銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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新帝国暦8年8月 はじめての行啓
夏休みは魔術師の城へ


「うわぁ――すごい」

 

 幼い歓声が二重唱を奏でる。

 

漆黒の虚空に浮かぶ銀色の星。恒星アルテナを公転する人工の惑星、イゼルローン要塞の威容が、新帝国軍総旗艦ブリュンヒルトのモニターに迫ってくる。

 

 二人の少年は、色調の異なる青い眼をこぼれんばかりに見開いてそれを凝視した。

 

 一人は深い青玉色で、もう一人は宇宙から見た大気圏の最上層の色。髪の色は眩い黄金とミルクチョコレート。互いに共通するのは、性別と翼を隠した天使を思わせる愛らしさである。

 

 彼らは、銀河帝国ローエングラム朝(以下新帝国)の初代皇帝と二代目軍務尚書の長男だった。大公アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムとフェリックス・ミッターマイヤー。赤ん坊の頃からの幼馴染で、この夏アレクは五歳、フェリックスは六歳である。

 

 

 イゼルローン要塞は、直径六十キロの人工惑星だ。外壁は四重のスーパーセラミックと特殊鋼による装甲で覆われ、九億二千四百万メガワットの出力を誇る要塞主砲『雷神の槌(トール・ハンマー)』を擁する。

 

 二万隻の艦艇を駐留できる宙港、同時に四百隻の艦艇の修理が可能なドック、一時間に七千五百発のレーザー水爆ミサイルを生産できる兵器(しょう)を併設し、最大で五百万人が居住可能な大都市でもあり、それに必要な施設はすべて備わっている。食糧生産機能も完備しており、完全な自給自足が可能である。毎食似たり寄ったりのメニューが続いても、文句がなければという但し書きはつくのだが。

 

 宇宙が、まだ銀河帝国ゴールデンバウム朝(以下旧帝国と称する)と自由惑星同盟、フェザーン自治領に分かれていたころ。この要塞は建造されてから、旧帝国と自由惑星同盟の戦争の最前線であった。六度にわたる自由惑星同盟の攻略は失敗し、イゼルローン回廊は無数の人命を飲み込んできた。

 

 所有者を替えたのは宇宙暦七九六年の第七次イゼルローン攻略戦。まだ三十歳にもならない若き司令官は、旧帝国が予想だにしなかった手法で、この難攻不落の代名詞を陥落させた。味方の血を一滴も流さずに。

 

 第八次攻略戦は、これまでと逆に旧帝国が攻略側であった。ほぼ同規模の宇宙要塞をワープさせて攻略にあたるという、こちらも奇想天外な作戦だった。最初、司令官を欠いていたが、イゼルローン要塞はその不在期間を耐え抜く。そして、同盟軍の司令官が帰還するや否や、移動要塞ごと攻略軍を撃破する。

 

 ローエングラム公ラインハルトの数少ない軍事的失敗と評されている。

 

 九回目の攻略戦は、帝国の双璧のひとりオスカー・フォン・ロイエンタールが主将となった。ここで要塞の所有者はふたたび旧帝国に変わる。

 

 しかし、これはフェザーン回廊を制圧した旧帝国による侵攻作戦のため、最大の敵手であるイゼルローン要塞司令官を足止めするためのものだった。宇宙最高の知勇の均衡を誇るロイエンタール上級大将に、さんざん手を焼いたものの、同盟軍はイゼルローンをあっさりと放棄した。三百万人近い民間人を避難させ、旧帝国軍本体の迎撃をしなくてはならなかったから。

 

 その後、自由惑星同盟は滅亡する。まだ旧帝国の宰相であったラインハルトを、指呼の間に捕らえながら、同盟政府の停戦命令に従った退役元帥の謀殺を図ったことが原因で。退役元帥の部下たちは、かつての上官が犠牲の羊として供されるのを傍観してはいなかった。

 

 ハイネセンを炎に包んで、多数の血を流し宇宙に逃れる。ただ一人を救うために。

 

 第十次イゼルローン攻略戦は、攻略側にとっては不本意の極みであった。いずれは共和民主制を守るため、行動を起こすことは想定していたが、時期がくるのがあまりにも早すぎた。

 

 しかし、防衛側にしてみれば痛恨の限りであった。通信に紛れていた『凍結の呪文』で要塞の攻撃機能が強制停止され、内部への侵入を許してしまう。この侵入者は『解放と服従の呪文』を唱えて、イゼルローンを乗っ取ってしまい、帝国軍を叩き出した。

 

 こうしてイゼルローンは、三度戦いによって所有者を替えた。その後、同盟滅亡の残余戦力を吸収して、1.5個艦隊二百万人のレジスタンスに変容する。

 

 それでも、新帝国軍の布陣に比べれば寡少なものに過ぎなかった。

 

 ただひとつ、彼らを率いる司令官の軍事的才能さえなければ。

 

 後に回廊決戦と名づけられた宇宙暦八〇〇年の戦闘で、自由惑星同盟軍史上最高と言われた智将が、再び牙を剥いたのだった。数ある異称の中で『不敗』と呼ばれた彼が、『勝つ』ために駆使した戦術は辛辣にして巧緻なものだった。イゼルローン回廊の狭隘な宙域を利用し、大軍の利を許さず、迂闊に手を突っ込んだ相手の喉笛を食い破った。

 

 それでも損耗を強い続ければ、最終的には新帝国軍が勝っただろう。しかし、二名の上級大将、二百万人の兵員の命を失っては、戦い自体に否を唱える重臣が出てきた。

 

 軍務尚書オーベルシュタイン元帥は、自分が使者としてイゼルローンに赴き、人質となっても、講和の場で司令官を捕殺すべきだとまで主張した。謀殺については却下されたものの、皇帝の体調不良もあって、講和の申し入れが帝国軍からなされた。

 

 それに赴く途中、司令官は地球教徒の凶弾に斃れ、還らぬ人となる。彼の死後、彼の思想を受け継いだ家族や部下たちが、皇帝と最後の決戦に臨み、講和を結ぶ。

 

 そして、イゼルローン要塞は、四年前に現在のバーラト星系共和自治政府から返還された。

 

 イゼルローン要塞を武力で陥落したのは史上でただ一人。ここまでの事績をなしたのと同一の人物だ。

 

『不敗の魔術師』こと故ヤン・ウェンリー元帥である。

 

 幼い主君と息子に、これから赴くイゼルローン要塞の概要を説明するために、ここ十年ほどの出来事を脳裏に列挙した軍務尚書ウォルフガンク・ミッターマイヤーは、思わず眉間を押さえた。

 

「なんと言ったものか…………。まったく、ひどいほら話でないなら悪い冗談だ」

 

 これがただ一人の武勲の、そのまた一部なのだから。旧帝国の終焉から新帝国の黎明期にあって、末期を迎えた自由惑星同盟の戦功は、ほぼヤン・ウェンリーが独占していた。

 

 『不敗』のヤンに戦術的勝利を得ることは、『常勝の天才』皇帝(こうてい)ラインハルトをしても遂に叶わなかったのである。

 

 イゼルローン要塞が返還されて四年。ようやく、大公アレクの行啓(ぎょうけい)が実現しようとしている。それは、あの魔術師の影を拭い去れたと確信するのに必要な時間でもあった。

 

 イゼルローン共和政府は、要塞の返還にあたって、新帝国の立会いの下に、コンピューターのプログラムやデータの破棄、初期化を行った。しかし、二度とあんな奪還方法を取られてはたまらない。巨大な要塞の各種ハードウェアを制御するコンピューターは、巨大かつ細分化されている。これら全てを洗い出し、場合によっては新品に交換する。口で言うのは簡単だが、核融合炉や空調、温度管理などの制御を止めることはできない。

 

 これらの中枢部は、建造当時のシステムが使用されており、当時の同盟軍にも解析されていた。簡単に乗っ取られてしまった原因の一つである。その古いハードとソフトを、最新のものに入れ替える。しかも要塞を稼働中のまま。

 

 大変な難事業であった。作業と試行運転、安全確認までを四年強で完了したのは、偉業といってよい。これだけで一冊の本になるだろう。

 

 大人の苦悩など知らず、幼児二人は口まで半開きにしてイゼルローンを凝視している。

 

 さて、二人がフェザーンを出立する前のことだ。ミッターマイヤーは悩んだ末に、五歳の子どもにも分かる説明にとどめた。

 

「昔の帝国が作った要塞で、バーラト自治共和政府の人たちが一時占領していたけど、

 二人がもっと小さい頃に返してもらったんだ」

 

「どうしてハイネセンの人たちがせんりょうしてたの?」

 

 大公アレクが青い瞳をまんまるにして問えば、

 

「どうしてイゼルローンを返してくれたの?」

 

 褐色の頭を傾げてフェリックスが続く。

 

 幼い子どもたちの質問は、単純なだけにミッタマイヤーを困らせた。大人になれば分かる。それはもう、嫌というほど教育されることだろう。だが、ここで言い逃れることは、彼らの父親に申し訳が立たない。結局、かなり簡単にだが、ヤン・ウェンリーの説明をすることになった。

 

「ヤンげんすいって、すごいねえ。お父さんとどっちが強かったの?」

 

 聞いたのがフェリックスだったのは、まだましと考えるべきなんだろうな。ミッターマイヤーは内心で嘆息した。彼が答える前に、大公(プリンツ)アレクが口を開いた。

 

「その人のこと、ぼく、しってるよ。

 うちゅうでいちばん強くって、お父さまが一回もかてなかったんだって」

 

「すごいや、ほんとなの、アレク殿下?」

 

 無邪気なやりとりに、ミッターマイヤーは精神的に三歩半ほどよろめいた。

 

「大公殿下、一体誰がお教えしたのです」

 

「お母さまだけど」

 

 皇太后ヒルダは、先帝ラインハルトの『戦いを(たしな)む』姿勢には批判的な一人だった。亡き夫に対してなかなかに(から)い採点である。ミッターマイヤーは反論を試みた。

 

「いいですか、殿下、戦いと言うものはその準備が一番大事なのです。

 先帝陛下はそれが宇宙で一番でした」

 

「お母さまもそう言ってたよ。ヤンげんすいとたたかわなければ勝ててたのにって」

 

 辛いどころではない。皇太后ヒルダは、軍事的浪漫主義成分が、亡き夫より遥かに乏しい。それゆえにか、政戦略面の視界はラインハルトよりも広く深かった。ラインハルトによく似た息子に、夫の激しすぎた内面は似てほしくないのかもしれない。

 

「殿下」

 

「ヤンげんすいが生きていらしたらよかったのにって。

 ねえ、たたかった相手なのにどうしてかな?」

 

 金髪の友だちの疑問に、フェリックスは少し考えて答えた。

 

「なかなおりして、友だちになれたかもしれないよ」

 

 息子の言葉は、ミッターマイヤーの胸にすとんと落ちた。

 

「そういえば、キルヒアイス大公殿下が生前におっしゃったそうです」

 

「ぼくがお名前をもらった人だよね」

 

「はい、先帝陛下の無二の親友でした。

 『ヤン・ウェンリーは敵に回せば恐ろしいが、

 友となすことができれば、これ以上の人物はいない』と。

 皇太后陛下もそのようにお考えになったのでしょう」

 

「お父さんは、ヤンげんすいに会ったことあるの」

 

 深い青が、養父を見上げて言う。実父の右目の色で、左目も同じ。顔立ちも特に目元が似ている。

 

「いや、直接対面したことはないんだ。

 ……そうそう、おまえの最初の質問だが、父さんもヤン提督には勝てなかったよ」

 

「ええー。お父さんも?」

 

「フェリクのお父さんもなんだぁ……」

 

 二人の少年はそろって目を丸くした。この蜂蜜色の髪と灰色の瞳をした、若々しい軍務尚書は迅速果敢な用兵家で、『疾風』の異称を捧げられた新帝国の至宝である。彼らにとっては最も身近な英雄だ。その人が勝てなかった相手だと言う。興味に目を輝かせた少年達に、頃合とみたミッターマイヤーは、戦術的撤退を図った。

 

「これは話せば長くなる。今日のおやつと夕食を抜いて、

 夜も寝ないで、明日のおやつ……いや、夕食くらいまでかかるだろうな」

 

「今日のおやつは、おばさまがあんずののトルテだっておっしゃってたよ、フェリク……」

 

「アレク殿下、今夜はぼくんち、フリカッセなんだ……」

 

「それなら早く帰れるように、私も仕事に戻らねばなりません。

 イゼルローンとヤン元帥のことについては、殿下の行啓の間に学ばれるとよろしいでしょう」

 

 ミッターマイヤーは名将だ。明確に目標を持ち、それを遂行したら速やかに撤退した。

 


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