張飛翼徳という名を持つ少女がいました。
その名とはうらはらに、彼女はまだあどけない幼さを残していましたが、並外れた腕力を買われて、涿郡を根城とする盗賊団に加えられていました。
鈴々という真名は、拾われるより前からのものでした。
「お頭、張飛が戻りました!」
賊の頭目にとって鈴々は、まさに天からの拾い物でした。
最初は売り払うつもりで拾ったのに、戦えば戦うほど無双の力を発揮する鈴々に、今や手放せない戦力として目を細めていました。
「鈴々、ご苦労だったな」
「任せれば簡単なのだ!」
幼い姿とは裏腹に一騎当千の力。けれど頭目は鈴々を汚れ仕事には使いませんでした。
略奪や誘拐、そうした行いは他の者に任せ、鈴々には討伐隊への自衛戦闘だけを命じていました。
もっとも──いつかもう少し育てば、情で縛り付け、手駒にしよう……そんな下心も彼の胸中にはありました。
一方、治安を司る公孫瓚のもとには、民からの嘆願が届いていました。
討伐は何度も試みられましたが、山道の橋を焼かれ、連絡を断たれ、兵たちは逆に追い払われる始末でした。
「このままでは威信は地に落ちましたぞ!」
そう進言したのは、水色の髪を持つ武官、趙雲。公孫瓚のもとに客将として仕えていた名将でした。
「白蓮ちゃん、私とパパ、それに愛紗ちゃんでやってみる!」
軽やかな口調で申し出たのは桃香。
義勇軍の一つを任されている彼女は、ムーミンパパと愛紗を連れて、盗賊討伐の任に当たるつもりでした。
「お前たちだけでは危なすぎるだろう?」
公孫瓚は心配しました。けれど趙雲が太鼓判を押します。
「私の槍を受けきったパパ殿です。あの方は只者ではありません」
そう、ムーミンパパはすでに武官たちの間で伝説の存在となっていたのです。
敵の本拠へと向かう途中、桃香たちは思わぬ相手と出会いました。
橋の中央、丸々とした美味しそうな豚の背に乗り、矛を構えた一人の少女が行く手をふさいでいたのです。
「鈴々は張飛なのだ!」
名乗りは立派ですが、どうにも話が通じません。
「それで私たちの行く手を遮るとは何だ?」と問う愛紗に、「鈴々は張飛なのだ!」と繰り返すばかり。
桃香がやんわり尋ねてみると──
「皆を守るのだ! 通すわけにはいかないのだ!」
その瞳には、真剣な光がありました。
──愛紗は、黙って刀を抜きました。
賊の一味ならば情けは無用。けれど鈴々はただの子供に見えました。
「お前のような子供が……」
その言葉に鈴々は目を吊り上げ、矛を振り下ろしました。
がしり。
受け止めた愛紗の腕が、思わず軋みます。
(重い……!)
この小さな少女が、まるで山を押すような力を持っていたのです。
「訂正しよう。お前はただの子供ではない」
ふたりの間に言葉はもはや不要でした。斬り結ぶ刃。火花を散らす一騎打ち。
「パパ、止めてあげて!」
桃香の叫びに、ムーミンパパは静かに首を振りました。
「お互いにもう納得しているよ。今は止めないほうがいい」
ただの子供たちではありません。己の技と誇りを賭けて、向かい合う武人同士でした。
ムーミンパパは、ふと思いました。
(まさかこの子を、賊が駒として送り出してきたのか?)
けれど、たとえその背後に策略があったとしても、鈴々の瞳に嘘はなかったのです。
しばらくして、ふたりは息を切らせて立っていました。
「はあ……もう……降参したらどうだ……」
「こっちこそ……しろ……なのだ……」
そのとき──ふと気づきました。
「……お姉ちゃんたちは? いないのだ……」
振り返ると、遠くに煙が上がっています。
「なっ……!」
ふたりは、同時に目を見開きました。
賊の砦が、燃えていました。
そして、そこから戻ってきたのは──桃香と、ムーミンパパ。
そして彼の手には、ぼろ雑巾のようになった男がぶら下がっていました。
「お……頭……!」
駆け寄った鈴々に、男は冷たい声を放ちました。
「お前なんか、使えなかった」
その言葉に鈴々の目が潤みます。
次の瞬間、桃香の平手が男の頬に飛びました。
「張飛ちゃんにひどいことを言わないで!」
──鈴々は、ただ皆を守りたかっただけなのです。
戦いが終わり、頭目は役人に引き渡され、処刑されました。けれど鈴々は赦されました。利用されていたと、皆が認めたからです。
討伐の後、春の花が咲くころ、桃香は皆を誘って花見に出かけました。
桃の花びらの舞う中、鈴々は不思議そうに尋ねました。
「パパは、お姉ちゃんの何なのだ?」
「んー……お父さん、みたいなものかな」
「お父さんか……」
ムーミンパパは微笑みながら頷きました。
儒教では、年長者を敬うと教わった愛紗も、内心そわそわしていました。
(桃香様が父と慕う方……ということは、私にとっては──義父様?)
そう考えている間に、鈴々がパパにぴょんと抱きつきました。
「お父さんなのだー!」
その様子を見て、桃香も笑いながら加わります。
「じゃあ、私もー!」
パパの腕の中に、ふたりの娘たちが収まりました。
それを見ていた愛紗も──ふと、視線を上げました。ムーミンパパが、やさしく頷いてくれました。
「義父様!」
勢いよく抱きついた愛紗の頬が、かすかに紅に染まっていました。桃香と鈴々も、くすくす笑っています。
──桃の木の下、三人の少女と一人の白い旅人が寄り添う姿は、後に人々の語り草となりました。
それはまるで、家族の始まりのような春の出来事──
やがて「桃園の誓い」と呼ばれるようになる、おとぎ話のようなひとときでした。
パパの日記
∀月∀日
今日から娘が三人になった。
家族が増えるのはうれしいことだ。
私の家にいつかみんなを招いてあげたい。
あの谷のやわらかな風の吹く草原で、戦いのない日々を過ごしてほしい。
ムーミン谷では、みんな安心して眠れるから。
──パパより