銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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オリジナルの設定とキャラクターが登場します。ご注意ください。


槌音のピアノソナタ

 バーラト星系共和自治政府は、第一次ヤン政権の発足と共に動き出した。宇宙暦800年の九月一日事件、翌年のオーベルシュタインの草刈りによる騒乱、そしてルビンスキーの火祭りによる、首都の焼失。こういった事件への対応に追われながら。

 

 しかしその復興は、経済成長と退役軍人らの再雇用の場としての役割も果たしたのであった。もともと、軍に熟練者を奪われることにより、社会インフラの事故や不具合も多発していた。797年の救国軍事会議のクーデター直前は、復員兵による犯罪の増加に反比例して、警察官不足による検挙率の増加も深刻だった。

 

 政府事務総長のアレックス・キャゼルヌが、『ふん!』と席を蹴って中断されていた、軍の解体と人員の再雇用は、結局本人の手によって再開されることになった。

 

「それにしても、占領するならやりようというものがあるでしょう。

 余所様に土足で踏み込んで、散らかし放題にするとはね。

 せいぜい、謝罪と賠償を要求してやることにしましょうか」

 

 キャゼルヌの不穏な呟きに、ガードナー財務長官とホアン外務長官が深く頷いた。

 

「たんまり、(むし)り取ってやることにしようか。官民問わずにな。

 フェザーン企業を、多めに復興事業の指名業者に入れたらどうだね。

 私の古巣が、教育アニメの放送をフェザーンでも開始したんだ。

 人に迷惑をかけない。もしもやってしまったら、きちんと謝り、できるものは弁償するとね。

 なかなかの高視聴率なんだ。割合から推定するに帝国軍人の家庭も見ているだろう」

 

「ふむふむ、それはよい考えです。

 フェザーン企業といっても、ぎりぎりの予算内でやるには、

 結局、旧同盟の企業を下請けにしたり、資材を購入することになる」

 

 三人は、腹黒い笑いを浮かべて顔を見合わせた。最年少の官僚は、二人の閣僚に帝国の問題点を提示する。

 

「帝国は安全保障税を要求したが、もっと肝心なものを考えていません」

 

 経済界の切れ者として鳴らした財務長官は、すぐさまキャゼルヌの示唆に応じた。

 

「ああ、地方星系交付金だろう。

 こことシロンやアルーシャ、メルカルトあたりは不交付だったが、他はどうする気なのかね。

 帝国本土からの税収ではどうにもならんよ。まったく足らん。

 むこうが気がつくまで黙っていようかと思ったんだが、どうするね、ホアン長官」

 

 ホアン・ルイは、丸っこい手をひょいと持ち上げて、肩を竦めた。

 

「あちらさんが気がつく前に、同盟だった星が火の海になるのを見過ごしたら、

 ローエングラム侯ラインハルトを非難できなくなりますからね。

 せいぜい、親切に教えて恩に着てもらいましょう。

 そして、国際法の新条項と国民健康保険の導入への布石にする。

 で、安全保障税を値切りましょう。

 皇帝ラインハルトがいたのに、いやいたから、この甚大災害です。

 統治者としての重大な手落ちですよ。

 彼は戦争の天才だったが、統治の天才ではなかった」

 

「税制改革や刑法の改革は、一見大したものだがね。

 だが考えてみれば、その一番の対象者の貴族は、もはやほんの少数派のわけだ。

 一方で、農奴階級として、ある意味免税されていた者からも税金を取ることになるだろう。

 いいのかね、あれは。非課税世帯の制定をするにも、所得や控除のシステムはどうなんだ」

 

 元経営者のギルバート・ガードナーの指摘は鋭かった。

 

「税制を公平化するのはいい。

 だが、累進(るいしん)課税や相続の均等化は、資産を分散することでもある。

 これは貴族制を残している帝国社会と、真っ向から対立する。

 貴族の代替わりの時期に、妻子が骨肉の争いを繰り広げないかね?

 皇帝アレクサンデルだってそうなるかもしれんよ。

 相続法は階級による区別を設けた方が無難だが、皇帝ラインハルトの改革に逆行する。

 彼の妻や義父にはできんだろう。無論、子飼いの臣下にもな。

 財務尚書、民生尚書らの開明派を巻き込んでいくしかなかろうな」

 

 キャゼルヌは腕組みした。

 

「いままで、戦争で何でも片を付けてきた若い連中ですからな。

 銀河帝国の名を持ってはいるが、歴史的な知識の蓄積がなきに等しい。

 名前と規模は変わったが、自由惑星同盟の後継たる、我々よりもずっとね」

 

 ホアンはまた肩を竦めた。

 

「その孤独な未亡人と幼児を、良き隣人は手助けしてやらねばならんでしょう。

 ガードナー長官の、古巣のアニメに倣うならね」

 

「そういうことになるのかね。まったく、正義の味方は大変だ。

 地球時代のある児童文学作家が言ったそうだよ。

 もしも正義の味方があるとするなら、

 それはみんなをお腹いっぱいにしてくれる存在だとね」

 

 キャゼルヌとホアンは目を瞠った。

 

「至言ですな」

 

「絶対の真理というのは多くないが、それがその一つでしょう」

 

 こうして、バーラト政府上層部には暗黙の了解が成立した。宇宙の平和のためには、飢える者を出してはいけないということだった。すぐさま、旧同盟時代の税制や国家予算の歳入歳出といった資料が用意され、帝国へと提言がなされた。指摘された側は驚愕し、次に腹の底まで蒼白になった。

 

 国家全体で、富めるところは貧しいところを支援し、どこでも一定水準の生活を営めるようにするのが、ナショナルミニマムだ。旧同盟なら、住民はみな中学校までの義務教育が受けられたし、国民としての就労と納税の義務と共に、公的な住民サービスの提供があった。

 

 ハイネセンを筆頭に、シロン、アルーシャ、メルカルトのような裕福な星と、捕虜収容所しか産業のない人口十万のエコニア、危険地帯だったエル・ファシルなどでは財布の大きさが違う。惑星レベルで終始してしまうとどうしようもないので、裕福なところに協力してもらう。それが地方星系交付金だ。

 

 その発想は、帝国にはなかったのであった。門閥貴族制というのは、中央集権以前の統治形態だ。いわば、極端な地方分権といえよう。貴族の領土ごとに財布は別会計である。帝国に上納する税はあったが、国家から地方に下りてくる金はほとんどない。ゆえに、貴族階級でも貧富の差は大きかった。

 

 そんな旧銀河帝国から、獅子帝が絶対者として君臨する新銀河帝国への変貌。権力構造だけを見れば、五百年をかけてルドルフの即位時に戻ったともいえる。歴史の皮肉だ。ルドルフとその子孫に爵位を授けられた貴族の多くは滅び、住民は今までの怒りをその家族と代官らにぶつけ、邸宅や代官所を襲撃、略奪を尽くした。

 

 ラインハルトに集約された門閥貴族らの資産は、宇宙統一や国民の生活向上に使われた。非常に乱暴ではあるが、一種の地方交付金と言えよう。だが、彼が崩御するとそれっきりになってしまった。激動の中、現状維持ができただけでも上等過ぎたほどだ。皇太后ヒルダを責めることはできない。

 

 その第一波は去ったものの、荒れた門閥貴族領の整備にようやく着手した段階である。代官所などの襲撃で、住民記録や土地台帳などが消失してしまった所も多い。国の中枢部とのデータ連携など、旧同盟では常識の情報機構もない。出生や死亡の記録がない農奴階級も、決して少なくはなかった。皇帝直轄領となって、統治のための住民記録から作成を開始せねばならず、新帝国発足から五年以上経ったが、帝国本土の行政官らはいまだに悲鳴を上げている。

 

 一方、ラインハルトに味方して、存続している貴族領もある。例えば、マリーンドルフ伯爵領がそれだ。彼は、民生に力を入れていた名領主であったから、その領民は生活水準が高い。旧ブラウンシュヴァイク公領などとは雲泥の差だ。現在の帝国本土は、皇帝直轄領と貴族領が混在している状況である。統治していた貴族によって、民生の充実には著しい偏りがあった。

 

 どうやって、国民の生活を向上させていくのか。他からの税金を回すにしても、どう計算すればいいのか。

 

 アムリッツァの大敗以前は、人口250億の帝国が48、130億の同盟が40、20億のフェザーンが12という経済力比だった。大敗後の同盟は33に低下したが、それでも国民一人当たりの経済力では、帝国本土は最初から勝負にならない。

 

 こんなふうにして、バーラト共和自治領との外交は、帝国にとって頭の痛い問題を再認識させるものだった。その知識は確かに貴重で、提言は良薬のような効果を持つ。だからこそ苦いのだが。帝国本土のほうに力を入れなくてはならないから、優等生には目を離さずに、手を離すようにする。安全保障税は減額され、新領土復興税という名称で地方星系交付金が復活した。

 

 細かなことだが、バーラトの住民の心の安定には役に立った。帝国軍に支払うより、帝国の下で苦労している郷里や同胞に資するなら、そのほうがずっといい。復興税なのだから、ハイネセンポリスの復興にこそ金を出せと交渉し、実現させたホアン外務長官の手柄も大きい。

 

 また、シトレ国防長官、アッテンボロー補佐官も、安全保障について帝国と粘り強い交渉を行った。帝国軍と対決していた旧同盟軍宇宙艦隊は花形部署だったが、いちばん人員を抱えていたのは有人惑星のある星系警備艦隊である。一般の徴兵者は、通常は出身星系の警備隊に属する。こういった人々が宇宙艦隊へ異動するのは、アムリッツァの敗戦以降の異例であった。

 

 その規模は、旧同盟領全域で二千万人だった。宇宙船事故の救援や、密輸に宇宙海賊の摘発、あるいは小惑星などの破壊が主たる任務である。これを解体して、すべて帝国軍が代わりにやってくれるのか?

 

 底意地の悪い質問であり、青灰色の瞳の補佐官は答えなど百も承知だった。新領土駐留軍の艦艇と人員数では、逆立ちしたって無理というもの。

 

「警備隊の役割は、単に郷土を守るという点に留まりません。

 辺境の惑星にとって若年層の重要な雇用の場であり、絶好の職業訓練期間でもありました。

 それを担保しないと、失業者問題で新領土も火だるまになるでしょう」

 

 アッテンボローは更に、ろくでもない未来予想図を豊かな表現力を駆使して述べたてた。豪胆な帝国の武官も文官も、どんどん顔色が悪くなるような内容である。そして、かつて最大数の守備隊を擁していた星系に迫る危機で話を結んだ。

 

「せめて、経済的に富裕な惑星の守備隊は復活させるべきであります。

 特に、惑星シロンの天文台の観測データによれば、二年後の流星群飛来の際に、

 直径二キロの小惑星が衝突する可能性が極めて高いとの報告が寄せられています。

 是非、それまでに旧来規模でかまいませんので、守備隊の復活をお願いしたい。

 シロンの宙域の深い知識と、高い航行技術が必要とされます。

 地元のベテランに勝る者はありません」

 

 新領土駐留軍を置く旨の打診をして、それを盾にして断わられたミュラーからすると、なんであの時に言ってくれなかったのかという思いだった。それが顔に出たのだろう。二メートルになんなんとする、黒き偉丈夫がずしりと腹に響く低音で告げた。

 

「毎年起こる流星群のせいで、小惑星の軌道は変動を起こすのです。

 民間の天文台では、二年前に予測できただけで上出来と言わざるを得ない。

 シロンは、人口も農産業も税収も新領土の要の地です。

 早急に、閉鎖した宇宙基地の開放と観測の継続、守備隊の配置を要望する」

 

 これは、果断なミッターマイヤーが守備隊の配置に動いた。協議を重ねている余裕はない。小惑星の観測データによれば、シロンに衝突しそうなのは二年後だが、破壊するなら半年後がベストという試算だったからだ。

 

 自らの麾下艦隊から、二千隻規模の警備隊を割き、シロンの退役軍人を顧問として再雇用とした。一隻あたりに経験者十数名が必要で、観測要員も千人は必要だった。約三万人規模の求人となりシロンは潤った。

 

 今年も流星雨が訪れるのに、やきもきしていたミゲル・フェルナンデスは大いにほっとした。帝国の首脳部はさらに安堵の息を吐いた。シロンはいまや、帝都の重要な食糧供給元でもあったのだから。

 

 第一次、第二次ヤン政権は復興の象徴となった。フレデリカが恵まれていたのは、閣僚だけではない。キャゼルヌはもちろん、ハイネセンの官僚たちも一丸となって協力した。

 

 彼らは救国軍事会議の下で、竦みあがりながらスタジアムの虐殺の後始末をした。覚醒したアイランズ軍事委員長の下で、ヤン艦隊の奮戦を後方から支えていた。そして、双璧に武器を突きつけられた十億人でもあった。ヤン・ウェンリーを謀殺しようとした同盟政府、再び侵攻してきた帝国を横目に見ながら、粛々と住民を守るべく職務に携わってきた人々だった。

 

 中にはサボタージュして、ロイエンタール元帥に処断された者もいた。だが、考えてもみてほしい。同盟軍のクーデターからは身を隠し、帝国の第一次神々の黄昏作戦の引き金となった幼帝の亡命を受け入れ、帝国侵攻の際も雲隠れし、厚顔無恥にも降伏を選択して、ヤンに停戦を命じ、自らは一切の責任を逃れた、ヨブ・トリューニヒト。

 

 恥知らずな漁官にうんざりしたとはいえ、よりによって新領土総督の部下として任じ、彼らの上司としてふんぞり返っている。公務員だって人間だ。嫌気がささないわけがない。

 

 ヤンはトリューニヒトを蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っていたが、官僚にも同じ気持ちの人間は大勢いたのだ。肝心な時には姿を(くら)ますくせに、巧言令色でもって世論を煽動し、俗悪な政治ショーを繰り広げる。

 

 幼帝を受け入れて帝国の侵攻を招き、孤軍奮闘してきた同盟軍を見捨てて、国家を売り渡した。ヤンが停戦命令を受け入れていなかったら、逆上した誰かがトリューニヒトを殺していただろう。彼が文民統制(シビリアンコントロール)に基づき、政府の停戦命令に従ったから、多くの官僚も法の下、職務を遂行してきたのだ。

 

 まだ宇宙暦800年六月の下旬だった。民主主義を擁護した英雄、ヤン・ウェンリーの死から、一月と経っていない。国民の感情を慮ることができるなら、こんな人事はやらない。海千山千の官僚でなくても、皇帝ラインハルトの人事の稚拙さに気がつく。

 

 いや、レンネンカンプ高等弁務官の件で、抱いた疑念が確信に変わったのだった。自分と部下という関係までには、かろうじて考えが及んでいるが、部下と部下、部下の部下がどう思うかという視点が欠けている。青二才ではなくて、嬬子(こぞう)という異称に密かに納得した者は多かった。

 

 ゆえに彼らは、ロイエンタール元帥の叛乱を、むしろ当然のものとして見つめていた。好き嫌いの激しいトップが、素晴らしい部下に巡り合えた幸運を忘れ、彼にふさわしい待遇をしていない。政治も習慣も言葉もまったく違う国で、行政にも優れた手腕をふるっている名将。あの激務への精励ぶり、謀反を企む余裕などあるものか。

 

 彼を疑う一方で、どうしようもない小者をもてあまし、大きな顔をさせている。ロイエンタール元帥に釈明を要求するのではなく、査閲担当の第三者が充分な調査をするべきなのだ。公明正大かつ大々的に。

 

 言うべき相手もいないので、皆が黙っていたが、心情は一致していた。あれでは怒って当然だ。親友が皇帝側からなだめたって聞きやしないよ。

 

 案の定、帝国軍同士が噛みあって、ロイエンタール元帥が死去した。ヨブ・トリューニヒトの眉間に穴を製作してから。

 

 ロイエンタールとトリューニヒトの検死をした監察医は呟いた。

 

「お見事な腕でしたね。もっと、苦しめてやってもよかったんですよ。

 あなたがその傷に耐えた間、苦しみ抜いて死ぬような撃ち方も、お出来になったでしょうに」

 

 マスクの下の言葉を聞く者は、彼のほかにはいなかったが。

 

 その後、オーベルシュタイン軍務尚書がハイネセンに乗り込んできて、官僚たちは得心した。この人がいてこそ、あの金髪の皇帝がここまでやってこられたのだろうと。彼が正論を述べる憎まれ役となって、血の気の多い若い連中をまとめていたのではないか。自らへの反感という、逆のベクトルでもって。

 

 しかし、彼と他の幕僚の不協和音は、聞きたくもないのに耳を(つんざ)いた。挙句のはてに、帝国軍内で仲間割れして武力衝突の寸前である。敵だった元他国の首都で、それはお粗末すぎるというものだ。ラグプール刑務所の騒乱の始末をしながら、彼らは黙然と思った。

 

 冷たいほどの正論は、聞く耳持つ者でなきゃ意味はない。仕事仲間には、もっと妥協して穏当に流せばいいのに。ほらみろ、単細胞が暴発するんだ。嬬子の部下はガキか。この王朝、このままだと長くないかもしれないな。

 

 その最後の最後に、ルビンスキーの火祭りである。ハイネセンポリスの三割が焼失し、五千人もの死者とその五百倍の被害者を出した。ルビンスキーを死にぞこないだと見向きもしなかった、皇帝や帝国軍首脳陣に責任がないとは言えないだろう。ハイネセンの官僚らは、若き皇帝と帝国軍の首脳陣に懸念と疑念を抱くようになった。

 

 宇宙暦801年6月1日の停戦、イゼルローン共和政府との交渉、バーラト星系を共和民主制の自治領として認めること。そして皇帝の病死、軍務尚書のテロによる死。前者は予期していたが、後者は青天の霹靂(へきれき)であろう。ナンバー2の突然の欠落で、皇太后らが大混乱に陥ることも予測できた。

 

 貴族のお嬢様と、世間的には青二才の集団である。これは、バーラトにとってチャンスだ。こちらにまで手を伸ばす余裕などなくなる。今のうちに、復興に向けた青写真を作っておけ!

 

 ヤン・ウェンリーの衣鉢(いはつ)を継ぐ、若く清新な政治家が帰ってくる。彼女に、彼らに、我々の感謝と経験の全てをかけて、新しい国にふさわしい未来図を用意せよ。

 

 そう歓喜したのは、彼ら官僚ばかりではない。こうした出来事を経て、ハイネセンの住民たちも覚醒した。ヤン・ウェンリーが身命を削り、残そうとした共和民主制の苗。

 

 それが、この星、自分たちなのだ!

 

 フレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンの就任演説は、自身の経歴と罪の告白から始まった。

 

「私は、ヤン・ウェンリーの未亡人としてこの場に立つことを許されたのかもしれません。

 しかし、私の父は、軍部クーデターの首謀者でした。

 夫を救うために人を殺め、ハイネセンに火を放つ結果を呼んだ者でもあります。

 もしも、親の罪に子どもが連座する社会であるなら、

 ハイネセンからの脱出が、副官として上官を守る軍事行動と認められなかったら、

 私は断罪され、この場に立つことはなかったでしょう。

 しかし、私はとうの昔に罪人だったのです。

 ヤン・ウェンリーの副官として、彼の戦勝のほんの一端を支えた日から。

 味方ではなく、敵だった帝国軍の人々を数多く殺してきました。

 しかし、かつての政権に票を投じ、戦争の継続に同意をした国民すべての罪でもあります。

 票を投じなくとも、戦争への流れを変える力は、私を含む国民すべてにあったのですから。

 罪がないのは、政権を選べなかった者たちだけでしょう。

 この平和は、彼らの為にある。私たちのやってきたことを伝え、この平和の価値を教え、

 次代に引き継いで、できるだけ長く続くように。

 それが私の願いです。そして、夫の願いでした。

 なによりも尊い、人の命のために、帝国と手を携えていきましょう」

 

 いつもより煌めきを増したヘイゼルの瞳。だが、涙はついに零れることなく、言葉は途切れることなく、彼女は最後まで語りきった。

 

 後世、夫の名声に寄りかかった、感傷的に過ぎる演説だとの批判は多い。

 

 しかし、ハイネセンの住人らは、彼女の魂からの声を聞いたのだ。父の罪、自分の罪への果てなき苦しみと、それと引き替えるほどに愛した男の存在を。彼が、思想と軍人という立場の軋轢(あつれき)に苦しみ、なによりも希求し、それに手が届く寸前で断たれた命の重みを。それでもなお自省を重ね、人の命のために平和を選択する決意に至った者の言葉であった。

 

 旧同盟の黎明(れいめい)期の理念と情熱が、バーラト星系に横溢(おういつ)する。

 

 一万人が同じ目標に向けて、団結することは極めて難しい。だから、一人が一万人の才能を持つ天才とは、冠絶した存在なのだ。

 

「ねえ、あなたはそうおっしゃったそうだけれど、

 十億人の凡人が、心の一部ででも同じ方向に歩もうとしたら、

 どれだけ凄いことができるか考えたことはないの?

 あなたは、みんなが同じことを考える社会なんて真っ平だっていうんでしょうけれど

 これが衆知を集めるというものじゃないかしら?」

 

 フレデリカは、黒髪の夫の写真に語りかけた。結婚式の時、似合わない礼服で頬を染めていた笑顔。結婚式に呼んだ友人が、古典的な銀塩写真で撮影してくれたものだった。

 

 あと一押しが足りない、と評していたクリスタ・チャベスが、今日はハンサムに撮れたと太鼓判を押し、綺麗に額装して贈ってくれたポートレイト。ハイネセン脱出の時には持ち出せなかったけれど、フレモント街の家の寝室のテーブルの上で、変わらぬ笑みで迎えてくれた。あの時には、また泣いてしまったけれど、今は泣き笑いで話してあげられる。

 

「あなたのせい、いいえ、あなたのお陰よ、ヤン・ウェンリー。

 同盟軍の二千万人が亡くなっても、ハイネセンの人たちには遠い空の彼方のことだったの。

 あなたが、アルテミスの首飾りを壊し、停戦命令に従っても守ろうとした十億人は、

 ルビンスキーの火祭りの被害で、あの戦争の悲惨さの何十分の一でも実感したのよ。

 凄いスピードで復興が進んでいるわ。政府の官僚が、本当に協力してくれている。

 閣僚も、みんな私より優れた人たちばかり。本当に楽をさせてもらっているの。

 ねえ、羨ましいでしょう。悔しかったら、生き返っていらっしゃい」

 

 答えは返らず、復興の槌音が聞こえてくる。ハンマーが奏でる、未来に向けた街への凱歌。それに楽聖のピアノソナタを連想し、フレデリカは写真をそっと抱きしめた。

 

 ベートーヴェンが作曲した時には、その曲を奏でられるピアノはできていなかった。彼が没した後に、楽譜の音を出せるピアノはできた。弾き手が生まれるまでには、作曲後二十年以上もかかり、未だに難曲中の難曲と言われる、ハンマークラヴィーア。

 

 士官学校受験のために、ピアノを止めたフレデリカにはもちろん弾けない。あの中尉さんにサンドイッチとコーヒーを差し入れする前には、いつか奏でることを夢見ていた曲。

 

 ヤンの構想も同じく、自分たちの世代だけでは完成しないだろう。いれものができ、それを使う人が育たなければ、奏でられない夢の話。

 

 でも、夢は見るものではなく、叶えるもの。十四歳の時に恋した相手を、十一年を掛けて射止めた自分にとって何ほどのものでもない。夫を射止めたのとはわけが違う。全てを自分がやらなくてもいいのだから。

 

「まったく、あなたが私の一番の難敵だったわ。

 あなたに比べれば、帝国の殿方なんてずっと楽な相手よ。

 ねえ、そうでしょう、不敗の魔術師さん。

 あなたに勝てなかった人たちが、私に勝てるわけないわよね」

 

 宇宙から降りたって三度目の秋。澄んだ風がフレデリカの髪を揺らす。豊穣(ほうじょう)の秋の色だと、夫が愛おしげに撫でてくれた髪を。

 

 不敗の魔術師は、最後の休息時間(シンデレラ・リバティ)の慌ただしいプロポーズの後、ハイネセンでフレデリカに二度目のプロポーズをした。

 

 古典的に(ひざまず)き、真紅の薔薇の花束を差し出して、宝飾店に無人タクシーで直行。あの人らしくもないそつのなさだった。参謀役は、異なる褐色の髪と目の年長の部下たちに違いない。給料の三か月分の予算を告げて、彼女も店員も唖然とさせたのは御愛嬌だったが。

 

 とにかく、ヤン・ウェンリーを跪かせたのは、宇宙でフレデリカ・グリーンヒルただ一人。これはずっとふたりだけの秘密。 

 


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