を上げると、透き通るような青空を背景にくすんだ鳥居が見えた。

 博霊神社。

 ついに来た。緊張はさらに増すばかりだが、それと同じくらい歓喜の念が胸中を埋め尽くしていた。

 はやる気持ちを抑えて残りの石段を上ぼりきる。ひっそりと、そして厳かに佇む鳥居を見上げて、感嘆の息が漏れた。この何の変哲もない鳥居が、博霊大結界を支えているのか。

 ふと鳥居の向いた方向につられて、背後を振り返る。

 そこは予想していた風景とは異なっていた。

 眼下に森が広がり、遠くに山らしきものも見える。そこまでは予想通りだった。だがその景色全てがフィルターがかかったかのようにぼやけてしまって判然としない。

 博霊神社は幻想郷を構成する為の博霊大結界を生み出す核の部分でもある。その性質上、結界の端に位置しており、鳥居も外側を向くように建っている、だったはずだ。つまりこの景色は――。

「結界越しに見える、外の世界……?」

 あくまで推測でしかないが、似たようなものではないだろうか。幻想郷というのは日本の山奥で結界によって隔離されている世界、と言われてはいるが、何しろ外部から認識することが出来ないだけに実際どうなのかは分からない。紫か霊夢辺りに聞けばもしかしたら何か分かるかもしれないが、聞けるタイミングがあるかどうか。怪しまれでもしたら一発で終わりだ。

 俺は手を合わせて一礼してから、博霊の鳥居をくぐった。

 なかに入ってみるとそこは田舎にある寂れた神社と変わらない。境内には入り口横の手水場があるだけで、あとは中央奥に構えた拝殿と、隣にちょこんと建てられた小さな社があるのみ。由来を示す看板や、その他の偶像・建造物の類いは一切見当たらない。

 手水場でうろ覚えながら手を清め、きょろきょろと見回しながら石畳を進む。境内には誰もいない……。がっかりしたような、ほっとしたような複雑な心境で拝殿の賽銭箱の前まで歩いた。

(せっかくだし、お参りしていこう)

 財布から小銭を取り出そうとして、気になることがあった。賽銭箱に手をかける。重い。持ち上げることは難しいが傾けることは出来そうだ。両手でしっかりと端を掴み、揺すってみる。……予想どおり、小銭の音一つしない。

「やっぱり、か」

 確かめられて嬉しいような悲しいような気持ちとともに呟いた。

「賽銭ドロボー!!」

 突然本殿の障子がパァンと開き、少女が飛び出してきた。その少女を見て心臓が大きく震えた。

 肩に掛かるくらいの黒髪。頭の後ろにフリルのついた大きな赤いリボンを留め、顔の左右に垂らした髪には赤い布を巻いている。紅白の衣装は巫女服をベースにしているが、服と袖が別れていたり、赤い上着に付け襟をしていたりと一般的なものとは異なる点がある。胸元の黄色いタイや袴の裾にもフリルがあしらわれていて、全体的に少女っぽい印象を受ける。巫女服という神聖な衣装のなかに可愛らしさを取り込んだひとつの完成したスタイルがそこにはあった。神事などで使う御幣《ごへい》(物や場所によっては違う呼び名らしいが)を肩に担ぎ、十代前半の少女らしい瑞々しい顔立ちを今は険しく歪めてこちらを睨みつけている。

 博霊霊夢。博霊神社に仕える巫女であり、東方シリーズにおける主人公。

 俺はしばし我を忘れて霊夢を眺めた。ようやく、ようやく彼女に会えたのだ。正直涙が出そうなほど感極まっている。

「ちょっと、聞いてるの?」

 霊夢が眉を吊り上げて俺を見下ろす。

「――――」

 返事をしようとするがうまく言葉にならない。賽銭を盗もうとしていないことをアピールしようと、両手を上にあげて後ろに下がる。

「魔理沙!」

「――おうっ!」

 霊夢の呼び掛けに頭上から応える声が聞こえた。

 真上を見ると、ちょうどその人影が拝殿の屋根から飛び降りたところだった。影はそのまま空中で回転して石畳の上に綺麗に着地した。

 霊夢と同じくらいの年齢の少女。片側をおさげにした長い金髪が風で波打っている。頭にはリボンのついた黒い三角帽。上は白いブラウスにボタンのついた黒いシャツを重ね、下は大きめの黒いスカートの上にエプロンを着けている。足元は白い靴下にシンプルな黒の靴。全身を黒白にまとめた意匠は彼女なりのこだわりなのだろう。だが魔法使いとしての威厳というよりは可愛さの方が際立っているように思える。

 その少女――霧雨魔理沙は、大きな竹箒を石畳に突き立てたまま自信満々の笑みを浮かべた。

「観念してお縄につくんだな、ドロボーさん」

 この二人は俺を賽銭泥棒だと勘違いして取っ捕まえにきたのだろう。いくら俺が成人男性だとはいえ、この二人相手に勝てるわけがない。たとえ一対一でも。

 というか、魔理沙に泥棒呼ばわりされるのはどうなんだ……?

 ともかくこの誤解を早く解かないと。せっかく二人に会えたのに犯罪者扱いされるのは死んでも拒否したい。

「ち、ち、ちが、違うんです……!」

 舌を噛みそうになりながら訴える。霊夢が目を三角にしたまま返す。

「何が違うって?」

「お、俺はただ、さ、参拝にきただけで」

「罪人はいつだってそういうことを言うのよ!」

「ま、こんなとこにわざわざ参りに来る人間なんていないしな」

 駄目だ。まったく取り合ってくれない。だいたい入ってないものを盗みに来ること自体有り得ないわけだが、そんなことを言っても火に油だろう。霊夢が腕を組んで俺を睨め付ける。

「それよりあんたのその格好はなんなの? 最初妹紅が来たのかと思ってビックリしたじゃない。何? あいつの真似? 里で流行ってるの?」

 どうすればいい。霊夢を説得するのに一番効果的な方法。言葉では無理だ。俺にトークスキルなんてないし、そもそも初対面の不審者の言葉なんて消しカス以下の価値しかない。物……食べ物……お金……。

(――それだ!)

 電流が走るとはまさにこのこと。俺は財布を取り出し、中から紙幣を掴み出した。福沢諭吉。

 それを印籠のように前にかざす。霊夢がビクっとして目を見開いた。

(後悔は……ないッ!!)

 俺は右手に持った一万円を振り下ろし――スッと賽銭箱へ入れた。

 …………。

 

「参拝なら参拝と早く言ってくださればいいのに~」

「はぁ……」

 満面の笑みとともに霊夢がお茶と茶菓子を持って来た。色々と言いたいことはあったが、何も言わずに出されたお茶を受け取る。

 あの後めでたく和解を果たし、今は拝殿裏の住宅に通されてこうして和室でお茶などをふるまわれている。

「遠いところ大変でしたね。どうぞごゆっくりしていってください」

 最初に会ったときの鬼神の如き表情はどこへやら、慈愛と寛容の眼差しで微笑みかけてくる。お金の力ってすごい。

「ホントホント。遠くやってきて泥棒呼ばわりされちゃたまったもんじゃないしな」

 縁側に腰掛けた魔理沙が他人事のように言った。

「なによ、魔理沙だって怪しいって言ってたじゃない。挙動不審で見た目も普通じゃないって」

「違う違う! 私はあんな格好する一般人なんていないんじゃないかって言ったんだよ! それを霊夢が――」

 言い争う二人を眺めながら、俺の心は幸福感で満たされていた。手痛い出費だったが、この光景を間近で見れたのだから安いものだ。それに、俺のお金で霊夢が少しでも幸せになれるのならそれ以上の喜びなどない。

(にしても……)

 俺は霊夢をちらと盗み見た。正確に言えば霊夢の肩――の下の腋をだ。

(いや、うん……いいね)

 眼福とはまさにこのことだ。腋巫女の二つ名はダテではない。

 こっそり鑑賞して楽しんでいると、霊夢がくるりとこっちを見てきた。

 バレたか!? と思ったが、どうやら違うようだ。霊夢が少し畏まって言った。

「それで、本日はどういったご用件なんでしょうか?」

「え?」

「いや、私が言うのもアレですけど、わざわざこんなところまで来て参拝するってことは、何か頼み事があったんじゃないんですか?」

 俺は返答に詰まった。頼み事なんてあるわけがない。しいて言うなら二人に会って話をすることだが、それはもう達成された。ましてや『お近づきになってください』などとは口が裂けても言えない。キモすぎる。

「あんだけお賽銭入れたんだから、遠慮せずに言った方がいいと思うぜー。今の霊夢だったら何でも聞いてくれるさ」

 魔理沙が気を遣ってくれたのか付け加えた。

 何でも、の所に反応しそうになったが、いかがわしいようなお願いをするつもりは一切ない。

 例えば東方の男性向けの同人誌では、様々なキャラたちがあられもない姿で卑猥なことを強要されたりするものがある。それを否定したりはしない。妄想というのは自由だ。自分の望む理想像を彼女達に求めるのは当然のことでもある。それが二次創作なのだから。

 では果たして、こうして彼女達を前にして同じことを望むのだろうか、という話だが――。

 答えは否だ。

 俺は仲良くなりたいのであって、犯罪を犯すつもりは微塵もない。だってそれをやってしまったら、今後二度と彼女達と仲良くなることが出来なくなる。そんなのは嫌だ。……もし万が一俺が変なことをしたとして、その後の末路がどうなるかを考えたくない、というのもある。

「……大丈夫ですか?」

 心配そうに霊夢が覗きこんできた。

「あ、だだ、大丈夫です!」

 いかん。あんまり変な挙動をとっていたら怪しまれる。

 博霊神社に来た理由……ただ参拝にきただけ、では駄目だろうか。だがそれなら即答していなければおかしい。やはり他の言い分を考えないと……。

 そのとき慧音の言葉を思い出した。俺は反射的にその事柄を口にした。

「こ、子供が、近頃いなくなる事件が起こってまして」

「子供って里の?」

「はい」

「他に何か情報はあります?」

「あ、その、俺も人づてに聞いただけなのでなんとも……」

「んー、私最近里に行ってないのよねぇ。魔理沙何か聞いてる?」

 魔理沙が首を横に振った。

「いんや。ここ一週間ばかし採集とか実験ばっかしてたしな」

 二人とも初耳だったようだ。霊夢が俺の方に向き直る。

「もうちょっと詳しいこと分かりませんか?」

「えーと……慧音さんが『里で子供がいなくなる事件が起こってる』と言ってたので……」

「慧音が?」

 霊夢が腕を組んで考え込んだ。

「もし妖怪が関わってる重大な事件だったら、私のとこに話がきてもいいはずだけど……。きてないってことは事件性があまりないか、もしくは事件の把握ができていないのかもしれないわね。人同士のいざこざに私がでしゃばるわけにもいかないし。あとは、慧音が自分だけで解決できると踏んだのか」

「とりあえず里まで行って聞いてくればいいんじゃないか?」

 魔理沙の提案に霊夢は頷いた。

「それもそうね。じゃあちょっと私達里に行って聞き込みしてきますね。それからどう対応するか決めますので」

「あ、はい。すみません急にこんなことお願いして」

「いいんですよ。異変を解決するのが私の仕事ですから」

 力強い微笑みとともに霊夢が言った。それだけでほっと安心できる。霊夢を頼る人の気持ちというのはこういうものか。

「あんたどうするんだ?」

 魔理沙が俺に言った。

「え? 何がですか?」

「里まで戻るんだったら送ってくけどってこと。ここにひとりでいてもしょうがないだろ?」

 あぁそういうことか。確かに二人が出て行くのに自分ひとりだけここに残るのも変な話だ。別に部屋を漁りたいわけでは……ないない。

「じゃあ、里までお願いしてもいいですか?」

「はいよ。んじゃさっそく出発しようぜ」

 湯飲みやお菓子を片してから揃って外に出た。だが外に出たはいいものの、送るというのはどうするのだろうか。二人とも手ぶらだし、車や飛行機の類いはない。緑色の人型機械もダンボールの車も見当たらない。これはまさか。

(俺を抱えて飛んだでいく……? おんぶか!? まさかお姫様抱っこ!? いやいや俺がされる方になってどうする。むしろ俺が抱っこするからこううまいこと飛んでもらって……)

 魔理沙が悶々と悩む俺の顔を覗きこんできた。

「どうかしたのか?」

「い、いや別に!」

「ふーん、まぁいいや。よっと」

 魔理沙が自分の帽子を取り、逆さにして手をなかにつっこんだ。そのまま手を引っこ抜くと同時に、帽子から生えるように竹箒が飛び出してきた。

 俺が驚いて目を丸くしていると、魔理沙が面白そうに笑った。

「なんだ、魔法見るの初めてか? って言っても、こんなの大したことないけどな。似たようなことだったら霊夢も出来るし」

「私のはそんな収納箱みたいに便利なもんじゃないけどね。ただ空間繋ぐだけだし」

 魔理沙が箒にまたがって親指で後ろを指した。

「乗ってくれ」

「乗るって、その箒に?」

「当たり前だろ」

「あ、いや、俺そういうのに乗ったことがないから……」

 魔理沙の箒に乗れるのは飛び上がるほど嬉しい。だがいざそれに乗るとなると、嬉しさよりも恐さの方が勝ってしまう。

 俺は子供のときに読んだ空想科学読本を思い出していた。魔女の宅急便のキキは、箒に乗るとき下方向にものすごい力が加えられているとかなんとか。股が裂けるというのは本当なのだろうか。

「だーいじょうぶだって。箒のどっかに触ってれば落ちる心配なんてないよ。なんなら私の肩にでも掴まってな」

 か、か、肩……ッ!

「あ……は、はい……」

 どもりながらなんとか頷いて、箒に近づいていった。

 ごくり、と生唾を飲み込み、覚悟を決めて箒に跨がる。箒の柄を手で握ったとたん、危うくバランスを崩しそうになった。躓いたとかそういうことではなく、予想していなかったことが起こったからだ。

(体が、浮いてる!?)

 箒を握った手を支点に、両足が地面から離れたまま宙に浮いているのだ。さながらあん馬をする体操選手のようだが、俺にそんな筋力もスキルもない。奇妙な浮遊感に胃のあたりがきゅっと縮む。

「乗ったか? 荷物は膝のとこで落とさないように抱えといてくれ」

 もたもたしてはいられない。俺はまごつきながらも体勢を整え、大丈夫です、と答えた。魔理沙の背中が目の前にある。三角帽子からこぼれた髪がゆらゆらと揺れている。

「んじゃ行くぜ。振り落とされるなよ」

 え? と聞き返す間もなく。ぐん、という衝撃と共に箒が空へ文字通り発射していった。

(ぐぉぉぉぉぉぉ――ッ!!!)

 声を上げなかったのは魔理沙や霊夢に悲鳴を聞かれたくないという思いがどこかであったからだ。

 風が唸りをあげて耳の横を過ぎ去っていく。風呂敷を抱えて落とさないように背中を丸くする。魔理沙が壁になってくれているお陰でほとんど体に風が当たらないのがせめてもの救いだ。

 箒はぐんぐんと高度を上げていき、ほどなく上昇が止まる。俺は顔を上げた。

 目の前に広がるのはどこまでも続く青色。遠くには雲がかかった大きな山が見える。眼下には森や平地が遥か下方に広がっていた。傾き始めた太陽が、煌々と世界を照らしている。

「――――」

 俺は今の状況を忘れ、その景色に見入った。

 ようやく実感した。目で見て、肌で感じたこの場所が、幻想郷なのだと。

 恐怖も不安も何もかも吹き飛んで、俺は全身で幻想郷を感じている。色、音、風、匂い、頬に当たるこそばゆい感触……。

 ん? 俺は改めて前に向き直り、その感触の正体に気が付いた。

 髪。魔理沙の金髪。それが風でばさばさと乱れ、俺の顔面を鞭のように打ち付けている。柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐった。シャンプーの匂いだろうか。

 体が硬直する。しかし鼻だけはしきりに空気を吸っている。

 違う。決して自分から顔を擦り付けて匂いを嗅いでいるわけではない。これは不可抗力なんだ。

「大丈夫かー? 危なかったら私に掴まれよー」

「あ、は、はい!」

 肩越しに掛けられた声に返事をする。掴まれ、と言われても女子の肩に気軽に触れないヘタレだが。彼女いない歴=年齢なんだから仕方ない。

 いつもだったらよっぽどの必要がない限り異性に自分から触ることはありえない。だが……だが……ッ! 目の前にいるのはあの魔理沙だ。今触らないと俺は一生後悔する。死ぬ間際に思い出して悶え苦しむ。

 俺は決意を固め、右手をゆっくり伸ばした。左手は流石に箒の柄を持っていなければ不安だ。すっと俺の右手が魔理沙の右肩に乗る。布の感触。女の子独特の柔らかい弾力。

 あぁ――幻想郷はここにある――。

「どうかしましたか?」

「!?」

 横を見ると怪訝な顔で霊夢が俺を見つめていた。いったいどういう理屈か、体ひとつで空を飛ぶ姿というのは常軌を逸しているとしか言いようがないが、彼女にとってはごく当たり前のことのようだ。平然とした顔で魔理沙の横を並走している。

「な、なんでもないです」

「そうですか? すっごい笑顔でしたけど」

「え!? あ、あはは、こうやって初めて空を飛べたんで感動してるんですよ、はは」

「あー、普通の人からすればそうですよね。なかなか経験できることでもないし」

 俺はほっと胸を撫で下ろした。どうやら気付かれてはないようだ。霊夢が優しく微笑みかける。

「でも結構精神が強いんですね。いきなりこんな高さに連れてこられたのに笑ってられるなんて」

 愛想笑いを返しながら、申し訳ない気分になった。霊夢は俺のことを気遣ってくれているというのに、俺ときたら……。

 俺が自己嫌悪に苛まれ始めたとき、霊夢と反対側から声がした。

「はいみなさーん、こっち向いてくださーい」

 思わず顔を向けると、カシャ、という音が風にまぎれて聞こえてきた。

 そこにはカメラのファインダー越しにこちらを覗きこむ少女がいた。ピッタリと速度を合わせて横に張り付いている。勿論俺には誰だか一瞬で分かった。

 幻想郷のブン屋――射命丸文。

 セミロングの黒髪。片目を瞑りカメラを構えた表情は無邪気な笑みを浮かべている。黒いリボンを胸元で結んだ半袖の白いシャツと、フリルのついた黒いミニスカート。ぱっと見は学生の制服に近い。頭には山伏が着用するような帽子をつけ、足に履いた赤い靴の底は一本下駄のように飛び出している。背中からは彼女の生まれを象徴する真っ黒な羽が一対伸びており、空中を優雅に羽ばたいている。もっとばさばさと動かしているのかと思ったが、羽の動きはいたって悠然として軽やかだ。服も霊夢や魔理沙にくらべてほとんどはためいていない所を見ると、おそらく飛ぶという行為は羽によるものではないのだろう。

 そもそも人の体格に対してあの翼の面積では、鳥のように羽ばたいて飛ぶことは不可能だと何かで読んだことがある。妖怪と人とを比べるのはおかしいかもしれないが、実際文の飛ぶ姿は鳥のそれとも人力飛行のものとも違う。風に溶け込んでいる、とでもいうのか。その姿はいたって自然体で、むしろ気持ち良さそうにさえ思える。さすがは風を操る程度の能力を有する天狗ということか。

「どうしたんだ?」

 魔理沙が速度を落としながら尋ねた。文がカメラを外し、俺の方をちらと見た。

「いえ、何やら興味深いお客様が見えてると小耳に挟んだもので」

 どうやら俺のことらしい。動き始めてまだ初日だというのに耳聡い。しかしこれは……まずいな。

 なるべく目立たずひっそりと行動しようと思っていたのに新聞なんかに載せられてしまっては元も子もない。

 俺は気付かないフリをして顔を反対側に逸らした。だが――。

「ですからね、すこーし取材をさせていただきたいな、と思いまして」

 にゅっと、俺の視線を遮るように文の顔が上から伸びてきた。いつの間に移動したのか。

「え、えーと……俺なんかのことを取材しても何もおもしろくないと思うんですけど」

「何をおっしゃいますか! 妹紅さんの服を着た謎の風来人というだけで十分記事になりますよ! で、お名前は? 年齢は? 身長体重、職業、ご家族、趣味、座右の銘――」

 だんだんと近づいてくる文の顔に気圧されていると、霊夢が声をあげた。

「ちょっと文、その人はうちの大事な参拝客なんだから失礼なことしないでよ」

 文は特に気分を害した様子もなく「はーい」と返事して俺から遠ざかった。だが離れる気はないようで、素知らぬ顔で横を飛んでいる。俺に向けられる好奇の目からは『後で聞きますので』という意思がびんびんに伝わってくる。

 霊夢が申し訳なさそうに微笑んだ。

「すみません、あの子は射名丸文って言って、新聞屋をしているんです。記事のネタを探して毎日あっちこっちに飛び回ってて、悪い子じゃないんですけど取材が行き過ぎることがあるというか……」

「あ、いえ、俺は平気ですから」

 首を横に振って答える。文に会えたことは純粋に嬉しいことだし、興味を持たれているというのも悪い気はしない。新聞に載ることを除けば、取材にだって協力してあげたいくらいだ。

「なぁ文ー」

 魔理沙が言った。

「最近里で子供が消えてる事件があるらしいんだけど、何か知らないか?」

「子供が? いえ、私は何も聞いてないですね」

「そっか。でも文まで知らないとなると、本当にそんな事件が起こってるのかね」

「俺は話に聞いただけなので……すみません」

 謝ると、霊夢が気遣うように笑い掛けてきた。

「別に何事もなければそれでいいんですよ。平穏が一番ですから。ちょうどそろそろ里に顔を出そうと思ってたところだし、事情を聞くのはそのついでってことで」

「……ありがとうございます」

 霊夢の言葉に胸があたたかくなる。俺が自分を責めないように自然にフォローを入れてくれる。それが嬉しい反面、気を遣わせてしまって申し訳ないと思う。

「魔理沙さん魔理沙さん」

 文がひそひそと魔理沙に言った。風下だからか、その声はよく聞こえる。

「なんだ?」

「霊夢さんがいつになく優しい気がするんですが、どうかしたんですか?」

「あぁ、後ろのこいつが物好きにも賽銭を入れてさ。それも万札。そっからはもう賓客扱いよ」

「なるほど、納得です。でもいくら貧窮にあえいで日がな一日を野草で食いつなぐ霊夢さんとはいえ博霊の巫女ですよ? 金銭になびくというのはいささか欲心が過ぎませんかねぇ」

「いやまったく。おかゆを食べるのが勿体ないって言って毎日水で薄めながら四日はもたせる霊夢とはいえ博麗の巫女なんだけどな」

「あ、そうだ。五百円あげるって言えば恥ずかしいポーズとかとってくれたりしないですかね? ちょうど見出しにキャッチーな写真が欲しかったんですよ」

 ゴンッ! ゴンッ!

 どこから取り出したのか、霊夢が御幣を片手に二人の頭を殴打した。鈍い音はその痛さを物語っていた。

「さっきから聞いてれば好き勝手言って――人を何だと思ってんのよ!」

 霊夢が目を三角にして声を荒げる。叩かれた二人は顔を歪ませて頭をさすりながら。

「金に目がない銭ゲバ」

「貧乏性をこじらせた貧困巫女」

「……よしわかった。あんた達歯ぁ食いしばりなさい」

 袖をまくって(まくる意味があるのか)ものすごい剣幕で二人を睨みつける霊夢。

 もしかしたらここで弾幕バトルでも始まってしまうかと思ったが、さすがに俺のことを気に掛けたのかそこまではしなかった。なおも言い合いを続ける三人を俺は眺める。霊夢たちの掛け合いは言い争ってはいても仲の良さが伝わってくる。

「ん? どうしました?」

 文がこちらを見て聞いてきた。

「な、何がですか?」

「いえ、こんな状況だというのに楽しそうな顔をしてましたので」

 いかん。また知らず知らずのうちに頬が緩んでいたようだ。自制しなければ変人扱いされかねない。ましてや文がいては幻想郷中にあらぬ噂が知れ渡ってしまう。

「あ、その……仲がよくて羨ましいなぁ、と」

 答えると文はニヤニヤと霊夢を見やった。

「だ、そうですよ?」

「べ、別にそこまで仲がいいってわけじゃないし。ていうか魔理沙が最初に言い出したのが悪いんだし」

 顔を背けてしどろもどろに霊夢が言った。照れ隠しなのがバレバレである。レイマリというのは素晴らしい。

「もう里に着くから降りる準備しときなさい。寺小屋に行って直接慧音に聞くわよ」

 魔理沙にそう告げると、霊夢はひとり高度を落としていった。その姿を見て魔理沙と文が笑みを浮かべる。

「んじゃ行きますかね」

「えぇ」

 当然のように頷いた文を魔理沙が見た。

「なんだ? ついてくるのか?」

「いけませんか? 里の事件も気になりますし、それに――」

 文が意味ありげに俺を流し見る。

「取材対象にまだインタビューできていませんので」

「ふーん。まぁ私はどっちでもいいんだが、それなら本人に許可をとった方がいいんじゃないか?」

 親指で俺の方をくいっと指さす。文が俺の顔をまっすぐ見据えた。

「では改めまして。同行取材の許可をいただけますか?」

 どこか少女っぽさの残る凜とした表情。取材を許可するということは、俺の素性がバレるリスクが高まってしまうということ。それはわかってる。だけど。

 射名丸文に取材を頼まれて、断れるわけがない。

「は、はい」

 俺は俯き気味に小さく返事をした。

 カシャ。

 一瞬でカメラを構えた文がシャッターを切った。

「ちょっと笑ってくれませんか?」

 レンズ越しに文が言った。本当に徹底するのなら写真は断るべきだし、そもそも撮られることもあまり好きではなかったのだが、この瞬間はそんなこと頭のなかから消え去っていた。

 カシャ。

「ちょっとぎこちないですが、まぁ良しとしましょう」

 こちとら普通の一般人だ。そんな俳優みたいに表情を作ったりできるわけがない。

 でもまぁ、写真を撮られて嬉しいという感覚は、ずいぶんと久しぶりな気がする。小学生くらいまでは家族で写真を撮ったりしていた。いつぐらいからだろう。一緒に映りたくないと思いだしたのは。

 魔理沙が高度と速度を落とし始めた。先の方に里らしき集落が見えた。神社への道程は遠く感じたが、飛んでくるとあっという間だった。時計がないから正確にはわからないが、二十分もかかっていないように思う。

 この空の旅が終わってしまう前に、俺は視界いっぱいに広がる幻想郷の景色を忘れないように、改めて網膜に焼き付けた。

 

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