Language Of Flowers
「ないわ。絶対にない。ありえない。とどめに紅白の薔薇だなんて!」
「……私の彼が同じことをしたら、その場で射殺しないか自信が持てません」
「あら、同感。私だったら
イゼルローン要塞からの退去準備中、ユリアンが雑談の中でふと漏らした、新銀河帝国の初代皇帝のプロポーズのエピソードは、女性士官達から盛大なブーイングで迎えられた。以前よりは人員が減ったが、それでも女性が多い部署はまだまだあって、司令部周辺の事務部がそれだ。要するにアレックス・キャゼルヌの部下たちである。
上官の薫陶がよろしいのか、歯に衣着せない意見が飛び交う。
「あら、ミンツ軍司令官。なに面食らった顔をしているの。
あれが素敵なロマンスだとでも本気で思うわけ?」
「え、ええ、何かまずいんですか?」
「呆れた。貴官はワルターとオリビエにナニを教わっていたのかしらね」
白兵戦と空戦の師のファーストネームを出されて、訓練内容のニュアンスの違いに気付く。
先ほどの扼殺宣言をした女性少佐である。長身で、ブロンズの肌に黒い髪と黒い瞳、鍛え抜かれた長い四肢と豊かな曲線が、軍服の上からもそれとわかる。いまさら言うまでもなく美人であった。例の二人なら、絶対に目をつけずにはおかないほどの。
「なにって、その何なんですか!」
「いいこと、プロポーズっていうのは、要するにそういうことなんだけれど、
親にとって恋愛の戦勝結果の報告しかいらないわけ。経過報告は必要ないの。
朝帰りした娘の相手が、俺がお嬢さんを女にしました、責任とって結婚します、
なんて言ってきたらどう思うのよ。ねえ、キャゼルヌ事務監」
「俺なら塩をまいて追っ払うね」
「お優しいんですね、キャゼルヌ事務監は。私ならそんな男とは別れるのに」
こちらは射殺未遂犯の大尉だった。赤毛に灰色の目の可愛らしい印象の人だ。ユリアンの胃が痛みを訴え始める。恐ろしい相手に恐ろしい質問をふらないでください。お願いですから。
「何が悲しくてそんなに優しくしてやらなきゃならん。そんなに簡単に楽にはさせんよ」
薄茶色の目がにこりともせずに、ユリアンに向けられた。
「そいつが娘にふさわしいかどうか、全力で試してやるに決まってるじゃないか。
微に入り細にわたってな。始末するならそれからでも遅くない。そうは思わんか」
「あらあら、お嬢さんは大変ですね」
一番穏やかな口調で、一番の難所に斬り込んできたのは、
「でも、皇太后陛下のお父さんは偉いわ。よく許してくださったものね。
私の息子がそんな真似したら、ふざけた花束を口に突っ込んでやります。
そして息子を殺して、私も死んで詫びるしかないわ」
「えっ……なんでそんな話になるんですか!?」
空色の瞳に冬の冷気を漂わせた一児の母は、ユリアンの疑問に簡潔に答えた。
「花束の選択が最悪よ。花言葉が俺は最低の男ですと言ったも同然ね」
ユリアンは首を捻った。真紅の薔薇は情熱と愛の告白、白の薔薇は尊敬とあなたは私にふさわしい。薔薇の花言葉は有名なものだ。特にまずいとは思えないのだが。
「キャゼルヌ事務監の前では言えないとだけは言っておくわ」
これに、黒髪と赤毛が何度も頷いた。
「ヒントはねぇ、混ぜるな危険。ワルターも教えておけばいいのに」
「そうね、ミンツ中尉。調べておいた方がいいわ。
これは、知らなかったじゃ済まされない禁則事項よ。
あんな綺麗な彼女に、嬉し泣き以外をさせるものじゃないわ」
顔を赤らめたユリアンに、人事査定のプロはシニカルな笑いを浮かべて言った。
「なに、それでも俺の試験を突破する奴も世の中に絶無じゃないんだぞ。
まあ、男親なんてそんなもんだ。ユリアン、お前も心しろよ。
下手を打つと奴さん、化けてでるかもしれん。
幽霊の復讐は防げないもんだと相場が決まっているからな」
その試験合格者は誰なのか、とても聞くことはできないユリアンであった。
そして、紅白の薔薇の花言葉を調べたユリアンは、あの場でそれを暴露しなかった金髪美人に心底感謝した。意味の一つ目はあたたかな心。これだけならばよかったのだが、もう一つの意味があった。
それは和合。朝帰りさせた女性の自宅に駆け付け、父親の面前で差し出すには、この世で一番不適切な花々であった。他人事ながら、背中を悪寒が駆けのぼる。
「皇帝ラインハルトは、キャゼルヌ中将の試験は不合格だろうなあ。
たとえ皇帝陛下でも、いびりぬいてから始末するんですね……」
あの人ならば絶対にやるし、出来るだろう。キャゼルヌ家の姉妹に幸あれ。そして彼女たちの未来の恋人にも。
「それにしても、試験合格者って誰なんだろう……?」
また別の日。皇帝陛下のプロポーズの話が出ると、行きがかり上、亡き司令官の話題も出されるもので。ユリアンとしては、淡い初恋に打たれた終止符の記憶でもあるので、なんとも複雑なのだが。
少年の初恋の相手が、青年の恋人にちらほらと語るエピソードの数々。フレデリカの惚気を聞いたカリンから、魔術師の弟子にも伝わってきたのだ。薔薇の騎士の娘はしみじみと呟いたものである。
「いいなあ、フレデリカさん。羨ましいなあ……」
傷つくから、自分の顔を見て溜息をつかないでほしいし、ずばりどの辺が羨ましいのだろうか。ユリアンは質問してきた女性陣に概要を告げた。どんな辛辣な論評が交わされるのだろうか。戦々恐々としながら、興味も深々である。
「シンデレラ・リバティの時だったのね。やっぱり、ヤン提督の方からだったんだ。私の勝ちね」
にっこりと笑った金髪碧眼の中佐が、赤毛で灰色の眼の大尉と黒髪黒目の少佐に手のひらを差し出す。
「絶対に、フレデリカ先輩から告白すると思ったのに」
「同感だわ。あそこで手札を切ってくるなんて、さすがヤン提督」
口々に不平を漏らしながら、二人が差し出したのは十ディナール札。
「おい、勤務中に賭け金の徴収なんぞするな」
「もうとっくに定時は過ぎていますもの。
あ、あなたたち、ちゃんとキャゼルヌ事務監にも払いなさいよ。
後でいいってお達しだけど、忘れないようにしなさいね」
「キャゼルヌ中将まで参加してただなんて……」
ユリアンのショックも倍増である。
「でも、皆さん、皇帝ラインハルトの時より随分好意的ですね」
戦場でどちらも軍服のまま。花束もなく、男性側の容貌の差は、言わぬが情けであろう。紅白の薔薇ならば、ないほうが千倍もましではあったけれど。いや、師父の場合はOKだった。それも問題ではないだろうか。交際をすっ飛ばして、結婚の申し込みというのも、正直ちょっといただけない。ユリアンとしてはそう思うのだ。
三色の瞳が目配せをしあってから、ダークブラウンの瞳に向けられる。
「だって、ヤン提督が負けて旗艦が轟沈したら、副官のグリーンヒル少佐も一緒に死ぬのよ」
これは赤毛の大尉、バーサ・ブライスの言だ。
「そうそう。俺は死なない、おまえを守る。
いいえ、おまえのために勝つ、ぐらいのことをおっしゃっているわけよ」
黒髪のクリスタ・チャベス少佐が続きを引き取って、
「そして、もしも死んだらあの世で一緒だって言ったも同然。男だわ。
息子に見習わせるなら、絶対にヤン提督の方よ」
頷きながら続ける金髪のアメリア・アッシュフォード中佐。ユリアンの眼が真ん丸になった。女性とはどこまで読解力がある生き物なのか。
「そして勝っちゃうんだから、凄すぎますよね。
そこまで言わせるフレデリカ先輩も凄いと思うわ。
何と言っても、エル・ファシルが占領されるかどうかの瀬戸際で、
ヤン提督を見初めるのが、まず凄いんだけど」
凄いを連発するブライス大尉に、チャベス少佐も大きく頷いた。
「そうよ。もしも帝国に占領されたら、自分がどういう目に遭わされるかなんて、
想像力が1グラムでもあったら考えるでしょ。
その中で、頼りない中尉に惚れたってことは、
彼が失敗するなんて思ってもいなかったんじゃないの?」
「そういえば、先物買いの素質があるのかも、っておっしゃってたことが」
ユリアンは辺塞の短い寧日を思い出した。初恋の人は、知的で理性に富んだ才女だと思っていた。最初から、突き抜けていたんだろうか、ひょっとして。
「そこから士官学校を目指して、次席で卒業、副官の座を射止めるっていうのも
ありとあらゆる面でただものじゃないでしょう。
キャゼルヌ事務監。彼女の配置が貴官の手配というのは、そういうことなんでしょう?」
青い瞳が、薄茶色の瞳を意味ありげに見つめる。問われたほうは、実にさりげなく視線を外すと、人の悪い笑みを浮かべた。
「さあどうだろうな。さて、そろそろ仕事を続けてくれんかね。
おまえさんらも、日付変更線を三日連続で跨ぎたくはなかろう?
俺だって、オルタンスの手料理で一杯やりたいからな。
そうそう、一人二十ディナールだったな。忘れずに出していけよ」
これらのエピソードは、後にアレックス・キャゼルヌの帝国の友人にも伝わった。
「いやいや、それは国の違いと言うもの、皇帝陛下のお召しを拒むことはできぬのです。
相談役になった時点で、そういう相手に選ばれているとお考えになるべきだ。
そちらのお国の人事とは違うのですよ。
お話によると、ヤン元帥ご夫妻はそうともいいがたいのか。
ともあれ、わが国では男が疎いならば、女の方が相手を教育するのです」
「それはそれは……」
語尾を曖昧に濁すと、キャゼルは眉間に皺を寄せた。そういうお国柄では、余計に父の気持は複雑だろう。本来拒めない皇帝の求婚の延期を願えたのは、一重に若い二人が無知だったのだ。
「このようなことは、アレク殿下にもお知らせしないように願います。
その点、私の妻はよくやっている。皇太后陛下や大公妃殿下への書状はそういうことです」
「ほほう、貴族の深謀遠慮とは大したものですなあ」
「なにしろ、年齢と家柄と性別、これで選択肢が定まってしまう世界でした。
子どもには無理なこと、女親の役割です。皇太后陛下はその点がお気の毒と申せましょう」
「なるほど、そういう部分をご存知ないがゆえに、生まれた個性ということでしょうかね」
「そうでしょう。旧王朝で女性が大学に行かなかったのは、婚期を逸するからです。
新領土の方には理解しがたいことかと思いますが」
「そうですな。私にも二人の娘がおりますが、高等教育を受けずに、
はたち未満で結婚というのは、親としては反対です」
「宇宙統一の恩恵で、帝国もそうなりつつありますよ」
「恩恵ですと?」
「恐らく劣悪遺伝子排除法です。知らない方がいいと蓋をしてしまった。
おかげで周産期医療が衰退し、マクシミリアン晴眼帝の英断をもっても、
衰退した医療は復活しなかった。これは私の側室の推論です。
帝国の首脳部は男やもめが多い。私もそうなるところでした。
女性にとって安全な時期に出産を行うために、早婚が社会的に推奨されたのだとね」
キャゼルヌは薄茶色の目を瞬いた。
「そういうお考えもありますか」
「ええ、それが解消されれば、帝国の女性進出も進んでいくでしょう。
私の娘も、フェザーンに進学したいと申しました。
あの子が望みを口にするのは始めてなのです。
ようやく、そうできるような世界になってきたのです。
皇帝陛下でも、意に沿わぬならば、否と言える時代がまもなくやってくる。
その時は、私も貴卿に倣うことにしましょう」
ユリアン・ミンツが知れば、幸あれかしと祈る相手がまた誕生したのだった。