銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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第三章 白き善き魔女

 そんなやり取りを経て、ユリアンは大学の仕事時間以外を執筆に充てることになった。睡眠を削り、食事や子どもの相手もそこそこに書斎の机に向かう。アッテンボローは、軽い読み物にすると言っていたが、アッシュビーと730年マフィアは同盟軍屈指の英雄だった。同盟の末期、ヤン・ウェンリーが台頭するまでは。

 

 だから、手抜きをすることはできないのだ。事象を単純化して、過不足なく表現をするには、内容を理解、把握していなくてはならない。そう、ちょうどパトリチェフ中将のように。

 

 ――730年マフィア――

ブルース・アッシュビー

アルフレッド・ローザス

フレデリック・ジャスパー

ウォリス・ウォーリック

ヴィットリオ・ディ・ベルティーニ

ファン・チューリン

ジョン・ドリンカー・コープ

 

 宇宙暦730年度卒の士官学校同期生たちが、十五年にわたって軍の中核をなし、偉大な業績を上げた稀有な例である。

 

 745年、第二次ティアマト会戦において大勝をあげたが、総司令官たるアッシュビーと第九艦隊司令官だったベルティーニが戦死している。同盟滅亡の五十四年前、最大の輝きであった。しかし、この第二次ティアマト会戦の戦術的勝利も、戦略的な状況の変化には結びつかなかったのである。

 

 歴史にもしもは禁物だ。だが、もしもブルース・アッシュビーが戦死せず、本人が示唆していたように政界に転身をしていたら? 『涙すべき40分間』により、将官を六十人も失った銀河帝国と講和を結べた可能性が高い。この背景を念頭に置くと、謀殺説は当時でも一定の説得力を持っていた。フェザーンの背後に潜んでいた、地球教の存在が明らかになった今日ではより一層のこと。

 

 アッシュビーという核を失って、730年マフィアは分解し、同盟軍の中核から退いていく。彼ら七人は、すべて元帥に昇進している。生前か死後かという違いはあれど、士官学校の同期生から七人の元帥が出た学年は、730年度生を除いて他にない。

 

 だが、生き残った五人の晩年は不遇であった。

 

コープは四十一歳で戦死し、残りの四人は要職を務めたのちに退役した。

 

 ウォーリックは政界に転身したものの、身近な人間の不祥事が相次ぎ、引退を余儀なくされる。隠棲して間もなく五十六歳の若さで心臓発作で急死した。

 

 ジャスパーは宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長を歴任、在職中に元帥号を授与された。退役後、妻とともに旧婚旅行中、帰路で宇宙船事故により夫妻そろって死去。六十一歳だった。

 

 ファン・チューリンは、厳格な為人(ひととなり)だったが、それだけに筋の通った人事と優れた実務能力の持ち主で、名本部長と称するに足りる業績を上げた。元帥に昇進した直後に退役する。家庭的には不遇で、妻とは離婚し、息子は早世していた。六十三歳の時に肺塞栓症に罹り、二度目の発作により死去。死を看取ったのはローザス一人だった。

 

 もっとも長く生きたのはアルフレッド・ローザスである。彼以外の730年マフィアの面々は、才覚ある艦隊指揮官だったが、皆、円満な性格の持ち主だとは言い難かった。その中にあって、接着剤や緩衝材として彼らをまとめたのである。大将として退役後、七十八歳で死去している。死因は睡眠薬の過剰摂取。ヤン少佐のインタビューの直後だった。

 

 これを知ったユリアンは、ヤンと先輩後輩トリオが、いかに口の堅い人々だったのか改めて実感した。ケーフェンヒラーの考察がB級重要事項になったことにより、ヤンが着手した、アッシュビー謀殺の告発文の調査もそれに含まれたのだ。そして、ヤンのインタビューとローザス提督の死という時系列が、例のファイルによって判明したのである。

 

「それにしても、二人とも人が悪いよ。

 お葬式にまで参加してて、僕には知らん顔をしてるんだからなあ」

 

 眠気覚ましのコーヒーを運んできた妻に、彼は愚痴をこぼした。

 

「今さら何を言ってるのよ。これまでの一年半、随分色々調べていたじゃない。

 あれじゃ駄目なの? 何か違うことがあったのかしら」

 

「調査の方向性は間違っていなかったんだけどね。

 これだけ資料を揃えた僕と、捕虜収容所にいたケーフェンヒラー大佐と

 同じような結論だったっていうのは、本職として忸怩たるものはあるんだけど」

 

「年季と持っていた情報が違うんだから、単純に比べてもねぇ。

 ミヒャールゼン提督だったかしら、その人が暗殺された後から

 考え始めたのなら、三十年以上の時間があったんでしょ?」

 

「うん、それは分かってる。痛いのはローザス提督のお孫さんと連絡が取れないことなんだよ。

 彼の死のきっかけが、ヤン提督の調査にあるのかはわからない。

 でも、本に載せてもいいものかどうか」

 

 考え込む夫に、カリンは呆れ交じりの笑顔を見せた。

 

「ユリアン・ミンツ、あんたって相変わらず真面目で不器用ね。

 自分にできないことはできる人に頼めばいいじゃないの。

 そういうところは、ヤン提督を見習いなさいよ。

 あなたの机に乗ってる回想録の著者は誰なのかしら」

 

 タイトルは『アルフレッド・ローザス回想録』、自叙伝だ。

 

「本の印税とか著作権って、遺族が相続するんでしょ?

 お金の絡む事だもの、出版社は絶対に知ってるわ。

 ここ、大手だから今も潰れていないし、この本はまだ書店で見かけるわよ。

 アッテンボローさんを通して、参考文献許可の件でって頼んじゃいなさいよ」

 

 がっくりと肩を落としたユリアンは、カリンを見て疲れた笑顔を見せた。

 

「そんなことも思いつかないなんて、僕は馬鹿だな」

 

 彼の手からコーヒーカップを取り上げると、カリンは威厳を込めて命じた。

 

「さあ、今日はもう寝なさい。寝不足でくよくよ考えても、碌なことにならないから」

 

 形のよい眉を上げて、シニカルに笑ってみせる妻の、彫りの深い美しい顔。彼女の父にそっくりだ。ここにも、亡くなった人が息づいている。ただ、それを言うと妻の機嫌が急降下するので、口に出してはこう答えたのみである。

 

「了解しました、ミンツ家総司令官殿」

 

「よろしい」

 

 力ない足取りで浴室に向かう夫を見て、彼女が吐いた溜息には、ほろ苦い成分が含まれていた。

 

「と、まあこういうことがあったんです。

 私としても複雑で――。こんな感情は醜いなあっていうのは頭では分かるんですけど」

 

 カリンが相談を持ちかけたのは、キャゼルヌ夫人であった。家事の神様は、ヤン家の男の妻二代にわたる師匠になってくれたのだ。ユリアンとカリンの夫妻は、欠損家庭に育ったという点で共通していた。夫は必要に迫られて家事の達人になったが、妻はパイロット専科学校から軍隊へ入隊し、ある意味で衣食住には不足しない境遇だった。

 

 これでは、家事全般が経験不足である。フレデリカと違うのは、カリンには時間的猶予が十分にあったことだ。ユリアンは、イゼルローンからハイネセンに帰還後、一年余りを準備期間に充ててハイネセン記念大学を受験した。なんとか一発合格を果たし、自分より年少の生徒が多い中で学び、大学院に進んで歴史学科の講師となった。そうして、経済基盤が整ってから、ユリアンは恋人にプロポーズした。カリンも専門学校に通って新たな技能を身につけ、再就職を果たした。

 

 その間、彼女はキャゼルヌ夫人に師事して せっせと家事の修行に励んできた。ヤン・ウェンリーは、自分ができない分、妻の家事技能には鷹揚であった。しかし、彼女の恋人は、練達の技の持ち主である。

 

 カリンにも女としてのプライドというものがある。負けず嫌いの意地っ張りは、向上心が高く自分に厳しいという長所でもある。ユリアンとささやかな式を挙げる前には、師匠から及第点のお墨付きを頂いたのである。

 

 その後も、家事に育児に、オルタンスはカリンの師匠であり、母と姉の中間の存在であった。ユリアンにとってのヤンのように。

 

「なんか、夫も父親もヤン提督に取られちゃた気がするんです。

 あんな不良中年、父と認めるのも癪なんだけど」

 

 子どもたちの保育園の帰りに、オルタンスとマーケットで出会って、近況を話すうちにふと口をついて出たのだ。カリンの表情と、膝にまとわりつく二人の男の子を見比べて、彼女はマーケットのフードコートに場を移すことにした。子どもたちを遊具コーナーで遊ばせて、目の届く席に座ると、カリンの言葉に耳を傾ける。

 

「ユリアンとシェーンコップさんは違うわよ。

 ユリアンにとってヤンさんは父親で、親の死を乗り越えるのは大変だもの。

 ましてやあんな亡くなりかたをされたんじゃあね。

 カリン、あなたにも一部は当てはまることだけれどね。

 ユリアンにとって父親を亡くすのは二度目なのよ」

 

 フードコートの安いオレンジジュースで喉を潤して、オルタンスは続けた。

 

「トラバース法の実施には、アレックスが関わっていたけれど、

 あれが最高委員会を通過した時は、なんという悪法なのかと思ったものよ。

 実の親を亡くした子を軍人が引き取って、また義理の親が戦死したら、

 その子が帝国を憎まずにいられるかしら? 自分の身に置き換えて考えてごらんなさいな」

 

 カリンの整った眉宇が、見る見る鋭角的な角度を描いた。

 

 

「絶対に無理です」

 

「ええ、悪質な洗脳となんにも変わらないでしょう。

 まったく、自分も身内も従軍していない政治家の考えそうなことよねぇ」

 

 いつもおっとりとした賢夫人は、確かにキャゼルヌの妻だった。 

 

 

「しかも軍人になれと、小中学生に養育費という借金を負わせるのよ。

 親を亡くした子どもにですよ。こんな馬鹿な話がありますか。

 奨学金目当てに士官学校を受験するのとはわけが違うわ。

 職業選択の自由の侵害、立派に同盟憲章違反ですよ。

 政府がまともなら出てくる法案じゃないし、国民がまともだったら違憲訴訟になったはずよ。

 戦災孤児という弱者に対してこの仕打ちでしょう。

 この国はもうだめなのかしらと、そう思ったわ」

 

 カリンがちょっと驚くほどに強い語調だった。この人も、軍人の妻として口に出せないこともあったのだ。

 

 

「ああ、ごめんなさい。話が逸れたわね。

 法案が通ってしまうと、現場の人間は従うしかないのよ。

 アレックスもやる偽善のほうがましだって、随分自分を誤魔化していたわ。

 上層部への意趣がえしもあったんでしょう。

 本当はヤンさんは独身で対象外だったけど、無理を通したのよ」

 

「でも、ユリアンを引き取った時は大佐だったんでしょう。

 それこそ危なかったんじゃないんですか」

 

 カリンの問いに、オルタンスは微かに微笑んだ。

 

「あなたはシャルロットと五つ違いだったわね。それじゃあ、覚えていないわよね。

 アッシュビー提督の勝利の後はね、戦争もマンネリ化して、

 政治ショーになっていた時期があってね。

 選挙が近づくと、与党支持率のために出兵するようなこともあったわ。

 あの綺麗な皇帝(カイザー)ラインハルトが台頭してくるまで、

 艦隊司令部の佐官が戦死することは少なかったの」

 

 ヤンが『無駄飯ぐらい』だとか『非常勤参謀』だと陰口を叩かれていた頃だ。

 

「だから、ユリアンを預けたのだと思うわ。

 あの人には帰るところ、迎えてくれる人が必要だったのよ。

 そういう戦況でしょう、相手にお引き取りを願うような作戦案は歓迎されなかったそうなの。

 ヤンさんは強く言う相手に、食い下がって我をとおす人ではなかったし、

 シトレ元帥派の出世頭と思われて、余計にロボス元帥派に冷遇されていたから。

 でも、自分しか頼る相手のいない子が家族になって、本気を出したのね」

 

 ユリアンを引き取った二十七歳の大佐は、二年後には大将となっている。それも二十九歳の一年間に、准将から三階級を駆けあがってのことだ。アッシュビー提督の調査をした時に、己の栄達を想像もしなかった二十一歳の少佐は、調査対象よりも五歳早く元帥に昇進し、二年早く亡くなった。

 

「もっと早くにヤン提督が昇進なさっていたら、違ったのかしら。

 でもヤン提督って、一番長く務めた少佐も四年はやっていませんでしたよね」

 

 正確には三年十ヶ月である。それでも二十五歳で中佐というのは非常に早い昇進だ。エコニア騒動の際に、タナトス警備管区参事官だったムライの階級である。士官学校卒者が三十代半ばで中佐になれば標準、四十歳でも遅いとは言えない。退役までに閣下と呼ばれる者は少数なのだから。この時点で、すでに十年ほど出世街道を先行していたヤンであったが。

 

「ええ、そうよ。それで三十一歳の時に元帥閣下ですよ。四半世紀ほど早いわよねえ。

 それは、あの人にとっては不幸なことだったでしょうけれど。

 ねえ、カリン、ユリアンのことはそんなに心配することはないわ。

 ヤンさんの亡くなった歳に近づいて、あの人と自分との差が気になりだしただけだもの。

 家でごろ寝をしていたお父さんを、就職した子どもが見直すようなものね。

 アッテンボローさんなりの温情だと思うわよ」

 

「そうなんですよね。ユリアンに影響を与えて、今の彼を作ったのはヤン提督なんです。

 逆に、ヤン提督が特別じゃないユリアンの方が想像がつかないわ」

 

 仮にそうなったら、自分は夫に精神科の受診を勧めるか、立体TV(ソリビジョン)ドラマばりのなりすましを疑うだろう。確かに想像もつかないことだ。

 

「ありがとうございます、ちょっとすっきりしました。

 ところで、私の父は違うって、どういう意味なんですか?」

 

 オルタンスは、決まり悪げな表情をした。いつも泰然自若とした彼女には珍しい態度だった。

 

「ああ、ごめんなさい。失言だったわ」

 

「気になりますから教えてください」

 

「その、怒らないで聞いてね。

 あなたとシェーンコップさんは、出会うタイミングが遅かったのよ。

 普通の人は――特に私たち女は、誰かを愛したら、

 その人と幸せになりたい、一緒に生きたいと思うでしょう」

 

「はい」

 

「でも、英雄と呼ばれる人たちは、それ以上の力で人を惹きつけてしまう。

 『あの人のためなら死んでもいい』」

 

 控えめなローズ色の唇から紡ぎだされた言葉によって、カリンの聴覚から、フードコートの喧騒が引き潮のように遠ざかった。

 

「皇帝ラインハルトが、ヤン・ウェンリーが持っていた力よ。いいえ、呪いみたいなものね。

 力という点では、あの人の方が強かったかもしれないわ。

 あなたのお父さんや、二百万人の兵士たちが自由惑星同盟よりも彼一人を選んだの。

 いえ、選んでしまっていた。あなたが先に出会っていたら、そうはならなかったかもしれない」

 

 ここまで話したオルタンスは、気遣わしげにカリンの顔を覗き込んだ。

 

「ごめんなさいね、カリン。大丈夫かしら」

 

「あんまり大丈夫じゃありませんけど、続けてください」

 

「司令官としてのヤンさんは戦争の天才だったわ。

 でも個人としては、本当に普通の優しい青年だった。

 害虫はともかく、蝶や蜻蛉は殺せないような人よ。

 その人が、巨大な責任を背負って立ち続けていた。

 一人でも多く部下を死なせないように、

 そして国民、いえ人間が自分自身でいられるようにね。

 それをみんな肌で感じたのよ。

 だから、あの人を助けてあげたい、命を賭けてもいいと思わせた」

 

 『新兵と敗残兵の混成部隊』を宇宙最強の精兵になさしめた、ヤン・ウェンリー最大の魔術。種も仕掛けもあった戦術とは異なり、彼自身の魔力によってなされた奇蹟だ。皇帝ラインハルトやブルース・アッシュビーのように、自身のカリスマで部下を牽引したのではない。

 

 カリンの脳裏に、あるイメージが喚起された。綻びの目立つ古い家を守るために、朔風(さくふう)にまだ細い幹を晒し、精一杯に枝葉を広げて立つ木。頼りない外見とは裏腹に、暴風の元凶である太陽を地に落とすことができる魔法の木だ。

 

 とても頑丈とは思えないそれを、背後から多くの手が支える姿を。その手の中に、彼女の夫や父親、オルタンスの夫がいた。二百万人にのぼる誰かの父、誰かの夫、誰かの息子たちも。

 

「アレックスがそうならなかったのは、名将でない頃からヤンさんを知っていたせいでもあるし、

 私たち母娘のおかげでもあるわ。もちろん、得意分野の違いは大きいでしょうけれどね」

 

「もっと早くに父に名乗り出ていればよかったのかしら」

 

「巡り会わせというのはありますからね。あなたの存在をもっと前から知っていたら、

 あんなに勇猛な戦い方はできなかったかもしれないわね。

 その結果、ヤンさんの部下になる前に退役していたかもしれないわ。

 だから、私にはなんとも言えないけれどね」 

 

 テーブルの上で握り締めたカリンの手を、家事の神様の手がそっと包んだ。

 

「命を賭けられるような相手と出会えたのは、

 お父さんにとって一つの幸福なのかもしれないわよ。

 どんなに喪失に苦しむとしても、出会えないで人生を終えるよりも、

 ずっと幸せだったと思うの。

 ユリアンとヤンさんのようにね。でもね、カリン、これだけは言えるわ」

 

 励ますように手を握り、限りなく優しい笑顔を見せた。孤独な少女に、幸福をもたらす白き善き魔女のように。

 

「亡くなった人には勝てないってよく言うけれど、逆もまた真なり、よ。

 亡くなった人のために、ずっと生き続けることはできないの。

 一番強いのは生きている人間よ。これから時間はいくらでもあるわ。

 あの人たちの分も幸せにおなりなさい。子どもの幸福を願わない親はいないんだから」

 

 夢中になって遊んでいる息子二人を遠目に見ながら、カリンはひっそりと涙をこぼした。




※朔風=北風

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