銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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宇宙一高貴な保護者会

 結局、ミッターマイヤーは目の下に隈を作り、生あくびを噛み殺しては、空のコーヒーカップを量産して土曜の午前中を過ごした。古くから、戦争は血を流す政治、政治は血を流さない戦争などともいうが、今ここが戦場でなくてよかったと実感する。いつも溌剌(はつらつ)とした国務尚書の珍しい様子に、皇太后ヒルダも訝しげな顔をした。

 

「ミッターマイヤー国務尚書、どうなさいました」

 

「これは皇太后陛下、お見苦しいところをお見せいたしました。誠に申し訳ありません」

 

「いいえ、謝罪などなさらないでください。

 あなたがそんな様子をなさるなんて、どれほどの一大事かと心配になりますわ」

 

 皇太后の言葉に、苦笑いするミッターマイヤーだった。

 

「実は、自業自得なのですが」

 

 彼女に説明したのは、この数時間後にフェリックスに語った内容である。話の最後を、ミッターマイヤーはこう結んだ。

 

「十五歳という部分で、早合点をしてしまいましてね。

 来年は幼年学校を卒業しますので、実の父の姓を名乗るなら、

 進学に合わせるのが好都合ではないかと思ったのです。

 ですが、そう簡単なものでもないようで、まったくお恥ずかしいことです。

 それで今日の午後に、あれと実の父についての話になると思うのですが、

 考え出すと難問が山積しておりまして」

 

「そうでしたか。あの時は陛下の許可という後ろ盾がありましたから、

 かなり私の裁量で手続きをしてしまいましたからね。

 その後の法改正もそうです。私にも責任の一端がありますね」

 

「皇太后陛下、決してそのようなことは……」

 

「いいえ、重大な責任があるのです。

 もっと早く、ラングの策謀を調査していたらと思うと悔やまれてなりません。

 ロイエンタール元帥は、戦場の名将に止まらず、素晴らしい行政手腕の持ち主でした。

 あのような誣告に踊らされることがなければ、あの流血はなく、あの子も父を失わず、

 私達が政務に苦労することもなかったでしょうに」

 

 ミッターマイヤーは、深々と皇太后に一礼した。

 

「陛下にそうおっしゃっていただけることが、ロイエンタールにとっても救いになるでしょう」

 

 ヒルダは少年めいた硬質の美貌に、翳りの色をのせる。

 

「こんなことをお話しすると、あなたはお気を悪くされるでしょうが、

 私はあの方が少し苦手でした。

 私は社交界では変わり者扱いでしたが、女の端くれですもの、なにかと噂は耳にするものです。

 冷たい美貌というのでしょうね。ああいうのも一種、損な容貌ですわ。

 私には公正な紳士でしたが、そういう評判を聞くと身構えてしまうのです。

 それでも、その評判に怖じなければ、一時でも彼を所有できる。

 女性にとっては、ある意味で堪らない魅力でもあるのですよ。

 男性として、完璧に近い人でしたものね」

 

 ロイエンタールの存命中、幾度となくミッターマイヤーが思っていたことを、(たなごころ)を指すように言葉にされた。皇太后の分析力は重々承知しているが、改めて脱帽するしかない。だが、真に舌を巻くのはこの後だった。

 

「ですが、今になってみると、ロイエンタール元帥は、

 女性がお好きではなかったように思えるのです」

 

 まさしくそれこそが、亡き親友の急所だった。

 

「皇太后陛下、どうしてそうお思いになるのです」

 

「先日、ある男性を見かけたのです。

 ヤン夫人にお願いしていた物を届けてくれた方なのですが」

 

 愛嬌のたっぷりの魅力的な男で、皇宮の女官に親しげに声を掛け、女好きなのだと一目瞭然だった。いまの皇宮の女官は生真面目な者が多いのだが、よほどアプローチが上手なのだろう。お堅い美人たちが、満更でもなさそうに会話をしている。

 

 懐かしい顔だった。ラインハルトの死で、一万人の力量を喪失したのなら、二万人でも三万人でもできる人数でやればいいと言ってくれた。明るい褐色の髪と鮮やかな緑の瞳。当時とほとんど変わっていない、相変わらず引き締まった体つきの美男子だった。

 

「私が直接言葉を交わしたわけではありませんが、

 ホールの上の回廊にいた私たちと目が合って、ウインクをしてくれましたのよ」

 

「それはまた、ずいぶんと不敬ではありませんか」

 

「ミッターマイヤー尚書、お怒りになる必要はありませんよ。

 本当のお目当ては、私ではなくて周りの女官だと思いますからね。

 上品な言葉ではありませんが、女好きとか女遊びと言うでしょう。

 あの人を見て、好きだから遊ぶのだと納得してしまいましたわ。

 そうして見ると、ロイエンタール元帥はなにかが違う、と思ったのです」

 

 ミッターマイヤーが浮かべた苦渋の色に配慮したのか、ヒルダは話題を変えた。

 

「逆にヤン元帥は、ご夫人一筋だと思っていたのですが、

 あの方にも片思いの女性がいらしたそうですの。

 ご夫人の心胆を寒からしめた方だったそうです」

 

「何ですって?」

 

 思わず敬語も忘れて訊き返したが、ヒルダは咎めなかった。

 

「ヘル・ミンツとヘル・アッテンボローの著作はご存知かしら」

 

「皇太后陛下、初めてうかがいましたよ」

 

「それでは、ヘル・ムライに、ミュラー軍務尚書への出入り禁止令が出され、

 怒鳴りこんだビッテンフェルト元帥が、バーラト星系共和自治政府への内政干渉と、

 憲法違反で提訴すると逆に一喝された件は?」

 

「昨夜、妻から聞いたような気がしますが、

 あの事務長氏をそこまで怒らせるとは笑い事ではすみません」

 

 ヒルダの説明によると、ヤンの弟子と後輩が、エル・ファシル脱出行直後のヤンの体験を基に、第二次ティアマト会戦で活躍したブルース・アッシュビーと、帝国との謀諜網が考察された話である。二十一歳のヤンの言行録としても面白く、複数の友人知人、上官に部下からのインタビューをまとめてあり、伝記としての側面も優れている。

 

 軽佻浮薄な題名を裏切るような厚さの本だが、この二種の要素が絶妙なタイミングで交錯し、二人の著者の才能をよく表している。

 

 当然のごとく、新領土の書店を席巻する勢いで売れ、なんとイゼルローン要塞にまで出回ったそうだ。その司令官として抗議のために、バーラト星系政府帝都駐留事務所に超光速通信(FTL)で怒鳴りこむビッテンフェルトもビッテンフェルトだ。

 

 だが、それなりに人は選んだのだろう。というか、ここまでの調教……いや管理職教育が実を結んでいたのだろう。これがキャゼルヌ事務総長なら、アイスピックのような毒舌の集中砲火で、一片の反論も許されないうちに大騒ぎになったであろうから。

 

 規律と秩序の使徒、地味で堅実なムライは、ビッテンフェルトの鼻先を見えない定規でぴしりと抑えるご意見番であった。だが、ヤンの遵法(じゅんぽう)精神に一番身近な者でもあった。いつもは定規の平で軽く叩くにとどめる彼だが、今回は相当に腹を立てたらしい。見えざる炭素クリスタルの定規の、目盛りの刻まれた背でもって一刀両断にしたようだ。毒舌でさえなく、法的根拠に基づいて、一切付け入る隙もなく、理路整然と論破されたという。

 

 ちなみに、さすがに帝都にまでは本が入ってこない。これを求めて駐留事務所に掛け合い、待合室の読み物として置いてもらったまではまだいい。あまりにも頻繁に入り浸りすぎて、とうとう軍務省に本を渡されて、暗に出入りに及ばずと告げられてしまったのが前者であった。

 

「しかし、帝国軍の重鎮が揃って何をやっているのでしょうか」

 

 聞かなければよかったと、ミッターマイヤーは真剣に思った。

 

「それでも、外務省に対する厳重注意の申し入れで済ませて下さってありがたいことですわ。

 ビッテンフェルト元帥が、バーラト政府や、著作者達に直接抗議していたらどうなったことか」

 

「皇太后陛下、恐ろしいことをおっしゃいますな」

 

「ビッテンフェルト元帥には厳重注意をしておきましたわ。

 私もこの本を読みましたので、あまり強いことは言えませんけれどね。

 ああ、もちろん密輸などではありませんわよ。

 ヤン夫人にお願いして、私が著作者から寄贈を受けた物ですから」

 

「陛下……」

 

 この方も、だいぶ共和自治政府に毒されているのではないだろうかと、心配になるミッターマイヤーだった。二期八年で首班の座を降りたフレデリカ・(グリーンヒル)・ヤンは、その後も政府の閣僚に留まり、今は外務長官を務めている。不世出の英雄達の遺された妻という立場も、年齢や能力、性格にも近しい部分の多い二人である。いまや良き相談相手、親友といっても過言ではない。

 

 完全に余談ながら、その美しい容姿も。くすんだ金髪とブルーグリーンの瞳のヒルダが清爽とした初夏を、金褐色の髪にヘイゼルの瞳のフレデリカが豊穣の秋を連想させる。

 

 二人の夫は、対象的な容姿ながら、どちらも冬を連想させるのが共通点だろうか。陽光を金色に照り返す真白き万年雪の下、蒼氷色の断面を見せる氷河と、深閑とした夜の闇に、音を吸い込んで積もる雪を。

 

「実際に読んでみると、本当に面白いのです。

 複数の人物から見たヤン提督のインタビューがありますが、

 色々な見方があって、みんな見え方が違うのです。

 あの方は『矛盾の人』と呼ばれたりもしたそうですが、確かに複雑な人だったのでしょうね。

 ちょうど、ロイエンタール元帥のように。あなたのように公正で実直な方には

 逃げとも取られそうですが、これは一つの戦術にはなりませんか?」

 

「と、おっしゃいますと……」

 

「あなただけからの言葉ではなく、様々な人たちからロイエンタール元帥に

 ついて、フェリックスに語ってもらうことです。

 親友であるあなた、陛下の幕僚であった私や、他の元帥がたもそうでしょう。

 それに、あなたの上のお子さんは、ロイエンタール元帥の従卒でしたね。

 いろいろな情報を提示して、彼に選んでもらうのです」

 

 

 いかにもこの女性らしい、情理を弁えた提案だった。

 

「ありがとうございます。フェリックスを引き取った時は、

 大きくなったら、実の父の事を語りたいと願っていました。

 ですが、陛下のおっしゃるようにロイエンタールは複雑な男です。

 正直、難しい年齢の息子に、言いにくい面もありましてね」

 

 ミッターマイヤーは、おさまりの悪い蜂蜜色の髪の上から、眉間を揉み解した。すこし白い物も混ざりだしたが、まだあまり目立たない。相変わらず豊かな髪だ。

 

「まぁ、どんな?」

 

 ミッターマイヤの表情が固まったので、ヒルダはくすりと笑みをこぼして続ける。

 

「と、訊くのは新領土で言うパワーハラスメントになるのでしょうね。

 取りあえず、あなたがおっしゃった方法もあることを教えて、

 ご自分の早とちりをフェリックスにお伝えになったほうがいいでしょう」

 

「いやはや、面目ないことです」

 

 珍しい皇太后の軽口に、ミッターマイヤーはかなり気持ちが軽くなった。

 

「あなたも失敗をなさるというのを、率直に見せたほうがいいのですよ。

 例の本に、ヘル・ミンツが空戦の師に言われたことが載っていましたわ。

 『ヤン提督は怠け者だからいいのさ。

  あの人が勤勉な努力家だったら、周囲の人間が救われないぜ』と。

 ミッターマイヤー国務尚書、自覚がおありではなさそうですが、

 あなたはかなり『勤勉で努力家なヤン・ウェンリー』に近い方よ。

 その人に、姓を変えないかなんて言われたら大変なショックでしょう。

 今日はもうお帰りになって、フェリックスと沢山お話をなさるべきです」

 

「は、しかし……」

 

 反論しかけたミッターマイヤーを、ヒルダが遮った。

 

「歴史上、重大な問題ですのよ、有力な臣下の親子の仲違いというのは。

 それにアレクも心配していますわ。愚かな母の言い分とお笑いになっても結構です。

 フェリックスの問題は、私達が皆、アレクも含めて背負うべきものです」

 

 こうまで言われてしまえば、臣下にとっては一礼して、その意を受けるしかない。

 

「皇太后陛下、ご厚情に感謝いたします。それでは失礼をさせていただきます」

 

「ええ、お気を付けになってね」

 

 ミッターマイヤーの辞去を笑顔で見送り、皇太后の執務室には主席秘書官のシュトライトが残った。


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