関わった人々に
当時の関係者へのインタビューの文章化と、ユリアンから提出された参考文献に関する調整。公金横領を行った捕虜収容所所長のコステア大佐の、軍法会議の記録の整理。いずれも楽な仕事ではない。
第二次ティアマト会戦は今から六十八年前のことだ。それにまつわる著作は絶版されたものも多い。また、弱小の出版社は同盟滅亡の煽りを受けて、倒産している場合がある。仕方なく、伝手をたどってやっと探しあてても、直系や近い傍系の親族は亡くなっていて、甥や姪にその子、孫といった遠縁の相続人しかいないという状態だった。順調に連絡がついたのは、アルフレッド・ローザスの孫娘のみという体たらくである。幸い快諾を貰えたので、まずは第一関門突破。だが道は遠かった。
「まさか、ケーフェンヒラーの係累を探す前に、
参考文献の肉親調査で大変なことになるとはなぁ」
一人でやるにはきりも果てもないので、著作権関係に強いという法曹事務所に依頼をして、そういった著作の相続人探しをしてもらった。
エージェントは今年二十九歳になるという女性で、小柄でほっそりとした物静かな印象の人である。名前はリー・ユイラン。E式姓で、祖先のルーツを色濃く残した容貌だった。差し出された名刺には、帝国、バーラト両国の国家資格がずらりと並んでいる。どれも難関国家資格として有名なものばかりだ。これにアッテンボローは全面降伏し、調査について白紙委任状を提出した。
弱小新聞社のかつかつの報酬で雇ったにも関わらず、半月ほどで一部の隙もなく調えられたリストと、連絡がついた相続人の内諾書まで揃えて提出された。残りのほとんども回答待ちで、連絡のつかないもの、相続人不明のものはあわせて三件だけだという。
あまりの手際の良さに、呆気にとられたアッテンボローに、リーは細い首を傾げて問いかけた。
「報告は以上です。なにか不備な点がございましたら、
「いやいや、不備だとかじゃない。そこまでやってもらえるとは予想していなかったよ。
ありがとう。本当に助かった」
小作りで繊細な手が卓上に置いたファイルは分厚いものだった。一方、数ページにまとめたレジュメは、簡にして要を得たもので、相当の労力を費やしたに違いない。かなり費用の持ち出しもあるのではないだろうか。
「超過勤務の報酬をお支払いしないとならないな。
うちもそんなに余裕はないが、きちんと請求してください」
「いえ、これは私の恩返しですから、必要経費のみで構いません」
「それはどういうことか教えていただけますか」
「私は、軍人の娘でした。十二歳でトラバース法の対象になりまして、
進路をどうしようかと思い悩んでいる時に、戦争が終わって同盟軍が解体されました」
ひっそりとした笑みを浮かべた白い顔が、繊細な花を連想させる。旧同盟の女性の平均よりも、15センチは低く、20キロは軽そうな華奢な身体つき。制式銃の銃把さえもてあますだろう、小さな手と細い指。そのせいで年齢よりもずっと若く見える。
アッテンボローは、側頭部を殴りつけられるような思いがした。戦争が続いていたとはいえ、もう一方の親や祖父母まで他界しているという子どもは多くない。更にトラバース法が適用される孤児は少数派である。素行や性格のよい成績優秀者が選抜されるからだ。たとえば、ユリアン・ミンツのような。
この人は小学生の頃から、ずば抜けた学業成績を誇っていただろう。だが選抜された後に、順調に肉体が成長するとは限らない。この女性の体格で、士官学校や軍専科学校に入れというのは一種の虐待だ。
「私の養父母は優しい人たちでした。
全然背が伸びず、痩せっぽちの私に、無理をしなくていいといつも言ってくれました。
だからこそ迷惑をかけたくはありませんでした。ハイネセンが占領されたことよりも、
これで養父母にお金の心配をさせなくてもいいと真っ先に思ったんです。
だから、ミンツ氏への応援でもあるんです。どうかお気になさらないでください」
「しかしね、『仕事に見合う給料』をっていうのは、ヤン先輩の教えなんだ。
あなたの善意に甘えるわけにはいきませんよ」
アッテンボローの言い分に、彼女は微かに笑みを漏らした。
「『
そこまでおっしゃってくださるのなら、ふたつのご提案があります」
「何でしょう」
提示された案の一つ目は、本にケーフェンヒラーの考察の原文を掲載するという名目で、ケーフェンヒラー家の相続人調査を行うというものだった。男爵だということから、領地の登記簿が残っている可能性は高い。相続人がリップシュタット戦役後も健在ならば、ケーフェンヒラー名義の土地があるだろう。断絶しているのなら、皇帝直轄領になった時期で、相続人途絶の理由が推測できる。
「そんなこと、可能なんですか」
思いもよらぬアプローチを提示されて、アッテンボローはソファーの上で居住まいを正した。
「もちろん御社が依頼をしてくださればですが。
それ以外に、私が帝国の調査を行う資格上の問題はありません」
アッテンボローはまじまじと彼女の顔を見つめた。
「優秀な人というのはいるものですね。あなただったら中央省庁の官僚でも務まるでしょうに。
どうして民間にいらっしゃるんです」
彼の問いにはさらりとした返答が返された。
「年季奉公の最中です。大学の学費を貸してもらいましたので」
「政府の奨学金選考、あなたなら合格間違いなしなんですがね」
「貸主が大きければ大きいほど、ヒモ付きのお金は厄介です。
ご存じでしょう、アッテンボロー提督」
旧同盟軍人として、国の禄を食むことの意味は痛感している。
「いやぁ、一本とられましたよ。誠にごもっともです。
ミズ・リー、しばらくの間は当社にご協力をお願いします」
「御社のご依頼は確かに
そして、もう一つのご提案ですが、ヤン元帥の評伝を出版される際には、
是非、当事務所に調査をお申し付けください」
一礼して、アタッシュケースから契約書を取り出す。それを受け取って一読し、依頼者の欄にサインをしながら、アッテンボローは内心でほくそ笑んだ。
この繊細な美人を前にしたら、帝国の民事局だか法務局だかの職員は鼻の下を伸ばすだろう。そして、鋭い切れ味の頭脳で滅多切りにされるに違いない。ざまを見ろ。この一年半に繰り返した催促を思うと、溜飲も下がろうというものだ。
たとえ見つからなくても、それはそれで構わない。出来る限りの手を尽くしても見つからなかったという経緯を、きちんと公表すればいい。その後に、遺族の申し出があれば、調査、公表、訂正という手順を踏めば済むことだ。調べることもせず、分からないと言ってしまうのがなによりもまずい。
ユリアンからの依頼を、優秀な相手に
ところで、アッテンボローは、一つ勘違いをしていた。彼は、エージェントのリーに、翻弄される帝国のお役所を未来形で想像していたのだが、それは過去と現在進行形の出来事であったからだ。
彼女が就職したばかりの頃は、アッテンボローが想像したとおりに、職員の対応は不必要なほど親切だった。その親切をリーは淡々と黙殺し、次から次に登記簿や課税記録、戸籍などの謄本を申請し、不備や矛盾点を整然と指摘した。滅多切りというよりミリ単位のすだれ切りである。不用意な反論をしようものなら、違う角度からまた同様に切り刻まれる。
何度も微塵切りにされた職員達は、彼女を第一級の要注意人物として扱うことにした。帝国では珍しい黒髪黒瞳に、黒いビジネススーツとパンプス。胸元のIDプレートに並ぶ資格の徽章。間もなく『
執筆者たちの苦闘を余所に、リーは大量の資料を集め、整理をした。手数料や印紙代だけでもかなりの額に上り、新聞社の経理担当のエンドウ・エミコは渋い顔をしたが、あとで訴訟を起こされるよりはまし、と自分を納得させた。
さらに三週間後、二冊の分厚いファイルと二部のレジュメが、共同執筆者達の下に齎された。結論から言うならば、ケーフェエンヒラー男爵家はクリストフ以外の子どもがおらず、彼の代で途絶。母方の又従兄弟の子が最近親者だったが、こちらは帝国民法でも七親等、通常相続権はない。どちらにしろ、回廊決戦で戦死している。
もう一人、クリストフ老人から他の男に奔ったという妻も六十七年前に死去していた。
こちらのほうまで調べ上げてきた『黒い魔女』を、『魔術師の兄弟弟子』はほとんど伏し拝む勢いで感謝した。七十年前の『伯爵家の次男坊で新進の建築家』というという一言から、建築士年鑑を調べて候補者をピックアップし、ケーフェンヒラーの妻と、住所や年齢が近しい者でクロスチェックしたそうだ。
該当者は二名、うち一人は本人が健在だった。銀河帝国有数の建築士事務所の設立者で、いまなお顧問として采配を振るっているそうだ。オーディンとフェザーン、ハイネセンにも事務所があるという。貴族出身者には珍しいやり手である。ハイネセンの事務支所を訪ねた彼女は、顧問への取り次ぎを頼むと、程なく本人が通信に応じてくれた。百歳近いが
「次男坊の私が人妻に手を出して、何万帝国マルクも払ってくれるほど甘い親ではなかったよ、
そうなると、残りは一人。こちらは六十五年前に死亡している。同時期、同職種、似た境遇の相手を、この老人は知っていたのではないか。そう思ってた彼女は、老建築家に尋ねてみた。
「もうそんなになるか」
彼の回答は、第二次ティアマト会戦の直後、その女性が第二子の流産により亡くなったというものだった。上の子どもも間もなく事故死。それは、親の伯爵の手によるものではという噂が囁かれたという。真偽のほどは不明だが、これは伯爵親子の間に深刻なひびを入れた。
その青年にとっては、たしかに真実の愛だったようだ。例え、世間の眉を顰めさせるような始まりであっても。内縁の妻子を喪ってから、酒浸りになり、建設現場で転落死した。間もなく父の伯爵も、溺愛した息子の後を追うように死去。結局、最も長生きをしたのは、四十三年間の捕虜生活を強いられていたケーフェンヒラーその人であった。
「悪い奴じゃあなかったよ。建築の方も斬新でな。貴族の威光だけのものではなかったんだ。
フロイラインのように、元同盟の、それもお若い人には分からんだろうが、
貴族なんてのは、結婚も家門のためにあるようなものでな。
大抵は愛だの恋だの期待をせんものだ。
そういう点で、奴は今の時代を先取りしとったのかもしれんよ」
リーの報告に、ユリアンとアッテンボローは黙然となった。憎悪や悪意ではなく、愛と善意こそがより悲劇をもたらす。そんな格言が心に浮かぶ。
「とにかく、ミズ・リー、本当にありがとうございました」
「この一年半、帝国に送り続けた質問状はなんだったんだろうな。
もっと早く、専門家にお願いすべきだったよ。俺も心から感謝します」
亜麻色と鉄灰色の頭を下げられて、黒髪の美女は面映ゆそうな表情を浮かべた。
「お二人ともありがとうございます。
こちらの調査は、法律的な権利のみのものです。
アッテンボロー社長の調査も、ぎりぎりまで粘るべきだと思います」
結果を誇るでもなく、淡々と返された言葉に二人は目を丸くした。
「法律的な権利を有さなくても、この調査に現れない人々が、
ケーフェンヒラー老人を悼むかもしれません。
男爵家の使用人、友人や職場の人たち。学校で関わる人々もそうです。
ちょうどあなたがたお二人のように」
黒髪に縁取られた白い顔が、静謐な笑みと共に告げる。
「私は、法律は人間の感情の衝突に、折り合いをつけるためのものだと思っています。
相続法は遺族のためのものですから、近しい人々に有利にしなくてはいけません。
でも、人を愛すること、悼むことに血縁は関係ありません。
この調査が全てではない、むしろこれらの書類から調査できない人たちこそが
重要なのではないでしょうか。ヤン元帥と、ヤン艦隊の方々のように。
この本は、その一石になると思います」
それは、焦げ付きそうになっていた彼らの思考を、すっと冷却させる一言だった。後にユリアンは『言葉による澄み切った差し水』と、料理の達人らしい表現で献辞に記した。
「アッシュビー提督についても、これから様々な証言が寄せられるのではないでしょうか。
当時は言えなかったことも、今なら言えるという人がいるでしょう。
あるいは、参考文献に載せられなかった意見が出てくるでしょう。
九十八歳でも、あんなにしっかりした方がいらっしゃるんですから」
「なるほどね。六十八年前の話を検証する学者が現れるなら、
おまえさんは『ヤン・ウェンリー メモリアル』に専念できるな」
「だから、そういう重圧を掛けないでください。僕は既に青息吐息なんですからね!!」
「ところでお二人とも、著述の方はいかがですか?
二ヶ月と十日は七十日間、たったの十週間ですよ」
最初の調査は約二週間。今回が三週間。つまり……。途端に顔色を変え、あたふたと立ち上がった二人の対面から、軽やかな笑い声が響いてきた。いつも物静かな敏腕コンサルタントが、初めて零した笑い声だった。
その落ち着いた表情で、容貌の稚さを五、六歳に収めていた女性は、この時、まるで十代の少女のようであった。まじまじと見つめる青灰色の瞳の下、そばかすの頬が赤らんでいくのを、ダークブラウンの瞳が見ていた。
……二対の。
「ああ、アレックスくん。有能な人を紹介してくれてありがとう。
これで一気に進みそうよ。ええ、本の方も、うまくいけばもう一つの懸案事項もねぇ」
茶器を洗って、所定の位置に片付けながら、ハイネセン・タイムズ社の総務兼経理及び庶務担当のベテラン女性事務職員は、声をひそめて通信端末で通話していた。
彼女の前々職は士官学校の事務職員で、二つ目の職場を定年退職後に再就職した。社長兼主筆記者よりも二十歳年長で、彼の八歳上の先輩の在学中から事務を仕切っていた。二十四歳の『アレックスくん』の部下だったこともある。どちらが真の支配者かは、ケーフェンヒラー老人と同じだが。
「まだあの子、気付いてないでしょうけどね。
家庭や彼氏のある女が、あの量の調査を三週間で片付けられるはずがないって。
帝国の建築家のおじいちゃんが一目で見抜いたそうなのに、何をやってるんだか」
端末からの返答に、右手でお手上げのポーズをとる。
「まあいいでしょ。この調査やってたら、思うところも出てくるわよ。
それにしても専門家って凄いものね。たしか『黒い魔女』だっけ。
あら、知ってたの? ああそうね、資格を与える側のトップだもんね、あんた。
でも、確かにその異称の方が似合うわね。へぇ、あの名前、そういう意味があるんだ」
彼女は冷蔵庫に貼りつけたカレンダーを眺め、ほくそ笑んだ。
「こんど、報酬の請求書を持ってきてもらうんだけど、その時に名前の事を振ってみるわ。
いけると思うわよ。社長の出張が入らないようにしておくから」
この策謀により、とある男が主義を返上したか否かは定かではない。だが、ダスティ・アッテンボローは献辞の一節にこう綴った。
『――エージェントのリー・ユイランに。その名のとおり、我々に方向を示してくれた』
ともあれ、これは一つの突破口であり、転換点であった。ケーフェンヒラー老人の個人史の描写の目安が確定し、二人の筆は一気に進んだ。文章が頭上から降りてくるかのように。
締め切りより十日早く、11月1日脱稿。結局、銀河帝国からの返答は来なかった。それはアッテンボローをお冠にさせたが、手は休めることなく、校正や校閲などの作業を急ピッチで進め、印刷、製本、出荷に漕ぎ着けた。その作業の多くに、リーの所属事務所が多大な貢献を果たした。
店頭に並んだのは宇宙暦814年3月25日。ユリアン・ミンツ、三十三歳の誕生日だった。彼がそれを知ったのは、大学の書店に並べられた『ヤン少佐の事件簿』を手にした教え子達が、大挙して押し寄せてからだった。
この三年間、この本を生み出すために様々な作業を重ねてきた。それは、二十一歳のヤン・ウェンリーの追体験であったり、七十一歳の大佐の過去を探す旅でもあった。彼らに関わる人々のインタビュー、730年マフィアと帝国の二人の提督との関わりの考察。多くの人の手助けによって、それをなすことができた。家族に友人、あるいは仕事上の専門家。出版社だけではなく、印刷所や流通に関わるすべての企業。
その過程で何度となく目にした装丁。実物も自分の手元に届いている。だが、これは完全な不意打ちだった。『魔術師』いや、『ペテン師』の弟子の
まったく、このために過酷な締切を設けたのか。本末転倒にもほどがある。教え子たちの大声に背を向け、教官室へと彼は走りだした。人が悪くて、秘密主義の年長の親友に、文句とお礼の通信を入れるために。
それを、装丁の中のエル・ファシルの英雄が、微笑ましくも羨ましげに見つめていたかもしれない。春の訪れが遅く、ようやく満開になった白木蓮の木の下で。
――アッテンボローの献辞には続きがある。『美しきコンパスの花に、限りない感謝を』