第34話「動き出す黒」
「うーん……」
ジークリンデ・エレミアは海岸の砂浜でランニングとシャドーを同時にこなしつつ、ある人物について考え続けていた。
その人物とは数日前に再会した筋金入りのヤンキー、緒方サツキ。イメージトレーニングの際、真っ先に顔が浮かぶ相手でもある。
勝負で負けたわけでもなければ、試合で引き分けに持ち込まれたわけでもない。ましてや一度勝ったことのある相手だ。なのに彼女の顔が真っ先に浮かんでくるのは何故か。
理由は至って単純。ジークリンデ自身がサツキに対して強い対抗心を抱いていることに他ならない。かつて自分と互角に渡り合い、数ヶ月前に個人的な事情で行った野良試合では自分を敗北寸前まで追い詰めたサツキに。
「やっぱり、おかしいんよ……」
しかしそれとは別に、サツキの異常ともいえる圧倒的な実力には強い疑問を抱いていた。
最低でも500年分は受け継いでいる先祖から続く『エレミア』の戦闘に関する経験と記憶、戦うことを前提とした強靭な肉体。それらに驕ることなく鍛錬を積んできた。
そんなジークリンデに追随する強さを持つサツキ。魔法抜きの純粋な身体能力に至っては完全に負けており、今でも追いつける気がしない。
控えめに言ってもあり得ない。その強さを、相応の才能を持ったうえで過酷な訓練を毎日行って得たのならまだわかる。
だが、ヤンキーであるサツキがトレーニングというものを行うわけがない。強いて言うなら喧嘩漬けの日々を送ってきたらしいが、それだけで自分に迫るほどの強さが得られるのだろうか。
「まあ才能はある…………はずやし」
苦笑いするジークリンデの脳裏に浮かんだのは、三年前に観たサツキの初試合。そのときから感じていた。サツキには『エレミア』である自分に比肩するほどの才能があると。
というより、そうでもないと説明がつかない。ひたすら身体資質が優れているだけなのか。何らかのリミッターが外れているのか。
頭の中のメモをペラペラと捲っていたが、結局一つの結論にしかたどり着かなかった。その答えもまた、あり得ないうちに入るものだった。
もう考えるのはやめよう。そう思った瞬間、あることを思いついたジークリンデの頭に電流が走った。それが上手くいけば、次代に伝える『エレミア』の完成へ大きく近づくと確信したのだ。
「これいけるんとちゃう?」
思案顔から一変、水を得た魚の如く目を輝かせる。失敗するかもしれないが、それでも試してみる価値はあると見た。
ジークリンデは頭脳をありったけ回転させたところで今度こそ考えるのをやめ、ランニングとシャドーに専念する。
――サツキと再び拳を交えるために。
「……話って何だよ?」
選考会から一週間以上経ったある日。アタシは険しい表情のヴィクターから呼び出しを食らい、タイミングよく我が家にやってきたクロに留守を任せ、徒歩でダールグリュン邸を訪ねていた。
インターミドルの地区予選が昨日から始まっており、同日にベテラン選手のミカヤ・シェベルがルーキーのミウラ・リナルディに一回戦1ラウンドKOで敗退するという番狂わせが発生している。
まあ番狂わせつっても稀によくあるけどな。特にアタシが出場していた時期なんて番狂わせのバーゲンセールだったし。
右手に持っていたタバコを一口吸い、上品に紅茶を飲んでいたヴィクターに視線を向ける。何の用だ全く。内容によってはキレるぞ。
「インターミドルがライフ制なのは知っているわね?」
「一応、な」
そう、インターミドルの戦闘はライフ制。双方共に初期数値は固定で、これが0になると敗北になる。いわば某カードゲームみたいなもんだ。
もちろんこれだけが勝利方法ではない。TKOや対戦相手の棄権による勝ち方だって存在するし、最終ラウンドまで縺れ込んだ際には協議判定で勝敗が決められる。
てかライフ制なの最近まで忘れてたよ。そう思いながらタバコを口に咥えて外を眺めていると、ヴィクターが怒気を含んだ声で呟いた。
「……やらかしてくれたわね」
「はァ?」
「ライフの初期数値が一回戦から25000ってどういうことなの!? 去年までは12000ほどだったのよ!?」
やらかしてくれたわね。その言葉を聞いて彼女の方へ振り向くと、今度はいきなり立ち上がって怒鳴り始めた。アタシを指差しながら。
何かわけのわからないことでキレられた。ていうかライフの初期数値がちょっと増えたくらいでそんなにキレんなよ。
確かに彼女の言う通り、去年はライフの初期数値が平均で12000~20000ほどだった。どうも今年はその平均が倍近くにまで上がっているらしい。
つーか抗議する相手を間違ってるぞお前。そういう苦情の類いは普通、運営団体であるDSAAに出すもんだろ。なんで無関係のアタシが叱られなきゃなんねえんだ。
「アタシは関係ねえだろ」
「そう言うと思って、ついさっき運営団体に問い合わせてみたの。そしたらこう返答してきたわ」
ヴィクターは一旦言葉を句切ると、少し落ち着いた表情でこう告げてきた。
「『三年前からある選手があまりにも怪我人を出すので、その対策の一つとしてまずライフの初期数値を上げました』と」
なるほど。怪我人を出さないための措置ってわけだ。一つってことは他にもあるということだろう。例えばクラッシュエミュレートの強化とか、ルールの追加とか。
……この野郎、ハナからアタシを叱るつもりだったな。でなきゃ事前に運営団体に確認したりはしない。お母さんかコイツは。
それにしても気になることを言ってたな。ある選手――ソイツがシステム強化の要因になっている。要はそれだけ強いってことだな。
吸っていたタバコを携帯灰皿に押しつけ、どうでもよさそうにあくびをする。ここに来てまだ一時間も経ってないのに帰りたくなったんだけど。
「そんな奴がいんのか」
「それはひょっとしてギャグで言っているのかしら……?」
「え? 違うの?」
「違うわよっ!」
また怒鳴られた。しかもヒステリック気味に怒鳴られた。そんなんじゃいつかジークに嫌われるし、白髪が増えるぞ。
そういや今日はハリーとタスミンのプライムマッチだっけか。あの二人は何だかんだで仲が良いからな。今ごろ楽しく殴り合っていることだろう。いわゆる殴り愛ってやつかもしれない。
これ以上は話すことがなさそうだと判断し、腰を下ろしていた椅子から立ち上がって背伸びをする。紅茶は飲み終えたから大丈夫だ。
「帰ろうとしているところ悪いけど、まだ話は終わってないわよ」
「…………まだあんのかよ」
「当然ですわ。ライフの初期数値が増えただけでわざわざあなたを呼んだりしないもの」
ヒステリックな状態から一変、キリッとした顔でこちらを睨みつけるヴィクター。実は一番感情の起伏が激しいのではなかろうか、コイツ。
仕方ないのでもう一度椅子に腰を下ろし、仕切り直しにズボンのポケットから新しいタバコとライターを取り出す。
そういや最近、タバコを吸っていることについては注意されなくなった気がする。やっと諦めてくれたのだろうか。
アタシが取り出したライターでタバコに火をつけ、それを一口吸うと同時に真剣な顔付きのヴィクターが口を開いた。
「やってくれたわね」
「お次はなんだよ」
「DSAAルールに新しい項目が追加されていたのだけど……これですわ」
そう言いながら通信端末を弄り、今大会の注意事項が書いてある説明書らしき紙の写真を出すヴィクター。その最後の方にこう書いてあった。
倒れ込んだ相手への踏みつけ、及び頭部へのサッカーボールキックは禁止とする、と。
「心当たり、ありますわね?」
「ねえよ」
「まだ白を切るつもりなの? ここに記されている攻撃を頻繁に行っていたのはあなたでしょう」
目付きをより鋭くしたかと思えば、今度は静かに怒り出した。八つ当たりでない辺り、本当に面倒見がいいのだと実感させられる。
そんで否定できないのが悔しい。確かにこれらの攻撃を、相手の急所へ息をするかのようにやっていたのはアタシだ。でもそれだけでルール追加なんて……ああ。
「それを頻繁にやってるうちに怪我人が続出、ってか?」
「そういうことよ。あなたの場合、試合が終わると対戦相手には脇目も振らずに会場を後にしていたからわからないのでしょうけど」
「あっそ……で、結論は?」
「どうせ止めても聞かないでしょう? それでも、次からは気を付けなさい」
ヴィクターはため息をつくと、やれやれと言わんばかりに首を振って忠告してきた。おいテメエ、まるでアタシが何にもわかっていないバカみてえじゃんか。
とにかくよくわからんが、コイツがここまで言うのだから間違ってはいないのだろう。つっても死んでるわけじゃねえし問題はないと思うがな。
聞くだけ聞いたので吸っていたタバコを右手に持って立ち上がり、口の中に溜まった紫煙を吐き出す。やっと帰ることができるわ。
にしてもピンポイント過ぎやしませんかね、あの項目。明らかにアタシ一人へ向けられているようなもんだろ。ふざけろよ。
「じゃあな」
「サツキ。どんな道を行こうと……無茶だけはしないで」
「…………ほざけ」
彼女に背を向けているので表情はわからないが、我が子を心配するような声を出すヴィクター。どうせならジークを心配しろよお前は。
それとお前、次からは気を付けろつったな。お生憎様、もう選手じゃないアタシに次はないんだよ。あったところでどうもしないが。