「はぁ、はぁ、はぁ……」
時間切れにでもなったのか野獣モードが解除された瞬間、あまり感じていなかった痛みや疲労が津波のようにドッと押し寄せてきた。
息が苦しい。身体が重い。頭が割れるような激痛を感じる。どう表現すればいいのかわからないほどの鈍い痛みが全身を駆け巡っていく。
生きている心地すら薄れていくかのような、そんな痛みと疲労に身体が支配されていた。どんだけ攻撃を食らえばこうなるのだろうか。
地面にポタポタとバケツの水を掛けられたように液体が落ちていき、尋常でない量の汗を掻いているのだと思い知らされる。
とりあえず腹の底から逆流してきたように溜まった血を嘔吐のように吐き出し、両手を握る、開くを繰り返して支障がないか確認する。
「あ、ぐっ……!」
特に支障がないと判断したところで口元を拭き、今もなおガクガクと震える身体を必死に起こそうとするエレミアに視線を向ける。
あの野郎、あれだけのラッシュを食らったというのにまだ懲りねえのか。こっちはもうそのラッシュが出せる状態じゃないってのに。
今のうちに追撃を仕掛けたいのだが、なんか失敗しそうな気がしたので断念するしかなさそうだ。アタシもアタシで満身創痍だからな。
エレミアは生まれたての子鹿以上に震える身体を動かし、途中で血と折れたらしい歯を吐いてバランスを崩しながらも、両手を膝の上に置くことで立ち上がることに成功した。
「いい加減くたばれよ、テメエ……」
いくら魔法で身体強化を行っているとはいえ、ここまでしぶとい奴だとは思わなかった。アタシの問いに、エレミアは微笑みながら答える。
「冗談が上手いなぁ、サツキは……大好きな人の前でくたばるのはごめんや」
大好きな人。それは言うまでもなくアタシのことを指しているのだろうが、疲労が激しいのでツッコむ気が起きない。いや嫌いだけど。
ていうかそういう意味ならさっさと、できるだけ惨めにくたばってくれ。アタシの心の平穏のためにも、アタシの貞操のためにも。
まあ冗談はこの辺にしよう。不愉快なことに向こうは大真面目のようだし。アタシとしては最低でもふざけろと大声で叫びたいがな。
気合いを入れるように背筋を伸ばし、未だに微笑んだ顔で構えたエレミアを睨みつける。どんな攻撃にも対応してみせますってか。
「それにやな、
「……初めて意見が合ったな」
ジークリンデ・エレミアという人物は心底嫌いだ。気持ち悪いほど引っ付いてくるし、同性のアタシが大好きだと公言する変態だし。
おまけに選手としての意見が根本的な部分からこれでもかというほど合わない。武術や試合を通じていろんな奴と楽しみ合うエレミアに対し、アタシは全力をぶつけられる相手だけを欲した。
ぶっちゃけ少しは期待していたのだが、結果だけ言うとそんな相手は現れなかった。強いて言えばエレミアとヴィクターはマシな方だったが、前者はとある理由でフイにされ、後者はすぐに差が開いてあっさりとリベンジができてしまった。
……つっても昔の話だけどな。今はもう自分に匹敵する奴が何人現れようと関係ないし、どうでもいい。何があろうと、ヤンキーであり続けることだけがアタシのアイデンティティだ。
そんなヤンキーであるアタシと選手であるコイツの、唯一合致した意見。それは――
――今この瞬間が最高に楽しい。
「ほな……やろか」
「人のセリフ取んなボケ」
インターバルは終了を迎えた。エレミアの魔力を纏った右の拳が頬に突き刺さるも意に介さず、握り込んだ右拳で殴り返す。
エレミアがよろけた隙をついてもう一度右の拳で殴りつけ、尻餅をついた瞬間に流れるような動きで右のエルボーを鼻っ面に叩き込む。
が、ほぼ同時に彼女が尻餅をついたまま放った右の鋭い蹴りを食らってしまい、無理やり退かされるように後退してしまう。
口元から血を流しながら立ち上がると、エレミアはギチギチと握り込んだ左の拳に魔力を纏い、アタシの懐へ叩き込んできた。
「がは――ドラァ!」
「だぁっ!?」
その拳を避けることなく食らって血を吐くほど息が詰まるも、すぐさま左拳を彼女の脳天目掛けて拳骨気味に振り下ろす。
身体を固定していた糸が切れたかのようにエレミアは後退し、アタシは振り切った左腕を引っ込めると同時に繰り出した右のアッパーを、下顎へ正確にブチ込んだ。
放物線を描きながら十メートルほど宙を泳ぎ、地面に叩きつけられるエレミア。それをおぼつかない足取りで追いかけていく。
そして首を横に振って起き上がったエレミアに追いついたところで前蹴りを入れ、彼女が蹴りを両腕でガードした隙に右肩、頭部の順に踏みつけて背後へ回り込む。
「っと!」
左脚が地面についた瞬間に膝を溜め込む感じで曲げ、バネのようにその膝を伸ばして跳ね上がり、こっちを振り向いたエレミアの顔面へ右の鋭い蹴りを斜め上から叩き込んだ。
エレミアがよろけて膝をついている間にバランスを崩した状態で着地し、できるだけ早めに体勢を整える。いやーちょっと危なかった。下手すれば腰とか捻っていたかもしれない。
起き上がるや否や、また抜けたらしい歯を血と共に吐き捨てる。エレミアの奴、二十歳になった頃には入れ歯になってそうだな。
胸部へ左の掌底を放ち、エレミアがガードしようと構えた右腕を左手で掴み、頭突きと右ストレートのコンビネーションをお見舞いする。
「せやぁ!」
「んなろ!」
一気に畳み掛けるべく拳の追撃を入れようとするも、なぜか取っ組み合いに持ち込まれ両手が塞がってしまう。
とはいってもこの場合、有利なのは力の勝るアタシだがな。手が使えない以上、できることも限られてくるし。
実際、現在進行形でアタシの方が押してはいるのだが、ぶっちゃけ予想よりも拮抗している。こんなに力あったっけコイツ。
するとエレミアは脇腹へミドルキックを何度もぶつけ、最後に前蹴りを放ってきた。攻撃手段としては妥当か。
アタシはそれを耐えきり、頭突きを二発ほど浴びせて取っ組み合いが解けたところで後ろ蹴りを懐へ叩き込む。
「ウオラァァ!」
続いて打ち出された左拳の軌道を右手の甲で逸らし、右手で彼女の左腕を掴んで前蹴りを懐に入れる。その際、掴んだ左腕を思いっきり引っ張ったので脱臼する音が聞こえてきた。
女性としては整った顔を歪め、左腕をだらんとさせるエレミア。腕の状態を見る限り、どうやら本当に肩の関節が外れているらしい。
だけどそんなことに構うようなアタシではない。肩の脱臼を治すことなく右の拳を打ち込んできたエレミアだが、その一撃を意に介さず右のハイキックを左肩へピンポイントにブチ当てる。
「があぁぁぁぁっ!?」
外れていた関節から無理やりハメ直されるような音が聞こえ、同時にバキボキと粉々に砕け散る感じで肩の骨が悲鳴を上げていく。
しかも今まで経験したことのない壮絶な痛みでも走ったのか、さすがのエレミアも目を白黒させながら絶叫に等しい叫び声を上げた。
これをチャンスと見たアタシはすかさず追い討ちを掛けようとするも、再び膝をついたエレミアの射撃魔法を顔面に食らって一時的に視界を遮断されてしまう。
少しすると視界がクリアになったのでエレミアの方へ視線を向け、肩を押さえながらも立ち上がっている彼女の姿を捉える。
「いつつ……」
地面を蹴って跳び上がり、左肩を押さえるエレミアに渾身の蹴撃を繰り出すも上手く受け止められ、後頭部から投げ落とされた。
寝技を掛けられる前に右手を地面について身体を支え、跳ね上げた両脚でエレミアを蹴りつけた勢いを利用して起き上がる。
蹴りを食らって後退し、両手に魔力を纏って構えるエレミア。アタシもそれに合わせてパキパキと拳を握り込み、睨みを利かせる。
「クソボケがぁ!」
「アホンダラぁ!」
握り込んだ左の拳で彼女の顔を殴りつけるも、その直後に左拳を顔面に打ち込まれる。もう一度左でぶん殴ると、同じ左が顔面へ叩き込まれる。
殴れば殴り返され、殴られては殴り返すの繰り返し。そこにはガードも回避もなく、いつの間にかアタシのようなヤンキーがよくやる純粋な殴り合いへと発展していた。
こうなればこっちのもんだ。何故ならアタシの最も得意なやり方がこの殴り合いであり、エレミアよりも劣っている要素がほとんど関係なくなるからだ。……体調が万全だったらの話だが。
右、左の順に顔面を殴りつけ、左の拳を打ち込まれるもすぐに左拳で殴り返し、テンポよく右の拳をがら空きの腹部へブチ込む。
「かは……!」
「オラァッ!」
エレミアが息を詰まらせた瞬間にブチ込んだ右拳を引っこ抜き、あらかじめ後ろへ大きく引いておいた左の拳を彼女へ繰り出す。
直撃はヤバイと感じたのかとうとう両腕を交差してガードしようとするも、アタシの拳はそれをもろともせずに抉じ開け、顔面に突き刺さる。
ここで地面を強く踏み込んでいればエレミアの身体が吹っ飛んでいたのだろうが、そうはしていなかったため少し宙に浮く程度で納まった。
彼女はギリギリ倒れずに踏ん張り、アタシはいきなり目まいにでも襲われたかのように立ちくらみを起こし、倒れそうになったが両脚に力を入れて持ちこたえる。
そして間髪入れずに血だらけの右を振るうも、凄まじい拳圧が地面を削り取っただけで拳自体はエレミアの眼前で空を切った。
「はぁ、はぁ……チッ、クソが……」
ほんの少しだけ脱力した途端、整っていた息が急に乱れ始めた。身体を動かす体力はまだあるが、どうも精神的には限界のようだ。
それを察したのか、エレミアも構えながら左の拳に魔力を溜めている。何だかんだで向こうも肉体的には限界が来ているはずだ。左肩は実質的に死んでるような状態だし。
アタシもこれで最後だと言わんばかりに右の拳を、軽く血が吹き出るほど強く握り込む。ここで何の支障もない左を使うのは逃げでしかない。
拳から流れ出ている血がポタリと地面に落ちた瞬間、アタシとエレミアは立っている場所が陥没するほど力の籠った一歩を踏み出し――
「「――くたばれぇ!」」
互いに溜め込んだ拳を顔面に叩き込んだ。その衝撃で周囲の地面がちょっとだけ吹き飛び、足下にはクレーターが出来上がった。
エレミアもアタシもそのままの体勢で一、二分ほど静止していたが、
「っ……」
「ぁ……」
紙一重で繋がっていた糸がプツリと切れたかのように、ほぼ同時にぶっ倒れた。倒れ込む音が二重に聞こえたから間違いない。
そして仰向けになったまま、衝撃で破損したであろう大きな亀裂の入った天井を最後に、アタシの意識は少しずつ途絶えていった。
――いつまで続くんだろうな、この因縁。