銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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オリジナルのキャラクターおよび設定が登場します。ご注意ください。


鳥の詩――猛禽と金糸雀――

 メルカルトに赴任した新領土駐留軍総司令官、ナイトハルト・ミュラーを待ち受けていたのは、バーラト星系共和自治政府の敏腕事務総長の教育的指導ではなかった。教官は、もっと身近に潜んでいた。惑星メルカルトの現地行政官、ハリー・ハンターである。

 

 さて、元イゼルローン革命軍の事務監で、現在のバーラト星系共和自治政府の事務総長、アレックス・キャゼルヌはなぜ同盟軍にいたのだろうか。十億人を超える自治領の行政事務を差配できる事務の達人である。それこそ、旧自由惑星同盟の官僚も務まったであろう。答えは簡単だ。自由惑星同盟軍士官学校に入学し、卒業したからである。

 

 それにはいささか情けない理由があった。ハイネセン記念大学に願書を提出したものの、試験日時を間違えるという、人生で二つ目の大ポカをやらかしたがゆえだ。ちなみに、もう一つは女房にも言えないそうなので、親しい者も知る由はない。むしろ、恐ろしくて聞けない。彼は墓場まで持っていくつもりらしい。

 

 彼やヤン・ウェンリーが行きたかったハイネセン記念大学は、旧同盟における最高学府である。政府官僚や、地方星系政府の上級職員も、多くがここの出身者だ。キャゼルヌに迫る、あるいは匹敵する能力の行政事務のプロ。それが現地行政官の正体だった。

 

 例えば、航路が不安定になる天文的欠点を言い立てて、見事に帝国軍を門前払いした惑星シロンのミゲル・フェルナンデス。軍需産業が撤退したメルカルトに、新領土駐留軍を誘致したハリー・ハンター。閑古鳥が定住する前に追い払い、帝国軍という新たな金のガチョウを呼び込んだ。

 

 この二つの惑星は、旧同盟領屈指の金持ちだった。そこの行政事務の長が無能という事はありえないのだ。

 

 ミュラーの着任式で、進み出て挨拶をしたのは、五十代半ばに見える栗色の髪にオリーブグリーンの目の女性だった。

 

「始めまして、メルカルト現地行政官のハリー・ハンターです。

 遠路よりお疲れ様でございました。今後ともよろしくお願いいたします」

 

 ミュラーは砂色の目を、瞬かせた。

 

「は、あの、あなたが、ハンター行政官ですか?」

 

「正式にはハリエットと申しますが、皆こちらで呼ぶのでお構いなく。

 新領土では、アレキサンドラをアレックス、

 テオドラがテリーとなどいうのはざらなんですよ。

 氏名の後の性別表記を、よくご覧になるようにお勧めしますね」

 

 

 これまで、文書を中心としたやりとりであったし、彼女の上には帝国から派遣された行政長官がいるのだ。改めて考えると、直接に会話をしたことはなかった。ミュラーらしからぬ迂闊なことで、これにさりげない注意を送られたのである。

 

「これは失礼しました。こちらこそよろしくお願いします」

 

「宙港の整備や乗員宿舎に、不備な点がございましたら、各担当までお申し付けください。

 何なりと、とは確約はいたしかねますが、

 なるべくご期待に沿うように努力したいと考えております。

 ただ、互いに言語や生活習慣の差の壁もございます。

 言葉による行き違いを防ぐためにも、駐留軍側の意見を集約し、

 文書にて報告、回答という形をとらせていただく存じますが」

 

「それは、かまいませんが」

 

 ミュラーの母親ほどの年齢の女性が、一惑星の行政事務の長。これには、鉄壁ミュラーもやや腰が引けてしまった。

 

 決して怜悧な印象の女性ではない。もの言いはさっぱりとしているが、表情や口調は穏やかで、反感を抱くことはなかった。彼女は、新領土に不案内な青年層中心の新領土駐留軍に対して、まずは懐柔策に打って出たのだ。

 

 バーラトの和約により、この星の税収が厳しくなることは、同盟人なら百も承知であった。外見こそやや小柄で痩せ形の、幼稚園か小学校低学年のベテラン先生といったハンターだが、当時の政府から送り込まれた腕利きの経済行政官僚であった。財務委員会に所属し、同盟軍の予算要求と斬り合いを演じたこともある。つまり、アレックス・キャゼルヌにわかる帝国軍の弱点は、彼女にとっても丸見えだった。

 

「帝国の景気がよろしいのかなんなのか、予算執行が丼勘定過ぎますよ。

 節約できるところは、なさるべきです。

 この経費は、我が新領土からの安全保障税でもありますから、

 当方としても一言いわせていただきたいですねえ」

 

 帝国軍が必要とする膨大な物資は、銀河帝国の各所からメルカルトに送られてくる。それに対して発生した関税は、メルカルト政府の財源となるのだが、これにハンターは眼鏡の位置を直し、二度三度と見返した。そして、新領土駐留軍に申し入れをしたのである。 

 

「いいですか、ぼったくるフェザーン企業に唯々諾々と金を払うのは、

 優良で誠実な企業や一般消費者にとって大迷惑です。

 帝国軍への納入実績を元に、連中は吹っかけるようになるんですよ。

 物資量に対して、この関税は高すぎる。

 つまりは、あなた方は余計な支出をなさっています。

 もっと新領土の企業を信用して、積極的に利用なさって下さい。

 輸送費と関税だけでも相当の節約になります。

 うちの入札契約部の職員もお手伝いしますから、本国の後方参謀とも協議を」

 

 メルカルトの税収が上がっても、それは他所からの税金を循環させているだけだ。肥え太るのはフェザーンのみ、ハンターはそう喝破したのである。ミュラーと幕僚はたじたじとなった。

 

「しかし、ハンター行政官、そうなるとバーラト政府と交渉せねばならないでしょう」

 

「そんなものは不要ですよ。

 メルカルトにも、こういった物資やサービスを提供する企業の支社はごまんとあります。

 安くできる企業を選び、あとは企業の努力に任せればよろしいんです。

 いいですか、民間に利益をもたらすためには、政府や軍が手を引くことも重要です」

 

 管理職としての適性が高いミュラーには、最初からハイレベルな目標が用意されていた。軍の内部での役割にとどまらず、広く行政に通じて、民需の活性化を行えというものだった。『巨大な政府』の規模縮小を行わなければならない。

 

 その最たるものは帝国軍だ。ミッターマイヤーの後任に、一番条件が揃っているのがミュラーであろう。キャゼルヌが見抜き、ハンターも見抜いた。この二人が相補的に飴と鞭による教育を開始したのである。

 

 舌が痺れるほどに激辛の飴か。柔らかく要所を打ちすえる絹の鞭か。

 

 結論から言うなら、どちらも痛い。主に心に。新領土について説明資料を依頼したら、小中学生用の教科書が渡された。さすがのミュラーも色をなしかけたが、ハンターはにこにこして言った。

 

「まあまあ、これが一番分かりやすい優れたダイジェストですのよ。

 なにしろ、十歳の子どもにも新領土の事が理解できて、

 十五歳の少年には、社会で通用する常識を与えるのです。

 それに、同盟語の練習にもなると思うのですよ。

 閣下や幕僚の皆さんは、言葉に不自由はないのでしょうが、

 お若い兵士の方々はそうではないでしょう。

 メルカルトで生活をなさるなら、同盟語がおわかりになったほうが楽しいと思いますよ」

 

「楽しいだと!?」

 

 副官のドレウェンツが鋭い視線で吐き捨てる。

 

「ええ、皆さんも新領土の立体TVぐらいはご覧になるでしょう。

 休日に外出して映画を見るにも、何か食事をするにも、

 言葉がわかったほうが、選択肢が増えるでしょう。

 もっとも、映画は吹き替えもありますけれどね」

 

「休日が何だとおっしゃるのか」

 

 副官がいきりたって詰問するので、ミュラーは彼に任せることにした。このご婦人を、若輩者が攻略できるとは思わなかったが。

 

「大変に重要ですよ。人間の体力ややる気というのは、限りある貴重な資源です。 

 しかし、適度に休養を取ることで、それを回復させ長持ちさせることができます。

 星空の彼方からおいでになって、言葉もわからず、美味しい物も食べられないでは、

 流刑も同然でしょうに」

 

 比喩の衣は着ていたが、帝国軍の問題を抉り出す刃だった。言葉も生活習慣も、星座の形も異なる異国。ラインハルトによる同盟の侵攻から四年。帝国軍人は、ずっと黄金の獅子の旗を仰いでいた。長期間故郷の地を踏んでいない者も数多い。そんな青年たちを、ハンターは優しい表情で見回した。

 

「人生には楽しみも休息も必要ですよ。

 それはミュラー元帥、閣下も同じです。たまには休暇を取られることですね」

 

 そして返す刀で、休暇の取得推進を切り出されてしまった。それを実現させるには、部下をきちんと育て、上官の不在時に備えた体制づくりをせよということである。みな、言葉が出てこない。さらに、ハンターは聞き捨てならない言葉を口にした。

 

「故ヤン元帥は、最も有給休暇取得数の多い将官でしたが、

 キャゼルヌ元中将も実は負けておりませんのよ。

 お子さんの学校行事に進んで参加する、よき父親でしたの。

 実は今もそうなの。明日の午後は不在につき、諸連絡は午前中までとのことですよ。

 本当にいいお父さんだこと。奥様が羨ましいわ」

 

 あの激務の中、ちゃんと仕事にきりを付けて、帰宅して子どもの学校行事に参加までしている。キャゼルヌ事務総長、恐るべし。そして、ムライ駐留事務所長が語っていた、ヤン・ウェンリーの給料泥棒ぶりが事実であったとは。ミュラーがヤンから聞いた、昼寝うんぬんは冗談ではなかったようだ。

 

「まあ、非番の日にはちゃんと休んで遊んで、心の余裕を持つのもトップの務めですよ。

 軍服を脱ぐのも時にはいいものですからね」

 

 ハンターは眼鏡の奥で柔和に目を細めた。

 

「特に、若くて可愛い女の子の前ではね。

 うちの職員にも気だてのいい、可愛い子が一杯いますよ。

 よかったら、親睦会でもいかがかしらねえ」

 

 それは宇宙最強の存在、世話好きおばちゃんの降臨だった。ドレウェンツが、もつれるような口調で辞退の言葉を述べるのに、ハンターは残念そうな表情になった。副官の同僚の何人かが、彼女と同じ表情になったのにミュラーは気付いてしまった。

 

「あらまあ、また気が向いたら声を掛けてくださいな。

 言葉を習うには、恋人を作るのが一番だといいますからね」

 

 ミュラーは引き攣った笑いを浮かべ、なんとかハンターを説得できそうな台詞をひねり出した。

 

「ハンター行政官、お心遣いに感謝しましょう。

 せっかくだ、今度の休暇にこの資料を拝見したい。

 貴官のお話は、その後に検討させていただこう」

 

「おやおや、帝国の方は本当に真面目でいらっしゃるのね。

 あんまり根を詰め過ぎないようになさってください」

 

 そう言って、ハンターは辞去の挨拶をして、ミュラーの執務室から退出した。ミュラーと部下らは、安堵の息を吐いた。皆が二十代から三十代の青年たちだ。頭一つ以上小柄で、体重も彼らの六割もないのではなかろうかという初老の女性に、どうやっても勝てる気がしなかった。ミュラーは部下らを見回して、なだめる言葉を口にした。

 

「ここは異国なのだ。彼らの流儀を学ぶのも我らの役割になるのだろう」

 

「は、しかし、この資料はあまりにも……」

 

「だが、旧同盟の教育水準が高いのも事実だ。

 明日は私の非番になっている。せっかくの進言だ。読書に勤しむのも悪くはない」

 

 本は本だ。それが小中学校の教科書でも。翌日、ミュラーは久々に自宅で本を読みながら、ゆっくりと時を過ごした。思えば、非番の日に本当に休むなど何年ぶりのことだろうか。ミュラーは、「同盟の地理」「同盟の歴史」という10歳と15歳向けの教科書に、ざっと目をとおし始め、やがて一心に読みふけった。いつしか時計の針の進むのも忘れて。

 

 非番の翌々日、ミュラーはハンターに通信を入れた。

 

「まあ、こんにちは。ミュラー元帥からのお話とは珍しいですね」

 

「先日は、こちらの先入観から大変失礼なことを申しました。

 あなたがおっしゃるとおり、これらは非常に優れた説明資料でした」

 

 ミュラーの言葉に、ハンターは眼鏡の位置を直した。

 

「そうおっしゃっていただけるのなら、旧同盟の教科書会社も冥利に尽きるでしょうね。

 なかなか面白いでしょう、旧同盟の成り立ちは」

 

 ミュラーは砂色の頭を上下に動かした。アーレ・ハイネセンが開始した五十年に及ぶ『長征一万光年(ロンゲストマーチ)』は、四十万人の参加者が四割にまで減る過酷なものだった。

 

「同盟は、ゴールデンバウム王朝へのアンチテーゼから生まれた国家でしたけれどね。

 長征五十年を生き延びたのはたったの十六万人でした。

 これを二百年で一万倍近く増やすために、我らの先人は手を尽くしたのです。

 医療、教育、民生という柱で。考える時間は充分にあった。

 氷の船で飛び立ち、あてどのない旅をする、五十年の歳月がそうです。

 いつか見つかる、どこかにある、安住の地。

 それを求める日々に、ああもしたい、こうもしようと将来への夢や希望を話す猶予がね。

 永き旅を絶望せずに乗り切った人々は、とてつもなく毅いと尊敬します」

 

 砂色とオリーブグリーンの視線が、静かにかみ合った。

 

「失礼ながら、新帝国に最も必要なものが考える時間でしょう。

 国家の基本構想(グランドデザイン)というものをね。

 戦争という、人口抑制の箍はなくなりました。

 そして、帝国の階級格差も小さくなったでしょう。

 劣悪遺伝子排除法が完全に撤廃され、新領土の知識や技術が入っていく。

 次に訪れるのが人口爆発ですよ。これは喫緊(きっきん)の問題です。

 大人の一年は短いですが、子どもが産まれるには充分な時間ですからね」

 

 砂色の目がまんまるになり、次いでその頬が赤くなる。鉄壁のミュラーを赤面させるのに成功したハンターは、次なる一矢を放った。

 

「我々の通ってきた道を、帝国中枢部にお伝えいただけませんか、

 ミュラー元帥。これについては、保健体育科の教科書をお渡ししましょう。

 非常に参考になると思いますよ」

 

 新たな国を作り上げた例は、ここにもあるのだと。ハンターの言葉はミュラーの心に沁みていく。こうして、もうひとつのキャゼルヌ分校が出来上がった。ただし、ミュラーは本校の講義も受けねばならないのだが。新領土行政官総長のエルスマイヤーと一緒に行う、バーラト星系共和自治政府との折衝がそれである。

 

 非常に幸運なことに、エルスマイヤーは心強い味方であった。故ルッツ元帥の義弟でもある彼は、故ロイエンタール元帥に同行し、新領土総督府の一員であった。ロイエンタールは行政にも非凡な手腕を有していた。彼は、理詰めで冷静で判断力に優れていた。きっちりと根拠や資料を整えた上申でないと、決して頷かない上司であったのだ。

 

 エルスマイヤーは、行政手腕が優れていると先帝に評価されて前任に就き、さらにロイエンタールによって磨かれていた。なんといっても、半年間の新領土の駐在経験は大きい。ロイエンタールよりも更に厳しいキャゼルヌにも、とりあえずの合格点を出されたほどだ。

 

 この同僚からも色々教えてもらった結果、ミュラーはキャゼルヌの強烈な毒舌にはさほどに晒されずにすんだ。そして、行政と軍の『ほうれんそう』の連携が格段に向上し、良い結果をもたらす。

 

 だが、それはそれは厳しい男の先生は、これでも満足しなかった。この若手二人は、将来のトップ候補として優等生になってもらわねばならない。できる子だからこそ、課題も難しく多くなる。それは学生も役人も軍人も一緒だ。

 

 帝国から赴任した行政と軍事の代表者は、それに悲鳴を上げながら、二人で教えあい、学びあい、親友となっていった。行政だけ、軍だけではなく、色々な世界を知ること。それがいかに大切か。これもまた、彼らにとって多くの収穫であった。

 

 余談となるが、ミュラーの結婚式の媒酌人(ばいしゃくにん)を務めたのは、エルスマイヤー夫妻である。

 

 さて、女の先生は優しいが怖いところがあった。

 

 根が真面目なミュラーは、渡された中学校一年生の保健体育科の教科書を熟読した。正直に言うなら、一番頁数を占めているのは性教育についてであった。これは、ミュラーをまたも赤面させた。歯切れ悪く、ハンターにそれを伝えると、百戦錬磨のおばちゃん先生はこともなげに言ったものだ。

 

「長征一万光年の16万人の半分が女性として、

 子どもを生める年齢の人はその四分の一ですよ。

 多産が奨励され、それに伴って周産期医療や乳幼児医療が特に発達したのです。

 いや、せざるを得なかった。必ずしも人道的な理由ではなくね。

 なぜだか、おわかりになりますか?」

 

「いや、小官にはさっぱり……」

 

「一人の女性が毎年出産しても、算数的な上限は二十人ぐらいでしょう。

 実際の限界は、まあ、その半分から三分の一ですよね。

 それには、健康な子を生んで、母にも健康でいてもらわなければなりません。

 同盟の黎明期には、重大なハンディキャップを背負った子を社会が支える余裕がなかった」

 

 オリーブグリーンの瞳が、金色にきらめいた。

 

「どうするとお思いですか? 生まれないように手を打つのですよ」

 

 鉄壁と謳われたミュラーの背が粟立った。

 

「父母の生殖能力と遺伝子の検査をしたのです。

 目的は違えど、やったことはルドルフとさほど差はありません。

 なにしろ、母となれるのは16万人の八分の一、たったの二万人しかいませんでした。

 なりふりなどかまっていられなかった。

 伴性遺伝疾患の保因者は、妊娠する子の性別をコントロールされたりした。

 配偶者以外から、卵子や精子の提供を受けて、子を成した夫婦も大勢いたそうです」

 

 嫁を貰う前の青年には、衝撃的な言葉が連ねられる。

 

「そして、めでたく妊娠すると、妊産婦健診をします。だが子どもの病気が判明した。

 治せる子は、出生前、あるいは出産直後から治療する。

 治せないような病気であるなら、生むか生まざるかを選択しなくてはならない。

 そんな社会で生み育てることを貫くのは、非常に大変なことだったと申しておきましょう。

 旧同盟の医療はこうして発達しました。数多くの父母の涙と、涙も流せぬ子の命を糧にね。

 そのおかげで今がある。必要以上の検査はなくなり、障害者の社会保障も整いました」

 

「それが、旧同盟の……」

 

 逡巡するミュラーに向けられた言葉は、あっさりとしたものだった。

 

「別に秘密ではありません。中学三年生の教科書には載っていますよ。

 十六万人が、二百年後には百五十億人の国家となった。

 亡命者を受け入れたりもしたので、出生のみによるものではなくとも、

 約一万倍の人口爆発です。

 ここまで極端ではないでしょうが、帝国本土にも起こるでしょう。

 めでたいことですが、手放しにしてはいけません」

 

「なぜなのか、教えていただけますか」

 

「急激な人口増は、経済の急成長を伴わないかぎり、民生を破綻させるからです。

 それを防ぐために、我らの先人は教育を行いました。

 保健体育の最重要課題は、バースコントロールです」

 

 聞いた事のない単語に、ミュラーは怪訝な顔をした。

 

「産児制限、もっと露骨に言うなら避妊法ですよ」

 

「いや、その、しかし……」

 

 しどろもどろになる若き元帥に、ハンターは語りかける。

 

「そういった教育の問題もね、これからどうなさるのか。

 教育とは、国家の形にあわせて国民をデザインする方法なのです」

 

 再び、金色の輝きがミュラーの目を射る。皇帝陛下万歳(ジーク・カイザー)民主主義万歳(ビバ・デモクラシー)を叫んで戦いあう人間を育てるのか。国家、文化の違いを認め、手を取り共存できる人間に育てるのか。彼女は面と向かって、口にはしない。だが、ミュラーの心に撃ち込まれる言葉の重さ。

 

「国家の指針が定まらなければ、教育どころではないかもしれません。

 だが、子どもの成長は待ってくれません。

 先帝陛下のお子様も、歩き始める頃ではないのかしらね。

 停戦からもうすぐ一年。あっという間でしたね」

 

「本当に同感です」

 

「それにしても、平和とは有り難いものです。

 膨大な流血を代償としたにせよ、先帝陛下の宇宙統一は歴史上に(さん)たる功績です。

 ご自身が、その果実を味わう間もなく身罷(みまか)られたのは、残念なかぎりですが」

 

 ミュラーも万感の思いを込めて頷く。だが、こうも思うのだ。ラインハルトは、戦いを糧に育ち、輝いた人であった。強い逆風が、彼を高みにまで舞い上げた。まさに、鳥の飛翔のごとく。それは、古い帝国の理不尽な圧政であり、敵国の名将であった。

 

 それがなくなった凪の中で、その翼を休めることをよしとしただろうか。皇妃(カイザーリン)ヒルダや大公(プリンツ)アレクは、止まり木となり得ただろうか。

 

 いや。ミュラーは微かに砂色の髪を振る。これもまた、もしもに過ぎない。

 

「歴史にもしもはない」

 

 そう語った黒髪の魔術師は、実は厳しい人だったのだろう。選んだ道と結果を真摯に受け止め、現在と未来を変えていけ。本来はそんな言葉が続いたのではないだろうか。亜麻色の髪の弟子は、きっとそれに気がつくだろうと、彼は思っていたのかもしれない。

 

「これから生まれる子達は、その中で育っていく。

 戦争を知らずに生まれ、知らないままに生を全うして欲しいのです。

 そのためには、過去をなるべく正確に伝えねばならないとは思われませんか」

 

「ハンター行政官、貴官のおっしゃるとおりだ」

 

 ミュラーの同意に、ハンターはオリーブグリーンの目を柔和に細めた。

 

 

「実は、バーラト政府は、新たな教科書を制定するそうですよ。 

 バーラトの和約後、皇帝ラインハルトの大親征、そしてバーラト星系の自治権確立と、

 第一回総選挙の結果を反映した内容のものだとか。

 私たち、新領土の他の惑星はどうすればよいのでしょう。

 学校教育の担当は、帝国の学芸省でしたわね。

 そこの方に新領土の知識はおありになるのかしら」

 

 答えられないでいるミュラーに、ハンターの追撃の矢が刺さった。

 

「旧同盟には『泣く子と地頭(じとう)には勝てない』という(ことわざ)が残っていましてね。

 地頭というのは、門閥貴族みたいなものです。

 あなたがたは、そっちには勝利をおさめられましたが、

 さて、子どもはいかがかしら?」


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