銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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※この作品は、以前『にじファン』に投稿していたものです。すでに抹消されておりますが、念の為に申し添えます。



宇宙暦810年~8XX年 二番目のPEACE
宇宙暦810年~8XX年 二番目のPEACE


 その薔薇がバーラト星系自治共和政府に登録申請されたのは、宇宙暦809年10月1日のことであった。半年間の審査を経て、正式に認可されたのは宇宙暦810年4月1日。登録情報が官報に掲載されたのは、次の平日となる4月4日であった。

 

 そして、宇宙暦811年6月1日、バーラト星系共和自治政府による追悼式典の壇上に登場する。

それ以後、種苗家が名付け、登録された「PEACEⅡ」という名で呼ばれることよりも、通称をもって広く知られることになった。その原因は様々な挿話にある。だが、最たるものは登録の申請書類に添付されていた、種苗家による献辞であった。

 

 

――ヤン・ウェンリー中尉に捧ぐ――

 

 この薔薇を故ヤン・ウェンリー中尉に捧げる。

 

 エル・ファシル脱出の際、私が手荷物として運び出そうとし、さんざんにあなた方とやりあった、あの苗の子孫に当たる。

 

 あなた方の立場にすれば、たかが薔薇の苗1本と思っただろう。それを恒星間輸送用の育苗ケースに収納したため、重量はともかくサイズを超過してしまったのだった。

 

 だが、これは人類が未だに地球上にのみ居住し、十三日戦争が起こる前に生まれた薔薇の末裔なのだ。そう往生際悪く主張する私に手を焼いた下士官が、まだ中尉だったあなたを引っ張ってきた。

 

 当時、乳幼児だった私の息子は今年二十三歳になった。考えてみれば、あなたは更に二歳も若かったわけだ。その青年に――今だから言うが、当時のあなたは士官学校出たてというよりも、まだ在学中にしか見えなかった――この苗の貴重さを主張した。

 

 あの苗は、私の農場の品種改良用のマザーオブローズであった。今手放したら、この脱出によって困窮するだろう私ではなかなか入手できないこと、また宇宙空間で宇宙線による遺伝子変異を防止するためには、育苗ケースに入れなくては持ち運べないこと等々。

 

 ついでに、この薔薇の来歴も滔々(とうとう)と述べたてた。名前のくだりで、私が、その戦争でなんとかいう都市が陥落した日に名付けられたのだ。そう言ったときに、あなたは穏やかに言った。

 

「西暦1945年4月29日、ベルリン陥落の日に生まれた薔薇ですか。

 なるほど、PEACEとは付けられるべくして付けられた名前ですね。

 私は不調法でして、花には詳しくないのですが、これはどんな花が咲くのでしょうか」

 

 

 当時、いやその後も長い間、PEACEは名花の中の名花ほか、ありとあらゆる賞賛の形容詞をつけられた。薔薇というものに一大変革(パラダイムシフト)をもたらしたとまで評された。直径15cmを超える剣弁高芯で均整のとれた花型。その色はクリームイエローから淡い薔薇色の覆輪にグラデーションで変わる。淡いがしっかりとした芳香、そして強健で育てやすいという、園芸種にとって絶対の美点。

 

 彼の相槌に、私はこれもまくしたてたのだった。本当に多忙な中で、よくもこんな苦情と蘊蓄の交雑種(ハイブリッド)に付き合ってくださったものだ。当時を思い返すと冷や汗が出てくる。

 

「それは綺麗な色合いですね。……まるで幸せに笑う子供の頬っぺたみたいだ。

 でも、花屋では、あまりそういう色の大輪の薔薇は見掛けませんね」

 

 軍人らしくない表現は、私が連れていた息子をご覧になったからだろうか。あなたの疑問には、一輪が大きいため、切り花よりも庭植えで鑑賞するのだと答えたように記憶している。

 

「はあ、私は宇宙船育ちでして、あまり庭園や温室といったものに縁がなかったものですから。

 ……結局、この第二次世界大戦後の平和も百年は保たなかったのです。

 でもこの苗は、千六百年以上も前の、平和への歓喜を受け継いでいるのですね。

 こういう花を生み出せる時代が来るといいのですが……」

 

 後に私が調べたところによると、西暦1945年の第二次世界大戦終了から、西暦2129年に地球統一政府ができるまでの間に、十三日間戦争とその後九十年に及ぶ戦乱の時代が挟まっているそうだ。無論、ヤン中尉はそれを知っての言葉だったろう。

 

 とにもかくにも、私は『積載許可済』のステッカーを受け取ることができた。その後の脱出行、そしてあなたの多大な戦功は、今さら私ごときが語るまでもない。

 

 あれから、私達家族はエル・ファシルに戻り、花卉(かき)農場を再開することができた。そしてその傍ら、薔薇の品種改良を再開し、あの戦火の中でも細々と続けた。結局八年前にハイネセンに引っ越ししたが、三回の恒星間旅行に耐えた、あの薔薇はいまも我が農場の偉大な母だ。

 

 そして、この花に付けた名は、偉大なる母からすると分不相応なのかも知れない。千年を超えて語られる名花と、比べるにもおこがましいのは重々承知している。

 

 しかし願わくば、久々に訪れたこの平和が、最初のPEACEの生まれた後よりも、少しでも長く続かんことを。

 

――フランシーヌ・ミーアン――

 

 

 追悼式典の壇上を飾った花の官報掲載日を、捧げられた故人の誕生日としたのは、バーラト星系共和政府事務総長アレックス・キャゼルヌの計らいによるものだった。それは直径十cmほどの、花束にしやすい中輪咲きだった。

 

 一見目立たないのがいかにも提督らしいと、自称宇宙海賊のオリビエ・ポプランは苦笑した。

 

 剣弁というには柔らかなラインの花弁は、象牙色をしていた。亡き夫のいつも穏やかだった表情にも似ていると、元イゼルローン共和政府主席フレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンは語った。

 

 そして、PEACEを凌ぐ芳香は、ハイネセン記念大学歴史科に籍を置くユリアン・ミンツに、師父の好物を最高の状態で淹れた時のことを思い出させたという。

 

 結局、「PEACEⅡ」は、フランシーヌ・ミーアンの意図した名前では呼ばれなくなった。「ヤン・ウェンリーの薔薇」、あるいは「ヤン中尉」と。

 

 故人……いや、ヤン先輩が聞いたら、肩を竦めて、黒い髪を掻きまわしたにちがいない。そして、すこし困ったように微笑んだことだろう。

 

 一番目のPEACEほどの強烈な個性と美点はない。だが、ほどよい大きさは、花束やアレンジメントにも向いている。柔らかな色はどんな花とも調和し、主役にも脇役にもなれる。そして、紅茶そのものの香りのするこの薔薇は、長らく愛されることになるだろう。

 

 そして、薔薇(PEACE)ではない平和(PEACE)の行方は、我々とそれに続く世代の努力と自覚次第である。  

 

 ――ハイネセン・タイムス ダスティ・アッテンボロー――

 

 

「薔薇の平和――PAX ROSAE――」

 

 当初、バーラト星系自治共和政府国内で登録された「PEACEⅡ」は、追悼式典に出席したナイトハルト・ミュラー元帥の目に留まることになる。式典の花が、喪の白百合から、仄かに色づいた薔薇に変化したことが、時の流れを感じさせたのだろう。その芳香が、彼を「良将」と称えた偉大なる敵将を想起させたのかもしれなかった。

 

 そののちに、ミュラーは「PEACEⅡ」をハイネセンから取り寄せようとしたが、なかなか叶わなかった。最初は流通量の少なさによって。次は品物の誤配によって。新銀河帝国の帝都で「PEACEⅡ」を注文しても、届くのはなぜか一番目の「PEACE」だった。

 

 届いた「PEACE」が三鉢を数えるに及んで、ミュラーはバーラト星系共和自治政府のフェザーン駐留事務所に問い合わせた。その謙虚な為人(ひととなり)は、十年余りを超えても変わらなかった。老境に入りかけた謹厳な事務長に対して、私用での通話を詫び、恐縮した様子で頼んだ薔薇とは違う物が届いていると告げたのである。

 

「一昨年の追悼記念式典に飾られていた薔薇を買ったつもりだったのです。

 もっと花が小ぶりで、象牙色で、紅茶のような香りのする薔薇でした。

 ……届いたものはどうも違うようなのです」

 

 茎がぐんぐん伸びて、長身の彼が手を上げた高さに、手のひらほどもある大輪の花が咲いている。色合いもアイボリーというより、黄色と濃いピンクのグラデーションだし、花型はシャープだし、香りも淡い。

 

 あの控えめな、薫り高い花とは明らかに違う。

 

「私は花には詳しくないのですが、ハイネセンで作られた新品種だと聞いています。

 ハイネセンの方なら、なにかご存じではないかと思いまして」

 

「まったく、困ったものだ。ミュラー元帥、不手際をお詫びします」

 

 さすがに、新銀河帝国で品種登録するに際して、あの献辞を添付するわけにもいかなかった。あの薔薇は、新帝国では「PEACEⅡ」以外に呼び名はない。一方原産国では、正式名は半ば忘れられ、通称で流通している。販売経路の途中で、名称の違いによる商品の取り違えが起こっていたのだった。

 

 もっとも、三鉢すべてがそうだったとは限らない。帝国元帥が、正直に自分の名前で購入したものだから、販売者も警戒したことだろう。だが、それは口にする必要のないことだ。

 

「商品がきちんと届かないなど、まだまだ流通の整備が不十分なようです。

 私からキャゼルヌ事務総長に報告させていただきます。

 薔薇の手配も、こちらでいたしましょう」

 

「しかし、私個人が購入したものです。

 そちらの公費で手配していただくわけにはまいりません」

 

「いえ、これは私個人の買い物ですよ。

 ミュラー元帥が御不快でなければ、そちらに届いた薔薇と交換させていただきたい。

 二種類の平和の交換というのもいいものではありませんか。

 これならば贈収賄にはあたらないでしょう」

 

 呼吸する謹直と評判の駐留事務所長の、意外に粋な計らいは、ミュラーも喜んで受け入れるものだった。

 

「ところでですな、ミュラー元帥。三鉢全て交換したほうがよろしいでしょうか?」

 

「いえ、一つで結構です。それにしても、薔薇というのはあんなに伸びるものなのですね」

 

 どうやら薔薇以外にも、贈るべき物があるようだ。自分にも必要な物が。

 

 

「本当に困ったものだ。

 あなたの名で呼ばれる花を、新帝国がわだかまりなく受け入れられるようになるには、

 まだまだ時が必要だろうに」

 

 ミュラーとの通話を終えた後で、『魔術師』の元参謀長は独り呟いて、『ヤン・ウェンリーの薔薇』を三鉢注文した。ひとつはミュラーとの交換用に、そして残りは自分用に。他に必要な物品は、次の休日にでも買いに行けばよい。

 

 思いがけず引き取った薔薇の世話を、ムライは園芸入門書と二人三脚で取り組むことになる。そして、念願の「PEACEⅡ」とともに、帝国語の園芸入門書を贈られた砂色の髪の元帥も同じ道を辿った。几帳面で、基本を堅守し忍耐強い彼らは、じつに園芸向きの性格であったのだ。この二人の新たな趣味と意外な才能で、事務所と首席元帥府が薔薇の名所となるのは、もう少し後のことだった。

 

 そのうち、彼らの園芸談義は、庭師を父に持つ国務尚書をアドバイザーの窓口にしてしまった。花の季節には、元薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊長の警備主任と、美髯(びぜん)の帝国元帥が、趣味の写生に興じたり、ついには二人展を開いたりするまでになった。

 

 元帥府の薔薇は、皇太后や国務尚書や義手の元帥が、子連れで――あるいは子供同士で――見学に来るほどの規模になった。警察総監夫妻とその子供も、後に一員に加わった。オレンジの髪の元帥は、薔薇にかこつけて何度も酒宴を開き、奥方に睨まれたという。

 

 こうして、二つの薔薇を介した交流は、新銀河帝国とバーラト星系共和自治政府に、徐々に有形無形の実りをもたらしていった。帝国上層部は、かなり後になって、薔薇の通称を知ることになる。その頃には、それを理由に花を処分するのは愚行にすぎないという空気が、一般兵士にまで定着していた。

 

 既に引退していたムライ事務長が、生涯に一度だけ使った『時の魔術』だった。

 

 バーラト星系共和自治政府のフェザーン駐留事務所員の選考基準は、『薔薇の世話が堪能であること』という笑い話が、後世に伝えられている。

 




注:話中にある『PEACE』は実在の品種であり、誕生にまつわるエピソードも、全て事実です。フランスのリヨンで生まれた薔薇が、ナチスドイツの進攻を逃れて、海を越えアメリカに渡り、品種発表会の席上で名を考えていた時に、ベルリン陥落の報が入りました。

「これで平和がやってくる!」

 そして名花の中の名花、千年の名花と称えられるPEACE(ピース)は誕生しました。時に真実は小説よりも奇なるものです。

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