銀河英雄伝説 仮定未来クロニクル   作:白詰草

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宇宙暦8XX年/新帝国暦XX年 フーガの舞台裏
Language Of Flowers


「ないわ。絶対にない。ありえない。とどめに紅白の薔薇だなんて!」

 

「……私の彼が同じことをしたら、その場で射殺しないか自信が持てません」

 

「あら、同感。私だったら(くび)り殺しちゃうかもしれない」

 

 イゼルローン要塞からの退去準備中、ユリアンが雑談の中でふと漏らした、新銀河帝国の初代皇帝のプロポーズのエピソードは、女性士官達から盛大なブーイングで迎えられた。以前よりは人員が減ったが、それでも女性が多い部署はまだまだあって、司令部周辺の事務部がそれだ。要するにアレックス・キャゼルヌの部下たちである。

 

 上官の薫陶がよろしいのか、歯に衣着せない意見が飛び交う。

 

「あら、ミンツ軍司令官。なに面食らった顔をしているの。

 あれが素敵なロマンスだとでも本気で思うわけ?」

 

「え、ええ、何かまずいんですか?」

 

「呆れた。貴官はワルターとオリビエにナニを教わっていたのかしらね」

 

 白兵戦と空戦の師のファーストネームを出されて、訓練内容のニュアンスの違いに気付く。

先ほどの扼殺宣言をした女性少佐である。長身で、ブロンズの肌に黒い髪と黒い瞳、鍛え抜かれた長い四肢と豊かな曲線が、軍服の上からもそれとわかる。いまさら言うまでもなく美人であった。例の二人なら、絶対に目をつけずにはおかないほどの。

 

「なにって、その何なんですか!」

 

「いいこと、プロポーズっていうのは、要するにそういうことなんだけれど、

 親にとって恋愛の戦勝結果の報告しかいらないわけ。経過報告は必要ないの。

 朝帰りした娘の相手が、俺がお嬢さんを女にしました、責任とって結婚します、

 なんて言ってきたらどう思うのよ。ねえ、キャゼルヌ事務監」

 

「俺なら塩をまいて追っ払うね」

 

「お優しいんですね、キャゼルヌ事務監は。私ならそんな男とは別れるのに」

 

 こちらは射殺未遂犯の大尉だった。赤毛に灰色の目の可愛らしい印象の人だ。ユリアンの胃が痛みを訴え始める。恐ろしい相手に恐ろしい質問をふらないでください。お願いですから。

 

「何が悲しくてそんなに優しくしてやらなきゃならん。そんなに簡単に楽にはさせんよ」

 

 薄茶色の目がにこりともせずに、ユリアンに向けられた。

 

「そいつが娘にふさわしいかどうか、全力で試してやるに決まってるじゃないか。

 微に入り細にわたってな。始末するならそれからでも遅くない。そうは思わんか」

 

「あらあら、お嬢さんは大変ですね」

 

一番穏やかな口調で、一番の難所に斬り込んできたのは、皇帝(カイザー)ラインハルトに三回も駄目出しした中佐。アッシュブロンドに碧眼で、(くだん)の皇太后にすこし似た容貌だ。

 

「でも、皇太后陛下のお父さんは偉いわ。よく許してくださったものね。

 私の息子がそんな真似したら、ふざけた花束を口に突っ込んでやります。

 そして息子を殺して、私も死んで詫びるしかないわ」

 

「えっ……なんでそんな話になるんですか!?」

 

 空色の瞳に冬の冷気を漂わせた一児の母は、ユリアンの疑問に簡潔に答えた。

 

「花束の選択が最悪よ。花言葉が俺は最低の男ですと言ったも同然ね」

 

 ユリアンは首を捻った。真紅の薔薇は情熱と愛の告白、白の薔薇は尊敬とあなたは私にふさわしい。薔薇の花言葉は有名なものだ。特にまずいとは思えないのだが。

 

「キャゼルヌ事務監の前では言えないとだけは言っておくわ」

 

 これに、黒髪と赤毛が何度も頷いた。

 

「ヒントはねぇ、混ぜるな危険。ワルターも教えておけばいいのに」

 

「そうね、ミンツ中尉。調べておいた方がいいわ。

 これは、知らなかったじゃ済まされない禁則事項よ。

 あんな綺麗な彼女に、嬉し泣き以外をさせるものじゃないわ」

 

 顔を赤らめたユリアンに、人事査定のプロはシニカルな笑いを浮かべて言った。 

 

「なに、それでも俺の試験を突破する奴も世の中に絶無じゃないんだぞ。

 まあ、男親なんてそんなもんだ。ユリアン、お前も心しろよ。

 下手を打つと奴さん、化けてでるかもしれん。

 幽霊の復讐は防げないもんだと相場が決まっているからな」

 

 その試験合格者は誰なのか、とても聞くことはできないユリアンであった。

 

 そして、紅白の薔薇の花言葉を調べたユリアンは、あの場でそれを暴露しなかった金髪美人に心底感謝した。意味の一つ目はあたたかな心。これだけならばよかったのだが、もう一つの意味があった。

 

 それは和合。朝帰りさせた女性の自宅に駆け付け、父親の面前で差し出すには、この世で一番不適切な花々であった。他人事ながら、背中を悪寒が駆けのぼる。

 

「皇帝ラインハルトは、キャゼルヌ中将の試験は不合格だろうなあ。

 たとえ皇帝陛下でも、いびりぬいてから始末するんですね……」

 

 あの人ならば絶対にやるし、出来るだろう。キャゼルヌ家の姉妹に幸あれ。そして彼女たちの未来の恋人にも。

 

「それにしても、試験合格者って誰なんだろう……?」

 

 

 また別の日。皇帝陛下のプロポーズの話が出ると、行きがかり上、亡き司令官の話題も出されるもので。ユリアンとしては、淡い初恋に打たれた終止符の記憶でもあるので、なんとも複雑なのだが。

 

 少年の初恋の相手が、青年の恋人にちらほらと語るエピソードの数々。フレデリカの惚気を聞いたカリンから、魔術師の弟子にも伝わってきたのだ。薔薇の騎士の娘はしみじみと呟いたものである。

 

「いいなあ、フレデリカさん。羨ましいなあ……」

 

 傷つくから、自分の顔を見て溜息をつかないでほしいし、ずばりどの辺が羨ましいのだろうか。ユリアンは質問してきた女性陣に概要を告げた。どんな辛辣な論評が交わされるのだろうか。戦々恐々としながら、興味も深々である。

 

「シンデレラ・リバティの時だったのね。やっぱり、ヤン提督の方からだったんだ。私の勝ちね」

 

 にっこりと笑った金髪碧眼の中佐が、赤毛で灰色の眼の大尉と黒髪黒目の少佐に手のひらを差し出す。

 

「絶対に、フレデリカ先輩から告白すると思ったのに」

 

「同感だわ。あそこで手札を切ってくるなんて、さすがヤン提督」

 

 口々に不平を漏らしながら、二人が差し出したのは十ディナール札。

 

「おい、勤務中に賭け金の徴収なんぞするな」

 

「もうとっくに定時は過ぎていますもの。

 あ、あなたたち、ちゃんとキャゼルヌ事務監にも払いなさいよ。

 後でいいってお達しだけど、忘れないようにしなさいね」

 

「キャゼルヌ中将まで参加してただなんて……」

 

 ユリアンのショックも倍増である。

 

「でも、皆さん、皇帝ラインハルトの時より随分好意的ですね」

 

 戦場でどちらも軍服のまま。花束もなく、男性側の容貌の差は、言わぬが情けであろう。紅白の薔薇ならば、ないほうが千倍もましではあったけれど。いや、師父の場合はOKだった。それも問題ではないだろうか。交際をすっ飛ばして、結婚の申し込みというのも、正直ちょっといただけない。ユリアンとしてはそう思うのだ。

 

 三色の瞳が目配せをしあってから、ダークブラウンの瞳に向けられる。

 

「だって、ヤン提督が負けて旗艦が轟沈したら、副官のグリーンヒル少佐も一緒に死ぬのよ」

 

 これは赤毛の大尉、バーサ・ブライスの言だ。

 

「そうそう。俺は死なない、おまえを守る。

 いいえ、おまえのために勝つ、ぐらいのことをおっしゃっているわけよ」

 

 黒髪のクリスタ・チャベス少佐が続きを引き取って、

 

「そして、もしも死んだらあの世で一緒だって言ったも同然。男だわ。

 息子に見習わせるなら、絶対にヤン提督の方よ」

 

 頷きながら続ける金髪のアメリア・アッシュフォード中佐。ユリアンの眼が真ん丸になった。女性とはどこまで読解力がある生き物なのか。

 

「そして勝っちゃうんだから、凄すぎますよね。

 そこまで言わせるフレデリカ先輩も凄いと思うわ。

 何と言っても、エル・ファシルが占領されるかどうかの瀬戸際で、

 ヤン提督を見初めるのが、まず凄いんだけど」

 

 凄いを連発するブライス大尉に、チャベス少佐も大きく頷いた。

 

「そうよ。もしも帝国に占領されたら、自分がどういう目に遭わされるかなんて、

 想像力が1グラムでもあったら考えるでしょ。

 その中で、頼りない中尉に惚れたってことは、

 彼が失敗するなんて思ってもいなかったんじゃないの?」

 

「そういえば、先物買いの素質があるのかも、っておっしゃってたことが」

 

 ユリアンは辺塞の短い寧日を思い出した。初恋の人は、知的で理性に富んだ才女だと思っていた。最初から、突き抜けていたんだろうか、ひょっとして。

 

「そこから士官学校を目指して、次席で卒業、副官の座を射止めるっていうのも

 ありとあらゆる面でただものじゃないでしょう。

 キャゼルヌ事務監。彼女の配置が貴官の手配というのは、そういうことなんでしょう?」

 

 青い瞳が、薄茶色の瞳を意味ありげに見つめる。問われたほうは、実にさりげなく視線を外すと、人の悪い笑みを浮かべた。

 

「さあどうだろうな。さて、そろそろ仕事を続けてくれんかね。

 おまえさんらも、日付変更線を三日連続で跨ぎたくはなかろう?

 俺だって、オルタンスの手料理で一杯やりたいからな。

 そうそう、一人二十ディナールだったな。忘れずに出していけよ」

 

 

 これらのエピソードは、後にアレックス・キャゼルヌの帝国の友人にも伝わった。

 

「いやいや、それは国の違いと言うもの、皇帝陛下のお召しを拒むことはできぬのです。

 相談役になった時点で、そういう相手に選ばれているとお考えになるべきだ。

 そちらのお国の人事とは違うのですよ。

 お話によると、ヤン元帥ご夫妻はそうともいいがたいのか。

 ともあれ、わが国では男が疎いならば、女の方が相手を教育するのです」

 

「それはそれは……」

 

 語尾を曖昧に濁すと、キャゼルは眉間に皺を寄せた。そういうお国柄では、余計に父の気持は複雑だろう。本来拒めない皇帝の求婚の延期を願えたのは、一重に若い二人が無知だったのだ。

 

「このようなことは、アレク殿下にもお知らせしないように願います。

 その点、私の妻はよくやっている。皇太后陛下や大公妃殿下への書状はそういうことです」

 

「ほほう、貴族の深謀遠慮とは大したものですなあ」

 

「なにしろ、年齢と家柄と性別、これで選択肢が定まってしまう世界でした。

 子どもには無理なこと、女親の役割です。皇太后陛下はその点がお気の毒と申せましょう」

 

「なるほど、そういう部分をご存知ないがゆえに、生まれた個性ということでしょうかね」

 

「そうでしょう。旧王朝で女性が大学に行かなかったのは、婚期を逸するからです。

 新領土の方には理解しがたいことかと思いますが」

 

「そうですな。私にも二人の娘がおりますが、高等教育を受けずに、

 はたち未満で結婚というのは、親としては反対です」

 

「宇宙統一の恩恵で、帝国もそうなりつつありますよ」

 

「恩恵ですと?」

 

「恐らく劣悪遺伝子排除法です。知らない方がいいと蓋をしてしまった。

 おかげで周産期医療が衰退し、マクシミリアン晴眼帝の英断をもっても、

 衰退した医療は復活しなかった。これは私の側室の推論です。

 帝国の首脳部は男やもめが多い。私もそうなるところでした。

 女性にとって安全な時期に出産を行うために、早婚が社会的に推奨されたのだとね」

 

 キャゼルヌは薄茶色の目を瞬いた。

 

「そういうお考えもありますか」

 

「ええ、それが解消されれば、帝国の女性進出も進んでいくでしょう。

 私の娘も、フェザーンに進学したいと申しました。

 あの子が望みを口にするのは始めてなのです。

 ようやく、そうできるような世界になってきたのです。

 皇帝陛下でも、意に沿わぬならば、否と言える時代がまもなくやってくる。

 その時は、私も貴卿に倣うことにしましょう」

 

 ユリアン・ミンツが知れば、幸あれかしと祈る相手がまた誕生したのだった。


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