銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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サムシング・フォー ラプソディ

 キャゼルヌの言葉どおり、様変わりしたのはバーラト星系共和自治政府だけではない。ウルリッヒ・ケスラーは、憲兵総監から警察総監に転任した。多くの憲兵も警察官に転属し、階級の偏りの是正に大きな役割を果たした。ラインハルトの死後五年が過ぎた頃、警察機構がおおむね完成したのをきっかけに、彼は元帥号を返上した。

 

「軍民問わずに治安を維持するならば、軍の階級はむしろ支障となってくるでしょう。 

 先帝の遺恩はまことにありがたく、非才の身には余りある栄誉でありましたが、

 部下の多くも軍を退役して転属いたしました。

 警察機構の最上級者が、ひとり旧来の階級を有するのも、部下にとって不平の素となりましょう」

 

 そう奏上された皇太后ヒルダは、深い感謝とともに快諾した。治安維持の最前線で、もっとも庶民と接しているケスラーである。平和になって、いつまでも軍服がのさばりかえっていることに、不満を抱きつつある世論を慮ったのだ。ラインハルトの在位中に憲兵隊を再編制し、警察機構へと移行させた人間にふさわしい見事な判断だった。

 

 彼には、二十歳以上若い妻がいて、もともとは皇太后ヒルダの侍女だった。宇宙にあっては精強の帝国軍も、地上にあっては一人一人の人間の強さしか持たない。憲兵という地上部隊を握っている彼こそが、その気になればもっとも玉座に近い位置にいた。その気にならないというケスラーの為人(ひととなり)を見抜いたのは先帝だが、自らの遠縁の侍女との婚姻を取り持った皇太后も見事である。

 

 無論、ヒルダにはそんな意志はないだろう。その義姉の発想とも思えない。黒髪の貴婦人の知恵だと思われた。元帥という最高の軍位を賜り、さらには皇太后とも遠縁にあたる女性と結びつける。夫人のマリーカは、末端といえど貴族だ。夫への恋愛感情だけではなく、柔らかな防波堤、絹の錨鎖(びょうさ)となることも承知だろう。それは彼女の胸に秘められているだろうし、妻の隠し事を見抜ける夫はそういない。ヤン・ウェンリーが妻帯者の先輩に伝えた閨閥の意味。これも帝位を保つ、古くからの知恵なのだった。

 

「ケスラー元元帥が口火を切ったのは、さすがだと思ったね。

 科学技術省と軍、学芸省の長距離跳躍航行の研究庁に配属されたアイゼナッハ元元帥も、

 元帥位を返上したからな。よくも、口上が言えたものだが」

 

 アイゼナッハも、どうにかケスラーのような口上を述べたと思われる。もともと、彼は後方業務や輸送、索敵や補給線の分断といった、運輸流通への適性を有する将帥だった。冷静で地道、寡黙だが清廉な男でもある。というか、あまりの無口に贈賄側も打つ手なしというものだ。かつては賄賂の巣になっていた、科学技術省を含んだ組織の長としてはふさわしいだろう。そんな帝国軍三高官の配慮であった。

 

 アイゼナッハは軍服を脱ぎ、周囲が平服になると、多くはないが的確な指示を出すようになった。部下からの報告にもじっと耳を傾け、指摘すべき点は決して外さない。軍服への緊張による場面緘黙(かんもく)説は、どうやらあたりのようだった。ペクニッツ公爵家の侍医にそっと耳打ちした、彼の奥方の功でもある。

 

 『大丈夫なのか、この元帥』とバーラトの面々が危惧していた彼だが、文官としてはさらに活躍し、千光年単位の跳躍航行開発の先鞭をつけた者として、長らく伝えられるようになる。

 

「もっと風通しがよくなるに越したことはないんだが、それでも上々だろうよ。 

 皇太后が、先帝ほどの強烈なカリスマを持たないがゆえに、反感も抱かれにくいのさ。

 もっと、女性に進出してもらいたいもんだが、あと十数年は難しいだろうな」

 

「そうですね。ヒメネス長官が言ってましたよ。

 帝国の女性の一番の仕事は、夫を支えて子どもを産み育て、家庭を守ることなんだろうって。

 その典型が大公妃殿下であり、ペクニッツ公爵夫人だともね。

 女性の教育や社会進出が進めば、ああいった存在は消えていくって、

 ものすごく切ないことを……」

 

「その先は言わんでいいさ。俺だって娘の将来に夢を見てたんだからな」

 

 三人の姉を持つ末っ子長男と、四人家族の中のただ一人の男は、同時に溜息を吐いた。五百年近く女性の権利が制限されていた帝国では、(いにしえ)の劇作家の言葉がそのまま残っている。

 

 『弱きもの、汝の名は女』

 

 新領土では違う。

 

『強きもの、汝の名は女』

 

 自由と平等という点ではそちらが遥かにいい。が、持たぬものに憧れるのは人の(さが)だ。たおやかだとか、儚いほどに繊細だとか、そんな女性は新領土には多分いない。

 

 アッテンボローもそこまで高望みはしないし、手袋にピンセットで扱うようなパートナーはいらない。だが、楚々としたとか、物静かで控えめとか、せめてそのぐらいの夢は見たい。問題はそういう性格の女性が、強烈な三人の姉と、個性派すぎる両親とうまくやれるかという点だ。今まで、恋人がいなかったわけではないのだが、結婚にまで至る相手はいなかった。

 

 二十三歳上のヤンが初恋だったキャゼルヌの長女は、二歳差が小さい方については首を横に振ったものだ。

 

「アッテンボローおじさま本人は悪くないけど、

 結婚は二人だけのものじゃないわよね。私、あのメンバーとは無理。

 友人にはいい人たちだけど、家族としては。リュシーはどう?」

 

「お姉ちゃん、それはね、ヤンおばさまの再婚以上の難易度だと思うよ」

 

 聞くともなしに聞いていた父親は、新聞ごとソファーに横倒しになるところだった。母親のほうは、娘達をたしなめた。

 

「あなたたち、失礼なことを言うものじゃありません。

 アッテンボローさんは、かなり理想が高いけれど、それは間違いじゃないのよ。

 四百億の人のうち、半分は女の人で、その五分の一はお年頃。

 ざっと四十億人の中には、絶対にそんな人もいるんだから」

 

「おいおい、オルタンス。そいつはポプランの言い種だ」

 

「あら、まあ。でもそれは真理なのよ、アレックス。賢者の言だわ。

 そんな中で出会った、この人だと思う相手と結ばれるからこそ、

 いろいろと腹の底で思うことがあってもやっていけるのよ。

 これに妥協をすると、あまりいいことはないのよ、あなたたち」

 

「お母さんも?」

 

「ご想像にお任せするわ、リュシエンヌ・ノーラ」

 

 妻の言葉に、巨大な圧力を感じたキャゼルヌだった。多数決の原理に従うならば、家庭では常に野党となる宿命だ。そんなことは知らない童顔でそばかすの後輩も、そろそろ四十歳。どうしたもんかと思うのである。姉が三人もいる割に、夢を見過ぎだろうと……。

 

 複雑な思いの二人の前に、日替わりランチが運ばれて来た。アッテンボローは冷水で喉を潤し、ついでに溜息を隠して話題を変えた。

 

「その、切ない話はおいときましょう。

 なによりもユリアン経由ってのは、カリン夫人に睨まれそうですからね」

 

 昨年の宇宙暦808年秋、ユリアン・ミンツとカーテローゼ・フォン・クロイツェルは結婚し、ささやかな華燭の典を上げた。ささやかでないもののひとつは、列席者の顔ぶれである。バーラト共和自治政府の閣僚に官僚がずらりと並び、フェザーン駐留事務所の面々は、往復で一月の休暇となることもおかまいなしに出席した。送迎の役を仰せつかったのが、『宇宙一速い』を売りにした運輸会社社長、オリビエ・ポプラン。

 

「あのう、弊社の船は人員輸送むけじゃないもんで……」

 

 遠まわしにお断りを告げようとするかつての問題児の退路を、ムライ事務長は穏やかな口調で塞いだ。

 

「なに、別にかまわんよ。我々は皆元軍人だ。軽巡洋艦の乗り心地は知っている。

 ポプラン社長や乗組員に、文句をつけることはないだろう。

 すまんが、帰りの方もお願いしたいのだがね」

 

 提示された値段は、大手星間旅客運送会社のビジネスクラス料金に匹敵した。それが、ムライ、リンツ、スーン・スールとメルカッツの四人分。通常の貨物輸送に便乗するのだし、食事は船員同様でいいとのことだ。ポプランにも招待状は届いていたので、出席のつもりで仕事の日程は組んであった。この四人分が上乗せされれば、少なくない儲けになる。

 

「は、はあ……さいですか……。えー、ご利用誠にありがとうございます……」

 

 こうして、往復とも依頼を受けざるを得なくなった『きらきら星(トゥインクルスター)運送』社長であった。結婚式で新婦の友人と仲良くなって、心もベッドも温まる交友を楽しむどころではない。そんなことはお見通しのムライは、早々に釘を打ち込んだのであった。

 

 ものものしい式にはしたくはないということで、二人の結婚式はヤン家でのガーデンパーティーだった。しかし、出席者名簿のリストが豪華すぎる。列席者のはずのカスパー・リンツ退役大佐は、かつての部下を呼び寄せた。有志によってフラワーシャワーを行うから、式の終わりまで待機するようにと。現在もバーラト政府のSP等として活躍中の、白兵戦の最精鋭たちが会場を取り巻いた。

 

 師父とは違って、正装を見事に着こなした新郎は、かつての師匠に控えめに抗議した。

 

「あの、本当に大丈夫ですから、こんな警備はやめてもらえないでしょうか」

 

「ははは、誤解するなよ。フラワーシャワーをするだけだからな。

 かつての弟子が、その一番の師匠の娘と結婚するんだ。

 こんなに喜ばしいことはない。

 あの人たちの分まで、生き延びた連中にも祝福させてやってくれ」

 

「あ、ああ、そうですか。お心遣いありがとうございます」

 

 それを持ち出されると反論のすべはなく、ユリアンは平坦な口調で礼を述べることしかできなかった。リンツも、フェザーンでだいぶ狸になったようだ。外見は巨大な軍用犬といったところだが。第14代連隊長の動員令に、非番の者は全員出席し、可能な者は当番でも休暇をとってやってきた。

 

 総勢五十人の二個小隊である。揃いも揃って屈強で、眼光の鋭い猛者たちが、びしりとスーツを着こなして要所要所に立っている。紅薔薇の花弁を盛った、レースの花かごを下げて。花弁の下にはなにが潜んでいることやら、限りなく疑わしい集団だった。

 

「もう、冗談じゃないわよ。あの不良中年、どこまで私に祟る気なの!」

 

 玄関そばの控室で、麗しき花嫁の機嫌は下降する一方だった。

 

「そんなに怒ると、せっかく綺麗な花嫁さんが台無しよ」

 

 一児の母になっても、相変わらずほっそりとした赤毛に灰色の目の女性が諭す。

 

「だって、聞いてください、バーサさん。私、結婚の為に戸籍を取ったんです」

 

「ええ、それがどうかしたの?」

 

「あのろくでなし親父、宇宙暦800年の4月4日に私の認知届を出してたんです」

 

 大きな灰色の目が瞬きし、赤ワイン色の髪が傾げられる。

 

「ええと、それが何かまずかったのかしら……」

 

 カリンは、白絹の手袋に包まれた両の拳を、きりきりと鳴るほど握り締め、勢いよく振りおろした。フレデリカから譲られたという、ビンテージレースのドレスともども心配になったバーサだ。ああ、せっかくのサムシング・ニューとサムシング・オールドが、大丈夫なのかしら。

 

「誕生日だったんです! ヤン提督の! 

 それも、ヤン提督がイゼルローンで過ごした、最初で最後の誕生日!」

 

「……きっと偶然よ」

 

 一瞬言葉に詰まったバーサ・(ブライス)・ラオだったが、笑顔を浮かべてそう言った。それで押し切るしかない。ヤン・ウェンリーは誕生日の度に、歳をとるのは嫌だとごねていた。彼の周囲の者は慰めたり、からかいの種にしたり、咳払いをしてみたりと様々な反応を示したものだ。ヤンからの認知の勧めに、シェーンコップが素直でない対応をした可能性は非常に高いが。

 

「絶対に違います。ユリアンもアッテンボローさんも、ポプラン隊長までそう言ったわ。

 狙って出したって!」

 

 あの連中め、黙っていらっしゃい。ブライス元大尉は、笑顔の下で魔術師のファミリア(使い魔)に呪詛の言葉をぶつけた。

 

「こうは考えられないかしら。あなたは、その日の前に初陣を迎えたでしょう。

 あの時は無事に帰ってこられたけれど、お父様だって悟るわよ。

 次の戦いではどうなるかわからないって。

 ヤン提督のお誕生日は大規模演習がなかったの。だから手続きに行く余裕ができたのよ」

 

「どうしてそう言い切れるんです!」

 

「誕生日ということは、満年齢健診日よ。

 今だから言えるけれど、ヤン提督のお母さまは三十三歳で心疾患で亡くなっているの。

 キャゼルヌさんもクリスタ先輩も、健診健診ってうるさかったのはそのせい。

 ヤン提督もしぶしぶだけれど従っていたわ。4月4日の午前中は司令官不在により、

 大規模演習や幕僚会議は行わないと佐官や将官は知っていたの。

 だって、通知を出したのは私だもの。だからね、必然的な偶然なのよ」

 

 カリンは形のよい唇を噛んだ。

 

「そんな顔をしないで。お化粧も台無しになるわ。

 リンツさん達がいかにシェーンコップ中将を慕っていたか。

 お父様があなたの夫となる人を、可愛がっていたことも思ってあげて。

 みんな、シェーンコップ中将の代理のつもりなのよ、ね」

 

 ハンカチを差し出しながら、バーサは優しく言った。

 

「サムシング・ブルーとは言うけれど、マリッジブルーなんて結婚式には必要ないわ。

 その綺麗な青紫の瞳だけで充分。こすったら駄目よ、真っ赤になっちゃうからね。

 ハンカチは貸してあげる。サムシング・ボロゥも幸せのおまじないよ」

 

 なんとか慰めに成功し、式典は温かな祝福に包まれ、つつがなく進行した。ウェディングケーキの入刀までは。

 

 招待客の一人、ムライ夫人の手になるものだ。彼女はハイネセン一とも呼び声の高い、高級ホテルの製菓部門長である。旧同盟時代の製菓コンテストで、何度も優勝を果たしている。そんなプロが、結婚祝いに持てる技術の粋を凝らして作ったケーキは、素晴らしいものだった。

 

 何層にも重ねられた、しっとりと繊細なスポンジケーキ。間に挟まれていたのは、フルーツや生クリームなどの他に、ブランデー風味の紅茶のムース。純白の表面には、色とりどりのフルーツで作られた薔薇の花園が広がる。結婚式に出席することなく逝った、夫妻の父母と師父をも象徴する見事な作品であった。

 

 これで新郎新婦と列席者の涙線が緩み始めた。涙ぐみながら、二人はケーキカットを終える。製作者が熟練の技で均等に切り分け、列席者にサーブした。全員に一輪ずつの本物のミニ薔薇を添えて。注意深い者は、皿に描かれたホワイトチョコソースの装飾が、五稜星の頂点を形作っていることに気がついた。

 

 すすり泣きの声が混じり始めたが、みな大層な美味をせっせと堪能し、フォークの手が止まることはなかった。ムライ夫人は、予備に持ってきたもう一台のケーキも五十等分に切り分け、瞬く間に五十輪のクリームの薔薇を飾ると、フラワーシャワーに集まっていた面々にも振舞ったのだ。野太い男泣きがヤン家を取り巻いた。

 

「困ったものだ。おまえ、少々やりすぎではないかね」

 

 たしなめる夫に、夫人は肩を竦めた。

 

「結婚式は感動で盛り上げるのが、ホテル・ユーフォニアの方針でね。

 正直に言うと、泣かせてなんぼよ。まあ職業病だと思ってちょうだい」

 

「まったく、近所の人が何事かと思うだろう。

 ユリアンくん達夫妻は、しばらくはここに住むのだぞ。どうする気だね」

 

「いいのよ、変な輩が近づかなくなるんですから。

 あのご夫婦のプライベートを盗み撮りしようと思う奴に、

 男泣きするほど結婚を祝福する、屈強な二個小隊の存在を見せつけてやったから」

 

 とんでもないことを言い出す妻に、ムライは眉間に皺を寄せた。

 

「何を言い出すんだ、おまえは。そんなものに効き目があるものか」

 

 ホテル・ユーフォニアは、政界、芸能界、経済界の上層部を顧客に持つ。実直で謹厳な夫が、想像もつかない危機管理があったものである。

 

「ユリアンさんは、若くして英雄になって、平和を掴んでくれたわ。

 でも、これからの人生の方がずっと長くなるでしょう。

 もう戦わなくていいし、思うとおりに生きればいい。

 英雄でない当たり前の人生を作らなくちゃいけないわ。

 それに一番邪魔なのは、イエロージャーナリズムですよ」

 

「それは私もわかっている。逆効果ではないかといっているんだよ」

 

「私もね、ちょっとはメディアにコネを持ってるんですよ。

 外の皆さんに配ったフランボワーズクリームの薔薇のケーキ、

 うちのホテルの新作で、散々雑誌に紹介されたものなの。

 主なメディアの編集部にはわかるでしょうよ。

 彼らにちょっかいを出したら、うちからの広告料は出ないとね」

 

 ムライは実に疑わしげな視線を妻に向けた。

 

「そんな決定権が、おまえにあるのかね」

 

「あたりまえでしょう、このレベルのケーキだと三千ディナールも取るのよ」

 

 ムライは、目の前に置かれたケーキにも疑いの眼差しを向けた。今回のケーキは約百人分。つまり、これ一切れ三十ディナール。久々に帰宅した一週間前から一昨日まで、散々試食に付き合わされた。ようやく完成を見たのはいいが、彼にはすでに食べ飽きてきた味である。

 

「これがそんなに高価だとは、フェザーン人以上のぼったくりだな」

 

「主には場所代と人件費ですけどね。

 材料費そのものは、ホテルなら六分の一ってところ。

 今回はもっと奮発して、特に紅茶とブランデーは最高級品を使ったわ。

 一昨日までの試作より美味しくなってるから、食べてごらんなさいな。

 そうそう、ともかくね、ホテルのイメージを壊すような、

 イエローペーパーを抱えているところはお断り。それが私の方針です」

 

 ムライは言い返すことを諦めてケーキに手をつけた。食べている間に、反論を考えることもできよう。そう思ったのだが、妻の言葉に頷くしかなかった。

 

「前言を撤回しよう。たしかにこれにはその価値があるな。

 一昨日のものよりずっと旨いよ。彼らのために、よく頑張ってくれた。

 ご馳走さま、そしてお疲れさん」

 

 そんな会話の間に、祝辞が読み上げられていく。これが豪華すぎるものの三点目だった。バーラト政府からも、新郎新婦とは直接の縁がないため、列席していない閣僚のホアン・ルイとシドニー・シトレ。これには理解ができる。新郎の師父ヤン・ウェンリーとの関係が深い人たちだからだ。

 

 より数が多いのは銀河帝国からだった。皇太后ヒルダにグリューネワルト大公妃。大公アレクとフェリックス・ミッターマイヤーからも、可愛らしい直筆のメッセージが。そして七元帥からは、ミッターマイヤーとワーレンとミュラーが祝いの言葉を寄せてくれた。これらはムライが預かり、ポプランが運んできたものだ。

 

 カリンの職場の友人らは、呆気に取られるしかなかった。彼らも無論、ユリアン・ミンツがバーラト星系共和自治政府の生みの親の一人だとは知っている。驚かされたのは、銀河帝国にただ二人の女性皇族が、カーテローゼ・(フォン)(クロイツェル)・ミンツ様と名指しで祝辞を贈ったことだ。それに新婦は真っ赤になった。

 

「ああ、やめてよ、恥ずかしい……あれは若気の至りだったのに、 

 感謝の言葉とかほんとに勘弁して。むしろ忘れてほしいのに……」

 

 ユリアンは必死で妻となったカリンをなだめた。

 

「でもカリン、お二人のご活躍には、確かに君の影響があるんだよ。

 悲しみや過去を打ち砕くのは、若さなんじゃないのかなあ」

 

「でも、あんなに誉めそやされるようなものじゃなかったのよ!

 どうしよう、もう恥ずかしくて休暇明けに会社に行けないっ」

 

「ごめん、それは困るんだ。稼ぎの少ない夫でごめん……」

 

 なんのかんのといっても、ユリアンの師父は高給取りだった。婚約指輪は給料の三か月分という言葉を真に受けて、五万ディナールの指輪をひょいと指差し、フレデリカを大慌てさせたそうだ。彼女は、半月ほどの婚約期間のために、そんなに高価なものは困りますと言って辞退した。

 

『それなら、結婚指輪を五万ディナールのにしようか』

 

 あっさりそう言うのが、世事に疎いヤンのヤンたるゆえんである。

 

「高級車一台分、指にはめて家事なんてできないわよ。ましてや、当時の私の腕前で」

 

 フレデリカのしみじみとした述懐である。惚気もたっぷり混じっていたが。

 

「必死で説得したのよ。これから年金生活になるんだから節約しましょうって。

 ほら、あの人のお父様は骨董道楽だったそうでしょう。

 あの遺産のコレクションが本物だったら、売却すれば学者として、

 一生何不自由なく生活できるはずだったのにって、ぼやいていたけれど」

 

 ユリアンとカリンは、思わず顔を見合わせたものだ。ユリアンの職業である大学教員の生涯給与は、教授に出世して三百万ディナールぐらいだ。元帥のヤンならば、十五年かからずに稼げただろうが。

 

 歴史学者は、とかく資料の収集に金がかかる。普通なら生活できる範囲で本代を切り詰めるが、制限しなければ青天井である。それが何不自由なく、というとユリアンの想像を超えてしまう。

 

「この人はお金持ちの子だったんだなあって、あの時実感したわ。

 自分にとって使う価値があると思えば、お金を出すことに躊躇しないのよね。

 でもね、主婦にとっては怖くって、とても身につけられないでしょう。

 給料の三週間分にしてもらったの。それでも一万ディナール、少佐の給料だと三か月分。

 五万の結婚指輪だと式までにできあがらないって、お店の方も言ってくれたのよ」

 

 それに比べれば、ずっとささやかな指輪の交換。これがもうひとつのサムシング・ニュー。拍手と喝采を受けながら、誓いのキスをする二人。彼らは、新たな人生に踏み出し、希望の進路に応じた教育を受けなおした。それぞれが仕事に就いて、経済的に自立できるまで待った結婚だった。自分の母のような苦労はごめんだと、カリンが絶対に譲らなかった点だ。おとぎ話に出てくるような美男美女のカップルだが、決して甘いばかりではないのだった。


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