百花繚乱   作:moon

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「何故、奴に慈悲を与えなければならない?」

 

クロムレア公の表情と声のあまりの冷たさに、フィレスは顔面蒼白になった。

今まで見てきたどの顔でもない、祖父の新たなる一面をフィレスは知る。

まるで縫い付けられた様にクロムレア公が持つ、自分達の母と同じ濃紺の双眸から視線を外すことができない。

「宮廷魔術師ゼノン、奴に死は生温い。」

アレスが呟く。

何故、兄までもこの戦争の元凶を生かす或いは放置するといった意味合いの事を言うのか。

納得がいかないフィレスはその事をようやく口にした。

クロムレア公は利用価値があるから生かすのだ、と答えた。

 

この期に及んで利用価値が、ゼノンにあるの?

フィレスは考える。

逆であれば、まだ話は解る。

ロゼッタ王とその血統は一人残らず処刑が待っている。

処刑されるロゼッタ王の身代わりに(ゼノンが全ての罪を背負い戦勝国が認めるという条件は必須だが)、ゼノンが成るというのであれば、殺す事に利用価値が出てくる。

宮廷魔術師ゼノンに操られた非業の王なるものを演出して、王はさっさとは幽閉する。

その後王統から幼い子供を選び出し、王冠を被せれば完璧だ。

罪を全てゼノンに被せ、幽閉して王の口を塞ぎ、傀儡の幼い王を残せば戦後統治は難問山積とはいえ、王を処刑するよりも容易くなるだろう。

しかしゼノンを殺すのではなく生かす事が反ロゼッタ側に利点が出てくると、兄や祖父が言う。

フィレスの頭の中で、思考が渦を巻いていた。

 

「よいかな?妹姫。」

思考の渦を断ち切るかのように、クロムレア公が口を開いた。

「我々の勝利でこの戦争は終わる。」

 

-----

 

問題は戦争が終わった後の戦後処理だ。

長きに渡りロゼッタを統治してきた王族ではない人間や組織が、戦後のロゼッタを支配する事になる。本意ではなくてもロゼッタ国民は受け入れるしかない。彼らは敗戦国民なのだから。

しかし、今までとは違う支配者が、今までとは違うやり方でロゼッタという国を支配運営していくのである。

何より敗戦国という現実は、国民生活に容赦なくそして直接的に反映する。

衣にせよ食にせよ住にせよ、流通量は今までと比べて確実に減り、価格は逆に上がだろう。

国民に還元されるべき益は、賠償金の名の下に戦勝国に吸い上げられる。

連合統治になるのか、分割統治になるのかはまだ決まってはいない。だがいずれにせよ、時の経過と共に他国による自国統治に民衆が不満を持つのは、火を見るよりも明らかだ。

「溜まった民衆の不平不満の矛先を、ゼノンに向ける。」

 

―――――その為に生かすのか。

思いも寄らぬ理由にフィレスは後頭部を殴られた様な衝撃を受けた。続く言葉に愕然とする。

「簡単だ。ロゼッタ王に戦争を吹き込んだのはゼノンだと、民衆に教えればいい。」

意図はともかくとして、内容は嘘ではない。紛れもない真実なのだ。

クロムレア公は、ロゼッタ国民の不平不満のガス抜きにゼノンを利用すると明言した。その為にゼノンを生かすのだとも。

おそらくは同盟国の意向でもあるとの結論に達したフィレスは、信じられないといった表情でアレスを見る。

「ロゼッタの問題はロゼッタ国民の手で解決すべきだよ。何故ディパンが手を汚さなければならない?」

「・・・でも・・・」

「仮にディパンが手を下したとして、その事実は大なり小なりロゼッタの反感を買うだろうね。小さな感情でも時と共に育っていけば、ディパンに対する反感が反乱という形を取る可能性だって出てくる。」

だがロゼッタ国民がゼノンを殺めたのであれば、彼らは誰の所為にも出来ない。

自国民を自国民が殺した、ただそれだけの事だ。

アレスの言葉に、ここまで徹底するのか、とフィレスは戦慄した。

自分以外の人間を、時には自身さえも駒として扱ってきた男が、今度は己の与り知らない内に敵国の駒にされる。何もかも失った男には、防ぐ手立てが無い。

戦いに闘争に負けるというのは、こういう事なんだ。

今日はいい天気で室内も過ごしやすい温度なのに、何故かフィレスはぞくりと背中に冷たさを感じた。

 

アレスは尚も続けた。

「ディパンは、四方を海に囲まれている。だがら隣国といえば、海の向こうにある国だ。

でも、この戦争の当事国でもあるパルティアやアークダインは違う。」

「地続きという意味?」

「そう、だから戦争難民の流入や移民といった懸案事項は、絶対にしかも複数出てくる。」

「あ・・・」

「事はロゼッタだけの問題ではないのだ。影響は周辺国にも必ず出てくる。」

「お祖父様の言う通りだ。フィレスはこれからパルティアに、周辺国であり該当国へ嫁ぐんだよ。」

敗戦国とはいえロゼッタ国民がディパンに対する感情に影を落とす可能性が発生する手段は、フィレスの件が全てではないにせよディパンとしては極力避けたいのが本音だ。

妹の「これから」を思いやる兄の声は続く。

「我々のディパンと大陸の同盟国とは、まあ同盟国に限らずだけど、地理的条件が全く違う。」

「だから、ゼノンの件は大陸側の同盟国が判断する、だったなアレス?」

「はい、お祖父様。いくら落ちぶれたとはいえ、彼の熱狂的支持者が全ていなくなった訳ではない。そういった支持者に担がれて反乱など起こされてはたまったものではない、とあちらは考えているのではないでしょうか。」

「下手に札を温存して事態が大きくなる前に、といったところだな。」

「気にすべきは、大陸側はゼノンという札をどのくらいの期間持つかですね。」

「さっさと切るには惜しい札だ。」

「使うなら一番効果的に使いたい筈。誰でもそう考えます。」

「我々とて同じだ。当分は民衆とゼノンの様子の両睨みになるだろうよ。」

戦後処理は既に始まっている。

まだ幼さを残す年齢のフィレス。本人は意識していないが、今回クロムレア公とアレスの話を聞くという事は政(=まつりごと)というものの一端に触れる事でもあるのだ。

クロムレア公とアレスは故意にそういう話をしている。

その理由をクロムレア公が口にしようとしていた。

 

 

クロムレア公が腕組みを解いて伸ばす。

節くれだった指と大きな手のひらが自分へと向かってくるのじっと見つめるフィレス。

「妹姫の気持ちは解る。誰だって奴を殺しても殺しても、殺したりないと思っている。だが、感情を納めなさい。」

それは今回の件に限らず、今からフィレスの身に降りかかるものも意味していた。

クロムレア公の手はフィレスの蒲公英色をした頭を、そっと撫でた。

「時にそれは勇気が居る事だよ、フィレス。」

フィレスは小さく頷いた。

「これからが大変だぞ。」

「はい、お祖父様。」

まだ泣く訳にはいかないフィレスの笑顔は・・・歪んでしまった。

歪んだ笑顔を見せたくなかったのだろうか、そのまま俯いた。

 

感情を抑える孫娘を見ながらクロムレア公は思う。

戦争を早く終わらせたい一心で国を出奔した事は、褒められたものではない。

だが戦争を「止める」ではなく「終わらせる」と考えるあたりは、甘い夢想家ではなく現実がしっかり見えているのだろう。

戦争を終わらせる為にディパンを、自分を贔屓にしている国王を、国王の感情さえも利用しようとした。

己を取り巻く環境を客観的に見れる視野と、親子の情さえも利用するという手段を選ばないある種の非情さ。

これからの苦難に打ち勝つ為に必要なものを、拙いとはいえフィレスは持っている。

我々が導けば、道しるべを示せば、頭のいい子だ。

楽な道ではないにせよ、応える事が出来るだろう。

だからこそ、虚構の中で実を取らせる術を、告げるのだ。

周りの思惑に振り回されない為に、押し寄せる悪意に潰されない為に。

何より花の様に明るく笑う、その笑顔を失わせない為に。

クロムレア公の祖父の大きな掌は、蒲公英色の頭から静かに離れた。

 

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「学びなさい、フィレス。」

クロムレア公の言葉に、はっと顔を上げるフィレス。

「連中が祭り上げるというのなら、せいぜい祭り上げられていればいい。」

一言一句を聞き逃さまいと、フィレスは祖父を真摯な瞳で見つめる。

 

「フィレス、お前の事を単なるお飾りだと思わせておきなさい。」

思う事があっても、決して顔には出さずに完璧にお飾りの英雄を演じなさい。

重要書類や案件をお前が見ても聞いても理解できないと判断させなさい。

そうすれば、連中は油断し隙ができる。

一部の人間のみ目にする事が出来る情報に、触れる機会が増えるだろう。

その場では理解出来なくても、いいのだ。

理解する為の努力を続けてさえいれば、点と点が線に繋がり、一つの形を成した時に、あの時触れた情報の意味が何を意味していたのか理解できる。

数か月なのか数年後になるかは判らないが、その時は必ず来る。

厚みを増す知識や見識は血となり肉となり、やがてフィレスを守る盾となる。

「学んで得た物がフィレス自身の身を守る。自身の身を守る事が、ひいては生まれた国や嫁ぐ国を守る事に繋がるのだ。千載一遇のこの機会を最大限に活かしなさい。」

 

アレスがクロムレア公の後を受ける。

「各国の名だたる外交官の交渉に参加できるんだよ。フィレス。」

外交の最前線を目の当りに出来るなんて、羨ましい。

正直、替わってもらえるものなら替わって欲しいよ。

それくらい彼等の交渉を実際に目にする事は、何よりの勉強になる。

腹の探り合い、偽情報の混ぜ方、その偽情報を使ったブラフ。

彼等の条件は全てが真実ではない。真実の中に何割かは虚偽を混ぜる。

それらをどうちらつかせ、落としどころをいかに自国に有利になるように持っていくか。

これらの交渉術は宮廷にも応用できるからね。

すぐに理解する必要はない。今はただ、起きた事を正確に記憶しておけばいい。

自分より優れた相手の技は、目にするだけでも十分な価値がある。

「お祖父様と僕はフィレスにそれが出来ると思っていて、たった今確信した。得れるものは全て自分のものとしなさい。」

 

 

「はい。」

凛とした声は、水色の視線と同様に真っ直ぐに通る。

アレスとクロムレア公は互いに視線を交わした。

 

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