「もう少し共に闘いたかったがな。」
ソロンの声に応える、もう一つの声。
「解放の時だ、ソロン。」
金色の髪をした戦乙女から発せられた声はソロンへと向かう。
エインフェリアとして選定、召喚されたがまさかその先に「解放」があるなどと、はソロンにとっては思いもよらぬ事であった。
一般に考えられているエインフェリアとは神々と同じ時を生き、命を落とすと同時に消滅するものだ。消滅した魂は、輪廻の輪流れに乗ることは決して無く、文字通り「消えて滅する」。だがソロンの前に立つ戦乙女シルメリアが言った「解放」のとは、エインフェリアとしての時は終わり、人間として再び生きるという事だ。良い意味で捉えればまさしく「解き放たれる」であろう。しかしソロンの場合は「また捨てられた」との思いが強い。
「もう俺がいなくてもいいんだな?」
吐き捨てる様にして言った台詞は、シルメリアに対しての問い掛けではない。形としては疑問形であるが、自分自身が確認するための言葉であった。
人間の時に再び戻っても帰る場所などとうに無い。おまけに行く当ても無い。
解放なんかより、命が磨り減るまで、命が無くなるまで使役された方がマシだ――――
そんな思いが顔に表れたのか、ソロンは眉間に皺を寄せて口をへの字に曲げた。
不満がありありと浮かんだソロンを見つめるシルメリアが困ったように笑いながら首を傾げる。
緑の瞳が火を隠した焦香の瞳をじっと見つめ、人差し指でソロンの胸を指して静かに言った。
「面白い物を首から下げているな。」
今の今まですっかり忘れていた、ヤモリを象った金色の首飾りをソロンは思い出した。慌てて胸元から取り出して、シルメリアと自分の前に掲げた。
「綺麗なものだ。」
陽の光を浴びてきらきらと光る鎖と透かし模様のヤモリがそこにあった。
神とエインフェリアは、しばし無言で眩しいそれを眺めていたのだが、先に口を開いたのはシルメリアであった。
「ヤモリ、家を守るか。」
ソロンはシルメリアの声を聞きながら無言で輝きを見つめる。
大したものだ、その者も、その主も。続いた言葉を聞いたソロンは小さく笑った。
「そうだな、ソロンの場合は解放というよりは『帰す』という意味合いが強いかも知れない。」
ソロンはシルメリアの言葉に反発する。
「俺にはとっくの昔に帰る場所なんて失くした。」
先ほどまでの笑みを消して、様々な感情を押し殺すように呟いたソロン。シルメリアはいずれ解る時が来ると言いながら翼を広げる。
羽ばたきと同時に白い羽が舞い散り、戦乙女は空を目指して羽ばたいた。
ソロンは空を見上げる。鎖を握ったままの手を翳して陽を除けた。蒼穹の鎧と白い羽は光の中に溶け込んでもう見えない。金色の髪が一瞬煌めいて、そしてシルメリアは去った。
「言い逃げかよ。」
ソロンは苦笑しながら相変わらず空を見上げたままで、手からぶら下がる黄金の鎖と銅色のヤモリが光と言葉を反射した。
とりあえず何処かの国の研修室にでももぐり込むか。そして遣り残したものに手をつけて。
「これで心置きなく研究に勤しめるな。」
失う物など、もう何も無い。そんな意味を込めてソロンは呟いた。
翳していた手を下ろし、首から下げていた物も胸元に仕舞い込み。ソロンは踵を返して、歩き出した。
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暫く経ったある夜の事だった。
森で野宿していたソロンは、夜中に目が覚めた。
安全の為に四方に結界を敷き、中心に据えた焚き火が辺りを照らしている。火の側で夜具に包まっていた身体を少し起こした。
ほうほぅと鳴くフクロウの声や獣の立てる音や魔物が息を潜めている気配を感じ、半分寝惚けていたソロンは、野宿している森を昔住んでいた黒森と勘違いしてしまった。
黒森の家の前に居る様な気がして、寝惚けながらも慌てて立ち上がったので包まっていた夜具が足元に落ちた。
数え切れないくらいに握った扉の取っ手。何も無い空間なのに、ソロンの手には懐かしい感触がした。
「嘘だろ?」
もう一度握り込む。この手の感覚は確かに黒森に今でもあるはずのウォルスの家。あの家の扉と全く同じだ。
慌てて引くが、何も無い空間からガチャガチャと音がして、見えないが扉が閉まっている事実を伝える。
何故だ?何も無いこの場所で、黒森の家の入口が?混乱しながらも、扉が開かない状態に対してふつふつと怒りが沸いて来る。
帰らないと決めた場所。帰れないと定めた場所。だって俺は捨てられたんだぜ。
何故捨てた、何故殺さなかった、何故殺させた。
エインフェリア以前の記憶と思いが堰を切って溢れ出す。
「ウォルス!!」
ソロンは叫ぶ。両手で取っ手を引いても、或いは押しても、扉は音を立てるだけでびくともしなかった。
「畜生!!」
崩れ落ちて両手の拳で地面を叩きつける。四つん這いにりうな垂れたソロンの胸元から、あの首飾りが零れ、ユラユラと揺れる。
「ヤモリ、家を守るか。」
シルメリアの言葉が脳裏をかすめる。
ヤモリが家を守る?いや、マイカは家というよりウォルスを守ってただろ。普通は何が家を守るんだ?この場合は何が家を守るんだ?
はっと顔を上げて、小さく叫んだ。
「・・・鍵・・・だ!!」
勢いよく立ち上がり、黒森を思い浮かべながら空間を掴むと、あの感触が手の平に張り付く。ソロンはもう一方の手で鎖を首から抜くと、ヤモリの頭の部分を握りって鍵穴のあった場所へと差し込んだ。
――――カチャリ――――
錠が開く音が響く。
慌てて目視できない扉を開いたソロンの眼前に広がる風景は――――
懐かしい、黒森の家の中。
何一つ変わっていない、あの家だった。
「何だよ・・・ウォルス・・・・」
もう帰らないと決めた場所だった。帰っても、愛する女性は存在しないのだから。
なのに、何だよ。これは。
涙が溢れてソロンの顎からぽたぽたと、止まる事無く落ちてゆく。
ああ、とソロンは思った。
ウォルスはこの家と俺を空間ごと繋げたんだ。
だから俺が何処に居ようと、あの家を思いながら取っ手を握れば、その場所に扉は現われる。
家を守る為に錠を落として、それを開けるには鍵が必要となる。
そして鍵は、マイカが変化した。・・・そういう事だ。
戦乙女は俺を帰すと言った。
俺は帰る場所を失った。
でもウォルスは帰る場所を残していてくれた。
マイカはウォルスの意を汲み取って、最後まで家を守った。
残酷で、自分勝手だ。勝手に全部ウォルスが決めて、俺の意思はお構い無しに押し付ける。
でも、だから。
「ありがとう、ウォルス・・・」
切ない、苦しい、と同時に暖かい気持ちを言葉に替える。
声は懐かしい家の中で伝わり、そして広がった。
火の側まで戻ったソロンは、荷物を取ると再び家へと向かう。
鍵穴から鍵を抜き取り家の中へ入ると、後ろ手で扉を閉めた。
祝福の文字が踊る焚き火はぱちぱちと音を立てながら一部始終を見ていた。
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俺は懐かしい場所に帰ってきた。
空間ごと閉ざされたこの家は、俺意外は誰も足を踏み入れる事が出来ない。
エインフェリアの身から孵って再び人間となった。
そしてこの家で生を終えて還る。
鍵をウォルスが使っていたテーブルの上に置いて、俺はソファーに横になる。
そうしてゆっくりと朽ち果てて逝くだろう。