桃香ちゃんと白豚   作:キューブケーキ

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ファーストコンタクト

 夕陽が西の空を焦がしはじめるころ、旅の一行は無事に宿を取ることができました。

 夜の街には、灯りがともり、あたたかな賑わいが戻ってきます。

 食事処からは、湯気と香辛料の香りが立ちのぼり、人々の笑い声が、道の石畳をやわらかく伝っていきました。

 そんな中、桃香たちも、ある一軒の飯屋に腰を落ち着けていました。

 朱色のスープがぐつぐつと音を立て、唐辛子とにんにくの香りが立ちこめています。

 そこにはたっぷりの野菜と──犬の肉も煮込まれていました。

 異国の味、異文化の食卓。少女たちは湯気の向こうで笑い、箸を走らせていました。

 

「とっても美味しいのに、愛紗ちゃんは食べないの?」

 

 頬を紅く染め、湯気に目を細めながら尋ねたのは桃香でした。

 愛紗はそっとお酒の盃を持ち上げて、にこりと笑いました。

 

「私は、こちらで……」

 

 それは味を楽しむというよりも、心を鎮めるための一杯でした。

 犬──それは彼女にとって、幼い日の想い出そのものでした。

 かつて飼っていた愛犬は、ある日、盗まれてしまい、気づけば肉屋の軒先に吊るされていたのです。

 思い出の中のその瞳は、今も彼女の胸を締めつけていました。

 

(……今回も、助けてあげられなかった……)

 

 ムーミンパパと鈴々は、そんな事情は知らぬまま、もくもくと鍋を口に運んでいました。

 味と香りが舌に馴染めば、それがどこから来たものかは、さほど気に留めぬ人もいるものです。

 

 

 

 

 そのとき、店の入り口で、ひとりの少年が声を荒げていました。

 

「おっちゃん、七乃に変なもの売るなって言っただろ!」

 

 その声は、北郷一刀。仕事帰りの彼が、店主と顔を突き合わせて話しています。

 

「そりゃあ、大将軍様のご命令には逆らえんて」

 

 店主とは長いつきあいです。けれど、今日のやりとりは、少しばかり歯切れが悪そうでした。

 

「まったく、七乃には困ったもんだ……ガンギエイなんて、誰が食うんだよ」

 

 その言葉に鍋の席から立ち上がったひとりの影がありました。

 

「ちょっと、あなた!」

 

 唐辛子で顔を赤らめていた桃香が、湯気の向こうから現れました。

 その目には、涙とも怒りともつかぬまっすぐな光が宿っていました。

 

「ガンギエイを馬鹿にしましたよね!」

「えっ、俺……?」

 

 突然の糾弾に、困惑する一刀。

 

「ガンギエイは、立派な食べ物なんですよ。食べ物を、作ってくれた人に失礼だとは思わないんですか?」

 

 語気の強さは、無垢な正しさそのものでした。

 

「生きるっていうのはね、誰かの命をいただいて、生きることなんだよ。あなたは、そのいただくことに、ちゃんと感謝してるの?」

 

 気づけば、桃香の瞳には涙が浮かんでいました。

 

「な、なんで俺……!?」

 

 一刀は、ただ困惑するばかり。

 そんな場に、颯爽と現れたのは──七乃でした。いつもは穏やかなその表情も、今日は怒りを含んでいます。

 

「何やってるんですか、一刀さん!」

 

 予想していた通り、彼女はこの場に現れました。彼女は一刀の困った顔を見るのが、どこか好きだったのです。

 けれど──今回は、予想を超えた展開でした。

 泣く少女と、糾弾される一刀。状況を知らぬ者が見れば、悪者は一人にしか見えません。

 

「それは一刀さんが悪いですよ。ガンギエイの美味しさが分からないなんて、舌がおかしいんじゃないですか?」

「おい……お前が、わざとあれを差し入れたんじゃないのか?」

 

 そんなふうに言わねばならないところが、一刀と七乃の長いつきあいでもありました。

 けれど七乃は、まっすぐに答えました。

 

「でも、食べたら美味しいですよ?」

 

 その言葉に桃香が思わず手を取りました。

 

「そうだよね、そうだよね!」

 

 こうして、二人の娘たちは意気投合し、翌日の昼食に桃香は七乃の家へ招かれることとなったのでした。

 

 

 

 

 夕食の後の帰り道。

 夜風は冷たくも心地よく、舗石の上には二人の影が寄り添って伸びていました。

 

「七乃、今日のこと……どういうつもりだ?」

 

 静かに問いかけたのは一刀でした。

 明日は貴重な休日。いつもなら二人で静かに過ごす日です。

 けれど、七乃は珍しく他人を招こうとしている。

 

「昔、一刀さんが言ってましたよね。劉備玄徳は、人たらしのくせに有能だって」

 

 まるで軽口のような口調。けれどその奥には、彼女なりの判断がありました。

 

「信じてなかったんじゃないのか?」

「信じてますよ。一刀さんのことはね。それに、世界には選ばれなかったもうひとつの未来だってあると思いませんか?」

 

 例えば、いま自分が一刀を殴る未来と、殴らない未来──

 

「……お前、その例え、物騒すぎるだろ」

 

 苦笑いを浮かべる一刀に、七乃は楽しげに笑います。

 

「でも、美羽様のお役に立てそうでしたし。桃香さんたちは、悪くない人たちでしたよ」

 

 誰よりも用心深い少女が初対面で真名を預けたということ。

 それは計算の上での判断でもありました。

 

「使える駒は、多いほうがいいでしょう?」

 

 月明かりに照らされた彼女の笑顔は、どこかやさしく、どこか寂しげでした。

 一刀はしばらく黙って歩いていましたが──ふと、ぽつりと呟きました。

 

「お前さ、時々、眩しいくらいにまっすぐだよな」

 

 その言葉に、七乃はただ笑うだけでした。

 

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