銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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本作は銀河英雄伝説原作に準拠しております。アスターテ会戦時、ヤンと共にパトロクロスにいたのは、アッテンボローではなくラオですのでご了承ください。


魔術師の左腕

 ユリアン夫妻の結婚式からそろそろ九ヶ月。新婚生活は円満のようだ。

長い交際期間で、互いの性格を熟知しているからだろう。夢や幻想は少なそうだが。

 

「新婚家庭にお邪魔するのもなんだし、先輩のお宅に呼び出すのもあれですし。

 ユリアンの職場ってのも、問題になりそうですからね。

 やはり、俺が独立してからのほうがいいでしょう」

 

「いや、喫緊の問題らしい。海賊うんぬんよりもな」

 

 意味ありげに言葉を切る先輩に、アッテンボローは、人の悪い笑いを浮かべた。

 

「ははーん、綱紀粛正の必要性ってわけですね。

 皇帝ラインハルトと共に戦った連中じゃなく、もっと若い奴らかな。

 狭くて長い回廊をいいことに、商人相手になにやらやってると?」

 

「察しがいいな、おまえさん」

 

「おやおや、イゼルローンに物資を補給していたキャゼルヌ事務監が、

 一番に気を遣っていた点でしょうに。

 そっちの情報も教えてやったらいいじゃないですか。

 イゼルローン回廊の宙点のどこそこだとか、待ち伏せて抑えるんなら、あっちとそっちだって」

 

「そいつを『鉄壁ミュラー』は演習でやりたいんだろうさ。

 今のうちにやめておけとな。腹芸もできるようにもなったってことだ」

 

 キャゼルヌは肩を竦めた。惑星メルカルトのベテラン現地行政官ハリー・ハンターに、徹底的にしごかれたとみえる。ミュラーは、あの手強いおばちゃんに相当に気に入られたらしい。バーラト政府との連絡会の雑談の折、いい娘を紹介しようかしらと真顔で言っていたものだ。

 

 しかし、百五十年殺し合った国の軍の首脳と、結婚しようという新領土の女性はいない。若い世代が高官となった帝国軍には、縁談を紹介してくれる年配の上官が不在であった。帝国首脳部の結婚問題も、そろそろ切迫してきたのだ。

 

「皇太后の和平政策で、法制改正がかなり進んだこともある。

 もう戦時中とは言えんからな。『軍規を正す!』で銃殺するわけにもいかんさ。

 あれを廃止してくれてよかったよ。

 将官がごろごろいる今の帝国軍では、いくらでも悪用できる軍法だったからな」

 

 

「確かにね。執行者によって正邪が左右されるんじゃ、法とは言えませんからね。

 すべての人間が、『疾風ウォルフ』のように公明正大じゃありませんよ」

 

「俺は『鉄壁ミュラー』はもっともそれに近い人間だと思うよ。

 彼はヤンに二度も負けて、敗戦の悲惨さというものを、最もよく知る将帥だ。

 なのに、俺と違って恨みを昇華させることができるわけさ。

 こいつは得がたい資質だぞ。単に忘れっぽいだけなら、

 ヤンに二度負けて、三度戦ったりはできないからな」

 

 キャゼルヌの毒舌に、アッテンボローはにやりと笑った。

 

「たしかにね。一回で終わって次はありませんよ。

 ただ、ヤン先輩に二度負けたのは、もうお一方いますがねえ」

 

「彼は彼で裏表がないという美点があるさ。

 ムライ事務長が手を焼いているが、悪気はないんだ、悪気は」

 

「だから始末におえないとも言いますよね、それ」

 

 

「そのぐらいのほうが、フェザーン守備にはいいんだよ。憎めないところがあるしな。

 たしかに政治には向かないだろうが。あれに白黒なんてものはない。

 ミュラー元帥は、世の中は灰色の濃淡だとわかってるのさ。

 だからこそ、苦手な狭い回廊でおっかけっこの練習をやる気なんだな。

 悪いものを芽のうちに葬ってしまうつもりなんだろう」

 

 その口ぶりに、アッテンボローは鉄灰色の髪をかき回した。

 

「おやおや、ほんとうにお急ぎのようで」

 

 キャゼルヌが声を出さずに口を動かした。アッテンボローには『サイオキシン』と読み取れた。髪と同色の眉が顰められる。キャゼルヌは続けた。

 

「うちに夫婦揃って呼べばいいさ。リュシーの新作菓子の試食の頭数も必要なんだ。

 どうやら、本気でムライ夫人の後継者を目指すつもりらしい。

 ハイネセン記念大学の栄養管理学科に願書を出すんだとさ。

 あれは大変な激務だと言い聞かせたんだがなあ」

 

「そのかわり、うちの政府の誰よりも高給取りですよね。

 道理で、ムライのおっさんが辞めろなんて言わんわけですよ。

 あれは一種の芸術というか、感動しましたよ。ものすごく美味かったし。

 粋な結婚祝いでしたが、ホテルだとケーキのみで二千ディナールからだそうです。

 姉貴どもが羨ましがってました」

 

「そうだろうよ、それだけの金を取ってもいい価値があった。 

 下のもあれ見て、元々の志望に火がついてしまったわけさ。

 協力してくれ、後輩よ。おまえさんのほうが若い分、胃袋も代謝も丈夫だろう」

 

 健康優良者のキャゼルヌも、そろそろ色々と気になりだす年齢だった。

 

「よろこんでご馳走になりましょう。

 それにしても先輩、いつの間にお宅に超光速通信(FTL)施設なんて作ったんですか。

 しかも、戦術コンピュータ搭載なんて代物を」

 

 間違っても一般の家電品ではない。なんのことはない、アッテンボローにこの話を持ちかけた時点で、キャゼルヌはしかるべき手を打ち終わった後だったのだ。眇められた青灰色に、薄茶色の目が案外器用に片目をつぶってみせた。

 

「事務屋には事務屋で色々な手段が必要なのさ。

 旧士官学校の機器の払い下げだから、格安だったしな。

 通信料は、あちら持ちだから心配するな」

 

 しかも、相変わらずどこまでも抜け目がない。事務屋は怖い。アッテンボローは溜息を吐いて両手を掲げた。

 

「降参です」

 

「中古のうえ、所詮は学生用の代物だ。

 それでも実際の艦隊運用は無理にしろ、解説の真似事ぐらいはできるだろ、おまえさん」

 

 だが、薄茶色の目に浮かんだ表情は、決してそれだけのものではなかった。アッテンボローは心中で頷いた。解説のまねごと、参謀長と副参謀長の役割を果たせってことか。

 

「では、せいぜい、パトリチェフのおっさんを真似てみるとしますかね。

 俺が覚えている範囲で」

 

 そして、お茶会にかこつけた魔術師の弟子と左腕、現在のイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官との交流は始まった。ユリアン・ミンツとミュラーは旧交の挨拶を交わした。バーラト星系共和自治政府の国防長官に対しては、深々と頭を下げた。

 

「こちらの無理を聞き入れていただき、誠に申し訳ないことです」

 

「いやいや、そんなに畏まらないでください。あくまでお茶会のよもやま話ですからね」

 

 ティーカップを掲げるアッテンボローの前には、確かに見事な出来栄えの焼き菓子が置かれていた。種類と量がいささか尋常ではなかったが。

 

「実においしそうで羨ましいことです」

 

「真剣に手伝っていただきたいですよ。こりゃ、試食なんて可愛らしいものじゃない。

 大食い競争じゃないんだから。確かにうまいんですがね」

 

 リュシエンヌの志望校の試験には、オリジナルレシピによる実技が含まれる。規定の時間内に、規定の数量を作らなければならない。受験まであと一月。彼女が、必死で練習に取り組んでいる結果であった。

 

「お茶菓子のことは、この辺にしましょうよ、アッテンボローさん。

 ミュラー元帥、お久しぶりです。トリグラフの艦隊運用データのお話でしたよね」

 

「ええ、提出いただいたデータの回廊決戦時のものです。

 凹形陣から縦深陣への変形について」

 

 ユリアンは小さく息を呑み、アッテンボローは微かに眉を上げた。

 

 おやおや、さすがは『鉄壁ミュラー』。同僚が二人も元帥になった、あの戦いを検証しようというわけか?

 

 いや違う。真の目的はそうじゃない。あれは、ヤン・ウェンリーとエドウィン・フィッシャーだから出来た。

 

 何よりも、ミュラーが皇太后ヒルダに叛旗を翻すことはありえない。フェザーンならばともかく、今のイゼルローンで行う意味はない。この良将にそれがわからぬはずはなく、求められているのは艦隊運用解説なんかじゃない。困惑に満ちたダークブラウンに、そっと目配せする。

 

 魔術師の弟子よりも、いつもそばにいた左腕。ダスティ・アッテンボロー退役中将は口を開いた。

 

「艦隊運用以前に、検証すべき点があるでしょう。

 あの宙域で戦闘があったのは、ヤン・ウェンリーがあそこに布陣していたからだ。

 1.5個艦隊という兵力に対して、二個艦隊を投入できるあの位置にね。

 投入はできるが、実際はどうでしたか? 狭っ苦しくて多いほうが不利になってしまった」

 

 ナイトハルト・ミュラーの砂色の目に苦渋の陰りが落ちた。

 

「おっしゃるとおりです」

 

「あの舞台に立たされた時点で、魔術師ヤンの思惑にはまっているんですよ。

 こちらが十全に動けて、相手にはそれを許さない場所に誘導されたわけです。

 そのために、演習と哨戒を重ねて、イゼルローン回廊の特性を研究し尽くしているんです。

 ヤン司令官とフィッシャー副司令官はね」

 

 陽動や偽逃走という、魔術師のミスディレクションを担当してきたアッテンボローだ。ベレーをかぶった頭脳と魔術師の右腕のことを、熟知しなければできない役割だった。

 

 ミュラーは、『戦場の心理学者』に改めて戦慄を覚えた。

 

「……なんとも、凄まじいものですね」

 

 戦術においては、皇帝ラインハルトも勝利することはできなかった、『不敗』のヤン。

 

「まずは、そちらからお勧めしますよ。

 イゼルローン回廊の哨戒を、規模を変えて何度も行うことです。

 あそこに慣れるには、普通はそうするしかありません」

 

 ユリアンも頷いた。ヤンが亡くなり、八月に新政府を立ち上げ、翌年の回廊の戦いまで半年を要したのは、軍司令官となったユリアンが、イゼルローン回廊を理解するのにそれだけの時間が必要だったのだ。

 

「なにしろ、ヤン先輩は我々からの報告書や提出データだけで、

 そいつを見極めて戦術を構築しちまう人なんで、あんまり参考にしない方がいい。

 ほら、第八次攻略戦で、援軍五千五百隻で円環陣を組んだことがあったでしょう」

 

 ミュラーは遠い目をした。大公アレクの行啓の際、魔術師の弟子がぼやかしてくれた事を、左腕は正面から叩きつけてきた。心も古傷も疼いてくるものだ。

 

「ええ、存じています。小官も危うく死ぬところでした」

 

 アッテンボローは面白そうな顔になった。『歴史にもしもはない』というヤンの口癖を思い浮かべたのだ。ミュラーがもしも戦死していたら、バーミリオンではヤンが勝ち、しかしハイネセンは焦土と化していたかもしれない。帝国軍上層部の権力闘争で、宇宙全土が泥沼の内乱状態になっていたかもしれなかった。

 

「そうならなかったことを感謝しますよ。この平和のためにもね」

 

「恐縮ですね」

 

 ミュラーはいったん苦笑したが、アッテンボローの次の言葉で顔が引き攣った。 

 

「あの陣形は、先輩の頭の中で作られたぶっつけ本番だと思いますよ」

 

「……は?」

 

 アッテンボローは通信画面のミュラーに向かって言う。右手の人差し指を立て、それを左右に振りながら。

 

「着任して二ヶ月で帰還兵歓迎式典に往復一月半ハイネセンへ出掛け、

 帰ってきて二週間もしないうちにクーデターで半年以上留守にして、

 翌年の三月に旧同盟政府の馬鹿どもに召喚された人間が、

 何度も哨戒や演習に同行できると思いますか? 

 山ほど書類の決裁があって、当政府の事務総長にやいやい言われている時に」

 

 砂色の髪が、指の動きにつられたかのように左右に振られた。アッテンボローの隣のダークブラウンの瞳も大きく瞠られる。

 

「そんな中で寄せ集めの援軍に、円環陣から漏斗陣への変形まで訓練している。

 イゼルローンへ急行している最中にですよ。

 ちなみに、あれはフォーメーションのDとE。お蔵入りしたA、B、Cがあるってわけだ」

 

 ミュラーは宙を仰いだ。不敗の魔術師ヤン・ウェンリーの話は、聞かなければよかったと、後悔してしまう事実がそこかしこに埋まっている。

 

「キャゼルヌ先輩がこの前、ヤン先輩を変態呼ばわりしてましたが、

 思い返してみるとね、実に正しいんだよなあ」

 

 アッテンボローは嘆息すると、鉄灰色の髪を大きくかき回した。

 

「アスターテの会戦の双頭の蛇。なあ、ユリアン、聞いて驚け。

 皇帝ラインハルトの中央突破に呼応して、陣を開いて通し、後背に食らいついたあの戦術な。

 パエッタ中将に作戦案を却下されたあの人が、ちまちま入力したんだそうだ。

 うちの秘書のラオが言ってた。あいつは当時、第二艦隊の旗艦にいたんで間違いない」

 

 生涯の研究テーマをヤン・ウェンリーに定めた歴史学者の卵と、その対象に二回敗北を喫した名将は、三千光年あまりを隔てて、無言で見つめあった。ユリアンはようやく口を開いた。

 

「あの、アスターテの会戦でですか……」

 

「そうだよ。司令官が負傷して、急に指揮を引き継ぐことになった。

 その時にはもう、戦術コンピュータに艦隊運用と戦術のデータが入力されてた。

 残存艦の連中はその回路を開いて、指示のままに必死で動いたわけだよ。

 C4回路。ずいぶんと半端な番号だ。

 C1から3にも何か入ってたのか、パトロクロスはもうないんでわかりませんがね」

 

 砂色とダークブラウンが再び見つめあった。二人の脳裏に同じ言葉が渦巻く。

 

『たしかに、変態だ……』

 

「敵味方の能力の分析やら、ああしたらこうしようとか、そういう思考がね、

 とにかく尋常じゃない人だった。悲観的って言ってもいいが。

 第八次攻略戦で、イゼルローンへ向かう際にも、

 あの状況が起こり得ることを想定してたんでしょう。

 俺たちの能力も、正確に判断していたんですよ。五つも案を作っとくぐらいね」

 

 その集大成が、あの回廊決戦の芸術的な艦隊運動だったのだ。ミュラーは珍しく、砂色の髪をかき乱した。

 

「解説していただいたところで、我々には不可能かもしれませんね」 

 

 アッテンボローはにやりと笑うと首を振った。

 

「いいや、謙遜はなさらなくても結構ですよ、ミュラー元帥。

 我らヤン艦隊は、最初から最後まで『新兵と敗残兵の寄せ集め』でした。

 そいつを動かすには、一に会議、二に演習、以下その反復でしたよ。

 司令官の頭脳がいくら凄くても、一隻一隻がきっちり動かなきゃ話にならない。

 要するに、意思疎通と教育です。そして結果を検証してフィードバックする。

 こっちじゃありふれた事業サイクルで、PDCA(注)なんて言いますが、

 そいつの徹底ですね」




(注) Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)

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