さて、最年少の元帥を送り出した地にも、キャゼルヌは魔手を伸ばした。魔術師の元参謀長、ムライをフェザーン駐留事務所長として送り込んだのだ。彼の名と経歴を聞いた者は、当初その首を捻った。後方職経験もあるが、参謀畑の出身者である。
自由惑星同盟が置いていたフェザーン駐留事務所は、帝国やフェザーンの情報収集のためのものである。
しかし、帝国との国交が成立した今、主たる任務はバーラト星系共和自治領の住人が、フェザーンで活動するための支援である。たとえば、旅券や査証の取得や更新、国際法に基づく届出の受理、銀河帝国との事務レベルの折衝だ。そこに後方専門ではない元軍人、ヤン・ウェンリーの幕僚を配して仕事になるのかと。
あるいは、名誉職としてかも知れぬ。そう思ったのだが、これは大きな誤りだった。
キャゼルヌがムライに頼んだのは、帝国軍規の定型化を促して欲しいというものだ。
「帝国軍の昇進や懲罰を調べてみると、
同じような失態を冒しても処分に随分と差がありましてね」
「ふむ、やはり皇帝の意志に、多分に左右されていたというところでしょうか」
「おっしゃるとおりだ。
例えばヤンの敗者でも、ゾンバルト少将は
ワーレン、シュタインメッツ、レンネンカンプ大将らには特に処分はない。
彼らは大将ですよ。少将よりも麾下の損害も大きかったでしょうに。
加害者がこんなことを言うのもなんですが、補給はたしかに重要だ。
だが、兵員の命と等しい価値があるでしょうかね。
最初の敗者に厳罰を課して、後の敗者がなぜ免責されるんです?」
「困ったものですな。
法という一定の基準があって、状況に応じて加減されるのが刑罰でしょう。
君主が法ならば、より公正さが求められるだろうに。
帝国軍にも軍規はあるでしょうが、それが十全に機能していないとおっしゃるのですかな」
ムライの指摘に、キャゼルヌは頷いた。
「皇帝ラインハルトが宇宙艦隊司令長官となったのは、二十歳の時です。
彼は、フリードリヒ四世のお陰で、十五歳で少尉として任官されています。
彼を筆頭に、帝国軍首脳部には、生きて二、三階級の昇進なんていうのが珍しくありません。
若い連中が軍部を牛耳って、帝国を奪ったというのも一面の真実ではないかと」
「それでは、軍の後方や人事のトップである、統帥本部総長の力量が試されますな。
メックリンガー元帥は、参謀型の有能な将帥でしたな。
それゆえに、ヤン提督の情報戦に引いてくれました。冷静な人物でしょう」
「彼には芸術家提督という渾名があるそうでしてね。
たしかに、彼の手記を読むと文筆家としてはなかなかなのでしょう。だが」
「あるいは批評家的に過ぎ、先帝の後任の人事統括者としては、
前線型の軍人の抑えとして弱いといったところでしょうか」
「そのとおりです。さすがは元参謀長殿でいらっしゃる。
なるべく早く、人事評価制度を導入しないと帝国軍は割れますよ。
もう一戦ごとに昇進する時代ではない。年次昇進ということになれば、
若くして出世できた者、それに乗れなかった者の差ができる。
同じような年齢で、同じように仕事をしていて、
階級も給料も大きく違うのでは納得ができないはずだ」
「そうですな。
そして、皇太后が軍の人事を動かすのは避けるべきでしょう。
皇帝ラインハルトの裁定ならば否やはなくとも、皇太后はその秘書官だった女性です。
先帝に近しい者なら、彼女の価値を知っているでしょうが、それは限られた高官だ。
帝国の女性観などを考えると、手放しで賛美する一般兵がどれほどいることか」
キャゼルヌは再び頷いた。
「フェザーンには、皇帝ラインハルトの特に熱烈な信奉者が集っています。
だが、帝国本土の、戦争との関わりが少ない人々がどう考えるか。
敵ながら天晴れでも、味方なら許せない、そういう事態も多々あります。
同国人が言えないことを言えるのが、元敵の異国人の強みですからな」
「やれやれ、私はまた単身赴任というわけですな。
ユーフォニアが再開する運びとなったそうで、家内も呼び戻されたのですよ」
ムライ夫人は、ハイネセン屈指の高級ホテル、ホテル・ユーフォニアの製菓部門長だった。バーラト星系の自治を認められたことにより、新領土総督府などとして帝国軍に接収された建物が返還された。その多くは、本業を再開するのである。
「それは、お祝いを申し上げるべきか、謝罪をすべきかわかりませんな。
アッテンボローとシェーンコップ中将と、ポプランを押さえこんだ、あなたが頼りです。
連中の背筋に定規を通してやってください」
「まったく、それを理由にされるとは困ったものだ。
ということは、帝国軍にもああいう者がいると言うわけですか」
「ええ、高い場所に声と態度の大きい者がね。
たしか、彼もヤンと同い年だったようですな」
ムライは深々と溜息をついた。
「努力はしましょう」
「よろしくお願いします。くれぐれもお気をつけて」
ムライが率いる駐留事務所の職員には、警備役として元
主任として敬礼した、脱色した麦藁色の髪に、ブルーグリーンの瞳の青年を見て、ムライは納得した。
「なるほど、リンツ大佐ならば、人の顔を見分けるのにも長けているということか」
「そういうわけではありませんが、このメンバーは帝国語の達者な連中を揃えました。
自分もそうですが、生まれてから亡命をしてきた者たちです。
帝国本土の縁者を覚えている者もおります。連絡を取れれば、情報源になるとも思いまして」
「たしかにいい考えだ。ちょっとした時事のやりとりにもヒントはある。
本来、フェザーンは通商の惑星だから、人の流れも情報も守りにくいのだよ。
その帝都守備艦隊司令官というのは、重大な役割なのだが……」
「ああ、明らかに手元で暴走しそうな奴を監視しようって感じですからね。
ほら、帰還兵輸送にヤン提督がポプランを連れていらしたのは、そういう理由でしょう」
「彼にはミンツ元中尉もなついていたからだろう。
ヤン提督も、彼が同年代の子どもと離れたのを気にしておられたんだよ。
帝都守備司令官については、安易な論評は避けておくとしよう。
それはそうと、怪我はもういいのかね」
リンツは逞しい左腕を持ちあげ、上腕部を右手で叩いた。
「このとおり、完治しました。もう半年以上前ですからね。
俺たちも食っていかなければなりませんが、結局就職先は警備関連でしてね。
帝国に統一されたとはいえ、なかなか厳しい採用状況なんですよ」
ムライは表情を曇らせた。宇宙が統一されても、人の心が統一されるには遥かに時間がかかる。あるいは、この王朝がその前に終わってしまうのかもしれない。
「そういうことか。では、よろしく頼む」
ムライは敬礼の代わりに頭を下げた。リンツも同じ動作で応じるが、どうもぎこちない。しかし、軍服を脱いだのだから、それに応じた振舞いをすべきなのだろう。
三年と少し前、帝国のフェザーン侵攻で差し押さえられた旧同盟の駐留事務所。返還されてから、キャゼルヌの手配ですっかり改装や機器什器の入れ替えがなされ、旅行者のための施設に生まれ変わっている。不特定多数の人間が出入りするようになるので、警備の機器は最新最高のものが導入されている。
リンツらは、フェザーンに来る道々、その手引書を読んで運用マニュアルの叩き台を作って過ごした。彼らも、イゼルローンの経験ですっかり書類仕事が身についていたのだった。
ムライのほうは、新たに制定された旅券法と国際法の講義を、同行していた職員らから受けていた。法案は可決され、施行が始まったが、今後不具合が出てきたら法改正や施行規則等の発令で対応せねばならぬ。なにしろ、約千年ぶりに歴史の埃の下から引きずり出された法律なのだ。これも見守り育てていかなければならないだろう。バーラト星系共和自治領と同様に。
法律とは人を守るためのもの、時代に応じて変化する生き物なのだから。
その傍ら、ムライは帝国軍法と旧同盟軍基本法を読んでみた。政府主席となった、フレデリカ・
それだけ、皇帝ラインハルトの戦略を先読みできた人だったのだが、職分を遵守するかぎり、絶対に先手を打てないというジレンマがついて回ったのだ。さぞ辛かったことだろう。
だから、対症療法として、法的にケチのつけようもない準備をするしかなかったのだ。文民統制からの逸脱、それはルドルフへの道。イゼルローンを味方の血を流さずに攻略した、あの魔術が帝国逆進攻への呼び水となってしまった。政府の決定に逆らう事はできなかった、同盟軍の艦隊司令官たち。当時はまだ十個艦隊が健在だった。
もしも、とムライは苦く考える。本当にドワイト・グリーンヒル大将が同盟の将来を憂いて、クーデターを起こすのなら、あの時にやるべきだったのだ。
だが、彼はあの時ロボス元帥の参謀長だった。アンドリュー・フォーク准将の愚策を退けることも、ロボスをよく補佐することもできなかったのに、引責人事の最中にクーデターを引き起こした。
ローエングラム候の入れ知恵を受けた、アーサー・リンチの扇動によるものだったが、呆れ果ててしまう。自分の娘の上官が誰で、どうして英雄となる切っ掛けとなったのか、まだ八年前のことではないか。
そして、娘は父より彼を選び、彼は彼女を守り抜いた。義父だった男の汚名を、自らの令名をもって塗り潰してしまった。親の罪は子供には無関係、それが民主制の刑法の基本。だからこそ、法に、文民統制にこだわったのではないかと、ムライは考える。
ルドルフのごとき超人になるより、愛する女性のために凡人を選ぶ。そんな生き方のほうが、あの優しいのんびり屋の青年には似合っていた。彼が昼寝をしていられるのが、イゼルローンでは平穏無事の象徴だった。立場上、ムライは厳しく咎めたが、ヤンの給料泥棒の日々が続くことを願っていた。
彼の眠りは二度と覚めない。ならば、その眠りの安からんことを。生き残った者として、まだ力を尽くせるのならば。
「
それでもないよりはましだろう。型通りの常識論しか示せなくても。
だが、ムライの懸念は斜め上に突き破られた。バーラト自治領からの商人は変わらず多い。彼らからの苦情が、山積みになっていたのである。フェザーンは回廊の中ほどに位置する惑星だ。もともと通商の回廊であり、惑星である。帝国の帝都としては防御力に欠ける。なので、帝国本土と新領土の出口付近に人口惑星要塞を建設中だ。この二つの要塞とフェザーンの三か所を防衛するのが、ビッテンフェルト元帥の役職である。
彼の麾下艦隊、
治安上、定時的なパトロールでは意味がないのは理解する。我々は真っ当な商人だから、臨検にも協力する。だが、麾下艦隊全部を動員するのはいかがなものか。演習ならば、宇宙中に事前通達をして、航行の規制をするのが先ではないのか。なにより、安全性に配慮をしていただきたい。我々は軍隊ではない。
寄せられた苦情を整理したスーン・スールは、げんなりとした様子だった。
「通商の道に、イゼルローン回廊の軍事行動を持ち込んだのでしょうか。
いかにも無理があるでしょうに。軍務省はなにを考えているのでしょうか」
「困ったものだが、すぐに決めつけるのもよくないだろう。
この回廊を勢力下において、まだ三年も経っていないのだからな。
しかも、頻繁に留守にしていただろう。
宙域の特性に応じた行動が、構築されていなくても不思議ではない。
地球教のテロからも、時間が経ってはいない。
最大戦力で警戒に当たるのは無理もないことだ」
「ですが、ミッターマイヤー艦隊も含めて動員しているようです。
合わせると三個艦隊ぐらいになりますね。
この回廊はイゼルローンよりも広いですが……」
ムライの眉間に皺が寄った。
「いや、それは私の想像以上の数だが、
このフェザーンと二つの要塞周辺の三か所に分散すれば、それほどではないはずだ」
「いえ、要塞が建設中で、それに携わる艦艇も多数航行しているのです。
そこに抜き打ちで三個艦隊が往来したら、航路と宙港がパンクしてしまいます。
二週間の商業用ビザで予定の日に入港できず、結果出航も間に合わなくなると、
延長申請をする商人が後を絶ちません。
商業用ビザに、一か月期間のものを制定してほしいという要望も多く寄せられています」
「そうか。この資料もよくできているが、
商人から寄せられた苦情を宙域図に表示し、
状況を整理した資料を作成するようにしてくれ。
ハイネセンの外務省に報告し、政府間で交渉すべき案件だろう。
とりあえず、三か月間の苦情の抽出でよかろう。一週間ほどでまとまるかね」
「はい、ムライ事務所長。それだけいただければ充分です」
「ではよろしく頼む」
「わかりました」
前任者の急病があったにせよ、若くして宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコックの副官に抜擢されたぐらいだ。スーン・スールは優秀で、状況に対して柔軟に対応できる。情報処理の視野も広く、堅実な正統派情報分析官であった。珍奇なのはスールズカリッターという元の苗字だけである。
ムライは、駐留事務所長の職分を弁えて、越権行為とされないように慎重に身を処した。まとめられた報告書は、バーラト星系共和自治政府の外務省へと上申され、省内で協議と裏付け調査の後に、銀河帝国の外務省に申し入れがなされた。
そして、帝都守備艦隊司令官、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト元帥が、駐留事務所長のところに怒鳴り声で通信を入れてきたのだった。
「まったく、なんと陰険なやり方だ! 文句があるのならば、直接申し入れればよかろう」
歴戦の猛将の怒声に、ムライは眉間に皺をよせ、咳払いをした。
「困ったものだ。
ビッテンフェルト元帥は、我々の職分を誤解なさっているようだが、
当事務所はバーラト星系自治共和政府の窓口に過ぎないのです。
そちらの軍事行動について、我々には制限を求める何らの権限もありません。
当方が行うべきは、バーラト星系の国民の保護です。
それを外国である銀河帝国に申し入れるのは、当政府外務省の職務になります。
帝国との省レベルでの決定は、軍務省に属する閣下が当然に従うべきものです」
イゼルローンで『歩く軍規』と呼ばれた謹厳な紳士は、見えない炭素クリスタルの定規で、怒れる猪の鼻先をぴしゃりと打ち据えた。
「それとも、閣下の申し入れは、軍務省なり統帥本部なりからの命令や指示でいらっしゃるか。
ならば当方としては、改めて本国の外務省より抗議をさせていただくよりほかありませんが」
出鼻を挫かれたその頬を、返す刀でもう一度。
「いや、命令ではない。俺個人の苦情だ」
「ならば、当方が応じる義務はありませんな。今回は不問といたしましょう。失礼する」
その声を合図に、オペレーターが間髪入れずに通信を切断した。
「これ以降、話の内容を確認し、法的根拠のない苦情ならば私に取り次がなくてよろしい。
法的に抗議する必要のある苦情なら、取り次いでくれ」
「あ、はい。
申し訳ありません、大変な剣幕でしたので、つい事務所長をお呼びしてしまいました」
恐縮する女性オペレーターに、ムライは不器用な笑みを見せていった。
「いや、今回は会話が必要だった。君が気にする必要はない。
それにしても……」
言葉を切って、眉間の皺を揉みだすムライに、娘ほどの年齢のオペレーターは言った。
「ああいう人を『天然』っていうんですよね。
本人には悪気はなくても、周りは大変でしょうね」
「どうして『天然』というんだね?」
「なにも考えずに突っ込みどころのある行動を取るっていう意味です。
一種の天性なんですが、無邪気とは違いますね」
「なるほどな、言い得て妙だ」
あの直情的な性格では、かつての司令官の格好の餌食になるはずだった。皇帝ラインハルトとビッテンフェルト元帥は、性格面で似通っているように思える。あんな調子でも憎めない奴と、行動を大目に見てもらっていたのではないか。
「だが、元帥たるもの軍法軍規を遵守してもらわねば困る。
こちらも法に則った対応を心がけなくてはならないがね」
「わかりました。ビッテンフェルト元帥に限らず、
事務所レベルでは対応できない申し入れについては、聞き取りのみ行います」
「それがよかろうな。事務職員全員に後ほど通知しよう。
取り急ぎ、通信オペレーターには君から伝達しておいてくれ」
「はい、急いで伝達しますね。ところで、先ほどの通話記録はどういたしましょう」
「なにか使い道が出てくるかもしれん。腐るものではないから保存するように」
彼女はきびきびと情報端末を操作し、通信オペレーター全員にその旨を伝える。ムライは、小さく溜息をついた。やれやれ、これは大変なことを引きうけてしまったか。
それにしても、ミッターマイヤー軍務尚書は大変だろう。いかに軍の高官であっても、本国上層部も飛び越えて、下部組織とはいえ他国に直接苦情をぶつけるとは。苦情を言うにも、しかるべきプロセスというものが存在する。
ビッテンフェルトは、フェザーンにいるのに、遠まわしに陰険なと思っているに違いない。
だが、現場と中枢の判断が異なれば、対応が
強大な銀河帝国の前には、バーラト星系共和自治領は吹けば飛ぶようなものだ。しかし、旧自由惑星同盟からの遺産に誇れるものがあるのなら、それは個人の権利と自由の平等という国是が築いた、民生と教育である。
フェザーンに来て、皇帝ラインハルトが目指し、皇太后ヒルダが受け継ごうとしているものを知った。銀河帝国の国民にそれを与えることだ。ゴールデンバウム王朝の門閥貴族制の解体は、まさしくその端緒であった。