銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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第七章 筒井筒

 その資料として、『ヤン少佐の事件簿』はうってつけの入門書だった。読み物としても純粋に面白く、何度も読み返すうちに、ヤンを取り巻いた人々のインタビューや、帝国と同盟を結んだ諜報の糸、それを解きほぐそうとした老大佐と若き少佐の物語以外の部分にも、目がいくようになる。

 

 たとえば、参考文献として掲載されていた数多くの本の題名。その一冊が『無実で殺された人々』。タイトルに興味を惹かれて、内容に衝撃を受ける。旧同盟の迂遠と言われた裁判は、このことへの反省だったのか。事件のでっちあげと、暴力による無実の罪の自白の強要。そして処刑台に消えた人々。リヒテンラーデ一門の処断と同質だ。

 

 そして、それに関わったオスカー・フォン・ロイエンタールだからこそ知っていたはずだ。皇帝の怒りを買うことが、死罪と直結していることを。黄金とミルクチョコレートは、頭を寄せ合うようにして、その本を読み進めた。しかし、法の過ちを国民の手によって改めるシステムがある。それが共和民主制の利点。憲法とは、国家が国民に対して行う約束。

 

 旧自由惑星同盟憲章に、書かれていた条文。

 

『何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない』

 

 立憲君主制とは、皇帝でも憲法を守ることだ。全ての法を超越することはない。法の下に、皇帝にでも『おまえは間違っている』と言えるのだ。

 

 アレクとフェリックスの勉強会は、時に脱線しながら続いて行く。

 

「『婚姻は、両者の合意のみに基づいて成立し、両者が同等の権利を有することを基本として、

 相互の協力により、維持されなければならない』かあ……。

 それを旧同盟では憲法にしてあったんだね。でもなんで憲法にしてあるんだろう」

 

「アレク殿下、憲法は法律の最上位なんです。

 立憲君主制では、皇帝でも守らなくてはいけないということなんです」

 

 アレクは形の良い手に、白磁の頬を託した。

 

「要するに、相手がいやって言ったら、皇帝陛下でも駄目ってことなんだ……?」

 

「そのとおりです。あと、『両者』となっているでしょう。

 これは、旧同盟では同性婚を認めていたからだそうです」

 

 海色の眼が、まじまじと親友を見つめた。

 

「ほら、ゴールデンバウム王朝からのアンチテーゼから出発した国だったわけです。

 大帝ルドルフが弾圧した人たちには、同性愛者も含まれていたから」

 

「ええと、たしか、ゴールデンバウム王朝の皇帝にもそういう人はいたね。

 父上はその時代に生まれなくて、よかったんだろうなあ……。

 そうしたら、伯母上が立ち上がったんだろうか?」 

 

 この問題発言を、フェリックスは黙殺することにした。歴史にもしもはないのだ。

 

「認められていても、とても少ないそうですよ。

 大多数の人は異性を愛するのですし、ただでさえ選択肢が少ない中から、

 結婚したい相手を見つけるのは、ものすごく難しいんだそうです」

 

「そうだよね。なかなか、帝都にいる軍人や役人のお嫁さんも見つからないし。

 父上の下には、若い人材が集まったから、年頃の娘さんがいる人がいないんだ」

 

「軍部で一番年長だったのは、ケスラー警察尚書でしたよね」

 

 少年らは顔を見合わせた。彼の夫人マリーカは、つい先日まで七元帥の夫人の最年少であった。なにしろ、二十一歳差である。ヤン元帥の妻の座を狙っていたという、シャルロット・フィリス・キャゼルヌと二歳の差しかない。現在は、ビッテンフェルト夫人のエルヴィラが最年少になったが、夫との年齢差は、ケスラー夫妻を下回る。つまり、上官が部下に縁談を紹介する状況ではなかった。

 

 アイゼナッハ家には三人の令嬢がいたが、上の二人は学者や技術者に嫁いだ。末娘はオーディーン大学院に在学中で、宇宙船の機関工学を学んでいる。現役尚書の娘を、部下が妻にするというのも難しいのだ。帝国首脳部の中で、閨閥ができてしまう。これは貴族号を持つ者の知恵だったが、そこまでは少年たちに理解が及ぶものではなかった。

 

 しかし難題であろうことは、容易に想像がつく。アレクは黄金の頭を振った。

 

「僕は僕で精一杯だから、そちらは大人に任せよう。

 『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、

 社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』

 これを制定してプロポーズすればいけるかと思っていたけど、そっちがあったのか……」 

 

「即位してプロポーズ、結婚してから憲法制定の順にすればどうですか?」

 

「僕だって、何回も考えたよ。でも、それはフリードリヒ四世と何も変わらない。

 揺り籠の彼女を、帝位に就けた父上とも何が違うのか」

 

「アレク殿下!」

 

「そんなことをしたら、彼女はぼくの伯母上と同じになる。

 だれも対等の存在、皇妃だとは思わない」

 

 静かな口調は変わらなかった。いつも穏やかな一歳下の親友に、フェリックスは圧倒された。アレクサンデル・ジークフリードは、間違いなく獅子の息子だった

 

「父上の宇宙統一は、誰にも否定できない偉業だ。しかし、その全てが正しかったのか。

 ゴールデンバウム王朝の不公平や腐敗もまた、否定できないことだ。

 しかし、その全てが悪だったのか。

 人は生まれる場所を選べないのに、その血を持つだけで否定されるのか。

 あるいは、その血を持つだけで、尊ばれ帝位に就くのか。同じ問題の裏表だよ」

 

 しかし、その瞳は距離の彼方ではなく、時と人の織り成す世界の広がりを見つめていた。

 

「腐敗したゴールデンバウム王朝最後の皇帝、旧同盟に大侵攻せよと命を下したのは、

 カザリン・ケートヘン・フォン・ゴールデンバウムだった。

 宇宙を統一した皇帝ラインハルト、その後継者たる平和の統治者、

 皇太后ヒルダと大公アレクに、この身はふさわしくない。

 それが、ぼくが振られた本当の理由だ。ようやく、母上が教えてくれた。

 たった十歳の女の子に、そんなことを言わせるのは勇気じゃない。絶望だ」

 

 それはフェリックスの実母に実父を襲撃させたもの。実父を皇帝に叛かせたものかも知れない。

 

「こういうことを防げるのが、憲法なんだ。

 だから、彼女に求愛するより憲法制定が先だよ。それだけじゃない。

 平民を解放し、平等な社会を目指したはずだったのに、貴族への差別が始まっている。

 貴族に仕えていた人たちへも。

 そして、リップシュタット戦役の貴族連合側の遺族への差別がある。

 ちょっと前まで、自分たちが苦しめられていた仕返しをしているんだ。

 父上と同じように。どこかで連鎖を断たないといけないんだよ」

 

 フェリックスは、息を呑んでから、ようやく口を開いた。

 

「それを、目指すのですか。大公アレク殿下」

 

「宇宙の中で、僕にしかできない。そして、君にしか。

 皇帝ラインハルトの息子と、帝国の双璧の息子である僕らがやらなければいけない。

 今の宇宙で最も人を殺した者の息子たちの義務だ。

 なのに、その血によって優遇を受けている、ね。

 僕達は、ゴールデンバウム王朝の皇帝や、門閥貴族となにが違うだろうか」

 

「……違わないでしょう。精々、僕の父が爵位を持たないぐらいです」

 

「そういうことを、きちんと言ってくれる君でよかった。

 立憲君主制への移行は、いくら賢君であっても、摂政皇太后の母上にはできないんだ。

 幼少の僕を差し置いて、国家を壟断(ろうだん)したと言われてしまう。

 父上の熱烈な支持者たちが、どう動くかわかったものではないだろう。

 軍部には、まだ沢山いるのだから」 

 

 海の色の奥に、蓄えられていた膨大な質量。 フェリックスの親友は、素直で温厚で、わがままをほとんど言わない子だった。帝国の首脳部の中には、おとなしすぎるのではないか、帝国を背負っていけるのかと、危惧する声も囁かれていたほどで、それはフェリックスにも聞こえていた。

 

 

 だが、憤慨するよりも頷く気持ちの方が大きかった。優しく、愛情深い、あたりまえの少年。圧倒的なカリスマを持っていたという、先帝ラインハルトと比べれば、物足りなく思うのは仕方がない。でも、みんなの心を慮り、自分の我をとおさないというのは素晴らしいことではないのか。その逆であった、ゴールデンバウム歴代の暴君が何人いたことだろう。先帝陛下だって、持ち得なかった美点だとフェリックスは思っていた。

 

 だが、それは事実の一部に過ぎなかった。アレクの理想は、先へ先へと飛翔するものではなかった。この統一された宇宙を満たしていくもの。遥か遠い夢、皆が幸福になるための意志。その夢を見るものではなく、叶えるものにしようとしている。

 

 アレクはフェリックスの手を握った。

 

「たしかに、建前なんだ。

 旧同盟だって、差別撤廃を掲げても、亡命者への白眼視はなくならなかったと聞いている。

 でも、法に謳われているから、差別は不当で恥ずべきことなんだと世論を導いていける。

 僕と君だからできることなんだ。君にはリヒテンラーデの一族の血も流れてる。

 皇帝ラインハルトの真の功臣だった、ロイエンタール元帥の血と共に。

 その君を帝国の至宝が育てた。君は新旧の銀河帝国宥和の象徴になれる。

 これが、君をカザリンが振った本当の理由。ペクニッツ家の婿にはもったいないって。

 ミッターマイヤー国務尚書が、教えてくれた」

 

 フェリックスは、その手を呆然と握り返した。

 

「それも、フロイライン・ペクニッツが十歳の時に?」

 

 豪奢な金髪が頷いた。

 

「そうだよ。そして彼女にもリヒテンラーデの血が流れている。だから彼女でないと駄目なんだ」

 

 差別と憎しみの連鎖を断ち切る、宥和の強い意志を内外に伝える、これ以上ない切札。皇帝アレクサンデルと女帝カザリン・ケートヘンの結婚。ゴールデンバウムと共にリヒテンラーデの血を引く彼女は、先帝ラインハルトに冠を譲ったのだ。その冠の後継者が、かつての女帝を伴侶にする。

 

「そんなものなくたって、なんて僕は言わないよ。

 血の枷がカザリンを形作ったんだから。

 僕が大公アレクでなければ、僕になれなかったように。

 フェリックスが、フェリックスであるように」

 

 人は自分以外の何物にもなれないのだから。それは、オリビエ・ポプランにも言われた言葉だ。この一歳下の友は、それをいつから悟っていたのか。始めての失恋の時から、繰り返し、繰り返し、考え続けてきたのだろうか。

 

「アレク、いいえ大公アレク殿下。

 私は、あなたの友と選ばれた幸運を、先帝陛下に感謝します。

 そして、あなたがこれまで友として下さっていたことにも。

 これからも友と呼んでくださるのならば、私の友情と忠誠は生涯あなたのものです」

 

「それを聞くと複雑だな。カザリンが七つの時の僕を振ったのと似た台詞だから。

 だから、君はいつだって君の思うままにしてほしい。

 僕が馬鹿げた真似をしたら、見限ってくれても構わないよ」

 

 深い海色の瞳は、彼の伯母を思わせるものだった。

 

「でもありがとう、フェリックス。僕と一緒に行こう。みんながより幸せになる未来へ」

 

「憲法の制定は、厳しい道程になるでしょう。

 それでも断られてしまったら、どうなさるんですか」

 

 フェリックスが冗談めかして言うと、アレクは音楽的な笑い声を上げた。

 

「でも、思想の自由も憲法に含まれるんだろう?

 僕が好きだと思う事も、諦めない事も、僕の自由なんだから。

 先の女帝陛下だってどうにもできないんだ」

 

 そんなことを言う未来の皇帝陛下に、法学生の指摘が入る。

 

「フロイライン・ペクニッツにも同じことが言えますが」

 

「ああ、そうか。ままならないものだね。平等っていうのはそういうことなんだ。

 でも血のしがらみを法で解いたのなら、彼女の心も変わるかもしれない。

 すべてはそれからだ。よく考えていかないとね」

 

 相変わらず前向きな親友に、フェリックスは苦笑した。そして、励ましの言葉を贈る。

 

「でもアレク殿下、いいこともあるんですよ。

 憲法に定められているのは、こういう意味でもあります。

 殿下とフロイライン・ペクニッツが結婚したいとなったら、誰にも邪魔することはできない」

 

「なるほどね。法律は本当に奥深い。いいことを教えてくれてありがとう。

 君が僕の友であることも、これ以上ない幸運だ」

 

 

 そして、彼は、未来を目指して勉学に励むのだった。惚れた相手と結婚できなかった皇子さまなど、おとぎ話には存在しない。そう言いながら。

 

 新帝国暦十九年五月十四日、アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムは、立太子して皇太子となる。同日、皇太子アレクサンデルの名において、新銀河帝国憲法制定会議が招集される。会議には新銀河帝国の閣僚が名を連ねた。なお、第三者による諮問機関も設置された。

 

 主たる参加者は、立憲君主制の提唱者である、ハイネセン記念大学教授ユリアン・ミンツ。

 

 バーラト星系共和自治政府のフレデリカ・G・ヤン外務長官。同次官カーテローゼ・V・C・ミンツ。

 

 前者は、かつてのイゼルローン共和政府の主席であり、旧自由惑星同盟憲章の全条文を諳んじていると言われた。後者は帝国からの亡命者であり、二つの国家の違いに翻弄された母を持つ身だった。その母譲りの貴族的な帝国語と、帝国の女性が受けていた教育が、いかに不十分なものかという知識があった。

 

 さらには、同政府の帝都駐留事務所次長のベルンハルト・フォン・メルカッツが通訳として加わる。旧銀河帝国と、旧同盟を知る者。亡き妻の悲嘆を胸に秘めて、その名を継いだ名将を支えた副官として、素晴らしい調整能力を発揮したのである。

 

 バーラト自治領の協力を仰いだのには理由があった。憲法制定後に行われる、議会の設置に知識が必要であったからだ。第一回新銀河帝国議会総選挙が、星の海を越えて行われる。五百年以上の時を経て、銀河連邦の制度が復活する。立憲君主制と共存のうえで。ルドルフ・ゴールデンバウムに弾圧され、銀河帝国から消えた知識が、逃亡者たる旧自由惑星同盟の中心だった場所に残されていた。

 

 時の流れにも朽ちぬ、黄金の種子のように。

 

 

 親愛なるカザリン

 

 憲法の制定を目指して、僕は勉強をしています。君が教えてくれた、雨上がりにやってきた幸運の使者と一緒にね。彼の実の父上は、雷鳴の中、助けを求めて飛び込んできたらしい。囚われの友人――それがミッターマイヤー国務尚書なんだけど――を助けて欲しいと、僕の父とキルヒアイス大公のところに。

 

 あの頃は、法律が貴族の好き勝手にされていたし、身分の格差もひどいものだったそうだ。今なら考えられないが、今だって身分は公平ではない。それを完全になくすのは、皇帝が皇帝として特別扱いされているうちは、不可能ではないだろうか。ただ、一気に進めればいいというものではないと思う。帝国本土は五百年近く、その仕組みで国を動かしてきたのだしね。

 

 それにしても、法律とは難しい。反面、面白くもある。考えてみれば、社会の揉め事をうまく解決するための仕組みなんだから、揉め事や決まりごとの種類だけ必要なんだね。

 

 例えば、旧同盟の憲法で、『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』という条文があるんだ。

 

 一方、『思想の自由』という条文もある。法の下では平等だが、差別意識を持つことまでは、憲法をもってしても規制できないということになるんだろうね。ただ、法律に平等を定めれば、そんな意識を持つなんて、恥ずべき事だと言えるようになる。

 

 そして、思うのは自由だが、『言論の自由』には、言論による名誉毀損を罰する刑法があった。これはとても面白い。本音と建前を法律で保証しているようなものじゃないのか? 口に出すことは、よく考えなければいけないと、そういう事になるんだろう。

 

 これもヘル・ミンツから教えてもらったヤン元帥の言葉だが、『言葉は大切に使いなさい。確かに、言葉では伝えきれない事がある。しかし、それは言葉を尽くして、はじめて言えることだ』と。

 

 その言葉を思い出す。彼は戦争ではなく、対話をしたかったんだろうね。第七次イゼルローン攻略も、講和の糸口になると思っていたそうだから。ああ、だから、あの時僕らの前に姿を現してくれたのかもしれない。僕が準備を進めている立憲君主制への移行も、ヘル・ミンツが父上に提言をしたものだ。古い古い政治形態で、千数百年は前のものなんだとか。もちろん、歴史が好きだった黒髪の魔術師の、ベレーの中から飛び出した発想だ。

 

 彼は歴史が好きだった。君が女帝として擁立された時に、幕僚らに女帝の意味を教えてくれたんだそうだ。男子相続とは、創始者のY遺伝子を伝えると言う意味がある。女帝の息子は夫のY遺伝子を受け継ぐから、王朝が交代することになる。貴族連合が滅んで、ゴールデンバウムの血を引く男性はもういない。女帝の夫となるべき相手がいないのだから、ゴールデンバウム王朝は、もう終わりだということだと。

 

 この言葉を、ヘル・ムライからうかがって、僕は愕然とした。君が、幼かった僕の求愛を先々帝という理由で拒んだのは、このこともあったのかと。そして、大公妃殿下が結婚をせず、僕の養育に専念をされたのも同じ理由だったのだろう。もしも伯母上の息子が帝位を継いだら、それはローエングラム王朝ではないんだ。

 

 女帝の即位を進言したのは、地球教のテロで亡くなった、初代軍務尚書のパウル・フォン・オーベルシュタイン元帥だったという。彼は、生まれつき眼球がなくて、義眼をしていたのだそうだ。その障害による差別を受け、ゴールデンバウム王朝を激しく憎んでいたという。

 

 彼が、進言したのは君の即位だけではなかった。リップシュタット戦役末期、ヴェスターラントの虐殺の放置。その後に起こったキルヒアイス大公殿下の死と父の暗殺未遂。犯人は、リヒテンラーデ候だと父に伝え、その一門を処罰した。オーベルシュタイン元帥には、皇帝にナンバー2は不要だという持論があったそうだ。

 

 当時のことを調べていくうちに、僕はこれだと確信した。皇帝ラインハルトの孤独の原因。なぜ、あそこまで戦いに自らを駆り立てたのか。父の周囲から、対等な存在を削り取り、孤高の絶対者に押し上げる。

 

 オーベルシュタイン元帥は、能吏であり、謀臣であったという。ゴールデンバウム王朝を激しく憎悪した彼は、皇帝という存在自体を憎んではいなかったのだろうか。父を皇帝にする一方で、正義の絶対者とさせないように、打ち込んだ楔、掛けられた呪いではないのか。無二の親友の命、最愛の姉の心を代償にした。

 

 オーベルシュタイン元帥のせいだと言うのは簡単だ。しかし、そっくりそのまま、こうも言うことができる。その進言を容れたのは、皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムだと。

 

 ――だれか一人のせいにしてしまえるという点で、最良の専制も、最悪の民主制に劣る。

 

 これもまた、ヤン元帥の言葉だ。バーミリオン会戦の直後、停戦の会談で彼は父に語ったのだという。まさに、この問題の本質を衝いている。敵国にいた彼は、もちろんヴェスターラントの虐殺のことも、キルヒアイス大公の死の詳しい状況も、リヒテンラーデ候一門の処断も知らなかった。そんなことを知らなくても、彼は、歴史上の事実から専制政治の難しさや恐ろしさを学び、共和民主制が生まれていった過程を知っていた。

 

 ルドルフ・ゴールデンバウムを始めとする思想の弾圧で、帝国からは消えてしまった歴史。そして、劣悪遺伝子排除法の実質的な廃止で、徐々に意味を薄れさせていった男子相続。僕の父も、母も、新帝国の主要な人物も誰一人知らなかったことだ。そして、誰も過去から学ぼうとは思わなかった。たぶん、オーベルシュタイン元帥を除いて。新たなことを考え、作り上げるのに夢中になっていたのだろう。

 

 そして、これもまた、思考の停止なのだろう。皇帝ラインハルトの業績で、かつての銀河帝国の腐敗や悪政が明るみに出た。しかし、それだけなら五百年近くも王朝は続かない。王朝が存続し、滅びるまで支えてきた人たちがいたのだ。滅びた門閥貴族のように。それを悪の一員と、みな断罪したことが、今日の歪みを生んでいるのではないか。伝えられていなかったさまざまな知識。例えば男子相続の意味のように。

 

 僕は子どもだった。だが、君も子どもだった。君はなんと聡明だったのだろうか。カザリン・ケートヘン一世であった君に、僕が好きだと告げたところで、ローエングラム王朝の交代劇を、血統をもって正当化する気なのかと、そう思う者が絶対に出てきたはずだ。何も知らない僕と……帝国首脳部が、旧銀河帝国の歴史や仕組みを学び、理解するまで。僕には、君に求愛する資格もなかったんだ。

 

 それをようやく知り、恥ずかしくていたたまれない。でも、僕の心はあの七つの日からずっと変わらない。手紙は形に残るから、今まで書くのは遠慮していたけれど、言葉にしなくては、伝わらないことがある。

 

 愛しいカザリンへ。

 

『つついづつ いづつにかけし まろがたけ おいにけらしな いもみざるまに』

 

 ヘル・ムライにいただいた、日系イースタンの古い物語の本を贈ります。ぜひ、君にも読んでほしい。でも、僕は夜に山越えなんかしないけれど。

 

 アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム


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