銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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Little Star Go Home

 少年の抗議にポプランは大真面目に頷いた。

 

「ああ、そうともいうな。人間、どうあがいたって自分以外にはなれんのさ。

 人間には無限の可能性がある、なんて先生がよく言うが、ありゃ嘘だからな。

 おぎゃぁと生まれた瞬間に、男か女かでもう可能性は半分だ。

 男に生まれて、妊娠出産はできんだろ。その逆もしかりだがね」

 

「茶化さないでください」

 

「いやいや、真面目な話だよ。

 人間、自分で選んでどうこうできるもののほうが少ない。

 容姿や才能なんかは、努力すれば素質に応じて伸びるけどな。

 努力が大事ってのは認めるさ。だが、限界ってものがあるわな。

 正しい食生活と適度な運動を心掛け、定期的に健康診断を受ければ、

 誰しも不老長寿になれますよっていうぐらい無理だよな。

 そうなりゃ誰も苦労はしない」

 

 そこまで言うと、ポプランはフェリックスに背を向けて、すたすたと歩き始めた。皇宮の方向へと。少年は逡巡したが、結局後を追った。この辺は警備兵が巡回をするエリアだ。今から逆戻りしたところで、騒ぎになって連れ戻されるだけだろう。さっき、大声を出してしまったので、きっとどこかの監視システムにチェックをされている。

 

「詮索はしないがね。

 親に反抗するんなら、その道の先達としてアドバイスをしてやろうか?」

 

「反抗なんて、そういうつもりじゃ……。ちょっと考えたいだけです」

 

 少年の口ごもりながらの反論に、笑みを含んだ声が返ってくる。

 

「考えるにしても、作戦は必要だぜ。

 (おや)はおまえの全生命線を握っているし、社会的な立場も圧倒的に上だぞ。

 まして、宇宙屈指の名将と、それを支える賢夫人の連合軍じゃあな。

 うちの寝たきり司令官どのだって、帝国の双璧とは戦闘を避けてたからなぁ」

 

「僕の父さんはヤン提督には勝てなかったって言ったよ」

 

 六歳の夏の、最初の宇宙旅行は未だに忘れえぬ思い出だった。親友がぽろりと言った皇太后陛下のお言葉に、幼いながらも強い衝撃を受けたものだ。

 

 幼年学校に入学して、『イゼルローンのれきし』以外のヤン元帥の戦績を学んで、ひとつ分かったことがある。皇太后ヒルダの言葉は、むしろ控えめなぐらいだったということが。授業の間、教室は静まり返り、終業のチャイムがなった瞬間、一斉に「嘘だ」の大合唱が巻き起こった。

 

 フェリックスの学年は、授業を行った学級の順に絶叫の嵐が通り過ぎていった。既に年中行事として定着してしまっているため、万事規律に厳しい教師も大目に見ている。教える側も散々頭を抱えたので、生徒の反応を楽しんでいるんじゃないか、と穿った事を言った生徒もいたそうだ。この鋭い卒業生は、ワーレン元帥の長男である。

 

「ああ、回廊決戦の時だな。宇宙艦隊司令長官だったから、陣頭指揮とはわけが違うけどな。

 厳密にいうなら、国務尚書どのは勝てなかったけど負けてもいない。

 うちの司令官に、すぐさま不利を思い知らされて、お互い綺麗に引いたからな。

 さすがは双璧だと思ったよ。ああいう綺麗な勝負をしたのは、もう一人の双璧ぐらいだな」

 

 敵対していた相手からの最大級の賛辞と言えよう。二人の父を褒めてくれてありがとう、なんて口にはできないが。

 

「だから戦略を練らないといかんぜ。なにより重要なのは情報さ。

 とりあえず、親父さんが君に言ったことの意味はなんなのか」

 

「そんなの分からないよ!」

 

「じゃあ訊けばいいじゃないか」

 

 ポプランは肩越しに振りかえると、にやりと笑って歩を進めた。広い通りに、船員用ブーツと通学靴の響きがこだまする。船員服の三十代半ばに見える男と、幼年学校の生徒の組み合わせは、さぞ奇妙に映るだろうが、咎められることはなかった。

 

「いや、訊いてほしいという親心だよ。察してやれや、少年。

 難しい年頃の息子と話をしたいし、それが親友の思い出ならなおのことさ」

 

「えぇっ、そういうことなの!?」

 

「真偽のほどは親父さんに確かめればいいじゃないか。

 別におまえさん、人魚姫ってわけでもなし、白鳥にされた兄貴達のために、

 黙ってイラクサの服を作ってるお姫様でもないんだろ?

 ヤン提督は弟子にこうおっしゃいましたとさ。

 『言葉は大事に使いなさい。確かに言葉では伝わらないことがある。

 でもそれは、全ての言葉を尽くしてはじめて言えることだ』

 いいこと言うよな」

 

「耳が痛いなぁ」

 

 少年は心なし項垂れた。

 

「僕は、実の父のこと、あんまり考えないようにしてた。

 確かに名将だったし、それゆえに陥れられたのもわかるんだけど。

 名誉もちゃんと回復されてるよ。僕を叛逆者の子って呼ぶような人もいない。

 皇太后陛下のおかげで、僕がミッターマイヤー家の養子になったことが、

 なによりの証拠だと思う。そのことは別に恥じていないんだ」

 

「ちゃんと考えているじゃないか。そいつを言えばいいんだぜ」

 

「でも、私生活を聞くと女ったらしで、恨みを晴らそうと襲ってきた女を囲って

 僕を妊娠させるとか、ちょっとあんまりだと思うんだ、人として。

 父さんと母さんを見てると余計にそう思うのに、

 その人と顔がそっくりだなんて本当は嫌なんだよ、僕」

 

 更に悄然としたフェリックスに、何とも言い難い表情になるポプランだった。全く白髪のない明るい褐色の髪を、乱暴に掻きあげる。

 

「おれも耳が痛いな。無論、男の義務と嗜みは果たしているけどな!

 その顔が気に入らないなんて贅沢な悩みだが、こればっかりは好みの問題だしなぁ。

 おまえさんの悩みは分からんわけじゃないぞ」

 

 思わぬ賛同に、はっと顔を上げて先行する背中を見つめる。ぴんと伸びた背筋と上体がぶれない歩き方は、確かに軍人のものだった。

 

「俺の部下にもいたからな。どこから見ても申し分ない美人なのに、

 女ったらしだった親父似なのが気に入らなかった()がな」

 

 薄く淹れた紅茶色の髪と青紫の瞳の色彩を母から、彫りが深く端麗典雅な目鼻立ちを父から受け継いだ、掛け値なしの美少女だった。

 

「ちょっと待って下さい。ポプランさんの部下って……。

 スパルタニアンのパイロットなんですか? 女の子なのに」

 

「おう、そうだよ。それも美少女パイロットだ。

 小中学生向けの立体TV(ソリヴィジョン)ドラマの妄想が、実体化したみたいな存在さ」

 

「そんな、ありえないよ」

 

「ほんとにな。負け戦って言うのはこういうものかと思ったよ。

 十五、六歳の少年少女が、最前線に動員されるなんて世も末だ。

 おれたちは女子どもを守るために戦ってきたはずなのにさ」

 

 当時を思い返すと、いまだに旧同盟政府に腹が立つポプランだ。彼の部下になった美少女は、確かに大した素質の持ち主だった。だが、様々な意味で弱者だった。母ひとり子ひとりで、娘は婚外子(ラブチャイルド)である。亡くなった母は亡命者で、軍人ではなかったから、トラバース法の対象にもならなかった。

 

 死亡率の高いパイロットの専科学校に進んだのは、十三歳から入学でき、衣食住が保証されるからだ。士官学校の入学年齢までの三年間が、持たざる者にとっては限りなく深い谷底だった。

 

「まあ、その娘の話には続きがある。

 女ったらしの父親は、こんな大きな娘がいることを同じ職場になるまで知らなかった。

 あの不良中年が十九の時の子になるから、原因の発生時は……なぁ」

 

 フェリックスに背を向けたまま、彼は肩を竦めてみせた。

 

「最低だ!」

 

 少年の反応は、短く痛烈だった。彼は実父への反感からか、恋愛潔癖症のきらいがある。

 

「仰せのとおりで、そりゃ娘が怒るのも無理はない。

 だが、いきなり親になれないのは男としてわかる。

 俺も同じ部類の高等生命体だからな。あんなヘマはしないがね。

 何よりもこういう問題に、他人が手を突っ込むのは憚られるもんだしな。

 他にも言い訳は山ほどあるが、おれがどうこうする間に、親父があの世に逃げちまった。

 殺しても死なない奴だとばかり思っていたんだがね」

 

 声を失った少年に、なおも背を向けて彼は続けた。

 

「おれも後悔したが、あの娘の後悔はそんなに生易しいもんじゃなかったろうな。

 遠慮なんかせずに、なにかをしてやるべきじゃなかったか。

 あの娘の上官として、あの親父の友人として、余計なお節介と言われようともさ。

 『喧嘩も相手が生きていればこそ、死人には墓石に文句を言うしかない』

 ヤン・ウェンリーは後輩に言いましたとさ。まさに至言だよな。

 だから、俺は『問答無用』から『話せば分かる』に宗旨替えしたのさ。

 で、迷える子羊にはお節介なおにいさんとして、助言をしてやろうとね」

 

 ポプランの歩みは止まらなかった。フェリックスの普段の通学路とは異なるルートでも、家が近くなってきたのが分かる。

 

「その女の子はどうなったんですか」

 

 ためらいがちの質問の答えは、軽い笑い混じりのものだった。

 

「陳腐なTVドラマの結末と一緒だよ。

 やがて戦火の中で素敵な少年と出会い、時に反発しながら恋に落ち、

 戦いを終わらせて彼と結ばれるのさ。

 そして、二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

 たまにはこういうこともあるから、現実もそう捨てたもんじゃない」

 

 角を曲がって、ミッターマイヤー家の門の前に差し掛かる。ポプランは警備兵に愛想よく片手をあげると、よくとおる声であいさつをした。いつのまにか、フェリックスの右腕をしっかりと捕らえて。

 

「どうも、こんばんは。トウィンクル・スター運送の者ですが、

 ウォルフガンク・ミッターマイヤー様に二点お届けものです。

 大変に貴重なものですので、ご本人かご家族の方のサインをいただきたいんですが」

 

 二人の警備兵が、一瞬顔を見合わせ、体格のいい方が油断なくポプランを見据えた。もう一人は玄関のインターフォンに駆けつけ、何事かを告げる。ほどなくして、クリーム色の髪の華奢な夫人が玄関から現れた。警備兵がしっかりとガードしながら、二人の前に近づいてくる。

 

 ポプランは、ジャケットのポケットから、本当にそのロゴ入りのパックを取り出した。ひとまずは警備兵が受け取り、ハンディスキャンで危険物の有無を確認する。危険なしと判定されて、ようやく夫人の手に渡った。

 

 そうして、にこやかに愛嬌たっぷりの笑みを浮かべて口上を述べる。本当に羨ましいぐらい魅力溢れる表情だ。フェリックス自身もそうだが、彼の周りにはこんなに屈託のない笑顔のできる人はいないので少々憧れてしまう。

 

「こんばんは、遅くに失礼します。ミッターマイヤー様のご家族の方ですね。

 お届けものが二点、まずはこちらフラウ・キャゼルヌとフラウ・ムライのレシピ集です。

 間違いはございませんか?」

 

「ええ、間違いありません。

 まぁ、お二人とも忘れないでいてくださったのね。本当に嬉しいわ。

 ねぇ、運送屋さん。もう一つは何を運んできて下さったのかしら?」

 

 悪戯っぽい笑みを湛えた菫色の瞳が、陽気な緑と気まずそうな藍色を順に見詰めていく。

 

「銀河帝国の至宝の至宝、お一人になります。

 こちら伝票はございませんが、ご了承くださいませ。

 たいへん貴重でデリケートなものでございますので、ご家族でよくお確かめください」

 

 そう言うと、左足を軸に綺麗にターンする。あれよという間に、フェリックスは母の前に移動していた。まるでダンスのステップのように。

 

「か、母さん……」

 

 『運送屋さん』の妙技に感心した表情の母は、まず会釈をして礼を述べた。 

 

「ありがとうございます、運送屋さん。機会があったらまたお願いしますわ」

 

「はい、今後とも御贔屓に。ただ、当社は貨物専門ですので、生き物はご遠慮くださいませ」

 

 国務尚書の令夫人に向けられたのは、同盟式の敬礼と再びの鮮やかなウインク。最初に少年が見たときよりも、愛嬌が増量しているのが気のせいならいいのだが。

 

「ええ、気をつけますわ。それではおやすみなさい。気を付けてね」

 

「はい、ご主人にもよろしくお伝えくださいませ。それでは失礼いたしました」

 

 敬礼した手を下して、彼は背を向けた。悠然と歩み去る背中に、フェリックスは慌てて声をかけた。

 

「ありがとう! おにいさん(・・・・・)! 僕、よく考えてみるよ」

 

 右手が上がり、ひらひらと小さく振られた。

 

「お帰りなさい、フェリックス。お腹がすいたでしょう?

 今晩はフリカッセよ。早く手を洗ってらっしゃい」

 

「ただいま、母さん。遅くなってごめんね。父さんは帰って来てる?」

 

「今日は遅くなるみたいね。

 でも明日の土曜日は、午後お休みがとれるっておっしゃっていたわ」

 

「じゃあ僕、父さんに訊きたいことがあるんだ」

 

「ええ、お父さんが帰ってきたら伝えておくわね。

 そうそう、明日は御馳走にしましょう。新領土のレシピをいただいたのよ。

 本当は明日届く予定だったけれど、運送屋さんが気を利かせてくれたのね。

 同盟風のケーキの作り方を入れてくれたそうなの。

 すごいのよ、ヘル・ムライの奥様、ホテルのケーキ職人さんなんですって。

 あなたのバースデーケーキ、今度はそれにしてみましょう」

 

「え、バーラトの駐留事務所の事務長さん、奥さんいたの!?」

 

 今日一日で色々な話を聞いて、驚くのにも疲れてきたフェリックスだ。そろそろ打ち止めにしてほしいところである。

 

「ええ、ハイネセンの一流ホテルの製菓部門長で、

 もう三十年以上お勤めになっているんですって。

 凄く腕のいい方で、後継者が見つかるまではと慰留されているそうなの。

 だからヘル・ムライはずっと単身赴任をなさってるそうよ。

 ほら、ユリアンさんとカリンさんの結婚式の写真を覚えてるかしら?

 あのケーキをお作りになった方よ」

 

「ああ、アレクと僕が食べたいって駄々をこねたのだろ? 覚えてるよ。

 ケーキが果物の花で飾ってあって、すごく綺麗だった……」

 

「ふふ、あんなに凄いのは無理よ。初心者向けのケーキにしていただいたから」

 

 一瞬、回想の視界にノイズが走る。明るい褐色と緑の瞳、新郎新婦の肩を両腕に抱き込む屈託のない笑顔が。

 

「そういえば、とっても綺麗な花嫁さんだったよね」

 

「確かに綺麗な花嫁さんに、素敵な花婿さんだったわね。

 でもね、お父さんと私もなかなかのものだったのよ」

 

 ふいに疑問が氷解した。ポプランの言っていた現代のお伽噺の結末は、こんなに近くにあった。本当に下手なドラマなんて目じゃない。

 

 虚構ではなく本物の英雄、不敗の魔術師と、勇名を馳せた薔薇の騎士の長。その弟子と娘。亡き人々の精神と血の後継者が新たな系譜を生み出した。権力もなにも世襲はされないが、彼らを語り継ぐ子孫たちは、きっと増えていくのだろう。

 

 ひょっとしたら自分だってそうなのかもしれない。だとすると、本当に悩むのは、もっと色々な事を知ってからでも遅くない。

 

「母さん、それは結婚記念日の度に聞いてるからよーく知ってます」

 

「昔は何にも言わずに聞いてくれたのに、生意気になっちゃって。

 じゃあご飯を暖めておくから、着替えて手を洗っていらっしゃい。

 ちゃんとうがいもするのよ」

 

「うん、わかったよ。ありがとう、母さん」

 

 少年は短く母に答えた。様々な思いと沢山の感謝を込めて。


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