銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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『たそがれ』と『かはたれ』薄暮と薄明。


誰そ彼の少女 彼は誰の少年

 もうひとつのヒルダの疑問は、まもなく解消した。破れた初恋の痛手に泣いたのは、自分の息子だけではなかった。やはり誕生日を迎えた一歳上の少年も、濃藍色を涙に濡らしていたのである。

 

「なんだ、フェリックス。そんなに簡単に泣くものじゃないだろう」

 

 息子を励ます父親の言葉に、ヒルダは腑に落ちた。アレクにとって、もっとも身近な親友の父に似たのだ。ほんとうに息子はいい人を教師としたものだと思う。そして父性の重要さを痛感する。男同士の語らいに、無粋な聞き耳を立てるのものではないと、ヒルダは静かに立ち去った。

 

 親友とは違って、フェリックスは父の言葉にも浮上しなかった。

 

「あのね、父さん。

 フロイライン・ペクニッツは一人っ子で公爵家のあとつぎだから、およめさんにはいけないし、

 ぼくも一人っ子だから、おむこさんにするとお家が困るでしょうって言われちゃったんだ」

 

「は、はぁっ結婚!? あ、や、その、そうか。そりゃあ、困ったなあ」

 

 ミッターマイヤーは困り果てた。身分の差ではなく、実にスマートな理由で断られてしまった。父さん達も頑張るとは言うに言えない。息子の教育に悪いというか、まだ早い気がする。というよりも、爵位ある貴族の令嬢にとって、交際と婚約と結婚は同義なのだ。ミッターマイヤーは、おさまりの悪い蜂蜜色の髪をかき回した。

 

「おまえには結婚はまだ早いよな、フェリックス」

 

「うん。でも、結婚するお相手でないとおつきあいができませんって」

 

 それでは軽々に平民の求愛に応じられない。返答は(ナイン)しかないわけだ。ようやく、ヒルダをなかなか貴族らが受け入れなかった訳もわかった。

 

「難しいなあ。父さんたちの知らない世界のことだよ」

 

「父さんにもわからないの?」

 

「すまんな、父さんも勉強不足だった。もっと学ぶとしよう」

 

 平民と貴族、男と女。銀河帝国には身分という水平の壁、性という垂直の壁がそそり立っていた。同じ国の中に違う世界がある。平民の男であるミッターマイヤーが考えもせず、知りもしなかったことだ。

 

 時の神の見えざる(しがらみ)は、まだそこかしこに残っていた。皆が逃亡奴隷であり、それゆえに平等を掲げられた新領土が、二百年前に乗り越えていた壁が。

 

 またも蜂蜜色の髪を乱す軍務尚書だった。

 

 しかし彼はその翌日、つれなき美女(サン・メルシ)の卵の囁きに硬直した。戦場の雄、帝国の至宝を心底から戦慄させたのは、さらに深い理由からであった。

 

「軍務尚書閣下やご子息には失礼なことを申しましたが、お許しくださいませ。

 わたくしは、コールラウシュ家にも近い血筋なのです。

 ご子息にはお教えできませんが、閣下にはお話しておきます」

 

 この少女は知っているのだ。当然すぎるほど当然ではないか! ロイエンタールは、彼女の母の家族の処罰も担当したのだ。エレオノーラは涙を呑み、息を殺し、彼の動静を窺っていたのだろう。逃げおおせた親族に、密かな援助をしたとしてなんの不思議があろうか。

 

 母に似た象牙色の髪の少女。息子の実母の髪はクリーム色。その遺伝上の相似。

 

 そして、エレオノーラとエルフリーデ。五つ違いのふたり。下位の者が、優れた親族にあやかった命名をするのは、よくある貴族の慣習だ。

 

 カザリンは群青色の瞳を、ずっと上にある灰色の瞳に向けた。

 

「そして、ご子息はマールバッハ伯爵家の血もひいておられます。

 その血は、帝国の将来の大きな力となります。

 旧帝国貴族と新帝国首脳部の融和にして、大公アレク殿下の直臣としても。

 当家の婿となられるには、もったいないお方です」

 

 ものも言えぬミッターマイヤーに、カザリンは優美な会釈をして、静かに歩み去った。

 

「……なんということだ。だから、フェリックスは断られたというわけか」

 

 落日を迎えた王朝の娘。黎明に恒星を失った王朝の息子。そして古い血を引き、新たな風が育てた息子。

 

 二つの光の狭間(はざま)に、いまだ小さな、だが新しい星々が生まれる。

 


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