銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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新帝国暦3年/宇宙暦801年 スターバト・マーテル
星なきみそらに


 イゼルローン要塞の返還と、武装の解除、そしてイゼルローン自治政府国民の退去のために、新銀河帝国軍から、人員の派遣をお願いしたい。

 

 これが、イゼルローン要塞司令官代理である、アレックス・キャゼルヌ中将からの申し入れであった。帝国側にも、否やはない。崩御された先帝、ラインハルト・フォン・ローエングラムの最後の戦場で、イゼルローン軍司令官のユリアン・ミンツ中尉が、血の河を渡ってもぎ取った講和の交換条件だったからだ。

 

 約五百年にわたるゴールデンバウム王朝を打倒し、わずか五年で自由惑星同盟を打ち倒し、宇宙を統一に導いた、ラインハルト・フォン・ローエングラム。彼は、生ける神話のような存在であった。白磁の肌に、眩い黄金の髪。若い超巨星の輝きを、凍結させたらこうなるかという蒼氷色の瞳。それらをいただく顔は、人の遺伝子がこれほど完璧な美を生み出すものかと思わせた。

 

 知と戦さの女神、美の女神の寵愛を(ほしいまま)にした彼は、もはや地上には亡い。あるいは、神の寵のあまりに厚いがゆえに、かくも早く天上に招じ入れられたのか。遺された者達がそう思わずにはいられないほど、急激な発病であり、重篤な病状であった。

 

 イゼルローン軍との、最終決戦となった新帝国暦三年六月一日。この時に倒れ、亡くなるまでの一月半に、ラインハルトは死後のことを、皇妃であるヒルデガルドらに、様々に申し伝えた。己の死に対して、これほど冷静で自由であった人を、ユリアンは彼と師父のほかには知らない。

 

 そして、七月二十六日、星は墜ちた。高温の超巨星が、あまりに激しく燃え、そして寿命が短いがごとく。その生の終わりに、超新星の爆発とブラックホールの出現を伴うように、地球教徒の残党と、いま一人の伴星であった軍務尚書、オーベルシュタイン元帥の死とともに。

 

 彼の生前、ヤン・ウェンリーは部下の一人にラインハルトをこう言って評価した。彼は一万人に匹敵するような天才だ。二万人の凡人なら、彼を凌駕できるだろうが、その人間たちが意志を統一し、足並みを揃えることは、極めて難しい。だからこそ、一人が一万人の力を持つ天才は、冠絶した存在なのだと。

 

 一人の天才の死は、統一された意志を持つ一万人の力量の喪失に等しかった。その天才を陰から支え続け、彼の戦略に従って発生する種々の問題や、業務の割り振りを担っていたのが、地球教徒の爆弾テロに斃れたオーベルシュタインである。

 

 ラインハルトが、生前に出した自分の死後への指示は、ドライアイスの剣とも称された軍務尚書の存在が前提である。それが一気に突き崩されてしまった。戦艦で言えば、推進装置と制御装置が同時に故障してしまったようなものだ。だが戦艦は、慣性飛行でどこまでも航行を続けてしまう。

 

 帝国も同様だった。なんとか舵を操作し、予備の推進装置と制御装置で目的地に到達させなくてはならない。小惑星帯やブラックホールに突っ込む前に。

 

 銀河帝国と軍の首脳部は、失ったものの重大さに蒼白になった。あまりに冷徹なゆえに、皇帝からも好かれはせず、幕僚からは嫌われていた義眼の軍務尚書は、この巨大な組織を円滑に運営していた手腕の持ち主だったのだ。

 

 彼は、冷徹だが公正で、部下の力量を冷静に測り、膨大な業務を分配してきた。そしてそれを再統合し、統括してきた。アレックス・キャゼルヌを越える事務の達人だったのだ。謀臣というイメージに隠れて見えがたい、オーベルシュタインのもう一つの顔である。

 

 もしも、ヤンとキャゼルヌが同時に命を落としたら、イゼルローン自治政府として出発することは叶わなかっただろう。皇帝の葬儀式典の後に行われた、オーベルシュタインの葬儀に参列したユリアンは思った。

これから大変なのは、きっと新銀河帝国のほうだ。

 

 自治権を認められたバーラト星系は、旧同盟領で一番富裕な星系である。首都星ハイネセンは、長征一万光年の参加者たちが五十年をかけて見出した惑星だ。気候や住環境は、オーディーンやフェザーンに優る。

 

 そして、当然旧同盟の企業の本社や、フェザーンの大企業も進出している。法人税や固定資産税などの財源をたっぷりと持ち、住人も総じて所得が高い。

 

 食料などは、他星系の輸入に頼っているが、惑星規模からすると、十億人の人口というのはまだまだ余裕がある。土地を農地にしたら、資産としてのメリットが減少するし、近隣の農業惑星であるシロンやアルーシャの生産量などに、これまで太刀打ちできなかった。しかし、法律や税制を改正し、優遇措置を設ければいい。自給自足するには充分だろう。それらの惑星で、大規模農場を経営する会社の本社もハイネセンにあるのだから。

 

 だが、こちらはどうするのだろう。ユリアンの師父は、先帝となったラインハルトの天才性を公正に評価していた。その一方で、ヤンは歴史学徒くずれとして、彼の持つ美と英雄性に、ひとからならぬ憧れを抱いていたようだった。彼の姿を、水晶を銀の彫刻刀で彫上げたようだと、おさまりの悪い黒髪をかき混ぜながら賛美したものだった。

 

 ヤン・ウェンリーの外見は、中肉中背と言うにはやや肉付きが薄く、黒髪に黒目という平凡な青年であった。黒いベレーと軍用ジャンパーにハーフブーツ、アイボリーのスカーフとスラックスという、同盟軍の軍服がまるで似合わなかった。授与された勲章を律儀に付けたら、彼の広くはない胸元には収まりきらず、その重さで猫背がひどくなるような武勲の主だったが、歴戦の名将には見えなかった。よく言えば大学の准教授、正直に言えば大学院生か講師。年齢よりも四、五歳は若く見えた。伝統ある帝国軍の黒と銀の軍服が、彼の為に用意されていたかのような、皇帝ラインハルトとは対照的であった。

 

 だが、ヤンの穏やかな黒い瞳は、歴史の高みから現実を俯瞰(ふかん)するかのように、少ない情報からでも、帝国の状況を恐ろしいほど精密に分析した。

 

 特に、帝国の将帥らの為人(ひととなり)を見抜くことは、(たなごころ)を指すかのごとき的中率であった。敵艦隊を、己が術中に嵌めることは数知れず。母国人からは『奇蹟』『魔術師』と讃えられ、敵国からは『ペテン師』『戦場の心理学者』と忌々しさと驚嘆を以て評された。

 

 そのヤンが存命であっても、若さと生命力の結晶のような黄金の有翼獅子(グリフォン)が病死し、冷徹の義眼の軍務尚書が暗殺されるような状況を、予見などできなかっただろう。

 

「本当に、未来なんてわからないものだね、カリン」

 

 葬列が解散した後で、ユリアンは傍らの少女に向かって、ぽつりと呟いた。カリンと呼ばれた彼女は、無言で薄く淹れた紅茶色の頭を頷かせる。華麗な黒と銀の軍服の参列者達を、青紫の瞳に留めながら、低めた声で恋人の亜麻色の髪の耳元に囁いた。

 

「ええ。私達の合言葉がこんな形で実現するなんて思わなかったわ。

 そして、ハイネセンで草刈りをした人の葬儀に参列するなんてね」

 

「そうだね。でも、帝国はどうするんだろう。

 皇帝と僕等が結んだ協定は、きちんと守られると思うけど、

 旧同盟の他の星系はどうなってしまうんだろう。そして、帝国の旧領土も」

 

 カリンにとっては、自分のことだけで精一杯で、とてもそこまで気が回らない。ダークブラウンの瞳に真摯な光を浮かべる彼は、やはり魔術師の弟子なのだ。

 

「あんたは本当に真面目ね、ユリアン。でも、私達が考えても今は仕方がないと思うわ。

 宇宙統一は、皇帝ラインハルトがやりたくてやったことでしょう。

 それに加担した人たちが、後始末をするのは当然の責任じゃないの。

 そっちは、帝国に任せればいいわ。いい大人たちが何人もいるんだからね」

 

 カリンは、特に華麗な軍服を着た一団を見て、形のよい眉の片側を器用にあげた。そうすると、彼女に彫の深い美貌を与えた人の面影がよりはっきりする。ユリアンが皇帝の眼前に辿りつく、その盾となって亡くなった薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊の第十三代連隊長は、忠誠を捧げた魔術師と再会しているのだろうか。

 

「すごいわね。元帥が半ダース以上になるのね」

 

「うん。あんなに人材がいる相手とよくもここまで戦ってきたもんだと、今さらながらに思うよ。

 九割以上はヤン提督のお陰だけれどね。でも、亡くなった人を含めると、元帥は一ダースだね。

 人件費と年金はどうするんだろう。730年マフィアは七人が全員元帥になったけれど、

 最初と最後の昇格時期は四十年ぐらい開きがあるし、生前昇進は二人しかいないよ。

 それに比べると、こんなに大盤振る舞いしちゃっていいのかな」

 

「ユリアン、あんた、ヤン提督よりキャゼルヌ事務監に似てきたんじゃないの?」

 

 彼女の言葉に、亜麻色の髪の青年は心底驚愕し、少なからず傷ついた表情になった。

 

「なによ、そんな顔しないでちょうだい。まるで私がいじめたみたいじゃないの。

 でも、元帥って重職に就くのよね?七つ分も席があるのかしら。

 何かもったいないような気がする」

 

「確かにね。でも、軍務尚書の後任はすぐに必要だね。キャゼルヌ中将みたいな事務の達人が」

 

 ユリアンの発言に、カリンは眉間に皺を寄せた。細めた眼で、遠ざかっていく一団の背中をじっと見た。

 

「ねえ、そういう人はあの中にいるのかしら」

 

 いずれも名にし負う提督たちだった。ただひとり、ウルリッヒ・ケスラー憲兵総監だけは艦隊司令官ではない。地球教徒のテロの捜査が終了するまで、彼を異動させることは不可能だろう。

 

 沈黙提督という異称がある、エルンスト・フォン・アイゼナッハは、堅実な艦隊運用を行い、攪乱や伏兵といった地味な作戦も、失敗することなく実行してきた。そして、補給や輸送といった後方業務についても、高い実績があると聞く。

 

 しかし、軍務尚書とは政治家である。政治家は閣議などで意見を発言するのが主たる任務である。可能なのかと問われれば、否と答えるしかないだろう。

 

 ユリアンは、わずかに瞑目してから、カリンを見詰めて口を開いた。

 

「それこそ、僕等が考えても仕方がないよ。

 帝国のいい大人が、いい選択をすると思うからね」

 

「前言を撤回するわ。あんた、やっぱりヤン提督に似てる。逃げ方がうまいもの」

 

「おほめにあずかり光栄だよ、カリン」

 

 ユリアンの胸中はとても複雑だった。この美少女にも、君もお父さんにそっくりだよと反論してやりたいが、きっとまた泣かれてしまいそうだ。結婚生活は忍耐だ、としたり顔でヤンに告げた、キャゼルヌの言葉の意味が判ってきた。

 

 言いたいことは言えないこと、それは誰の心にもある。その言葉を一番呼びかけたかったのがカリンなのだから。

 

 そんな寸劇はさておいて、異国人の未青年にまで看破されてしまう、帝国軍の人材の偏り。武の人材は、星団のように煌めくが、では文のそれはどうだろうか。帝国軍最大の文官は、七月二十六日に亡くなった皇帝ラインハルトと、軍務尚書オーベルシュタインの二人だった。一万人分の力量を持つ者と、それを支え得た者。その後任をどうすればいいのか。まだ喪服を纏ったままの皇太后ヒルダが直面した、最初の巨大な壁であった。

 

 ヒルダは政治について、非常に明晰な頭脳の持ち主であった。リップシュタット戦役の直前、貴族連盟に加わわるつもりであった、父のマリーンドルフ伯爵フランツを説得し、ラインハルトらの陣営についた。

 

 彼女の識見を、ラインハルトは高く評価し、自らの相談役とした。中でも大きな働きは、バーミリオン会戦の最中、ミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督を説得し、同盟首都ハイネセンを抑えて、当時の最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトに無条件停戦命令を出させたことだ。

 

 ヤン元帥の猛攻によって、今まさに戦死しようとしていたラインハルトは、これによって救われた。彼女は、ヤン・ウェンリーが国家そのものではなく、国家の理念に対して価値を見出していることを読み取ったのだ。

 

 その後も、皇帝となったラインハルトに、様々な献策を行ってきた。それが採用され、成果を上げたことは一再ならずある。しかし、今回のことで彼女は思い知った。その献策について、上申書の一枚だって書いたことはなかった。ラインハルトとのやり取りは、いつも口頭で行われ、自分の献策がどのようなシステムを経て実施されたのかを知らなかったのだ。

 

 (さか)しらぶって、なんと自分は底の浅い人間だったのだろうか。ラインハルトの高級副官、シュトライト中将から急ぎレクチャーを受けながら、ヒルダは果てしなく落ち込んだ。夫と軍務尚書は、これほどの仕事を差配していたのだ。

 

 まるで、乳児と幼児を傀儡(くぐつ)の皇帝とした復讐を受けているかのようだ。なんてひどいことをしたのだろう。謀略の駒として使われ、行方知れずになったエルウィン・ヨーゼフ。

 

 ヒルダは、ランズベルク伯アルフレッドの考えを見抜き、アンネローゼへの警護を進言した。彼女に面会して、護衛を配備することの了解を得ると共に、弟との思い出を聞き、彼を頼むと告げられた。それで満足してしまって、あの子の誘拐については、ラインハルトの考えを受け入れた。だから、誰もあの子を助けなかった。

 

 癇の強い扱いにくい少年だったけれど、皇帝の孫として生まれたからといって、あんな人生を強いられていいはずがない。あの七つの少年には父も母も亡く、周囲の大人の愛情もなく、豊かだが冷たい贅沢品を宛がわれるような世話をされて、どうしてまともに育つだろう。

 

 そんなことも思いつかない男と女に、親になる資格はあったのか。そして、そんな母親にきちんと子育てができるのだろうか。アレクは、まだ生後三か月。首も満足に座っていない。この子には大公という称号が冠せられ、立太子こそしていないものの、既に皇帝へのレールが敷かれている。獅子帝ラインハルトと比較され続ける生涯に向かって。

 

 そして、自分は皇太后として政務を執らなくてはならない。その傍ら、将来の皇帝にふさわしい人物となるよう、子育てもしなくてはならない。どちらか一つでも重すぎる役割なのに。


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