紅き翼の機巧神対白い犬   作:一条 秋

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紅き翼の機巧神対白い犬

 暗雲深まる空の下、ドーヴァー海峡の中間辺りにある島――というよりも直径20キロはあろう巨大な岩礁に、全長50メートルを誇る白い巨人がイギリス側を背にして佇んでいる。

 全体的に細く精巧な人の形をした造りは古代の神像を想起させ、特に人の顔をほぼ完全に模し、一対の白い翼を備えた頭部には、どこか神聖さを感じてしまう。一方、各関節から覗く骨組みは僅かに届く光を紅く反射させ、筋繊維を思わせる赤味は無機質になりそうな巨人に生々しさを与えている。総合的な印象は、美しさの中にも狂暴な力強さを感じさせる、だろうか。

 そんな巨人の胸の中、そこに納まる巨大な球の内部には、1人の少年と3人の乙女型自動人形(オートマトン)が、いずれも僅かながらに緊張を含んだ顔で何かを待っている。

「当てにしてるぜ、ラーゼフォン・(くれない)。俺の相棒」

ヴァルプルギス王立機巧学院の制服に身を包み、腕を組んで佇む少年――赤羽(あかばね)雷真(らいしん)は、周囲の景色――荒れ気味の海と殺風景な岩礁――を映した球の上を見上げながら、自らを納める巨人――ラーゼフォン・紅に呼び掛ける。

 と、前に並んで立つ3人の内、黒い長髪に黒い着物の様なものを着た乙女――月の夜々(やや)が膨れた顔で振り返る。

「雷真の相棒は夜々です!それをこんな木偶の坊に……」

「こら!そんな言い方すんな。これから一緒に戦うんだぞ」

「そうだぞ夜々!大事を前にした雷真殿の気を逸らすな」

注意する雷真に続く形で、夜々の左隣に立つ白い長髪に青い着物を着た乙女――雪のいろりが叱る目を寄こす。

「いろり姉さま……だって……」

「新しい子に雷真を盗られちゃうのが心配なんだよね?夜々姉さまは」

小紫(こむらさき)も変な言い方すんな」

左右に結った茶髪に紫色の着物を着た乙女――花の小紫に注意を飛ばすと、雷真は3人を見回す。

「もちろん、お前たちも当てにしてるぜ。俺と、お前ら雪月花(せつげつか)と、紅、みんなで戦うんだ。俺たちの後ろには学院が……あいつらがいる。だから、負けは許されない。頼んだぜ!」

「「「はい!」」」

三姉妹の息の合った返答に、雷真は心強さを覚える。

 直後、

「!……おいでなすったな」

紅を介して上空から鋭い威圧感を感じ、雷真は鋭さの来る辺りを見上げる。

 三姉妹にも伝わってか同じ辺りを注視すると、暗雲の中から白い人型が下りてくる。

 大きさは10メートル程と紅の1/5くらいしかなく、紅とはまた違う形で人の形を模した造りではあるものの、紅程ではないが人のそれを模した顔と頭部に途中で折れた様な一本角がある意外目を引く特徴はない。

 が、いるだけで周囲を圧迫する様な威圧感は紅に劣ることなく、紅にも負けない狂暴な力強さを抱かせてくる。そして紅越しにこちらを見据える緑色の2つの目には、強い意志を感じさせる。

 紅の目の高さで滞空すると、相手が語り掛けてくる。

(そこを退いていただきたい。こちらにもやることがあるので)

穏便な語調の、しかし有無を言わせない意志を含んだ若い男の声が響く。

 それに対し雷真は、

「断る」

こちらも有無を言わせない意志を乗せて即答し、紅の赤い目を介して白い人型を見据える。

「あんたは何で学院を攻める?あそこを攻撃するといろいろと面倒だぞ」

(オーナーの指示です。僕はそれに従うだけ……強いて言うなら、あそこには“危険なもの”が、それこそ使い方を誤れば世界を危険にさらしかねない“もの”がたくさんあるようなので。見過ごすわけにもいきません)

雷真の問いに、男は静かに答える。

(今度はこちらが訊きたい。何故君たちは立ちはだかる?その後ろにあるものを守る理由はなんだ?)

「あそこを攻撃すると面倒だって言ったろう。俺の個人的事情にも関わるしな。それに……あいつらが傷つくかもしれない可能性を見過ごせない」

男の問いに、雷真は冷静に返す。

 と、

(…………どうして僕はこんな気持ちのいい奴とぶつかる役回りなんでしょうね……君の様な人とは違う場所で会いたいのに)

男は惜しむ様に、いつも不本意なことをさせられることに不満を漏らす様に呟く。

(最後に訊きたい……君の名前は?)

「……赤羽雷真……あんたは?」

(……とりあえず、『白い犬』、とでも名乗っておきましょうか。赤羽君)

名乗れないことへの悔しさを滲ませた声で応じると、男――白い犬は左脚と拳を握った両腕を前に出し、紅越しでも伝わってくる戦意を放ち始める。

「!……こいつは、とんだ化け物だな」

「「「!」」」

もともと鋭い感覚に加え、紅を介して伝わってくるその気に、雷真は軽い調子で言いながらも白い犬を見る目を一層険しくし、三姉妹も各々身構える。

 今、両者が戦わない可能性は消えたのである。

(君の様な者とやり合うのは気が進まないが、やるからには全力でやらせていただく。手加減などしません)

「俺だって、負けるわけにはいかねぇんだ。だから……全力で行かせてもらうぜ!」

最後は叫び声で返すや、雷真は紅に地面を蹴らせて白い犬に接近する。

 白い犬も背部の円形の溝を吹かして紅の懐に迫り、腰に引いた右拳を胸部に放つ。

 が、

「夜々!」

「はい!」

拳が放たれる一瞬前、雷真は夜々に右手をかざして魔力を飛ばし、夜々の魔術回路〈金剛力(こんごうりき)〉を起動させる。それは夜々を介して紅に伝わり、紅の装甲強度を向上させる。

 直後に白い犬の拳が入り、損傷こそないものの紅の体が数メートル押し飛ばされる。

(〈金剛力〉による強度向上、それに操者の負荷軽減ですか)

「よく調べてんな」

白い犬の推測に、本来なら骨が砕ける様な激痛が走っている胸に少し押された程度の感触を覚えながら雷真は応じる。

(オーナーから君の相棒たちに関する情報は聞いていますよ)

「つっても、こんなデカブツを拳一つで動かすそっちも凄げぇがな」

 あまりのことに顔が引きつりつつも努めて軽い調子で応じながら、雷真は思案する。

―あの大きさでこの力、おまけに飛び回って狙いも定めにくい。近づいて仕留めるのは悪手か……なら!―「いろり!」

「はい!」

断じるや、今度はいろりに魔力を飛ばし、いろりの魔術回路〈氷面鏡(ひもかがみ)〉を起動させる。

 途端に紅の周囲に分厚い氷の壁が生成され、巻き込まれた白い犬はそのまま氷漬けにされてしまう。

―よし!これであとは……―

 と、雷真が次の手を打とうとした直後、

「!?」

白い犬の各関節を覆うカバーが開いて骨格が露出すると同時に赤い燐光が輝き出し、一瞬後に氷の壁を突き破って上空に脱出してしまう。

(いやはや参った。とんだ戦略兵器ですね。ニコイチでなかったらどうなっていたか)

先程よりも伸びて刀身のような鋭い形になった一本角、それを頂いた頭部でドーナツ状に発生した氷壁を見下ろしながら、白い犬は感心の声で言う。

―アイツの馬鹿力は底なしなかよ!?それにあの姿、戒めを解いたか……クソ!―「小紫!」

「はい!」

 心中に唾棄したのも一瞬、相手の隙を突く発想に切り替えた雷真は、小紫の魔力を飛ばして魔術回路〈八重霞(やえがすみ)〉を起動させる。

 相手の五感を支配し幻影を見せる機能を、今は透明化に用いて紅の姿を隠し、そのまま白い犬の背後に回り込んで右拳を打ち込む、そのはずだった。

 しかし、

(失礼。ニコイチには幻影は通じませんよ)

「!?」

振り返りざまにしっかりと紅の目を見て言う白い犬に、右腕を引いていた雷真は一瞬固まる。

 そしてその隙を逃すことなく、白い犬は右手に燐光を集めて刀身を形作り、すれ違いざまに紅の左脇腹を斬り付ける。

「!」

自身の同じ箇所に切り傷の痛みを覚えつつ、雷真は白い犬を追って振り返る。

―マジかよ。幻影がダメ、いろりの広範囲攻撃もダメとなると……―「結局悪手に訴えるしかねぇか。夜々!」

「はい!」

 断じるや、再び〈金剛力〉を起動させ、その巨体とは裏腹に俊敏な動きで白い犬に接近する。

「!」

間合いを詰めるや右腕を腰に引き、〈金剛力〉の効果で強度が増した右正拳と繰り出す。

 が、白い犬は突き出した左腕に燐光を纏わせ、紅の拳を受け止める。

(原理こそ違いますが、こちらにも一時的に機能を向上させる仕組みがありましてね。もっとも、あまり長く持たないので……すぐに決めさせていただく!)

 言うや白い犬は紅の拳に飛び乗り、伸び切った右腕をつたって紅の頭部に接近する。

「そう上手くいくかよ!」

叫ぶや雷真は左人さし指を伸ばし、その先から糸状に練った高密度の魔力――紅翼陣(こうよくじん)を放つ。同じく指を伸ばす紅を介して放たれた紅い糸は白い犬の胸部に当たり、次の瞬間痙攣でも起こした様に震えるや、白い犬は硬直して腕から滑り落ちる。

「ここだぁ!」

すかさず雷真は〈金剛力〉で強度が増した紅の右足を上げさせ、落ちていく白い犬を蹴り上げる。

―よし!―

紅を介して感じた確かな手応えに、小さな喝采を上げる。

 白い犬は両腕を前に出して受けるものの、鈍った感覚に踏ん張り切ることができず、放物線を描いて先程の氷壁に叩き付けられる。

 が、

(……機体を介して放った紅翼陣でこちらの繋がりを妨害、体勢が崩れているところに一撃ですか)

自身に起ったことの推測を述べながら、白い犬は硬直から脱した様子で崩れた氷壁の中から立ち上がる。

 そんな白い犬の様子、なによりも蹴りが直接当たった左腕に開いた大きな亀裂に、雷真は内心驚愕する。

―……紅翼陣で妨害して、〈金剛力〉で強化された紅で思いっきり蹴ったんだぞ?……それであの程度なのか!?―

致命傷、せめてそれに近い損傷を負わせられるという予想は外れ、まともな傷をつけるだけでこれだけの労力を必要とする相手に、思わず膝が笑いそうになる。

(ですが、そう何度も出せるものでもないのでしょう?それに……)

「!」

 白い犬が言い切る前に雷真は再び糸を飛ばすが、相手の姿はすでにそこになく、瞬間的な加速で紅の脚をくぐって後ろに回り込まれてしまう。

(当たらなければね!)

叫ぶと同時に白い犬は紅の後頭部まで上昇し、その勢いのままに燐光を纏わせた右足で飛び蹴りを食らわす。

「!」

〈金剛力〉で強化されているにも関わらず紅の装甲にヒビが入り、雷真自身の後頭部にも鈍器で殴られた様な激痛が走る。

「うっ!?…………」

瞼の裏に星が光って一瞬意識が遠くなり、そんな雷真の状態を引き映す様に紅が膝を着く。

 直後に白い犬は正面に回り込み、紅の額に右蹴りを見舞う。

「!」

今度は雷真の額に激痛が走り、紅は蹴られた箇所にヒビを作って仰向けに倒れる。

「雷真!」

「待て夜々!その場を動くな!」

崩れ落ちる雷真を見て駆け寄ろうとする夜々に、いろりの叱責が飛ぶ。

「姉さま?でも……」

「奴はまだいる。今まともに対抗できるのはお前だけだ」

「……そうだ。持ち場を動くな……」

いろりに続いて絞り出す様に言うと、雷真はまだ若干視界がぶれる目を上に向ける。

 視線の先には黒雲を背にした白い犬が、膝を着く紅を見下ろす様に滞空している。全身から溢れる赤い燐光と合わさって、業火を纏った鬼の様である。

「小紫、悪いが肩貸してくれ……」

「え?でも今夜々姉さまに動くなって……」

「奴に〈八重霞〉は効かねぇ。それなら、ここに来て立ち直るの手伝ってくれ」

「……」

 雷真の頼みに小紫は姉2人を見やり、「行ってやれ」と視線で言われるやすぐに駆け寄って横から体を支えてやる。

 その間、白い犬は何かを待つ様に紅を見下ろしていたものの、

(君の“力”はその程度か?)

痺れを切らしたのか、静かにそう呟くと、右腕を腰に引く。途端に腕全体が赤く輝き、特に拳は暗雲の下にあって快晴さながらの輝きを放つ。

―これまで……なのか……―

その禍々しくもどこか美しい光景に、雷真は必殺の一撃を覚悟する。

 が、直後、

(『あいつら』ってのを守るんじゃなかったのか!)

「!」

白い犬の叱責が雷真の耳を打つ。

 必殺の構えをとった白い犬がゆっくりと迫って見える中、雷真の中に再び熱い想いが沸き起り、紅の各関節から覗く骨組みが紅く光り出す。

―そうだ。俺の後ろには学院が……あいつらがいる。そして目の前にはこいつらが……だから…………―「負けられねぇんだぁ!」

絶叫という形を持って放たれた熱意、それを表す様に関節の光は輝きを増し、それまで赤かった紅の目が金色に、頭部の翼が白から紅に変わる。

 一瞬の変化を終えるや、紅は素早く右に転がって跳ねる様に起き上がり、直後に紅がいた辺りに白い犬渾身の右正拳が放たれ、爆発的な砂煙が上がる。

(ようやく本調子か)

左手で砂煙を払いながら、自身の作ったクレーターの中央に直立した白い犬は、名前の如く紅く耀く紅を見据え、

(そうでなくては!)

地面を蹴って高度を上げながら紅に迫る。

 同時に、

「いろり!」

「はい!」

雷真は左手から糸3本をいろりに飛ばし、膨大な魔力を受けた〈氷面鏡〉が大量の氷の槍を白い犬に差し向ける。

 白い犬は右手に形成した光の手刀で捌きながら上昇を続けるものの、僅かだが速度が落ちてしまう。そして、それを見逃す雷真ではない。

―ここだ!―「夜々!」

「はい!」

夜々に右手から5本の糸を飛ばすや、動きの鈍った白い犬に紅の左拳を放つ。

 白い犬は左腕を出して受けるものの、先程以上に強度と威力を増した拳を受け止めきることはできず、そのまま後ろに飛ばされる。

 しかし、

「!?」

白い犬が吹き飛ぶ一瞬前、雷真は左手の指の付け根に骨を斬られる様な激痛を覚え、紅の同じ箇所に深い切り傷を、氷壁に叩き付けられる白い犬の右手に光の手刀が輝いているのを確認する。

―飛ばされる前にカウンターを決めやがったか。今ので左手はダメだな……だが―「右腕が無事なら充分だ!」

束の間抱いた不安を叫びと共に捨て切ると、崩れた氷の中から飛び出した白い犬を見据える。

 ゆっくりと紅の頭部の高さに上昇する白い犬は、装甲が大幅に欠けた左腕を筆頭に所々に傷がつき、そこから漏れる赤い燐光と合わさって血を流している様に見える。

―…………それは、こっちも同じか……―

雷真も紅の状態を確認し、所々つけられた深い傷から赤い燐光が血の様に漏れる様子に自嘲する。

「お互いになんて(ざま)だよ……だいたい、そっちもそろそろバテてるだろう?」

(仰る通り。もっとも、今までよく持ったでしょう?お互いにね……それも次が最後だ)

どこか誇らしく、最後は静かに応じると、白い犬は左半身を前に出し、右腕を引いて拳に光を蓄える。雷真は呼吸を整えると魔力の糸を練り、いつでも飛ばせるように左手をかざす。

 互いを見据える目と目が合った、刹那、

(あさぁぁぁ!)

白い犬は気合いを上げ、その叫びを表す様に頭部の下顎が動いて大口を開けながら紅の懐に入り、赤く煌々と輝く右正拳を球を内包している胸部目掛けて放つ。

 対して、

「いろり!」

「はい!」

雷真は5本の糸をいろりに飛ばし、白い犬の上空に小山程はあろう巨大な氷塊を発生させる。

 動揺を見せたのも一瞬、白い犬は咄嗟に右拳を氷塊に向け、一撃の下に粉砕する。

「今だ!」

それを隙と見た雷真は右手をかざし、夜々に糸を飛ばそうとする。

 が、その一瞬前、

「ハァァァァァァ!」

白い犬は雄叫びを上げながら頭部を頭突きの要領で突き出し、赤い光を纏わせた角で紅の胸部を縦一の字に斬り付ける。

「!」

〈金剛力〉の作動が間に合わず、装甲を突き破って白い犬の角が侵入し、雷真の胸にも斬られた様な激痛が走る。

 しかし、

「夜々!」

「はい!」

そんなことに構わず、寧ろ痛みを吹き飛ばすつもりで腹の底から叫び、右手から5本の糸を夜々に飛ばし、紅の右拳を横から殴り付けて白い犬を氷壁に叩き込む。

 崩れた氷壁に白い犬が埋もれるのを見たのも一瞬、雷真は両手で印を結び、呼吸を整え、全身に魔力を行き渡らせる。

―紅翼陣に三つの関門(もん)あり――〈十重(じっちょう)〉〈十束(じっそく)〉〈十厘(じゅうりん)〉なり……―

紅翼陣のなんたるかを心中に復唱しつつ、自身が今背にしている者たちの顔が浮かんでくる。

 目の前にいる三姉妹たち、乱暴だが根は優しい者、気弱そうだが芯の強い者、反りが合わないがいざという時信頼できる者、目立たないが頑張り屋な者、頭が冴えるが支えを欲している者、不器用だが一途に自分を想ってくれる者……。

 他にも多くの顔が浮かぶ中、ふらつきながらも氷塊の中から起き上がった白い犬を見た雷真は、

「行くぞ!夜々!」

叫ぶと同時に両手の指から練りに練った紅翼陣の糸10本を夜々に飛ばす。

「はい!」

返事と共に最大出力で起動した〈金剛力〉の効果が紅全体に行き渡り、圧倒的な剛性を備えた右拳を腰に引く。

―頼むぜ夜々!そして……―「ラーゼフォン・紅!この一撃で……決める!」

断言に応える様に紅の体中から放たれる燐光が右腕を覆い、燃える様な拳を形作る。

 その間にも何とか持ち直した白い犬は急上昇して距離を取ろうとするが、

「オォォォォォォ!」

雷真は絶叫し、それを引き映す様に紅の口も大きく開く。同時に地面を蹴って一瞬で距離を詰め、〈金剛力〉による強化と燐光による補助、跳ねた際の運動エネルギー、掛け替えのない人たちへの想いを載せた拳をその胸部へと繰り出す。

―取ったぞ!―

紅と通じて感じた確かな手応えに、心中に喝采を叫ぶ。

 しかし、

―!?……野郎、このタイミングでよくも!―

手応えに混ざって感じる微かな違和感、その正体を捉えた雷真は、思わず奥歯を噛み締める。

 全身全霊の拳がまともに当たった白い犬は胸部に蜘蛛の巣状の割れ目を作り、黒雲に向って吹き飛ばされていく。が、その正面、特に胸周りには赤い燐光が壁の様に集まり、威力のいくらかを殺したことを――トドメを刺せなかったことを物語っている。

 光の壁を消すや白い犬は見えない足場を踏みしめる様に雲のただ中で急停止し、その勢いで周囲の雲が晴れてさんさんと輝く太陽が覗く。

 着地した雷真は体勢を整えるや、目を細めながらも上空に滞空する白い犬を見据える。

 左腕を筆頭とした各所の傷と胸に割れ目を負った姿は当初の力強い印象を多少削いだものの、背後に輝く太陽が後光の様になってそうした負の印象を押し流してしまう。加えて依然こちらを凝視する目は太陽以上にギラギラと輝き、使い手の強い意志を乗せた視線を投げ掛け、後光以上の威圧感を与えてくる。

「……」

もっともそれで怯む雷真ではなく、こちらも紅を介して一歩も退かない視線を向ける。

 が、同時に自分の置かれた状況に項垂れそうになる。

―各部の傷はまだ大したことねぇ。だが、左手が潰れちまってるし、魔力も今のデカいの一発の所為でもう殆ど残って……いや、そもそも……―「うっ!」

「雷真!?」

突如襲ってきた疲労感に倒れそうになるものの、小紫に支えられ、両脚を無理やり力ませてなんとか踏み止まる。

―体力には人一倍自信があったんだがな……それも流石に限界か……―

気を抜けばまた崩れそうになる体を、白い犬への緊張感と意地でなんとか立たせ続ける。が、そんな空元気も時間の問題であることも充分理解している。

―どうする!?……―

 と、

「!」

白い犬は紅の頭の高さまで降下し、視線を合わせた雷真は身構える。

 が、

「……?」

白い犬はおもむろに両腕を高く上げ、敵意無しを示す体勢になる。同時に直前まで放たれていた紅越しにも圧迫する様な戦意が消え去り、各関節からの燐光が消えてカバーが閉じる。角も縮んで元の長さに戻ると、割れた胸部上部が前に迫り出して黒いスーツ姿の男を乗せた座席が出てくる。男も同様に両腕を高く上げている。

 と、

(状況が変わりました。もう終わりです。何もしません)

「え?…………」

紅を介して拾った男の唐突な言葉に、雷真は束の間理解が遅れる。

 そして、

「はぁ!?」

理解が追いつくや疲れも忘れて間抜けな声を上げ、小紫に支えられながら正面――紅の胸部の割れ目に頼りない足取りで歩み寄る。それに連動して胸部の装甲が大きく開き、そこから身を乗り出して男――白い犬をまじまじと見る。

「何もしないって……どういうことだ?」

未だ混乱する頭で問いつつ、雷真は白い犬を観察する。元来目はいい方なので、この距離でも白い犬の細部を捉えることができる。

 上着とワイシャツのボタン、黒いネクタイをしっかりと締め、厚レンズのメガネを掛けた姿は、戦闘行為の関係者というよりも役人か学者を連想させ、こうして目の前にいながらも今まで自分と一進一退の激闘を繰り広げた者と同一人物とは信じられない。顔には多分な疲労が浮かんでいるものの、その表情はどこか満ち足りた様な、久々に満足のいくことが行えた様な、清々しいものである。

 雷真の問いに、白い犬は静かに応じる。

(オーナーから別命が入りまして。それにこんな状態で行っても、当初の目的は果たせないでしょう……そもそも、どうあっても行かせてはくれないでしょう?)

「……確かにな」

満身創痍の機体を見やりながら、雷真は同意しつつ牽制の視線を向ける。

(……引き分け、と言いたいところですが……僕の負けですね)

「え?」

微笑みを浮かべて言う白い犬に、雷真は意表を突かれる。

(そうでしょう?君は君の目的を……仲間を守るという目的を果たした。対して僕は、今から行ったとしても、おそらく何もできないでしょうね。そもそも行かせてくれないのでは何もできない。どう考えても君の勝ちです)

「……随分と潔いいな」

(そういう主義なんですよ)

「……」

満足げに話す白い犬に、雷真は先程までの緊張感や意地とは違う、強いていうなら“親しみ”の様な感覚を覚える。

 と、白い犬は一層頬を緩める。

(……可笑しなものです。あっさり負けを認めたり、戦闘中に叱ったり、敵対しているのにこうも口数が多くなる相手は久々です)

「…………そうなのか」

微笑みながらの白い犬の独り言に、雷真は少しだけ興味を持つ。

 白い犬は自身の両腕を下ろし、

(そうなんですよ……可笑しいついでに、もう1つだけ……本当はダメなんですが、前にもやったことだし、今更いいでしょう。名乗らせていただきます。加藤(かとう)光秋(こうしゅう)といいます。そしてコレが、我が相棒ニコイチ)

と、右手で座席から生えた棒を叩いて示す。

(またの名を、白い犬です!)

 よく通る声で言い切ると、白い犬――加藤光秋は機体をゆっくりと上昇させていく。

(縁があったらまた会いましょう。その時は、お連れの方々を紹介してください。それでは。雷真君)

言うと機内に戻って胸部の扉を閉め、雲の切れ目に向って急上昇していく。

「加藤……光秋……」

遠くなっていく影を目で追いながら、雷真は静かに呟く。

 と、

「!?……」

危機が去ったと認識した体から力が抜け、いよいよ限界に達していた両脚が膝を着く。それを引き映す様に紅も両膝を着き、その間に各部から漏れる燐光が消え、金色になっていた目が赤に、紅くなっていた頭部の翼が白に戻る。

「雷真!?大丈夫?」

「はぁー、はぁー……」

小紫に支えられながらも崩れる様に両手も着くと、雷真はどっと沸いてきた疲労感に呼吸が荒くなる。

「雷真!」「雷真殿!」

 夜々といろりも血の気が失せた顔で歩み寄ってくると、雷真はどうにか呼吸を整え、腰を下ろして3人を見やる。

「やれやれ、とんでもねぇ化け物……否、化け犬に出くわしたもんだぜ」

終わったという実感を得るため、加えて顔面蒼白な3人への気遣いから、努めて軽い調子で先程の戦闘の感想を述べる。

「それにしても、おかしな奴だ……った……?」

そこで空元気も尽きたのか、雷真の上体は糸が切れた様に後ろに倒れる。

 気付いた夜々が慌てて回り込んで体を受け止めるや、今にも泣きそうな顔で呼び掛ける。

「雷真!しっかりしてください!」

「…………悪い夜々。今回ばかりは……げん……かい……だ……」―それでも……俺は…………―

限界に達した疲労に意識を手離す直前、雷真は球の景色が消えて周囲が闇に包まれるのを意識の隅に捉え、脳裏に背にしていた者たちの顔が過る。数瞬後には開け放たれた胸部から射し込む日光に照らされながら、微笑みを浮かべる三姉妹に囲まれて穏やかな寝息をたてる。

 そんな一行を胸の内に納めたラーゼフォン・紅は、雲の切れ目から降り注ぐ太陽光を一身に受け、役目を終えた様にその顔を頭部の翼で覆うのであった。




 本編の後に補足を掲載します。合わせて読むことで本編をより一層楽しんでいただけるかと思います。
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