銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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オリジナルのキャラクターが登場します。


第二章 父の意地

 これは、それから一年ほど後の手紙となる。

 

 

 親愛なるフロイライン・ペクニッツ

 

 ミュラー元帥がバーラトのハイネセンから取り寄せた、新しい品種の薔薇が咲いたんだ。象牙色でとてもきれいな薔薇です。フロイライン・ペクニッツの髪の色に似ていて、いれたての紅茶の香りがします。名前は『PEACEⅡ』というんだって。

 

 ミュラー元帥の元帥府には最初の『PEACE』も咲いています。宇宙に平和が訪れて、この平和に生まれた二番目のPEACEという意味だそうです。

 

 一番目のPEACEは、千六百年以上も前に生まれた品種なんだ。こちらは僕の手のひらより大きい花で、花びらのふちが薄いピンクで、内側はクリーム色。最初はもっと色が濃かったんだ。ピンクと黄色の薔薇だと思っていました。

 

 なぜかってミュラー元帥に聞いたら、

 

「手入れの仕方を間違えていました。

 ちゃんと剪定して、正しい肥料を与えないと、この色にはならないのです」

 

 大人にもわからない事はあるんだね。

 

 アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム

 

 

 

 親愛なる大公アレク殿下へ

 

 お手紙と二つのPEACEの絵を拝見いたしました。アレク殿下は、絵がとてもお上手になられましたね。お手紙をいただいた頃、オーディーンにも薔薇の季節が巡ってまいりました。新無憂宮の薔薇は特に見事なものです。花の美しさを愛でるのは、誰しも同じことなのでしょう。

 

 薔薇は花の女王と呼ばれています。では、王様の花はご存知でしょうか? 答えは牡丹です。オーディーンは冷涼過ぎて、牡丹は温室でないと咲きません。ですが、ホアナ夫人の伯父さまがお住まいのハイネセンには、大きな牡丹の庭園があるのだそうです。いただいた写真を同封いたしましたので、ご覧くださいませ。

 

 写真ではわかりにくいのですが、とても大きな花で、わたくしの両の手のひらに余るほどなのだとか。中華系イースタンの方が丹精なさっていて、この庭園には、それが一万株以上あるのだそうです。一度、この目で見てみたいと思いました。

 

 ――いつか、その日が来ることを願って。

 

 カザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツ

 

 

 カザリンには、三人の異母弟妹が誕生することになる。年の離れた弟妹に、少女は大喜びして献身的に世話を焼き、それは可愛がった。それ以上に喜んだのが、正室のエレオノーラだった。

 

「男の子がいるというのはいいものね。家が賑やかになるもの。

 それも二人もいるなんて、本当に幸せよ。ありがとう、ホアナ夫人。

 わたくしには兄がいたけれど、本当は弟も欲しかったの。

 もっと欲しかったのが妹よ。カザリンが羨ましいこと」

 

 新たな命が誕生するたび、二対の群青色は輝きを増していった。黄昏から黎明の色に。 正室は、側室が知らない貴族としての教育もきめ細やかに施し、立派な小公子と小公女として育てた。ホアナの子どもたちも、象牙色の髪のもう一人の母と姉に、ことのほか懐いた。

 

 側室を迎えたのは、エレオノーラが考えた、ローエングラム王朝を守る布石の一つだった。まずは、隗より始めよというわけだ。もう、ペクニッツ家は浪費家の主人と、死に掛けた女主人の家ではない。ユルゲン・オファーは、医学書の翻訳により得た印税で、医師のための奨学制度を作り、旧都の貴族らに呼びかけて、帝国本土の雇用保護に努める人物となった。

 

「このまま伝統の品を作る職人がいなくなっては、我々の娘や孫娘は嫁入り支度もままならない」

 

 身近だが切実な訴えだった。

 

「新領土の品は、確かに安価で品質もいい。手入れも楽だということだ。

 しかし、我々が炊事洗濯などのために雇っていた、平民の仕事がなくなるということでもある。

 そのための学校や職場をどうするのかという、そこまではとても解決していないのにだ。

 我らはオーディーンで、できることをしなくてはならない。

 さもなくば、帝国本土は食い詰めた者たちの貧民窟となり、

 最後に笑うのはフェザーンと新領土だ」

 

 大公アレクの園遊会に参加し、フェザーンの発展を目の当たりにした面々は、深く静かに頷いた。彼らの中には、大公府や学芸省の旧都支部の官吏も含まれている。爵位を持っていても名ばかりで、宮廷ではなく官庁に勤めるような階層の者。あるいは貴族出であっても、リップシュタット戦役以前からの企業経営者だ。子爵の長男だったユルゲンと、階級の近かった大学の学友達である。

 

 官庁勤めの下位貴族のほとんどは、リヒテンラーデ=ローエングラム側に与した。仕事を辞めては生活できず、国政の長たる国務尚書側につくしかなかったのだ。現在は、貴重な熟練者として職務を行っているが、異動してきた退役軍人からの風当たりが強く、肩身の狭い思いをしている。

 

 とはいえ、皇帝直轄領に異動するのは危険だった。滅んだ門閥貴族領であったところだ。リップシュタット戦役の後、領主の滅亡で末端貴族に至るまで、平民からの報復の嵐が吹き荒れた。貴族号を持っているだけで、昨日までの隣人から略奪を受け、女性は暴行される。そして数多くの死者が出た。住民が狂乱から覚め、後悔した時には既に遅かった。大貴族に搾取され、民生が貧弱だったところだ。その貧弱な行政データも消失してしまっていた。

 

 こんな場所に、貴族階級の熟練した官吏が行くのは無理だ。軍からの異動者である平民が行くしかない。彼らならば、門閥貴族からの解放者だという抑止になる。しかし、力量は専門職の者には及ばない。それでもこの十年余りをかけて、こういった記録の構築に励んできた。

 

 新銀河帝国の民法や税法、商法などが、旧同盟法を参考に改正されたのも、ここに原因がある。例えば住民記録や課税データの作成をするには、旧同盟のシステムや機器を利用した方がずっと効率的だ。

 

 新領土については、すでに機器が行きわたっている分野だが、帝国は全くの新規参入。これ以上ない商機に、こぞって帝国にあわせて住民記録システムが改良された。入札の勝利者は、識字率が低い下層階級のために、精度の高い音声入力機能のあるものを開発した、バーラト星系共和自治領の企業だった。旧同盟でのトップシェア企業だったところだ。この機器が、青息吐息だった行政官を救い、新帝国の民生の充実に大きく寄与した。

 

「しかしですな、このままでは新領土に呑み込まれるのは必至です。

 なにしろ、帝都とオーディーン、ハイネセンの間の距離はハイネセンのほうがよほど近い。

 新領土ほど家庭用の電化機器を使用するには、帝都のエネルギー事情はお粗末ですがね」

 

「あちらにない、銀河帝国の時が育んだ人の技、これを保護するよりほかはない。

 また、人の手でしかできぬ働きもあると思うのだ。

 なにより、新帝国の武辺にも知ってもらうのが一番だ」

 

「しかし、ペクニッツ公。

 こちらにいるワーレン元帥は、公正剛毅でまことに優れた武人だが、

 そういった奢侈を解する人物ではないように思うが……」

 

「私の妻が言うには、女手を紹介したらどうかとのことだ」

 

 彼らは首を捻った。再婚相手というのは少々難しいだろう。

 

「しかし、ワーレン元帥のご長男はアレク殿下より五、六歳は年上ですぞ。

 帝都の学校で優秀な成績を修めているそうです」

 

 もうすぐ成人の跡継ぎもいる。後妻を迎えるにも、息子との関係を考えると女性も二の足を踏むだろう。ある者は膝を打ち、息子の相手を紹介するのかと、ユルゲン・オファーに問うた。それにユルゲンは頷かなかった。

 

「いいや、ローエングラム王朝では、子が父を継ぐものではないようだ。

 ワーレン元帥のご両親は、高齢になりつつある。

 お達者ではあるが、元帥を支えるには無理も出てこよう。

 気働きのよい、勤勉な家政婦を紹介してはどうかということだ」

 

 ユルゲンの提案に、腕を組んだのは帝都代官府の次長でもあるルーデンドルフ男爵だった。

 

「たしかに、ワーレン閣下を支えるには、そろそろ大変でいらっしゃるだろう。

 一度、お宅にうかがったことがあるが、驚くほど質素というか、簡素な室内だった。

 確かに、ご高齢のお二人にとって、住み心地のいい家ではないだろうな」

 

「わが家は名ばかりの公爵家だ。召使の数をこれ以上増やすことはできない。

 往時のブラウンシュヴァイク公のような人員を養うのは不可能だ」

 

「公爵家がそうなのに、当家ではなおのことですよ」

 

「だが、そういう技術と知識を持つ者たちへの人脈は、なお失われていない。

 共同で家政婦の会社を設立し、フェザーンに赴任している軍人の親世代を

 顧客としてはどうかというのが妻の提案だ。

 家や庭ごと引越しはできず、友人知人まで連れて行けはしないのだ。

 年配の者に、フェザーンに来いと息子が言ったところで頷くまいと」

 

 ルーデンドルフは腕を解かぬまま、椅子の背もたれに体重を預けた。

 

「たしかにおっしゃるとおりだ。帝都に駐留する軍人や役人の親世代。

 そして、旧都に見切りをつけて、若い世代が帝都や新領土に流出していく。

 高齢化がはっきりと進行しています。

 わが家の女中頭の長男が、国営企業に就職したのですが、

 あそこは平民と退役軍人が中心となっています。

 暴言に無視、暴行。私物を壊され、机には汚物をかけられる。

 結局、一月で辞めて、帝都に行ってしまいました。

 貴族に関わる者への差別は、対象者が減ったせいか先鋭化している。

 従軍していた者は救世主、後方の我々は未だに敵なのでしょう」

 

「ですが、まだ我々を頼る者も多いのです。

 コルネリアス一世陛下は、元帥位だけでなく、爵位も量産しましたからな。

 わが家など、子爵と呼ばれるのも困るのですが、位を持つ以上は領民を守らねばなりません。

 百軒にも満たないが、それでも五百人弱がいる」

 

 学芸省勤務のノルドハイム子爵の言葉に、場を重い空気が支配した。ローエングラム王朝が誕生した灼熱の五年間から、十年あまりが経過した。

 

「ペクニッツ公の起業は、よいお考えだと思います。

 今までは退役軍人の処遇を推進していましたが、これから就業する若い世代のことも考えねば。

 ちょうど、新旧の教育の狭間(はざま)にいた世代ですからなあ」

 

 当時の国民学校の生徒が就職年齢を迎えているが、一家の働き手の戦死などで、学校に通うのがままならなくなり、貴族の家の単純労働と、遺族年金で細々と食いつないでいた母子家庭も多い。

 

 こちらの保護も、住民記録の不備が原因で後手に回った。ほんの二、三年が、子どもの成長にはとても大きいのだ。制度が整い始めた頃には、中断していた学校に通っても授業についていくのが難しくなっていた。

 

 彼らの教育レベルは全般に低く、少しずつ帝国に進出している新領土企業の求人条件を満たさないのだ。新領土の中学校卒業程度の学力がないと、ハンバーガー屋の売り子にすらなれない。貴族のあり方もかわった。多くの召使を雇い、豪勢な暮らしをしている大貴族がいなくなった。今まで勤めていた者も、そんなにすぐに引退はしない。

 

 それでもどうにかしてくれと、かつての領主に頼み込む平民は数多かった。土地や資産を失っても、領主としての責任はなくならないのだ。名門につながりのない子爵や男爵は、地域のまとめ役で知識階級として、領民との距離は近く、迫害をされるには至らなかった。だが、同じ爵位を有していても、門閥の一員とは資産に天と地の開きがある。

 

「新たな農産業や商業は、なんでも文書を読んで覚えろです。

 ハンバーガーの付け合わせのフライドポテトは、何グラムと決まっていて、計量して売っている。

 包装のしかたまで、事細かに決まっているのですぞ。

 新領土の中学校卒業相当の学力が必須です。帝国の旧幼年学校卒業と同等だ。

 職に恵まれぬ階級で、そんな学力を持つ者は少ないと言わざるを得ません」

 

 国有化された農地や工場は、新領土方式の生産方法が採用された。人口が半分でも、帝国にほぼ匹敵する生産力があった旧同盟は、農業や工業が高度に機械化されていた。そのおかげで、生産量が増加して物価も安くなったが、働き口は厳しくなった。

 

 一点目には、機械化により人手を要しないから。二点目はそういう機械を操作するにも、やはり中学校卒業程度の学力が必要だから。

 

 新領土の小学校中退ぐらいの学力では、まずは読み書きの学習ということになる。これでは帝国本土、新領土の企業を問わず採用されない。教育の行き届いた退役軍人の再就職よりも、はるかに難しかった。

 

「旧同盟の若年層の徴兵は、職業訓練と雇用の場でもあったそうですが、

 それは義務教育あってこそ。

 いまの就業年齢の者は、単純労働をしながら学ばせるほかないが、

 とても貴族にそのような資金力はありません」

 

 だから、ユルゲンの提唱に、皆が集まったのだ。過大な期待をかけられたユルゲンは、家政婦派遣会社について説明した。一気呵成に問題が片付くものではないことを、強調しながら。

 

「あまりに手を広げすぎては失敗したときに困るだろう。

 まずは、商売としてきちんと採算がとれるのか、なんとかなる範囲で始めようと思う。

 年配の者を教育係に配し、中堅から若年の者を十名ほどの規模を予定している。

 一日単位の当番制で、顔ぶれが固定しないほうがいらぬ懸念も防げるだろう。

 はじめは軍部の高官に、雇用を依頼する形をとるのはどうかと考えているのでね」

 

 帝都府次長と学芸省職員は頷いた。 

 

「通いの家政婦ですからな。おまけに貴族の家で働いていた者だ」

 

「我々の使用人に、平民に仕えよと言っても反発されかねないが、軍高官ならば納得するだろう。

 ただし、その者の身内に、同盟との戦死者やリップシュタット戦役の死者、

 リヒテンラーデ候に連なる者がいないことが条件だ。

 これを全て満たす者が、私では十人集まらぬのが現状で……。

 貴卿らには、そういう者に心当たりがないかをお聞きしたくて、ご足労をいただいた次第だ」

 

 眉間を押さえるユルゲンに、声を掛けられた者たちは納得した。リップシュタット戦役で、皇帝ラインハルト側に与した彼らだったが、その権益は剥奪された。爵位を持つ貴族の奥向きの使用人というのは、帝国騎士階層や平民でも高い地位に属する。そういう者は、いずこかの貴族の流れを汲んでいる。

 

 自身と配偶者の遠い親戚が、ラインハルト率いる帝国軍に殺されていたりもするのだ。父や夫、息子や兄弟が戦死していないからといって、安心はできない。従兄弟やおじに甥といった傍系でも、強い結びつきがあったりするのだから。リヒテンラーデ候の一門は恩赦を受けたが、許されたから許すと思うのなら考えが甘すぎる。リップシュタット戦役で滅びた貴族の末流ならなおのことだ。

 

「難題ですな。刃を振るわずとも、毒を用いずとも人を殺せるのが使用人です。

 手に掛ける必要さえない」

 

 建築事務所長のメーベルトは、さきほど飲んだ珈琲の苦味が倍増した気分で唸った。例えば、ワインやビールが進む、塩気が強くて油の多い食事を出す。なにも特別なものではない。手の込んだ帝国の伝統料理がそれにあたるのだ。室内には暖房をきかせ、廊下や浴室との温度差を大きくする。階段や廊下や浴室の床を念入りに掃除し、磨き上げて照明も少し暗くする。

 

 このように、病死や事故死に追いやる手段には事欠かないのである。多くの召使がいた大貴族ならともかく、抱える人員の少ない下級貴族が一番に気を遣う点だった。人を雇い、仕えられる側も配慮をしていたのである。そんな経験のない者に、すぐに可能なものではない。

 

「屋内の温度差が老人にはよくないので、建築にもさまざまな試みを行ってはいるのです。

 しかし、平民出身の軍高官の親世代は万事に質素でしてね。

 室内以外の照明や暖房なんて、もったいないと使ってくれない。

 仕方がないので、感知式の機器を入れ、主電源を埋め込み配線しているが、

 まだまだ普及していません。

 もしものことがあると、逆に家政婦が疑われてしまいませんか?」

 

 

「そこをなんとかお願いしたい。

 当番制にすることで、不埒な企みや雇い主への悪感情をそらすのだそうだ。

 週に一、二度なら多少の事は我慢ができる、そりが合わないなら担当を代える方法もある。 

 だから人員が必要になってくるわけなのだ。

 我々はまだ、平民を差別してきた積年の報いと諦めるしかない。

 しかし、あの戦争の頃に十歳にも満たなかった者に、何の罪があるというのだ」

 

 乳児だった者はなお一層のことだ。ユルゲン・オファーが言語化しなかった思いを、彼の友人らははっきりと聞き取った。ほんの十か月だけ、黄金と翡翠の玉座にあった彼の長女。あの子が行けるのは、貴族の目が届き、手に守られる場所だけだ。

 

 戦争の命を下したのも、旧同盟を征服したのも、ゴールデンバウム王朝最後の皇帝にして、最初の女帝、カザリン・ケートヘン一世の名において。代筆の署名をしたのはユルゲン・オファーだった。

生後一歳の乳児になにができよう。しかし、そんな真っ当な判断を奪うのが憎しみだ。

 

 新銀河帝国は、ラインハルト・フォン・ミューゼルの憎しみから誕生した。そう表現しても間違いとはいえないだろう。むしろ、歴史上ごくありふれた動機である。国を滅ぼし、国を興すのは、創始者の激烈な感情なくして不可能なのだから。

 

 彼は、絶対者として姉を奪った皇帝を憎悪した。貴族の血を持つだけで、既得権益に胡坐をかいている無能者を嫌悪した。先祖の功で優遇されていたことが罪だと、生き残って困窮した貴族らに言い放った。

 

 たしかに貴族は、先祖の功によって生まれ、優遇もされてきた。だが、その財を数百年にわたって保ってきたことは、その時々の者たちの努力だ。平民や農奴を搾取した領主がいた。国政に食い込み、不正な蓄財を行った者もいた。しかし、それは少数の大貴族だ。大多数の者は、保守的で凡庸だが、ほぼ真っ当な方法で代を重ねてきた。力が及ばず、没落し断絶したものも少なくない。ローエングラム伯爵家とて、その一員だったのだ。

 

 ルーデンドルフやノルドハイムのように、勤めのために国務尚書側に付くしかなかった者は、決して積極的にラインハルトらを支持したわけではない。門閥貴族らにも、一定の理はあるとも思っていた者は多いのだ。

 

 両親を亡くし、後ろ盾もほとんどいない七歳児を、姉の色香のおこぼれで出世した青二才の元帥と、老齢の国務尚書が皇帝として立てる。

 

 もう一方は、壮年の大貴族の十四歳の長女たち。門閥という後ろ盾は厚くて多い。しかも、あと六年もすれば成人を迎えるのだ。七歳と十四歳。年齢は倍だが、分別や知識は倍どころの差ではない。

 

 どちらも皇帝フリードリヒ四世の孫という点では等しい。男子相続を遺言した大帝ルドルフ自身が息子には恵まれず、長女カタリナの息子を二代皇帝にした。

 

 さて、皇帝本人にとっては、どちらが真っ当といえるだろうか。リップシュタット戦役で、賊軍になった貴族には、後者だと思った者も含まれていたことだろう。ゴールデンバウムの血を引く男子を婿にして、皇女カタリナに倣えばいい。そう思った保守派も少なくない。あの時にはまだ、そういう男性は何人もいた。年齢や家柄も釣り合い、聡明だと評判の者も。

 

 黄金樹に連なるのは、今はもう二人しかいない。ユルゲン・オファーの妻と長女。たとえ皇帝(カイザー)アレクサンデルに求婚されたとしても、彼は娘を皇妃になど差し出したくはなかった。一生、非難と憎悪を浴びせられ、暗殺に脅えなくてはならないのではないか。

 

 それならばいっそ、公爵位など振り捨てて、先祖の血を罪に問わない国の民になればいい。カザリンに代わって、勅令に署名した自分は、保護者として罪に問われても是非はない。

 

 だが、あの子には罪などないのだ。不敬罪や大逆罪も覚悟しながら、大公(プリンツ)アレクの愛の告白に『(ナイン)』と返事をし、自分の考えだから父母を罪に問わないでと、皇太后に懇願した娘には。

 

 大公アレクは、先々帝カザリン・ケートヘン一世を守り抜くことができるのか。それができない男は、娘にふさわしくない。たとえ皇帝陛下でも認めない。

 

 名ばかりではない公爵となり、金髪の嬬子(こぞう)がおいそれと求婚できないような地歩を固めねばならない。ユルゲン・オファー・フォン・ペクニッツの二度目の覚醒であった。それも、非常に厄介な。

 

「道理ですな。公のお言葉のとおりです。私は官吏に就いた時期に恵まれておりました。

 リヒテンラーデ候の一門ではありませんでしたから、

 人手不足の折もあって、そういう目には遭わずにすみました。

 しかし昨今、逆の差別が始まっているのは実感します。まことに居心地が悪い。

 私も、心当たりを探してみましょう。配当で暮らせるなら、辞職できますからな」

 

「ルーデンドルフ次官ほどの能吏にやめていただいては困りますが、

 当家にも、職の斡旋を願うものが増えました。

 貧乏子爵には過大な期待でして、思案に暮れておりましたが、

 何人かは条件にあう者がいるでしょう」

 

「よろしくお願いする。

 事業が軌道に乗って、顧客が増えれば、これほど厳しい条件の者でなくともよくなる。

 最初が肝心ということで、ご苦労をお掛けするが、ここが成功の分水嶺だ」

 

「ところで、ペクニッツ公が経営をなさるのですか?」

 

 メーベルトの言葉に、ユルゲンは首を振った。

 

「いいや、このご時勢に、貴族の商売などうまくいかぬことだろう。

 フェザーンのヘル・コモリの伝手を頼ることにした。

 経営は慣れた者に任せたほうがいい。フェザーンでも商売になるかもしれない」

 

「言えておりますな。フェザーンや新領土の家庭は共働きが主流です。

 経済が発展して、どこの企業も多忙ですから、家政婦の潜在的な需要はあるでしょう」

 

「それに、家政婦と顧客のつながりも財産になるだろう。

 平民にとって、貴族がすべて悪のような考えは、今後は害にしかならない」

 

 一同は、表情を厳しくして頷いた。全ての貴族が滅びたら、平民の敵は皇帝という考えに行き着く。新領土の知識が伝えられている今、そうなっても不思議ではないのだ。深刻な表情になったかつての学友らを前に、ユルゲンは悪童のような笑いを浮かべて言った。

 

「実は、ワーレン元帥を経由して、交流を結びたいと考えている人物がいる」

 

「ほう、一体誰です」

 

「バーラト星系共和自治政府の事務総長だ」

 

「それは、それは……」

 

 帝都代官府の次長ルーデンドルフは表情を改めた。

 

「一筋縄でいく相手ではありませんぞ」

 

「覚悟の上だ。私は精神医学の教科書の翻訳をして知ったことがある。

 人の心は、国は違っても大きく異なるものではないのだとね。

 娘を愛する親の気持ちにも、同じく違いはないと思うのだよ」

 

 なにより、娘をダモレスクの剣になどしたくない。無作法な求婚者に手袋を投げつけるかわりに、かつての敵とでも握手するユルゲンだった。新帝国に不満を持つ者が、カザリン・ケートヘン一世を擁立し、第二のリップシュタット戦役を起こす。そんな日が来てはならないのだ。

 

 身軽な若い世代とは異なり、中高年の者が帝都や新領土に動くのは難しい。新体制に不満を抱く可能性が高いのは、帝国本土のその世代の者たちだ。新帝国の上層部から見捨てられた、貧しくなったと感じたときに、昔のほうがましだったと揺り戻しが起こる。

 

 そのためには、帝国本土を豊かにするしかない。フェザーンに新領土、バーラト、どこの資本だって大歓迎だ。相手は、同じく娘を持つ父だ。共感する部分はあるに違いない。

 

「これはこれは……。健闘を祈るよ、ユルゲン」

 

 自分の上司たる大公アレクと、友人のユルゲン・オファーに。さて、どちらが勝利をおさめるのだろうか。


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