銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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オリジナルのキャラクターが登場します。ご注意ください。


新帝国暦4年/宇宙暦802年 初夏  ふたりのメルカッツ
双頭の鷲、黄金の獅子


 メルカッツ提督の遺族に、彼の言葉を届けたい。そう言って、宿将の忠実な副官は旅立っていった。最後の戦いの傷がようやく癒えて、新政府が成立し、その国民ベルンハルト・フォン・シュナイダーとして、旅券と査証を取得して。宇宙暦802年の冬のことだった。

 

 やがて、それから半年に差し掛かろうという頃、ボリス・コーネフに託された文書がユリアンらの元に届いた。宇宙が統一されたものの、帝国本土と旧自由惑星同盟領の間には、航行不可能宙域が広がっている。かつて二つだった領土を繋ぐのは、フェザーンとイゼルローンのふたつの回廊のみ。前者にある惑星フェザーンは、新銀河帝国の帝都で、後者にあるイゼルローン要塞は、イゼルローン共和政府から帝国に返還された。

 

 双方向の情報が統一化されるのは、まだまだ先のことになるだろう。超光速通信(FTL)は、通信中継機器がなければ不可能なのである。それも、この二つの回廊で中継されねば届かないのだ。そこを支配している新帝国が、情報を野放図に自由化するはずがない。依然として、帝国本土からの生きた情報は少ないのだった。

 

 最新鋭の情報伝達手段が使えないとなると、復活するのは古式ゆかしい方法だ。文書や画像を、紙や記憶媒体で相手に運ぶ郵便である。有人宇宙の直径は一万光年。跳躍(ワープ)航行で光を追い越して飛ぶ、宇宙船が二番目に早く情報を運ぶ。これは、宇宙に二つの国家があったころは、どちらの国も自国内でやっていたことだ。国境を飛び越えて手紙を送るのは、フェザーン商人の役割だったが、そんなに需要の多い商売ではなかった。せいぜいが商取引の文書の取り交わしぐらいである。

 

 百五十年にわたって、殺し合い憎みあった。帝国から同盟に亡命するのは、命がけの難事業だった。そして、成功した者は、命と引き替えに故郷を失った。逃げた者の縁者や知人は、亡命を必死に隠し通した。純粋な情からではなく、国家反逆罪の処罰に連座させられるからだ。そうして別れた人々は、互いの消息を知るすべはなかった。

 

 二つの国は、このような歴史を持っていた。それがほぼ一つになったとはいえ、帝国本土と新領土で手紙を送るのは、軍人や役人とその家族ぐらいである。帝国全土の郵便といっても、実質的には帝国軍の輸送網の間借りだった。

 

 ベルンハルト・フォン・シュナイダーは、その手紙を帝国軍に委ねる気持ちにはなれなかったのだろう。沢山の便箋でふくらんだ封筒には、古典的な封蝋がしてあり、家紋の下には家名が読み取れた。彼が心から敬愛し、敵国に逃亡しても生を全うして欲しいと願った、メルカッツという名であった。

 

「シュナイダーさんからだ。メルカッツ提督のご家族が見つかったんだね。

 本当によかったなあ」

 

 ユリアンは手紙の差出人を見て、胸を撫で下ろした。さぞや困難なことになるだろう、と予測していたのだ。メルカッツ提督とシュナイダー大尉を迎え入れて間もなく、ヤンが仕送りができないものかと水を向けたことが功を奏したらしい。

 

 老練の名将の副官も、若き智将の副官に劣らず、優秀で記憶力に優れていたのだった。メルカッツの奥方の実家が、マリーンドルフ伯領にあり、そちらに身を寄せるように指示したという、小さいが重要な情報を忘れなかった。

 

 ヤンのデスクから、ペーパーナイフを拝借し、そっと封を開ける。ユリアンが住んでいるのは、フレデリカが寄贈を受けた、師父夫妻の家だった。一人暮らしには広すぎるが、カリンとの同居は周囲の反対を受けたのだから仕方がない。特に強硬だったのは、キャゼルヌ夫人である。

 

「嫁入り前の娘がとんでもないわ。

 同居するなら、きちんと結婚してからにしなさい。

 たとえ皇帝陛下がなさったことでも、歴史的な正道とは言えないのよ」

 

 いや、ユリアンとカリンだって、師父の息吹が残るこの家で、恋に酔うような神経は持っていない。いわゆるシェアハウスのつもりだったが、先に述べた反対に遭ったのだ。あの夫人に反対されて、味方になってくれる知人はいなかった。

 

 むしろ、みながキャゼルヌ夫人に同意した。ユリアン・ミンツは、ヤン・ウェンリーの衣鉢(いはつ)を継ぐ英雄だ。世間はそう見ているのだから、隙を見せるべきではないと。そう言ったのはフレデリカである。査問会の時の苦い思い出を披露してくれたのだ。双方独身の成人で、恋愛関係にあったところで、何の問題もなかった彼女でさえ、その手の捏造スキャンダルに苦しめられたのだ。

 

「本当に腹が立ったものよ。

 自分のせいで、好きな人が(おと)しめられるのですもの。

 カリン、あなたにはそんな目に遭ってほしくないのよ」

 

 国家主席とヤン・ファミリーの最強の実力者にここまで言われて、貫き通せるものではない。

 

そして、ユリアンはヤン家に、カリンはキャゼルヌ家に住むことになった。政府主席となったフレデリカには、護衛つきの官邸が用意されているからだ。まあ、カリンも門限つきとはいえ遊びにはくるし、アッテンボロー議員もなぜか入り浸っているし、受験仲間のポプランも結構な頻度で訪れる。ボリス・コーネフも商用で訪れると、必ず立ち寄ってくれた。つまりは、まだまだ心配されているのだろう。でも、ありがたいことだった。

 

 この日も、カリンがお茶菓子持参で遊びに来ていた。オルタンス夫人は、娘以外の新たな弟子を得たのだった。しかし、家事の神様の娘二人は、家事の妖精と名乗っても恥じないほどで、いまだカリンは及びもつかない。特に菓子作りについては、姉のシャルロットよりも、妹のリュシエンヌの方が名手だった。

 

「大人になったら、お菓子屋さんになりたいの」

 

 そう言ってにっこり笑う、薄茶色の髪に青い瞳の九歳児だが、腕前だけなら今日からでも人気店の店主になれる。少々、劣等感に苛まれるカリンだった。本日のオレンジ風味のマドレーヌも、製作者リュシー、助手カリンである。

 

「なんか、オレンジの味が薄くなっちゃう。もっと香りもふわっとさせたいの。

 カリンお姉ちゃん、ユリアンお兄さんに、どうしたらもっとおいしくなるか、

 意見を聞いてきて欲しいの」

 

 カリンへの質問がないのは、リュシーが『76点』と評するケーキに、欠点を見つけられないからだ。申し分なく綺麗な焼き上がりだし、文句の付けようもなくおいしい。それはユリアンも全く同意見で、異論の出ようもないのでこの難題を打ち切り、彼に肩を寄せるようにしてカリンも手紙を読ませてもらった。

 

 マリーンドルフ伯領にある、メルカッツ夫人の実家はほどなく見つかったのだという。ラインハルトの出世が、まだ寵姫アンネローゼの七光りと思われていた頃に、彼に味方することを決断した伯爵令嬢と父の判断がいかに優れていたか。

 

 シュナイダーが旅した帝国本土で、貴族連合に与した者の領土の荒廃を見るにつけ、やるせない思いが募ったと手紙には綴られていた。メルカッツこそ、帝国軍の重鎮の中で、ラインハルトの才能に最も早く気がついたのだ。家族の身の安全について貴族連合から脅迫を受けなければ、中立を貫くか辞職を選んでいたはずだ。その家族が、平穏に暮らしてくれているのならば、せめてもの救いとなっていただろう。

 

 メルカッツの夫人は離婚して旧姓に戻し、令嬢も母の籍に入った。不十分かも知れないが、そのままよりは目立ちにくい。母の実家の人々の名の後に、女性の名が二つ加わった表札。男性の名が一人、女性の名は三人。それには、広過ぎるぐらいの屋敷だった。家の外装も凝っていて、庭は広く樹木が巧みに配されている。帝国騎士(ライスヒリッター)と一口に言っても、その中でも格差がある。その中でも上級に位置する家格だと思われた。それらの手入れが行き届いていたら。がらんとして、荒廃の気配が漂う庭を見て、シュナイダーの脳裏に暗雲が立ち込め始めたと書かれている。

 

 それを読む恋人達の眉宇(びう)にも、薄雲がかかりはじめた。

 

「ねえ……」

 

「うん……」

 

 ユリアンは、二枚目の便箋を広げた。

 

「そう、父が亡くなったのね」

 

 ベルンハルト・フォン・シュナイダーを迎えたメルカッツの令嬢は、簡素な喪服を身に纏っていた。亡命する前に、何度か彼女と顔を合わせたことがあった。際立った美人ではないが、健康的で優しそうな、好感のもてる人だった。こんなに青ざめて仄白い、風に揺らぐ葦のようにか細い女性ではなかった。小さくなった輪郭に、大きくなった暗褐色の目が危うい輝きを放っている。

 

 シュナイダーは息を呑みこみ、イゼルローン要塞に最初の通信を入れたとき以上に、勇気を振り絞って口を開いた。

 

「はい。お詫びとお悔やみを申します。フロイラン・メルカッツ……」

 

「もうフロイランではありませんの。メルカッツではなく、ローゼンタールとお呼びになって」

 

「重ね重ね、失礼をいたしました」

 

 だが、ここは彼女の母の実家の住所に相違なかった。ハイネセンを発つときに、メルカッツの遺族を探すのは、困難を極めるに違いないと考えた彼の予測をいい意味で裏切ってくれた。しかし、さまざな視覚情報が、シュナイダーの脳裏に警鐘を鳴らす。表札では、男性一人と女性三人が住んでいるはずなのに、妙にがらんとした室内。そして、父の訃報に身に着けたにしては、喪服の黒は褪せて着なれたものだった。

 

「ご結婚をなさったのですね」

 

「ええ、こちらに来てすぐに。わたくしの従兄にあたるのですが」

 

「ご主人のお留守に申し訳ありません」

 

「かまいませんわ。もう戻ってこられないのですから」

 

 シュナイダーは、奥歯を噛み締めた。考えておくべきだったではないか。

 

「重ねてお悔やみを申し上げねばなりません。もしや、戦死を……」

 

 だったらどうすればいい。この女性の父を、違う旗の下に誘ったのは自分だ。ヤン・ウェンリーの指揮で戦ったメルカッツが、沈めた艦に義理の息子が乗っていたかもしれない。どんな非難を受けても、抗弁する資格はなかった。

 

「いいえ。惑星開発の仕事で単身赴任に行くことになりましたの。

 半年ほどの予定になるけれど、籍は先に入れて、

 式は帰ってきてからにしようと、アルベルトは言ってくれましたわ。

 出張手当と家族手当で、ちょっと豪勢なドレスを準備できるんだよと」

 

 左手の結婚指輪が薬指から浮いていた。失った体重は一桁ではきかないだろう。

 

「行き先は、ヴェスターラントでした」

 

「それは……」

 

 絶句するしかなかった。戦いの中で、あの虐殺を止めることはできなかった。メルカッツはブラウンシュヴァイク公に抗議し、説得を試みた。しかし、聞き入れられることはなく、ローエングラム候らの攻撃に抵抗するよりほかなかった。シュナイダーは、敗北して死を選ぼうとしていた彼を説得し、旧同盟に亡命したのだった。

 

 そして、リップシュタット戦役の詳細な被害もまた、敵国たる同盟に伏せられていたのだ。銀河帝国がフェザーンを征服し、同盟が征服されて滅び、ようやく知ることとなった情報。

 

 その一つが、ヴェスターラントの熱核攻撃である。これは、圧政に苦しめられた領民が、ブラウンシュヴァイク公の甥を襲撃し、死に至る重傷を負わせたことに端を発する。逆上したブラウンシュヴァイク公は、領民らを誅罰(ちゅうばつ)するために、禁忌とされる熱核兵器を使用。オアシスを中心に暮らしていた、二百万人のヴェスターラントの住人は全て死亡した。

 

 あの状況下のメルカッツとシュナイダーは、そこまで凄惨なものだとは把握できていなかったのだ。

 

「当主の母方の伯父は、既に亡くなっておりました。

 年の離れた兄妹でしたから、伯母は母を妹のように可愛がってくれました。

 母も、実の姉同様に慕っておりました。

 そして、お互いが実の子と同じぐらい甥と姪を可愛がったのです。

 娘が欲しかった、息子が欲しかったと言い合って。

 ここに身を寄せてすぐ、彼から求婚されたのですわ。

 戦場に行くことの多い父は知らなかったようですが、わたくしもずっと彼を愛していました」

 

 青年は頷くことさえできず、固唾をのんで聞き入った。

 

「あの報道を見て、伯母は倒れました

 そのまま意識が戻らず、二週間後に彼の許に旅立ってしまいました。

 伯母の葬儀の席で、今度は母が倒れました。心臓発作でした。

 救急車が来るまで間に合わなかったのです」

 

「なんと申し上げればいいのか……。ほんとうに申し訳ありません。

 メルカッツ閣下はブラウンシュヴァイク公を説得なさったのです。

 だが、聞き入れてはもらえませんでした。

 我々は、相手との交戦でガイエスブルクを離れることもできなかった」

 

 シュナイダーは深く項垂れた。メルカッツが客員提督(ゲストアドミラル)となってすぐ、ヤンが彼の家族のことを心配してくれた時に、手を打っていればと、後悔が胸を噛み裂く。悲劇には間に合わないにしても、彼女の孤独の助けにはなったはずだった。

 

 だが、脳裏に稲光が瞬く。

 

「しかし、報道とは一体……」

 

「熱核攻撃の瞬間を捉えたものでした」

 

 青年は目を剥いて、ローゼンタール夫人を凝視した。彼女は淡々と続けた。もはや涙も枯れ果てた、そんな声で。

 

「あの金髪の嬬子(こぞう)は、二百万人を見殺しにしたのよ。

 わたくしは知っているの。アルベルトは言っていたわ。

 砂漠が多くて人が少ない惑星で、だからとても空が綺麗だと。

 なによりシャトルや人工衛星が少ないから、動く星はほとんど流星なんだって。

 成層圏から、灼き殺された人の顔が映るような、そんな高性能の衛星はないはずでした。

 あれを撮るために用意したのよ。

 その準備ができるなら、軍を派遣して攻撃だって止められたでしょう」

 

「そんな、まさか、皇帝(カイザー)ラインハルトが……」

 

「あの報道で、貴族連盟に動員されていた平民は一気に離反しました。

 リッテンハイム候もブラウンシュヴァイク公も死んだわ。

 その遺体を手土産に降ったアンスバッハ准将が、ローエングラム候の暗殺未遂を起こした。

 キルヒアイス元帥が亡くなったのはそのせいです。おかしいとは思わなくて?」

 

 未亡人の暗褐色の目に、妖しい陽炎(かげろう)が揺らめいた。

 

「彼は、無二の親友の特権で、いつも武装を許されていたそうね。

 これでもわたくしは、メルカッツの娘でしたのよ。このぐらいのことは存じております。

 しかも、彼は射撃の名手だったそうではありませんの。

 腕を伸ばして、引き金を引けば、それで終わり。

 武器があれば、身を挺して庇う必要なんてないでしょう。

 どうして特権を取り上げられてしまったのかしら」

 

 シュナイダーの背筋を氷塊が滑り落ちる。

 

「そして、暗殺はリヒテンラーデ候の指示によるものだったのですって。

 ローエングラム候を除くために、ガイエスブルク要塞に立て篭もっていた、

 ブラウンシュヴァイク公の部下へと手を回したそうよ。

 まあ、いったいどうやってでしょう。超光速通信かしら?

 わたくしは、軍事機器には疎いけれど、周りを包囲していた艦隊の、

 誰にも気付かれずにいられるものなのですか」

 

 優雅に小首を傾げ、その唇は弧を描く。しかし、瞳は液体ヘリウムの底無し沼だった。 

 

「とにかく、暗殺未遂はリヒテンラーデ候の企んだものだということになりました。

 本人も、その一門も処罰されたことはご存知でいらっしゃる?」

 

「はい、あまり詳しくはないのですが」

 

「では、十歳以上の男子は死罪、女子供は流刑というのも?」

 

 シュナイダーは顔を上げ、彼女の顔を凝視した。蒼白の頬と真紅に充血した眼が同居し、形ばかりの微笑を捨て去った顔を。彼の顔色も、いまやローゼンタール夫人に劣らぬものになっていた。

 

「なんと言うことだ」

 

「完全な八つ当たり、親友の死を(あがな)うのに十歳の子も(にえ)にせよというのよ。

 無二の友の死を口実に、権力も我がものにしたの。

 伯母は、遠いけれどリヒテンラーデの一族に連なっていましたわ。

 その息子の、わたくしの夫は二十五歳でした。

 あんな死に方をしなければ、流刑地と断頭台に連れて行かれていたのです」

 

 これこそ、旧同盟も一般の帝国国民も知りえないことだった。双方の悲劇に関わったこの女性は、その断片からジークフリード・キルヒアイスの死と、その後のローエングラム公独裁体制の関連を読み取ったのだ。

 

「リヒテンラーデ候が暗殺計画を立てたとして、

 どうやって十歳の子どもが協力できるというのでしょう。

 そんな馬鹿げた刑罰を、どうして誰ひとり止めなかったの。

 いいえ、違うわ。あの薄気味悪い義眼の男は、ゴールデンバウムを憎んでいたからよ。

 ゴールデンバウムを倒せるならば、何でもやったし、誰でも利用したんでしょう」

 

 この女性は、よき妻よき母として貴族にふさわしい、むしろ平凡な子女教育を受けただろう。しかし、その聡明さは、やはり名将の血を引くものだったのだろう。そして、それは彼女をしたたかに傷つけたのだろうと、シュナイダーは私見を述べている。

 

 これは、彼女、マルガレーテ・フォン・ローゼンタールの推測によるものだとの但し書きの次に、

ユリアンの手が震えだす内容が書き連ねてあった。

 

 ヴェスターラントの攻撃は、事前にローエングラム候ラインハルトの知るところとなったが、オーベルシュタイン中将は攻撃の放置を進言したと思われる。貴族から平民の信望を失わせ、戦役の終結を早めるという計算だろう。皇帝ラインハルトは、その進言を受け入れたと確信できる。ブラウンシュヴァイク公の悪行を、映像記録におさめることも怠らなかった。その映像は、帝国全土に放映され、オーベルシュタインの目論見どおりの結果となった。

 

 ラインハルトの無二の親友にして、帝国軍首脳の緩衝材でもあった、ジークフリード・キルヒアイス上級大将。核攻撃の一部始終を捉えた映像は、あまりにも鮮明すぎた。オアシスを中心に、惑星を開発していた過疎の星、その上空にこれほど高性能な観測衛星はなかった。首謀者は最初から明白だったが、傍観者の存在を長く隠しておけはしなかった。明敏な彼は親友に疑念を抱き、武装の特権を取りあげられるような感情の行き違いが起こったのだろう。

 

 そして、キルヒアイスが武器の携帯を認められなかった場で、ラインハルトの暗殺未遂が発生した。赤毛の青年は、金髪の友を身を挺して庇いぬいた。たしかに悲劇であった。

 

 だが、流した血で、命の数で量るなら、天秤の重さはどう傾くであろうか。

 

 最初に顔を合せたとき、陽炎が見せる逃げ水のように揺らいでいた瞳。そこに、熱い水が実体化しようとしていた。

 

「名君ラインハルト、黄金の獅子帝なんて嘘よ。あの男は大理石の墓標だわ。

 見た目は美しくて立派でも、その下には死体が一杯詰まってる。

 ここは、その義父の領地だし、不敬罪で捕まれば死刑にされるかもしれない。

 誰も本当のことは言わないし、それで責められることもない。

 誰もが褒め称えて、死を惜しんでる。では、わたくしの夫は? ふたりの母は!

 あの男と違って、誰一人殺していない。優しい、やさしい、いい人たちだったのよ」

 

 真っ白な頬を、涙の驟雨(しゅうう)が襲う。そして、弾劾(だんがい)の嵐が吹き荒れる。

 

「姉のおこぼれで出世して、その恩人たる皇帝陛下の孫を皆殺しにし、

 そして、無辜(むこ)の民を見殺しにした男。

 ヴァージンロードを歩いてから、たった三ヶ月で子どもを生んだ、ふしだらな女。

 なんてお似合いの恥知らずな夫婦なのかしら。その子どもが将来の皇帝。

 双頭の鷲も、黄金の獅子も等しく醜いわ。人の血で染まっているのよ!」

 

 シュナイダーを衝撃が襲った。彼女に見えるものが彼女の真実。そして、それは一面の事実を含んでいた。

 

「わたくしは父を恨みます。

 こんな思いをするぐらいなら、わたくしと母を放っておいても、

 金髪の嬬子に味方をして、ブラウンシュヴァイク公を殺してくれればよかった。

 ヴェスターラントの虐殺の前に。

 そうすれば、アルベルトとお義母さまは生きていらした。

 ほら、一人は死人が減っているでしょう」

 

「しかしフラウ、いや、あえてこう呼ばせてください。

 フロイラン・メルカッツ。閣下は、お二人を大事に思われていらしたのです」

 

「では、どうして同盟に逃げたのです!」

 

「閣下ではなく小官の責任です。

 あの時、あんなくだらぬ戦いで、死んでいただきたくはなかったのです。

 いつか、お二人を迎えに行っていただきたいと願っておりました」

 

 しかし、どこまで信じてもらえるだろう。

 

「ならばせめて、同盟に攻め行った金髪の嬬子の首を。

 私と夫と母ふたりのために獲ってくれればよかったのよ!」

 

 王女サロメのように、マルガレーテは告げた。握り締めたハンカチに、血がしみていく。骨ばった爪の先が、手のひらを傷つけるほど硬く結ばれていた。

 

 シュナイダーは断腸の思いで、上官の愛娘を見詰めた。まさに、あと一撃で純白の美姫(ブリュンヒルト)を屠ふることができた。主たる黄金の有翼獅子(グリフォン)とともに。誰も納得がいかなかったハイネセンからの停戦命令。

 

 ヤン・ウェンリーはそれを受け入れた。将兵は皆憤慨し、シェーンコップ中将は、言葉に出して煽動したと聞いた。あと一撃で、ラインハルトの命と、宇宙と未来をその手にできると。

 

 だが、ヤンは停戦命令に従った。それは、シュナイダーにとっても大きな疑問だった。何故、どうして? それゆえに、メルカッツと自分は『動くシャーウッドの森』にひそんだ。ヤンも茨の道を歩むことになり、その中途で非命に斃れた。 

 

 マルガレーテの血を吐くような怨嗟(えんさ)。惨劇が悲劇を生む連鎖の根幹はなんだ。それが、シュナイダーに回答をもたらした。ヤンとメルカッツの生について、彼女にどう伝えるべきなのか。

 

「フロイラン・メルカッツ。小官は、様々な過ちを犯したのでしょう。

 しかし、ただ一つだけ誇りを持ってお答えすることができます。

 あのバーミリオンの会戦で、政府の停戦命令に応じた方を、

 お父上と共に上官として仰ぎ、その死後も後継者を支えたことです」

 

「な……なにをおっしゃるのです」


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