銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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宇宙暦801年/新帝国暦3年 ジュースマイヤーの交響曲
二輪の薔薇(ローゼ)


 新軍務尚書にウォルフガンク・ミッターマイヤー元帥を任命する。

宇宙艦隊司令長官は当面、同人が兼任とする。

 

 統帥本部総長にエルネスト・メックリンガー元帥を任命する。

 

 イゼルローン共和政府の、要塞返還に伴う人員輸送作戦に、

アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥を任命する。

 

 ウルリッヒ・ケスラー元帥は、憲兵総監に留任する。

 

 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト元帥は、

新帝都フェザーンの駐留艦隊司令官として任命する。

併せて、建設中の影の城、三元帥の城要塞の警護も命ずる。

 

 旧帝都オーディーンを大公アレクサンデル・ジークフリードの直轄領とする。

エルンスト・フォン・アイゼナッハ、ナイトハルト・ミュラーの両元帥を、

駐留艦隊司令官として任命する。双方、協議のうえ任務に当たるべし。

 

新帝国暦三年八月十日 

銀河帝国摂政皇太后 

ヒルデガルド・フォン・ローエングラム

 

 これが全宇宙に布告された、帝国軍の新体制であった。そして、イゼルローン要塞返還の責任者のワーレンの下へ、帝国軍の監視部隊から質問や報告が相次いだ。

 

 ワーレンを驚き呆れさせたのは、未だに監視部隊が要塞周辺宙域に展開中であり、イゼルローン軍からの再三の入港の勧めにも、保留の返事をしているということだった。

 

「卿らは今まで何をしていたのだ」

 

 ことさらに声を張り上げての叱責ではなかったが、剛毅な歴戦の名将の問いは、若手の将官らにとって堪えるものであった。

 

「しかしながら、イゼルローン要塞の主砲と要塞砲台の機能は健在です。

 イゼルローン軍が、双方の射程を外れた安全経路を提示してきたものの、

 正しいか否かの検証もできておりません」

 

 超光速通信の向こう側で、冷や汗交じりに弁明する青年の階級は中将だった。

 

「イゼルローン側は、信用できぬなら第九次攻略戦の際、

 見事だった包囲軍の艦隊運動と比較検証しても構わぬとのことです。

 しかし……」

 

 言葉を濁す中将に、ワーレンもまた苦い顔になった。かつての雄敵にこんな指摘を受けるとは、帝国軍の鼎の軽重(かなえのけいちょう)を問われたも同然だった。それが、核心を突いている事実であることも。

 

 あの攻略戦に参加した、ロイエンタール、ルッツの両元帥とレンネンカンプ上級大将は既に天上(ヴァルハラ)の門をくぐった。しかも全員が宇宙ではなく、地上で息絶えている。彼らの旗艦は各所に係留中で、イゼルローン攻略時のデータがどうなっているのか、すぐには調査ができないだろう。

 

 そのデータを集約、記録するはずの軍務省も、この人事などのために上に下への大騒ぎだった。イゼルローン政府は第一陣がハイネセンへの帰路につき、残る人員は十万人程度であろう。皇帝ラインハルトの崩御、軍務尚書オーベルシュタインの暗殺という状況の中で、後回しにされてしまうものが必ず発生する。それが、この事態をもたらしているのだ。

 

「そのような迂遠なことをしている余裕はない。

 こちらに彼らの軍司令官が賓客として滞在し、

 恩讐を越えて地球教徒のテロの制圧に大きな協力をしてくれたのだ。

 今後、国交を結ぶ国家に対し、信を置かずしてこの帝国が成り立つと思うか。

 あちらの指示に従い、早急に入港せよ。そして、要塞内での武力行使を厳に禁ずる。よいな」

 

 この三月の回廊の戦いで、彼の艦隊は雷神の槌(トゥールハンマー)によって大きな被害を被った。それでありながら、決断を下したワーレンの剛毅さに、相手は反論の言葉を失った。

 

「は、了解しました」

 

 額を汗に濡らした中将は、敬礼をして通信を終えた。だが、彼にしても寄るべき大樹が見つかり、叱責にさえほっとしている様子だった。彼よりも十歳は若いだろう、イゼルローンの中尉が背負ったものの重さに耐えているのに、何という差であることか。

 

 その日の内に、帝国軍がイゼルローンに入港を完了したという報告が入った。ようやく通信画面を介さずに、帝国軍責任者とイゼルローン軍の司令官代理が交渉できるようになった。途端にフェザーンにむかって、要塞事務監キャゼルヌと軍司令官代理アッテンボロ-両中将からの、計画書と質問書が送られた。

 

 艦隊の準備をする多忙なワーレンだったが、その簡潔にして要所を見事に押さえた書面に、感嘆せざるを得なかった。念の入ったことに、同盟語と帝国語双方の文書が提出され、内容に虚偽のないことを明示している。計画に変更を要するのならば、協議のうえ、双方が書面を取り交わすといういうことだった。軍務省にも確認をさせたが、ケチのつけようも、下手な変更もしようもない完成度だった。

 

 一点、気になったのは、人員の輸送に現存している戦艦を使用してよいか、というものだ。治安のため、そして独立が認められたバーラト星系にとって、惑星を防衛できる程度の戦力は将来的に必要であった。イゼルローン政府が保有していた一万隻弱の艦艇のうち、四割以上が撃沈又は大破している。さらに、ハイネセンまでの航行に耐えられるのは、残存数の三割以下だろう。その中で状態と機能のよい船を千隻選抜し、運用人数を割り振れば、一回で退去が完了できる。これが最も経済的な方法であると、民間の輸送船を使用した場合の費用試算もついている。

 

「念の入ったものだな。彼らも同じく中将だったが」

 

 ワーレンは人工の左手で口元を押さえた。いや、中将が担うべき職責は本来はこれほどの重みがあるはずだ。要塞への入港の判断もできず、責任も負えない者たちにふさわしいものだろうか。軍務尚書と宇宙艦隊司令長官を兼任するミッターマイヤーに、上申すべき問題だ。

 

「しかも、アッテンボロー中将は、旗艦の戦術コンピュータのデータを

 開示するとまで言うのか」

 

 ヤン・ウェンリーの腹心、魔術師の左手。帝国軍は、その陽動(ミズディレクション)に何度となく騙された。もしも同盟軍に充分な艦艇が残っていたら、新設艦隊の司令官になれた将帥だった。ヤンの戦術思想にもっとも近く、だが彼よりも攻守のバランスがいい。もしも彼が一個艦隊を率いていたら、バーミリオン会戦は停戦命令以前に終了し、ローエングラム朝は創立することはなかったかもしれない。

 

 数々の激戦を戦い抜いた艦艇への愛着は、誰もが抱く。皇帝ラインハルトも純白の美姫、ブリュンヒルトをこよなく愛した。ヤン・ウェンリーのヒューベリオンは、『高みを行く者』という神話の由来が、かの智将になんと似つかわしいものだったか。

 

 ユリアン・ミンツが語ったところによると、アッテンボロー中将の旗艦は、元々はヤンの新旗艦として配置されたらしい。ヤンは、『見栄えのいい船は、乗るよりも鑑賞した方がいい』と言って、後輩に譲ったそうだ。乗りなれた船から、機能を移転させるのが面倒くさかっただけではと、ポプラン中佐は語った。その遠慮のない親しみに溢れた口調から、ヤンが皆に慕われていたことがうかがえる。

 

 とにかく、アッテンボローの船であるトリグラフは、同盟末期の傑作だった。武装解除のために爆沈処理をするのなら、せめて頭脳だけでも残しておきたいというのは理解できた。いずれにしても、イゼルローン回廊の狭隘(きょうあい)な宙域で、五千隻強の艦艇を爆破させるわけにもいかない。

 

 これからは戦場としてではなく、帝国本土と新領土を結ぶ航路としての役割が重要になってくる。前年の回廊決戦、半年前の戦いの残骸処理も不十分なのに、これ以上障害物が増えるのは非常にまずい。どこかに移動させなくてはならないし、だったらハイネセンまでの輸送に使えばいいだろうという事だ。ヤンを欠いても戦い抜き、先帝から講和をもぎ取った彼らは、したたかでしなやかな人間たちだった。

 

 こちらに滞在しているイゼルローンの青年らは、ヒルダやアンネローゼとも語らいを重ね、二人の女性の哀しみはわずかでも薄らいだようだ。

 

 特に、アンネローゼは即刻膠原病の抗体検査を受けた。結果は、治療するほどではないが要経過観察というもので、帝国首脳部を大いに安堵させた。彼女には、皇帝の姉として義妹と甥を支えて欲しい。可能ならば結婚して、子供を設けることもだ。

 

 もう、あなたは、フルードリヒ四世の寵姫、皇帝ラインハルトの姉ではありません。そんな肩書きではない、ただのアンネローゼ殿下として、自由になってください。薄い紅茶色の髪とタンザナイトの瞳の美少女が、黄金と青玉の佳人に伝えた。

 

 彼女の母は、若くして彼女を生み、アンネローゼとさほど変わらぬ年齢で病死したという。弟によく似た、だがより繊細で透き通るように美しい女性は、白磁のような頬を濡らした。いつもの哀しいほどに美しい微笑みではなく、想いを露わにした涙であった。

 

「そんなことが許されるのでしょうか。

 わたしがいたから多くの人が亡くなりました。

 あなたたちの国を滅ぼしたのは、わたしの弟なのです」

 

「それは大公妃殿下が、皇帝ラインハルトにそうしてくださいと頼んだんですか」

 

 カリンの問いかけに、アンネローゼは息を呑んだ。

 

「まさか、そんなこと……」 

 

「同盟だったら、大人が自分の意志でやったことに親兄弟の責任は問えませんけど」

 

「でも、ラインハルトをああしてしまったのは、わたしのせいです。

 そして、ジークが亡くなったのも……」

 

「そうですね。そうお思いになるのは大公妃殿下の自由です」

 

 カリンはあえてそっけない口調で賛同した。

 

「宇宙を征服したもの皇帝ラインハルトの思想の自由だし、

 親友を庇って亡くなったのも、キルヒアイス元帥の思想の自由。

 何人なりとも心は自由だというのが、ヤン提督のお考えでした。

 誰にも考えを押し付けられるものではないし、誰かに押し付けられた考えでは、

 自分の考えじゃない。そういうことですよね、ミンツ中尉?」

 

「そういう意味だと僕は思っています」

 

 恋人の口調の鋭さに、ユリアンははらはらしながら相槌を打った。

 

「私の言葉で変わるなら、それは殿下のお考えじゃないのでしょう。

 何が言いたいのかといいますと、好きなだけ悩んで好きに生きたらいいの。

 隊長が言うように、幸せにならない自由だってあるんだし。

 お金の心配をしなくていい分だけ、殿下の不幸はましなほうだと思いますけど」

 

 それは、アンネローゼを取り巻いていた、哀しみの氷に(ひび)をいれる(たがね)の一撃だった。いままでの自分は、悲しみ、弟を案じながら、一方で拒絶をしていた。

 

 許せなかったから。自分の手紙が、弟がジークを疎んじて、死に追いやる結果となった。彼が憎んだフリードリヒ四世は、アンネローゼを庇護し、弟たちに栄達への(きざはし)を与えた恩人だった。あのままでは、遠からずミューゼル家の家計は破綻し、自分は身を売ることになっただろう。形を異にして、より劣悪な状態で。

 

 弟の野心を感じていた。止めることも、方向を変えることもできなかった。そんな自分を、この世の誰よりも赦すことはできなかった。

 

 世間との関わりを絶ち、あの山荘で朽ちてゆくのが自分に相応しいのだと思った。だが、下町で暮らしたあの頃。父と弟がいて、隣には赤毛の優しい少年がいた日々に、何もせずに衣食住に不自由がなかった? 

 

 いいえ、それは違う。電気代にも事欠いて、真っ暗な夜に怯えるラインハルトを、抱きしめて慰めた。いつの間にか、その困窮を忘れていた。そして、宇宙にはそんな人は大勢いる。自分の不幸を相対化できず、絶対化してしまう。それが自分と弟と父に共通する愚かさなのか。

 

 涙さえ止まり、美しい彫像のように無表情のアンネローゼを前に、ユリアンは心底肝が冷えた。カリンの袖をそっと引っ張ったが、すげなく払われる。

 

「大公妃殿下、私に言えるのはそれだけです。ひどいことを言って、ごめんなさい」

 

「いいのです。ありがとう、カリンさん。

 わたしも考えてみようと思います。今までのことも、これからのことも。

 まだ、わたしになにか出来ることがあるのなら……」

 

「妃殿下には出来ないことの方が少ないでしょう、きっと」

 

 カリンはそう言うと、立ちあがって敬礼した。ユリアンも仕方なくそれに続き、応接室を退出した。競歩選手のような足取りは、彼女が怒っている証拠だ。しかし、ユリアンとしてもあれはきつすぎるのではないかと思うのだ。

 

「カリン、きみはちょっと言いすぎじゃないのかな」

 

「だったら、あのひとは、いつまでかわいそうな大公妃殿下でいればいいの?」

 

 静かだが鋭い問いであった。

 

「本人が好きで選ぶんならそれでもいいわよ。

 周りがそう扱うから、好きな生き方ができないなんて、あんまりじゃない」

 

 青年は愕然とした。少女が怒っていたのは、彼女にそうさせていたのかも知れない、周囲に対してだった。

 

「皇帝ラインハルトは、思うままに生きて宇宙を征服したでしょう。

 彼の姉だから、その原因だから、遠慮しなくちゃならないなんておかしいわ。

 人にはみんな自由に生きる権利があると学校で教わったけど、

 帝国では、皇帝陛下でもないかぎり、そんな自由はないのよね?」

 

 輝きを増す一対の青紫の宝玉。もとから美しい少女だが、この時に浮かべたのは凄艶といっていい表情だった。

 

「それを許せなかったから、ヤン提督は戦い抜いたんでしょう。

 だから、私達だって後を継いだわ。

 沢山の人の命と引き換えにして、ようやく自治を勝ち取ったけど、

 自分だけよければ、よその国はどうでもいいの?

 内政干渉になっちゃうから、帝国のことは帝国に任せるべきなの?

 でも、なぜ大公妃殿下に、あなたは自由よと誰も言ってあげないの?」

 

 迫力に呑まれ、羅列された疑問に返す言葉がなかった。

 

「私が言ったところで、本当の自由なんてないのはわかってるわ。

 だって、宇宙で二番目に高貴な女性なんだもの。

 でも、あんなに血を流した結果がこれなの?

 あの人は、十五歳からこれまでの代償を、この先五十年も六十年も支払うの?

 私だったら、絶対に我慢できない」

 

 カリンは、優雅に顎をそびやかした。形の良い唇が紡いだのは、流暢な帝国語だった。

 

「どのみち、誰かがこの話をお聞きになっているのでしょう。

 それならば帝国の偉い方に、伝えていただきたいわ。

 いつまで、大公妃殿下の悲しみと優しさにつけこんでいるのかと。

 戦争の後始末を、喪服の貴婦人と赤子に押し付けるおつもりかしら。

 スカートの下の七元帥と歴史に称されることでしょう。恥を知りなさい」

 

 黒いベレーとジャケットにアイボリーのスカーフとスラックス。旧同盟軍の軍服姿の少女は、華麗なドレスを(まと)った姫君よりも威厳と迫力に満ちて、遥かに年長の高官らを叱責した。


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