「今の状況を、フィレスには知っておいてもらわなくてはね。」
「戦争の事?」
「それ以外にもある。」
「私自身の事も含まれるのかしら?」
自分とよく似た色の頭に手を置いたままアレスは「そうだ」と言った。クロムレア公はアレスの横に立ったまま、右手で顎を持ち左手で右肘を支えていた。両眼はじっとフィレスを見つめている。
それまで心地よかった空間は急に重苦しくなり、無言の重圧となってフィレスにのしかかる。新鮮な空気を求めて喘ぐようにフィレスは祖父のクロムレア公へ視線を動かす。
クロムレア公の紺色の双眸は、水色の視線を受け止めると小さく頷いた。
フィレスは胸に当てていたシフェルからの手紙を布団の上に置く。その上に自分の手を重ねた。少し頭を下げて手紙と自分の手を無言でじっと見つめていた。
今から聞く話は、自分にとって決していい話ではないのだ。それは兄と祖父の表情や様子を見れば容易に判断がつく。フィレスはきゅっと唇を噛んだ。
どのような内容であれ自分一人ではそれに耐えられないであろう。だが今この時、兄と祖父が同じ部屋でしかも自分の傍に居てくれる。パルティアの婚約者シフェルの存在を掌に、確実に感じている。
何とか耐えなければ。いや、耐えなければならない。自分の命を手土産にディパンへ帰還しろと姉は妹に言ったのだ。
「自分の居場所に戻れ!!」
燃えさかる炎のような赤錆色の髪と冷徹な緑青の双眸が、憤怒の表情を艶やかに彩った。
怒りの一閃はフィレスに痛み以外を与えた。
鋭い叱責の言葉の秘められた意味。セレスにお前が戦う場所は戦場ではなく宮廷だという事をフィレスは痛みと共に思い知らされた。
姉の思いに応えるべく、何より自身が己の両足で立って生き抜く為にも。フィレスは頭を上げてアレスの灰青色のそれをじっと見つめ、言った。
「大丈夫です、兄さん。」
ぴんっと空気が張りつめる中、ひと時の間をおいてアレスは口を開く。
「いいかい、フィレス。」
優しさを滲ませた兄の視線と言葉。今から語られるその意味を妹は全身全霊で受け止めようとしていた。
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アレスは言った。
「今、戦況は我々に有利だ。」
静かな口調で語られる内容は、戦況が対ロゼッタ陣営に対して有利であるという事。
セレスがフィレスに対して残した言葉を精査した結果、ロゼッタの宮廷魔術師ことゼノンの力の源がいくつかの候補の中で最も有力視されていた「隻眼の写本」であるとの結論に達したという事。
一息ついて灰青色をしたアレスの瞳は鋭い光を湛えた。
「ここからが重要なんだけどね。」
魔術師は稀少な存在であり、その力は絶大だ。ゼノンは更に「隻眼の写本」という力を自らの物としていた。
只でさえ魔術師は敵に回せば厄介な存在だ。その上に自力以外の力を得ていたという事実は、予想していたとはいえ重たいものであるのだ。
おそらくの域を出なかったゼノンの副力。力の強大さでいえば神々の落とした、いや戦乱の種として故意にミッドがルドへ落とした「隻眼の写本」の方が上であろう。
いくら強大な存在とはいえ、その力の源たる原因が判れば対応も可能である。対ロゼッタ陣営には最上の機密としてその事実を各国には既に通達してある。
おそらくは幾多の魔術師を輩出したパルティアが中心となって、対ゼノン策を練るであろうと。
「パルティアが・・・。」
呟きながらもほっとした表情をしたフィレスに対して、アレスはそうだよと言いながら目を閉じた。小さく息を吐くとゆっくりと瞼を持ち上げる。
冬の海を思わせる灰青色の双眸は、蒲公英色の頭から頬へと移動した手と共にフィレスを包み込んだ。
「対ロゼッタ陣営は、フィレスを担ぎ上げる。」
フィレスは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
兄を見つめる水色の目をしばたたかせて、小さく首を傾げる。
「どういう意味なの・・・?兄さん・・・」
言いながらも、思考が結論へ達したのか。フィレスの体は小さく震えていた。
「同盟の旗印として、フィレスを祭り上げるという意味だ。」
兄の声は、妹にとってその目の色と同じ冬の様に冷たく響いた。
驚愕の表情の妹に対して、兄は更に追い打ちをかける。
「決定事項だ。誰にも覆せない。」
膝の上で握り拳を作っていたもう一方の手も、フィレスの頬へと向かう。
「私は、そんな・・・」
アレスの温かい両手を頬に感じながら、フィレスは言葉を続けた。
「祭り上げられる様な結果を出してはいません・・・!!」
嫌だという感情よりも、冷厳たる事実を理由に拒否をするフィレスに対して兄は苦笑した。
「そう言うと思っていたよ、フィレス。」
優しい微笑みと同じくらいに優しい声が、フィレスに染み込んだ。
一連の様子を見守りながらクロムレア公はフィレスの冷静さに、アレスのフィレスへの理解に、感心すると同時に満足していた。
それでこそ我が娘の子供達である、と。
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アレスが語ったのは以下の通りである。
対ロゼッタの四ヶ国は秘密裏に同盟を結んでいたのだが、ここにきて戦況が同盟国側が有利に傾いてきた。
そこで秘密としてきた四ヶ国同盟を公然たるものにする。その旗印にフィレスを祭り上げるのだ。
「何故・・・、私な・・・の?」
既にフィレスの水色の瞳には涙が膜を張っていた。
アレスは、フィレスにとって辛い事実や言葉であってもあるがままを本人に伝える。
「国の上層部の連中曰く」
―――――裏切り者と成り果てた姉と正面から対峙し深手を負わせた。
―――――代償としてその片腕を、血の繋がった裏切り者の姉に奪われた悲劇の姫君。
―――――その姫君が、一致団結してロゼッタに対して対決しようと声を上げた。
「これ以上ない旗印だそうだ。」
アレスの声を聴きながらフィレスの顔色は徐々に青くなっていった。
自分の取った行動は国を或いは血縁者である兄や祖父を陥れかねないものであった、と今では理解してる。
姉の命を奪ったという事実があれば、帰国後の処分はそれ程厳しいものにはならないであろう。
そこまで読んでいたから姉は自分の命を獲れと命じた。姉の意図を知ったから、情が邪魔をして殺せなかった。
フィレスの中で感情が荒れ狂う。
私は、そんな名前だけの英雄になんかなりたくない!
同盟を組んでいたのなら、そのまま公表すればいい!
偽装役なら、もっと適任者がいるじゃないの!!
顔面蒼白で崩れそうになるフィレスを、席を立ち寝台に腰かけたアレスが支える。
「・・・に・・さ・・・・・ん・・・」
定まらない視線を漂わせ、がたがたと震えながらも残された腕でアレスに縋り付くフィレス。
我慢しきれなかった熱い雫が一筋、フィレスの頬を伝った。
「・・虚像・・・・だ・・・わ・・」
なんの実も無い、とアレスは思った。そして心の中でさらに続ける。
虚像でありながら実を手にすればいい、と。
クロムレア公は足音も立てずに移動すると、アレスが座っていた椅子に静かに腰を落とした。