銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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縁の下で握手を

 軍務省次官のアントン・フェルナー少将も、上官の急逝で軍務省の業務の洗い出しを急がせた。幸い、オーベルシュタイン元帥は、事務仕事について秘密主義ではなかった。次官たるフェルナーには、大綱を示して、事業計画の骨子を作らせ、それに従って各部門に業務を分配していた。

 

 それらの文書は、非常に簡潔で分かりやすいものが残されていた。まるで、これあるを予想していたかのように。問題は、軍務省が所管する業務が巨大すぎることである。これらを職員の力量に応じて分配しているため、その枝葉の量たるや、膨大なものとなった。

 

「他の省庁に移管できる業務も洗い出しておくべきだな」

 

 オーベルシュタインの下にあっても、その図太さで胃薬などの必要はなかった彼だが、この事態による激務で、コーヒーを何十杯となく流し込んだ。そろそろ胃薬が必要になりそうな気配である。

 

「問題は、この後任が決まった後だぞ」

 

 帝国軍の序列は、軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官の順である。現在、統帥本部総長は空席だ。これは先帝が兼任していたのだから仕方がない。首席元帥となった宇宙艦隊司令長官のミッターマイヤーが、一段飛ばしで軍務尚書になるだろう。

 

 いや、そうしてもらうしかない。皇帝と軍務尚書が同時に急逝するとは、不測の事態である。ラインハルトの生前の指示は、キーストーンが欠損してしまった以上、意味をなさなくなっている。新たな要石は、オーベルシュタインと同等以上の重鎮でなくてはならない。そして、宇宙に(はし)った動揺を収めるのに必要なのは信望だ。公明正大な人格者である彼を()いて他にない。

 

「よもや、宇宙艦隊司令長官を兼任していただくわけにもいくまい。

 こちらはワーレン元帥かビッテンフェルト元帥だな。

 年齢的に、ミュラー元帥では揉める。

 それに、統帥本部総長も空席のままではよくないな。

 これは、メックリンガー元帥しか適任がいないだろう。

 元帥が七人もいるのだから、役職を背負ってもらわないとな。

 だが、あと四人もいるのか。さてさて、どうしたものか」

 

 フェルナーは、鳩尾をさすりながら考えた。ナンバー2不要論かどうかは不明だが、軍務省次官が少将の自分なのはよかったのだろうか。少将が元帥の人事配置を考えているのだから。参謀出身のオーベルシュタインは、提督らのような子飼いの部下を持ちにくかった。それは考慮してやるべきだろうが、敵ながらヤン・ウェンリーという例もある。

 

 彼は、出合った人材を幕僚に指名し、自らの部下として育成したのだった。時にけなされ、時に皮肉や小言を言われても、彼は部下に慕われた。部下の力量と適性を見抜き、自分が苦手な仕事は、潔く得意な者に任せてしまった。相手を信頼し、責任者は自分だと明確にしたうえで。

 

 有能な怠け者であり、人使いが上手い。彼の死後も軍事面はともかく、後方業務の遅滞は発生していない。有能な働き者二人は、部下に任せるより自分でやった方が早かった。だからこの騒ぎが起きているのだ。

 

 そのヤン元帥の後継者の根城から、イゼルローン明け渡しに関する要求が寄せられていた。まったく面倒なことである。しかも、事務監キャゼルヌ中将から二つの条件が付けてあった。

 

 一つ目は、これから武装解除を進めるにあたり、敗戦の恨みを暴発させるような将兵はやめてほしい。こちらも血の気の多い連中が多い。ハイネセンの二の舞は、望むところではない。

 

 二つ目は、そちらの意志を会議できちんと示していただきたい。こちらからの意見に対して、反応を返されるだけでは、意志の疎通が図れない。後々、トラブルに発展する恐れもある。

 

 いやはや、完全に見透かされている。そして、反論できない正論であった。名指しこそされていないが、この二名はフェルナーとしても扱いに困る人物だった。あちらの言うとおり、微妙な判断が要求される交渉の場には出さない方が賢明である。

 

 となると、結局動かせるのは、ワーレンとミュラーの二名。どちらも、イゼルローンの面々に縁があり、彼らに対して好感を持っている。

 

 フェルナーは唸った。

 

「お見事だな、キャゼルヌ中将か。いっそ、軍務省に引き抜きたいところだ。

 彼なら、軍務尚書の代行が務まるだろう」

 

 まずもって不可能、『ふん!』の一言で席を蹴られて終わることだろう。だが、この策略に乗らせてもらおうではないか。彼ならば、将来の帝国三高官候補に、後方事務のABCから叩きこんでくれるに違いない。

 

 そして、旧領土と新領土を結ぶイゼルローン回廊と、イゼルローン要塞は、宇宙統一後も要衝であることに変わりはない。イゼルローン自治政府から返還が済み、帝国軍が駐留するとなれば、元帥を置くにふさわしい役職と言えよう。要塞司令官と要塞駐留艦隊司令官の兼任。かの不敗の魔術師と同じである。

 

「と、するとだ……」

 

 沈黙と大声の提督らにはご遠慮ねがうとして、別に人数制限は設けられていない。実際問題、二人も元帥級を回すわけにはいかないが、それ以下の階級ならうじゃうじゃいる。非常に困ったことだが。そこで思いついたのは、帝国軍の准将から中将級で、文官として適性がありそうな者も同行させたらどうだろうかというものだった。

 

 これは名案に思えた。各艦隊に、二十代の将官がダースで存在するなど異常である。勝ち戦に次ぐ勝ち戦で、前線勤務者は階級がどんどん昇進していったが、二十代で少将というのなら、本来はかつての双璧に匹敵する功績が必要だ。それほどの戦功を挙げた少将、中将はいない。大将級でもかなり疑問が残る。

 

 とにかく、これから軍部に高給取りを抱えている余裕はない。能力がある者は、文官や行政官となってもらい、帝国軍の規模も縮小しなくてはならない。この数日、業務の洗い出しと棚卸しを行って、見えてきた問題点だった。帝国軍に集中している人的資源と、民生や行政方面の人員の貧弱さだ。

 

 このままでは帝国は崩壊する。それも、同盟の統治機構が生きている新領土ではなく、帝国本土のほうが。平民に豊かな暮らしを与えるためには、膨大な費用が必要になる。現在の軍事費を継続しつつ、同時に民生への財政出動は不可能だった。これについても、新たな軍務尚書に説明して了承を得なくてはならない。

 

「よし、あちらの好意に甘えさせてもらうとするか」

 

 そう呟くと、副官に指示を告げる。

 

「統帥本部に、後方経験のある二十代から三十代前半の

 准将から中将級までをリストアップさせろ。

 その中で、イゼルローンに対して暴走しない連中を選抜するように伝えてくれ。

 そうだな、とりあえず全部で十人前後でいい。イゼルローンの返還に同行させよう」

 

「了解しました。フェルナー閣下、どちらの艦隊の人員から選出すればよろしいでしょう」

 

「卿は俺の指示をきちんと聞いたのか。その条件に当てはまる者だ。

 対象は帝国軍全体、もう一つ、それなり以上に仕事のできる人間を選べ」

 

「は、わかりました」

 

 こうして、帝国とイゼルローン政府の事務方が、暗黙の了解によって手を結んだ。フェルナーは、イゼルローンにどちらの元帥を派遣すべきか再び思案に暮れた。

 

 宇宙艦隊司令長官候補は功績と年功から、ワーレンかビッテンフェルトの二者択一だ。しかし、当面は戦闘出動が行われる見込みがないので、ミッターマイヤーが兼任していても問題はない。

 

 ならばこれは、一個艦隊の司令官から、帝国軍艦隊総司令官に必要な、技能や視野を身につける準備となるだろう。では派遣するのはワーレン元帥で決まりだ。実績、年功はむろん、剛毅で安定した人格はその地位にふさわしい。ミュラー元帥が、イゼルローンべったりになってしまうのも望ましくない。イゼルローンの客人を連れて帰る必要もあるので、ユリアン・ミンツと面識のある彼のほうがいいだろう。

 

 フェルナーはひとり頷くと、上申書の作成を始めた。とりあえず、こちらの意見を言うだけは言って、後はお偉いさんに判断をしてもらうとしよう。

 

 それにしても、魔術師の部下も恐るべしだ。完璧にこちらの人事の青写真を読まれている。そういえば、黒髪の智将とワーレンは同い年であった。薄茶色の髪と瞳の怜悧な官僚という印象のキャゼルヌ事務監が、人の悪い笑みを浮かべて、手ぐすねを引いて『新たな後輩』を待っている姿が容易に想像できる。

 

「しごかれるな、これは……。どうか、俺を恨まんでいただきたいものだ」

 

 だが、事務方にとっては両者両得である。人事を統括する部署からの報告を、命令権者は丸呑みにするものだ。アウグスト・ザムエル・ワーレンの元帥就任後の最初の仕事は、イゼルローン要塞返還に伴うものとなった。期間は、イゼルローン政府国民の退去終了まで。すでに、第一陣の帰還は終了しており、残っているのは要塞防御部門と、イゼルローンの残存艦隊、そして事務方の人員である。

 

 皇帝ラインハルトと、軍司令官ユリアン・ミンツによるバーラト星系の自治権の確立を伝えられるや否や、イゼルローンの人事管理部門は、すぐさま民間人と自治政府首脳陣の帰還準備を完了させた。

 

 ラインハルトの死去後、彼らは早々に出立した。第一回のハイネセン共和自治政府の議会選挙のために。その手回しの良さに、イゼルローンの警戒に当たっていた帝国軍艦隊の分艦隊指揮官らは頷くことしかできなかった。

 

 皇帝の病が、治癒方法が確立されていない重病であり、余命が幾ばくもないと判明し、皇帝と麾下の主な将帥は、ハイネセンを経由して、フェザーンへと急ぎ帰還した。

 

 この状態の中では、イゼルローンからの具申を上層部に報告し、上層部からの可を相手に伝えるぐらいしかできない。念の入ったことに、帝国語と同盟語両方で書かれた綿密な輸送計画書が提出され、それについてケチをつけられる能力のあるものはいなかった。結局、イゼルローン側の要求はほとんどそのまま通ったのだった。

 

 帝国軍は階級のデノミネーションを行うべきだな、とキャゼルヌ中将は後輩に語った。ラインハルトの死後早々にフェザーンを出立し、戻ってきたアッテンボローである。帝国軍の警戒部隊の最上位者も中将だったから、職責を考えれば帝国も判断なり意見なりをイゼルローンに示すべきなのだ。そんな人材がいれば苦労はしないわけで、その後輩は、心中で脳みそまで筋肉な連中と憫笑(びんしょう)した。

 

 彼も、艦艇の処理や要塞の迎撃システムの移行について、具体的な計画書を提出していた。こちらについては、イゼルローンの戦艦を人員の輸送に使用するか否かを問うていて、これにも帝国軍は即答ができなかった。

 

「あれは検討、これは報告して指示を待つという回答ばかりでは、まったく作業が進まない。

 申し訳ないが、こちらの計画に対して決定ができる責任者を出していただきたい」

 

 青灰色の目を不機嫌に細めて、クレーマーそのものの台詞を申し渡すそばかすの中将に、帝国軍も返す言葉がない。こういう場合の正しい対応は、上司を呼ぶのではない。クレームを受けた者が、事態について情報を把握し、改善方法を模索し、相手に示すことだ。同盟軍では当たり前に行っている対応方法だったが、帝国ではそうではないようだ。結局、本国に報告するので待ってほしいと言うのみ。こちらに詳しい状況の聞き取りもしない。

 

 アッテンボローはベレーを(むし)り取ると、いらだたしげに握り締めて吐き捨てた。

 

「まったく、なんなんだ、あいつら。中将に少将が雁首(がんくび)揃えて何やってんだ。

 俺だって随分早く出世をしちまったが、あいつらだってそれでも将官なんだろうが。

 これしきの判断もできないのかよ」

 

「まあまあ提督、帝国にも帝国の事情があるのでしょう。

 あんなに閣下がいるのでは、 誰がリーダーになるかも決め難いですよ。

 本来はまだ佐官級の年齢でしょうからね。

 勝ち戦の度に昇進して、ろくな経験もなしに将官をやれなんて気の毒です。

 あちらの先帝陛下は出世が苦にならなかったから、その発想がないんじゃないでしょうか。

 小官なら昇格保留をお願いしますが、あちらの将兵には断る自由もないんですよ」

 

 アッテンボローの過激な意見をやんわりとなだめつつ、さらりときつい言葉を吐くラオだった。

 

「なにしろ、元帥が一艦隊の司令官なんですからね。三階級くらい下に見れば適正でしょう。

 さっきの中将閣下も、まあ大佐と思えば即答できなくて当然です。

 そう思えば、腹も立ちにくくはなりますよ。少しだけですが」

 

 こちらはその大佐だが、アッテンボローの右腕として采配を振るっている。

 

「だが、貴官のほうが遥かにしっかりしてるじゃないか」

 

「それは、上官を支えるために鍛えられましたからね」

 

「おまえさん、毒舌まで鍛えなくってもよかったんだぞ」

 

 普段は大人しい苦労性の主任参謀は、時折ずばりと鋭い事を言う。

 

「いえ、これは真面目な話ですよ。

 帝国の高官は、頭脳面で部下を必要としないほど優れた将帥たちでした。

 ですが、せっかくの能力を部下の育成には使っていないように思えます。

 元帥や上級大将あたりとの、能力の断絶が大きいように感じますね。

 こんなに四六時中戦争をやっていては、そんな余裕もなかったでしょうが」

 

 ラオの分析力は高い。激戦続きのヤン艦隊から現在に至るまで、アッテンボローが信頼を置いた参謀なのだ。

 

「まったくだな。ヤン司令官は、なんのかんのといって、部下の育成はちゃんとやってたよ。

 特に、不良中年やメルカッツ提督、ポプランには目と手を掛けてた。

 そういや、あの馬鹿、宇宙海賊になるなんて言って、飛びだそうとしたんだって?」

 

「キャゼルヌ事務監が、コーネフ船長にお達ししてちゃんと足止めしたそうですよ。

 フェザーンに行く際に、荷物一式置いて行ったでしょう。

 マネーカードも身分証もなしに、どうする気なんだということですよ。

 辞表を出さなきゃ離職票も退職金も出せないと。

 結局、ミンツ司令官らと一緒に戻ることにしたそうです」

 

 その情報に、アッテンボローは深々と溜息をついた。

 

「本当に馬鹿な奴だよな。なにがきらきら星の高等生命体だ。

 霞を食って生きていけるわけじゃないんだから。

 まあ、先輩への義理を果たしたつもりなんだろうが、そうはさせるか。

 小学校の先生がよく言ったよな。後片付けをして、お家に着くまでがお祭りですと。

 中途逃亡は許さん。戻ってきたらこき使ってやる」

 

 ラオが同意した。

 

「ええ、艦艇の撃沈処理をするなら、スパルタニアンをどうするかが一番問題です。

 あれはDNAと脳波の照合をして、認証されたパイロットにしか動かせません。

 艦載済みの機体はいいが、宙港に係留してある機体をどうするか、

 技術者を交えて考えてもらわないと」

 

「そのとおりだ。

 ところで、結局帝国軍からは誰が来るんだ。ミュラー提督かワーレン提督か」

 

「おや、目星がついていらしたようですね。ワーレン提督のようです」

 

 アッテンボローは肩を竦めて、ラオに告げた。

 

「キャゼルヌ事務監の仕込みさ。まあ、相手だって察したろうよ。

 他に人がいないもんなあ。やれやれ、早く到着してもらいたいもんだ。

 あの皇帝陛下の部下なら、ヤン司令官よりずっと真面目だろうからな」

 

「そうですね」

 

 ラオは同意したが、心の中では思った。真面目だからできるとは限らないと。アスターテの会戦で、第二艦隊を潰走から救い、その後に第四、第六艦隊の残存艦を収容したヤン准将。その後の残務処理も、パエッタ中将に代わって完了させている。ラオも少なからず関わったのでよく覚えている。

 

 まもなく少将に昇任し、第十三艦隊の設立に関する業務を片付け、二ヵ月後にはイゼルローンを攻略した。なかなかその気にならなかった人だが、書類仕事の能力そのものは高かったのだ。仕事の内容が把握できなければ、丸投げする先もわからないし、手の抜きようもない。

 

 皇帝は丸投げなどはせず、軍務尚書のオーベルシュタイン元帥も同様だっただろう。だからこそ、綺羅、星のごとき名将たちは能力を十全に発揮できたのだと思う。

 

 苦労性のラオとしては、手放しで喜ぶ気にはなれなかった。なにしろ、現在の艦隊の責任者はアッテンボローであり、そういう会議の場には彼も出席しなくてはならない。キャゼルヌ中将の舌の鋭さたるや、さすがアッテンボローの先輩だけのことはある。

 

 どうかこれ以上、自分の哀れな胃が痛むことがないよう、ワーレン元帥の手腕を祈った。多分、虚空の女王と彼女の寵愛した魔術師と騎士に。


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