銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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魔術師の椅子に冬の花束

 さて、直径六十キロの要塞は、内部が一万にやや欠ける数のエリアにわかれ、すべてを回るには数年単位の時間が必要だ。新旧の銀河帝国でも、要塞内すべてに足を運んだ者はいないだろう。

 

 ヤン・ウェンリーとその部下にとってはなおのことである。同盟軍史上唯一の要塞司令官は、行動派ではなかった。彼の日常の行動範囲は、自宅フラットと司令部の往復と、要塞宙港からの出撃、休日にたまに商業区に出掛けるくらいのものだった。その狭い行動範囲に含まれていたのが、ユリアンから教えられた森林公園だった。

 

 ようやく森林公園に行く時間がとれたのは、イゼルローンに到着して四日目、新帝国暦八年八月一二日のことだった。二人の少年は再び歓声を上げた。彼らが暮らすフェザーンは、海が少なく砂漠の多い惑星で、一面に木々が生い茂るような場所は帝都周辺には少ない。広いフロアには、高木と低木、潅木(かんぼく)が配されて、その間を小川が流れ、見上げる天井には空が広がっている。この空は映像であったが、旧都オーディンの気候と時間に連動したものになっている。午後三時、西に傾いた陽射しに、そろそろ秋の訪れを感じさせた。

 

 旧都オーディンは、帝都フェザーンやハイネセンに比べて高緯度に位置し、やや冷涼な気候だ。木陰に入ると少し肌寒く感じるほどである。母の言いつけを守っていたフェリックスは、まずアレクに持参してきた上着を着せて、次に自分も羽織った。

 

 ハインリッヒに先導されて、森の小道を弾むような足取りで二人は歩いていく。静かな森だった。微かに流水の音が聞こえるが、目的地に近づくにつれ、それも遠ざかる。人工天体内では梢を揺するような風は吹かず、鳥や小動物や昆虫もいない。木漏れ日が明るく差し込む時間は過ぎていて、森は薄暗いものになっている。

 

 今日この時間しか日程の調整がとれなかったのだが、ハインリッヒは少年たちのために残念に思った。ユリアン少年の保護者が、仕事をさぼって暢気に昼寝をしていたという牧歌的な雰囲気はない。優しい魔術師ではなく、悪い魔女が怪しい笑い声と共に顔を出しそうである。

 

 いつのまにか子どもたちのおしゃべりの音程が下がり、アレクとフェリックスが繋いだ手に力がこもっていく。色合いの異なる二対の青が、心細い様子で青年を見上げ、年上の方が士官学校の制服の裾を握り締めた。

 

「大公アレク殿下もフェリックスも、心配しなくても大丈夫です。

 ここには熊や狼はいないんですから」

 

 ハインリッヒは、下手な冗談で二人を慰めた。この森林公園は、アレクの要望を受けてから一旦閉鎖され、現在まで彼らと警備陣以外の入場は禁止されている。彼らが入場した入口から『ヤン・ウェンリーのベンチ』までは、特に徹底的な検査が行われ、監視システムが敷かれている。二人の少年に同行するのはハインリッヒだが、実は十重二十重に親衛部隊が取り巻いていて、多分いま宇宙で一番安全な場所なのだ。

 

「でも、おばけは出てこない? ゆ、ゆうれいは?」

 

 ちょっと涙ぐんだアレクは大層愛らしかった。誠に不敬な感想ではあるが。ハインリッヒは、緩みそうになる頬を必死で引き締めて答えた。

 

「ヘル・ミンツが教えてくださった幽霊騒ぎは、逃げ出した兵士だったでしょう?

 今のイゼルローンにはそういう人はいませんよ。

 もしも出てきても、私がやっつけるので大丈夫。ほら、ベンチが見えてきましたよ」

 

 ものぐさなヤンが、昼休みに行き来をするぐらいの位置なのだ。子どもの足だということを考えても、そんなに時間がかかるものではない。ハイネセンとオーディーンの気候の差と、来訪する時間の違い。そして、ヤンが昼寝や思索に耽っていた時から、過ぎた年月の分だけ成長した葉陰の濃さである。いくつかの誤算が、ちょっとした肝試しを演出してしまったに過ぎない。この時ハインリッヒはそう思っていた。

 

 同盟軍がイゼルローンに駐留していた頃は、この公園の利用者は少なかったのだという。実はそれ以前も同様だった。イゼルローンには、いくらでも娯楽施設があるのだから、樹木ばかりの公園に通いつめる物好きはあまりいない。その物好きたちもあまり足を運ばない、メイン通路から外れた一角が、『ヤン・ウェンリーのベンチ』であった。傍らには丈高いジャカランダが何本か植えられていて、頭上に大きく枝を広げている。

 

 照明が欲しくなるほどの薄暗さだった。たしかにこれならば、午後の早い時間でも日差しに邪魔されずに昼寝ができそうだ。ただし、子どもたちが漠然と想像していた様子とはだいぶ違っていた。

 

「ここがユリアンさんの言ってたベンチなんだね。

 でも、ぼくが思っていたのとちょっとちがうなぁ」

 

 フェリックスの言葉に、アレクは大きく頷いた。さきほどまでは二人で手を繋いでいたのが、今はフェリックスの身体にしがみついている状態である。

 

「ほんとに、ほんとにおばけはでてこないよね」

 

「申し訳ありません、思ったよりも暗いですね。

 いま照明を点けてもらうように連絡します。 少々お待ちを」

 

 ハインリッヒは、通信端末でその旨を施設オペレーターに連絡する。その照明もベンチの真上ではなく、十メートルほど離れた場所なのだが。三人ともそれを凝視して、灯りが点るのを待ったが、なかなか明るくならない。

 

「その照明は接触が悪いのか、点くのが遅くてね。

 キャゼルヌ先輩には頼んであるんだが、部品を手に入れるのが難しいらしい。

 もう少し待ってくれるかな」

 

 柔らかな抑揚の同盟語が耳を打ち、彼らは文字通り飛び上がった。慌てて振り返ると、ほんの一瞬前まで誰もいなかったベンチに黒髪の男性が座っていた。白いシャツに藍色のカーディガン、グレーのスラックスというありふれた普段着の、目立たないがそれなりに整った容貌の青年。少年たちは一様に硬直した。青年はおさまりのわるい髪をかきまぜて苦笑した。

 

「すまないね、驚かせてしまったかな?」

 

「ヤ、ヤン提督……」

 

 ハインリッヒは、震える歯の根の間から、ようよう言葉を絞り出した。

 

「こんなに小さな子が、ここにくるなんて珍しい。君はお兄さんかい?」

 

 幽霊か、それを装ったテロリストなのか。いずれにせよ、ハインリッヒは二人を庇って、銃を向けねばならないはずだった。だが実際には、声もなく頷くのがやっとだった。

 

「ひょっとして、薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊の誰かの家の子かな?

 お父さんのお迎えかい、えらいねぇ」

 

 彼らの帝国語から判断したのか、スラックスのポケットを探りながら青年は首を捻った。

 

「あの連中に、こんなに大きな子がいる既婚者はいたかなあ。

 ああ、しまった、やっぱり通信端末を忘れて来てしまった。

 連絡しようと思ったのに。まあいいか、すぐにユリアンが来るからな。

 私に連絡しそうな人の家にお邪魔するんだし。

 そうそう、君たちの家の人が軍にいるなら、伝えておくよ」

 

 三つの頭が勢いよく左右に振られた。

 

「本当に大丈夫かい? みんな顔色が真っ青だよ。まるで幽霊でも見たような顔をして」

 

「だって、おじさんは――」

 

 衝動的にアレクは反論しかけた。

 

「やれやれ、独身のうちはお兄さんと呼んでほしいなあ」

 

 苦笑いを浮かべて、また黒い髪をかき回す。その手がふと止まり、アレクを黒い瞳がまじまじと見つめた。次に傍らのフェリックスに視線が移り、アレクよりも二割ほど長い間凝視する。ハインリッヒには、顔よりも服装に視線を向けたようだった。彼は微かに笑みを浮かべて、ベンチの背にもたれかかると天を仰いだ。

 

「どうやら私は天使か妖精に会っているみたいだね」

 

 そう言うと、彼はベンチから立ち上がった。いつの間にか、優しい上品な色合いの大きな花束を手にして。

 

「坊やたちのお父さんか、お母さんによろしくね。では、おやすみ」

 

 言葉と同時に、背後から白っぽい明りが差した。その明るさに注意が逸れた半瞬後、ベンチは本来の状況に戻っていた。すなわち、無人に。

 

 数秒後、盛大な悲鳴と泣き声の二重唱が奏でられ、遠巻きにしていた親衛部隊が一斉に駆けつけてきた。彼らは、遠目にスコープでアレク達を注視していた。また、監視モニターも複数のオペレーターによってチェックされている。

 

 その全てに、黒髪の青年は映っていなかった。イゼルローンの幽霊騒ぎが、約十年ぶりに再演されたのである。ユリアンが、二人の撃墜王(エース)と立ち会ったものに比べて、格段に豪華な出演者(キャスト)によって。

 

 さて、ここまでならば夏の怪談で終わりだったが、駆けつけた親衛部隊がベンチの上にあったものを発見した。丸っこい形のピンク色の立体写真キューブである。どうやら子どもの玩具のようで、変色しかけた可愛らしいシールが貼ってあった。

 

 旧同盟ではありふれたもので、画質は大したことはないが、キューブ自体での等身大撮影、録音、再生が可能だった。とっくに内部電源は消耗していて、現在の両用規格電池が使用できないため、五年以上前のものだと思われた。

 

 このデータを抽出し、再生してみたところ、出てきたのである。白いシャツに藍色のカーディガン、グレーのスラックス姿のヤン・ウェンリー元帥が。大公アレクを除外して、ミッターマイヤー家の目撃者に確認したところ、二人そろってこの人だと断言した。

 

 念入りに点検したベンチの上から、こんなものが見つかるのは由々しいことだが、キューブが誤作動した映像だと結論づけた方が、精神衛生上はるかによろしい。

 

 しかし、フェリックスがあることを指摘したのだ。

 

「この写真だと、ヤンげんすいが花束をもっていないよ」

 

「花束?」

 

「ハインリッヒも見たよね。

 ヤンげんすいが、ぼくたちに『お父さんか、お母さんによろしくね』っていってくれたとき、

 大きな花束を持ってたよ。お母さんがすきで、よく冬に買ってくるお花だった。

 ちょっとなまえがおもいだせないけど……」

 

「すごいな、フェリックス。俺はそこまで見てなかったよ」

 

「それに声は? ぼくたちのことしんぱいして、とっても親切にしてくれたよね」

 

 そこを問われると、ハインリッヒも回答できない。義弟の観察眼の鋭さや頭脳の明晰さに感心しつつ、謎は深まるばかりである。

 

 ヤン・ウェンリーの肉声は、同盟軍内での発言やマスコミのインタビューなどが残っている。穏やかなテノールで、一流アナウンサーと比べても遜色のない、抑揚や敬語の美しい同盟語である。実は通信教育の副産物だったそれが、彼を智将、温和な紳士と他人に思わせたのだが。

 

 照明がなかなか点かなくて困るだとか、所持が義務付けられた通信端末を忘れてまあいいか、などという発言はない。データを解析するかぎりでは、最初から録音をしておらず、映像は無音であった。

 

 こういう物品が発見され、持ち主も特定できる以上、帝国軍として公式に質問をすべきなのだが、それには一つ問題があった。キューブの変色しかけたシールには、『リュシエンヌ・ノーラ・キャゼルヌ』という名前が書いてあった。当時の要塞事務監、そして現在のバーラト星系共和自治政府の事務総長アレックス・キャゼルヌの次女である。

 

 彼はヤン・ウェンリーと公私にわたり、最も長く深い親交のあった人物だ。その行政事務官としての手腕は、士官学校の事務次官のころからイゼルローン要塞事務監を経て、バーラト星系共和自治政府と、権限と差配すべき人口が増大しても、最高実力者という評価が変わることはないだろう。

 

 さて、穏やかな口調で毒舌を吐くのがヤン・ウェンリーの特徴であったが、アレックス・キャゼルヌの場合はいささか異なる。

 

 彼の舌鋒は、後輩よりもずっと容赦がなかった。多少はオブラートを着脱するものの、その鋭さ苦さを緩和するには大いに不足していた。銀河帝国の文官武官で、彼の毒舌の洗礼を受けずに済んだ者は少ない。

 

 死者にとって非礼ではあるが、前軍務尚書と事務総長の論戦又は謀略合戦が勃発せずにすんだことについて、両国政府はひそかに胸を撫で下ろしたものだ。もっと恐ろしいことは考えないようにした。それは、事務の達人らが国境を越えてひそかに団結し、両国の面々をしごき抜くという地獄絵図である。

 

 温和な外見よりもずっと豪胆な『鉄壁』ミュラーだったが、超光速通信のモニターに辛辣な光を湛えた薄茶の瞳が映ると、緊張せざるを得ない。新領土駐留軍司令官として、半年前までしごき抜かれた相手である。的確に急所を抉り抜く指摘の鋭さよ。同僚のエルスマイヤーとともに、何度鬼教官の課題に悲鳴を噛み殺しつつ、対処を重ねたことか。


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