銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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本作の設定は、筆者の『ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク』の『女帝と女王』に準じております。


第四章 クロニック・モザイク

 獅子帝ラインハルトの遺言で就任した七元帥だが、政治的地位の上昇にあわせてその数を減らしていき、現在はミュラーとビッテンフェルトの二名になった。

 

 元帥という地位は、歴史的には戦時の特別職である。この十数年続いた平和を鑑み、七元帥の退役後は上級大将をもって最上位とする。将来的に軍務尚書は退役し、政治家として文民統制を進める。万が一戦時となった場合は、上級大将が元帥になり、皇帝が大元帥の地位を兼ね、後方より軍部に指示を下す。現在、帝国軍で計画が進んでいる新たな仕組みだった。

 

 正直に言うと、政治家や行政官としての手腕を持つ者を、軍隊におくような無駄遣いはできないのだ。この十五年で、文官もようやく数が揃い、力量も向上してきた。自由経済のセンスを持つ者も増加したが、主にフェザーンや新領土に配置されている。しかし、帝国本土はまだまだこれから。それほどに五百年の社会の停滞は大きかった。その末期、圧倒的な力で改革を成し遂げたラインハルトだったが、彼の天才性は最も戦争に注ぎ込まれた。

 

 そして、没収した貴族の富の膨大さに、皆が目を眩まされていたのだ。四百億人に増えた国民に再配分すれば、一人あたりでは大したものではなくなる。兵力と財力は同じだ。集中と投入の選択、これこそが政治家の力量なのである。総花的にあれもこれもなど、到底できようはずがない。

 

 ラインハルトの死後、ヒルダは、まず帝国軍の規模適正化に取り組んだ。退役者の雇用を社会インフラ整備に結びつけることで乗り切った。軍事費を縮小し、戦死者への年金を始めとする、未亡人や孤児の保護に努めた。

 

 しかし、いかにも数が多かった。旧同盟との戦死者は、まだ対象者がはっきりしている。困ったのが、リップシュタット戦役の賊軍側の遺族の問題だ。彼らの補償には、帝国の上層部にさえ、賛否両論で言えば『否』が多かった。皇帝ラインハルトに叛いた者たちだ。旧王朝なら大逆罪で一族郎党処刑台だ。わざわざ、国費を投じて救済する必要があるのかと。

 

 ヒルダはきっぱりと言い切った。

 

「ならば、私とマリーンドルフ国務尚書も、そこに行かねばならなかったのです。

 お忘れかしら、ハインリヒ・フォン・キュンメルのことを」

 

 閣僚らは絶句した。

 

「リヒテンラーデ候の一門の処断は、先帝陛下の大きな誤りでした。

 ローエングラム王朝の藩塀になってくれたであろう人々を失ってしまいました。

 生き残りがいたのかも知れませんが、恩赦の布告をしたのにも関わらず、

 誰一人名乗り出ては来ませんでした。

 賊軍とあなたがたはおっしゃいますが、故ファーレンハイト元帥もその一員でした。

 フェルナー軍務省官房長も同じく。

 一軍の将を許し、高位をもって遇したのに、末端の者は捨て置けとは、

 陛下の御心にもそぐわぬことでしょう」

 

 一同は声もなく頭を垂れ、皇太后ヒルダの命に従った。しかし、これもまた、リヒテンラーデ候の一門の恩赦とさほどに変わらぬ結果になった。

 

 皇帝ラインハルトに、刃を向けた者の遺族と周囲に知られれば、どんな目に遭わされるだろうか。それと年金額を天秤にかけ、口をつぐむ者が半分。

 

 残りの半分は、もっと年配で、もっと疑い深かった。こんな誘いに名乗り出たら、処刑台に直行させられるのではないか。本当に困窮した者が、ちらほらと申請に訪れるにすぎなかったし、その結果、前者の懸念が的中してしまうことが多々あった。

 

 どんなに政治的にすぐれた判断、政策であっても、その対象となる人間や社会がそこまで成熟していない。そのうえ、戦死者の母や未亡人にとっては、皇太后ヒルダは最も忌むべき存在だった。よき妻たれと育てられ、文字どおりのバージンロードを歩いて、夫と結ばれた人々。旧銀河帝国の女性は早婚であった。旧帝国民法上の婚姻年齢は女性が十五歳。これは国民学校の卒業年齢だが、その後に花嫁修業に入り、だいたいは二十歳までに結婚する。

 

 一月一日に婚約、その四週間後に結婚、子どもが生まれたのはそれから三か月とちょっと。皇帝、皇妃と言っても、神ではなく人間。妊娠期間は自分たちと変わらない。息子や夫を殺した男は恥ずべきけだもの。その妻は、二十三歳にもなって、嫁の貰い手も、婿の来手もなかった女。どんな手管を使ったのやら。そんな汚らわしい手など孫や子どもに必要ない!

 

 ――皇太后陛下へ。お金ではなく、あの人を返してください。

 

 とある役所に届いた、無記名の拙い字の投書である。

 

 申請による遺族年金給付制は、結局失敗だった。地方の平民は、日頃ほとんど官庁に足を運ばない。この布告直後に官庁に行く姿を見られたら、すぐに近所にそれと知られてしまう。住民記録を整備して、寡婦や孤児世帯には給付する形式に切り替えざるを得なかった。しかし、その記録が不十分だから、申請制度としたのだ。

 

 問題の悪循環に、マリーンドルフ国務尚書は頭を抱えた。民生に注力して、善政を慕われた領主だった彼にとって、役所から通知も戸別郵送できないという状況までは、さすがに想定していなかった。かといって、通知のばらまきは論外だ。余分な費用は莫大なものとなるだろう。そのうえ、年金の詐取や、該当する家庭を狙う暴力を誘発しかねない。しかも大貴族領だったそんな惑星に、リップシュタットの戦死者の遺族が多いのである。

 

 そんな彼に、学芸尚書のゼーフェルトが更なる問題を付きつけた。

 

「通知を送ったところで、どれほど読み書きができるかが問題です。

 大貴族に選択の余地なく徴兵された農奴階級は、この案のような文章を読みこなし、

 申請書類を書くのは無理です。ましてや、その子女に」

 

「なんですと?」

 

「戦艦に乗っていても、雑用をしていた下級兵士の遺族です。

 男でもその程度の学力しか持たせぬのが、門閥貴族のやりくちでしたからな。

 たとえ住民記録が整ったところで、どのように給付をなさるのです。

 下層階級は、銀行口座も持たぬのですよ。現金を渡したら、家に帰りつく前に奪われたり、

 借金の返済や食料品の購入に使われて終わりです。

 もっと、未来につながるような形で使わなければ意味がありません。

 就学年齢者には学費の無償化、それ以上には職業訓練と雇用の整備。

 働けない年齢の者には養老施設を作る。すべてが、あらたな雇用の場にもなります」

 

「なんと……。皇帝直轄領の状況に対する、私の認識不足でした。

 帝国本土の住民記録の構築を早急に行い、対象者の年齢を洗い出し、

 学芸尚書のご意見を容れた政策に変更すべきでしょう。

 摂政皇太后陛下に奏上しなくてはなりません。

 民法の改正を行い、旧同盟のシステムを流用できるようにすべきだと」

 

 大きな決断だった。国政の根幹である国民のデータ管理法を、かつての敵国に倣うのだから。しかし、新領土ではそれを廃止することなく使っているのだ。今さら躊躇はしていられない。法務省との協議が始まり、民法改正はバーラト政府が呆気にとられるほど、早急に審議が進められていった。

  

 

「いやはや、思いきったものだねえ」

 

 当時の外務長官、ホアン・ルイが丸っこい顔を拭いながら同僚に語った。

 

「なんでも、役所からの通知も戸別郵送できないそうですよ。元、門閥貴族領だったところは。

 もっとも、そういう土地の人間は、届いたところでろくに字が読めないんだとか。

 シュナイダーじゃない、メルカッツ駐留官が教えてくれましたがね」

 

 アッテンボロー国防次官が、情報通なところを披露した。

 

「ははあ、話すのは習わなくてもできるがねえ」

 

「じゃあ住民記録を作るから、役所に書類を提出しろと言っても無理じゃないんですか。

 どうするんでしょうね。公務員が代筆なんてしていたら、とても仕事になりゃしない」

 

 ガードナー財務長官が目を光らせた。

 

「いや、いいことを教えてくれたな。チャンスだよ。

 音声入力システムのある機器の採用を、帝国に進言しよう。

 申請者の音声も記録しておけば、入力ミスや言った言わないも防げる。

 バーラトに本社のある企業のお家芸だ。公開入札でも勝てるぞ」

 

「で、企業には?」

 

「わざわざ言わんでも、仕様書が開示されれば、入札日までにはなんとかするものだ」

 

 青灰色を真ん丸にするアッテンボローに、ガードナーはにやりと笑って見せた。

 

「フェザーンの住民記録システムだって、ハイネセンの会社が作っていたんだ。

 つまり、帝国語入力は、とっくに対応済みだ。音声入力はその親会社が得意にしてる。

 帝国本土全土に、システムを設置する一大事業だ。業界一丸で取り組むことになる。

 進言だけして、黙ってみていればいい。来年の法人税収が楽しみだな」 

 

 そして、いかにも人のよさそうな様子で、ホアン・ルイがバーラトの公式見解を述べたのであった。

 

「新銀河帝国の英断には、大きな敬意を表します。

 三百九十億の住民データの作成は、容易なことではないでしょう。

 しかし、新領土民百二十億人のデータは、すでに作成されていますから、

 これを円滑に移行し、帝国住民の識字率を考慮した業務が遂行できるように、

 バーラト政府としても助言を惜しまぬつもりです。

 差し当たっては、口述による申請も可とすべきでしょう。

 代筆による業務の停滞が懸念されるが、適切な方法によれば、

 その影響は最小限に抑えることができるのですから。

 戦争からの復興は、全宇宙の人間の心からの望みです。

 バーラト政府としては、最大限の協力をお約束いたしましょう」

 

 その『適切な方法』は外交筋から伝わり、旧都の貴族を懸念させる結果につながるのだが、大多数の平民が、かつての叛徒を見直す結果にもなった。そして、新領土企業の帝国本土進出の呼び水となっていったのである。新帝国暦六年に施行された、新銀河帝国民法改正法がもたらしたものだ。

 

 それから十年、商法や税法の改正もあって、新領土の企業も帝国本土に進出を始めている。言葉の壁に教育格差、輸送費と問題が山積しているが、新たな需要が見込まれる鉱脈だからだ。しかし、新領土の民間企業に頼ってばかりもいられない。

 

 今回の人事異動は、先帝によって国営化された帝国本土企業を民間へ移管し、あわせて医療保険制度を新領土並みにするという、さらなる難関の通過点に過ぎない。現在の軍の人事責任者として、一つでも頭痛の種を減らしておきたいところなのだが。ビッテンフェルトに結婚をせっつくのは、ビューロー上級大将では荷が重かろう。

 

「悪気はないのだが、稚気が抜けんのだな。まったく、困ったものだ」

 

 メックリンガーにも誰かの口癖がうつったようだった。それでも善は急げとばかりに、メックリンガーはミュラー夫人に縁談の相談を持ちかけた。まったくと言っていいほど期待はしなかったが。彼女は、学芸省に勤務する父を持ち、皇太后ヒルダの後輩にもあたる。女性に門戸を開放した、オーディーン国立大学の卒業生なのであった。

 

 ゾフィー・ミュラーは、結婚前は父や学芸尚書ゼーフェルトの秘書役を果たしていた。この女性は元帥の妻としてふさわしいと、ゼーフェルト自らの推薦だった。真鍮色の髪に飴色の瞳の、長身の知的な美女である。国務尚書夫人のエヴァンゼリンとも怖じずに世間話ができるくらいだ。さすがは元秘書、社交的でアンテナも高く、分析能力も優れていた。

 

 子供っぽい男性なら、母性的で忍耐強く、さらには足りない言葉を汲み取れるような女性はどうか。思案したゾフィーは、該当者を友人録から探し出し、半年後見事に実を結んだのであった。いつもにこやかな、栗色の巻き毛に青い瞳の可愛らしい女性で、職業は幼稚園教諭。新領土方式の幼児教育を大学で学んだ才媛で、ゾフィーの後輩にあたる。

 

 結婚式の後、フラワーシャワーに参列した新婦の教え子たちからは、新郎に抗議の泣き声も降り注ぐという一幕があったが、これはご愛嬌だろう。猛将ビッテンフェルトも、二個小隊近い暴れん坊を相手にしてきた夫人のエルヴィラには、まったく頭があがらなかった。

 

 家庭での教育体制が整ったと安心したのか、バーラト共和自治政府帝都駐留事務所長のムライが退任。ハイネセンのホテルを退職した夫人と、フェザーンで引退生活を送り始めた。変わることなく、ご意見番として睨みを利かせ続けるのだった。

 

  実に十五年にも及んだ、ムライ駐留事務所長による体制。堅実に、帝国との折衝を進めてきたが、今後はさらなる経済進出の拠点とし、帝国本土へ手を伸ばしたい。国営企業民営化に参入するために。

 

 新体制への準備として、業務洗い出しのエキスパート、ハリエット・ハンターが二年の予定で事務所長に就任。ミュラー軍務尚書の背筋が、物差しを通されたように真っ直ぐになったのは言うまでもない。魔術師のそろばんの悪知恵は、尽きることがないようであった。

 

 ムライ夫人はケーキ屋のかたわら料理教室を始め、旧同盟の文化の紹介に努めた。アレクとフェリックスが、ミンツ夫妻の結婚式の写真を見て、食べたいと駄々をこねたケーキが、フェザーンでも買えるようになった。味も値段も素晴らしいものだったが、価値あるものには金を惜しまぬフェザーン人には大いに受けた。

 

 ムライ夫人の教室には、料理好きな帝国首脳部の夫人達が通い、教師と生徒の夫を苦笑させるのだった。その夫人の一人は、ムライにとって旧知の仲である。国務尚書夫人のエヴァンゼリン・ミッターマイヤーだった。

 

「ヘル・ムライ、その節はありがとうございました。

 以前、先生に教えていただいたティラミス、とても美味しかったですわ。

 ですが、本当に食べたいのは、ミンツご夫妻のウェディングケーキだと、

 アレク殿下や息子にねだられてしまいました。

 フェリックスはともかく、アレク殿下は王宮で作ったお食事以外は召し上がれないのですもの。

 せめて、私が習って、作らせていただこうと思いまして」

 

 妻が、白き魔女の手先だったことを知ったムライは、なんとも言えない気分になった。しかもそのレシピを運んだりしていたのは、かつての問題児、きらきら星運送の社長だというではないか。

 

「それは、ご子息にご迷惑をおかけしたのではないでしょうかな」

 

「とんでもないことですわ。あれから色々悩んだり、調べたりしましたけれど、

 自分の過去をよく知ったことで、気が晴れたようです。

 女親はいけませんわね。なかなか、年頃の男の子に、面と向かって言う事が難しくて」

 

「いや、それは父親も同じことでしょう。

 もっとも、彼には確かにそういう才能がありましたからな。

 ヤン提督も、ミンツ元中尉を弟子として預けていました。

 彼は真面目な優等生だったのですが、ポプラン社長とは馬があったのですよ。

 ヤン提督も彼を気に入って、目をかけておりました」

 

「そうでしたの。あの社長さんは、アレク殿下とも仲よくなられたようですわ」

 

「……なんですと?」

 

 ムライの眉間に、大峡谷が形成された。

 

「ペクニッツ公爵夫人の薬を届けられたご縁があったそうですのね。

 それで、フロイライン・ペクニッツの文通の郵便屋さんをしたこともあるのですって。

 とはいっても、毎回ではないそうですけれど」

 

 さまざまに聞き捨てならないことが、多々含まれていたが、このご時世に文通とは。少年少女の微笑ましい交流に、ムライの額の谷間が浅くなった。

 

「なんとも、奥ゆかしいことですな。

 大公殿下と、フロイライン・ペクニッツは筒井筒なのでしょう」

 

「ツツイ、ヅヅ……どういう意味ですの?」

 

「幼馴染という意味です。我々、日系イースタンのルーツにあった、古い物語ですよ。

 仲良く遊んでいた幼馴染の男女が、互いを意識しあい、疎遠になるのですがね。

 勇気を奮った青年は、女性に歌を送って求愛し、それに女性も歌で応えるのです」

 

「歌ですか?」

 

「歌というより詩ですな。

 日系イースタンには、十七文字ないしは三十一文字を基本にした、

 短詩の文化があったのですよ」

 

「そんなに短い言葉で、気持ちを伝えられたのですか?」

 

「そのようですな。もう、研究者ぐらいしか話せない言葉ですが。

 旧同盟公用語でも、帝国語でも、訳するととてもそんな短い言葉にはなりません」

 

「でも、素敵ですわね。どんな歌ですの?」

 

「ふむ、口で申し上げるのは、なかなか難しいのですよ。

 二千年以上昔の話ですので、単語一つとってもピンとこないのですな。

 筒井筒というのからして、『井戸』の囲いという意味ですが、

 では井戸とは何かというご説明をせねばならんでしょう」

 

 エヴァンゼリンは頷いた。

 

「そうですわね」

 

「よろしければ、本をお貸ししますよ。

 同盟語のものになりますが、さほどに難しい本ではありません。

 短編集で、一つ一つの話には直接繋がりがないのですから、好きなところを読めるのです」

 

「まあ、是非お借りしたいですわ」

 

「それにしても、あの少女が即位したのが、ついこの間のような気がします。

 アレク殿下の七歳の園遊会でお会いした時には、もう立派な淑女でしたが、

 さぞや美しくなられたことでしょうな」

 

 エヴァンゼリンははっとした。この老境に入った紳士は、カザリン・ケートヘン一世の即位の時には、ヤン元帥の参謀長であったはずだ。

 

「あの方の即位を覚えておいでですのね?」

 

「私の上官は、歴史学者になりたかった人でしてな。

 歴史における男子相続の、遺伝学的な意味を説明してくれました。

 旧同盟は男女同権でしたので、私も理解しきれたとは言い難いのですが」

 

「男子相続と、遺伝ですか……」

 

 旧銀河帝国で育ってきた者は、真っ先に劣悪遺伝子排除法を連想する。この悪法が、旧帝国の周産期医療を、開かずの箱にしてしまったのだ。ミッターマイヤー夫妻の失われた十年は、結局取り戻すことはできなかった。

 

「ええ、フラウ・ミッターマイヤー。

 どうやって、子どもの性別が決定されるかご存知でしょうかな?」

 

 クリーム色の髪が曖昧に動いた。縦とも横とも言えない方向に。ムライは、軽くうなずくと、説明を交えて語りだした。

 

「ふむ、簡単に言うなら、子どもは父母の遺伝子を半分ずつ受け継ぎます。

 性別を決定するのはY遺伝子とX遺伝子で、男性がXY、女性はXXになります。

 男性の性別を決定するY遺伝子は、父親からしか受け継がれないのです」

 

「それがなにか?」

 

「X遺伝子は、父母のどちらからも受け継がれます。

 男性のX遺伝子は、母方の祖父母のどちらのものかは不明でした。

 医学が進んで、検査ができるようになるまでは」

 

 エヴァンゼリンは首を捻った。こういう授業は、旧帝国ではなかったのである。不妊治療の際に医師から説明を受けたので、彼女も知っていたのだ。あまり理解できなかったが。

 

「ですが、Y遺伝子はずっと父から受け継ぐのです。

 男子相続は、王朝の創始者のY遺伝子を継ぐためにある。

 女性が帝位に就くと、その息子から夫の家名の王朝が開始すると。

 彼女の夫となるべき、ゴールデンバウムの男子がいないのだから、

 王朝の終焉を宣告したんだ。そのような意味でした」

 

 菫色の瞳の(まなじり)が、張り裂けんばかりに見開かれた。

 

「そんな……!」

 

「一方で、こう言ってもおりましたな。

 これは恐らく、ローエングラム公の発案ではないと。

 ルドルフの遺訓を、女帝という存在で足蹴にする。

 歴史に造詣が深く、ゴールデンバウム王朝自体を憎んでいる者だろうと」

 

 エヴァンゼリンが考えもしなかったことだった。いや、現在の帝国首脳のほとんどがそうだろう。一年もたたずに、皇帝ラインハルトに譲位した、最後の皇帝にして女帝の意味など。


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