もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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歩くということ

 在りし日、シッポウシティのアオイという少年は地味だが、愛想がよく、挨拶を忘れない。そんな人物だった。研究熱心な両親に見過ごされるように育ったわりに『まとも』だというのは大人の間で数度話題にされたことがある。とはいえ、『まとも』だと判断された要素はそう多いわけではない。

 

 女子学生のお喋りの内容から、休日に『彼』と散歩をしている時の穏やかな午後の姿を見て、その判断下す、その程度である。

 

 胸に抱える問題は誰も知らず、彼でさえも問題の無い人間などいないのだと断じて微笑んでいた。

 

「何も問題は無いんだよ、僕は僕で、君は君なんだからね。思い悩むなんて、ばかばかしい」

 

 穏やかな黄昏時の散歩は彼の日課だった。

 

「いつもニコニコして何か面白いことでもあるのか」

 

 机に腰かけて外を眺めていると、硝子に映った少年が問いかけてきた。

 

「こんにちは、コウタ。……いや、面白いことはあまりないけど、無表情よりはいいと思ってね」

 

 双子でもかくやというほど一緒にいるパンジャは学級委員の仕事だとかでまだ戻ってこない。アオイは彼女の帰りを待っているのだ。

 コウタもそのことは知っているようで、帰りのベルが鳴ったぞ、と口喧しく注意したりしなかった。

 

 アオイは半透明のコウタをじっと見つめていった。

 

「君はよく笑うね」

 

「そうか? まあ、付き合いがあるヤツも多いしな」

 

 アオイは硝子越しの距離感を好ましく思いながら、しかし失礼だろうと思い、コウタを振り返った。

 

 コウタは誰にでも話しかけることができる。しかし、距離感が分からないというわけではない。むしろ、善心の塊のような少年だった。

 

 だからこそ。アオイは彼を羨んでいた。

 彼の誠意が好ましく、それを嬉しく感じる自分が嫌いだった。まるで自分が寂しがり屋で卑しい奴に思えて仕方が無かったのだ。

 

「……君に世話はかけないよ」

 

 遠ざけようとか、そういう気持ちを精一杯に隠してアオイは彼と向き合った。

 彼の善心はもっと別のところに使うべきだ。アオイより、もっと助けを必要としている人がいる。その誰かのために。

 

「そっか。ま、暗くなる前に帰れよ」

 

「ああ、そうするよ」

 

 初めての会話はこんなものだった。

 しかし、それから月日が経って2人はぽつぽつと話を交わすようになった。

 友情とは言えないほど淡泊で簡素な付き合いだった。それの何が気に入ったのか。大人に近づくにつれてよく話をして語り合うことが多くなった。

 

「私といて楽しいのか?」

 

 研究資料に目を通しながら喫茶店で2人は話し込む。互いに知り過ぎた家庭環境で話すに憚る話題は無かった。もうこの頃になると、彼は地下鉄勤務で忙しくしていた。

 

 貴重な休日を風変わりな研究者に費やすのだから彼はよほど変わり者らしいとアオイは気付きつつあった。

 

「楽なんだよ。お前は、ほら、人の顔色を見るのがうまいっていうか、頭が良いからさ」

 

「都合の良い友人は他にもいるだろう。君は、私のように友人に不自由していないと思っていたが」

 

「ベタベタするのは嫌なんだよ。もう学生じゃない」

 

 カフェ・オレを飲んでアオイはそんなものかと知人の心境の変化を垣間見た。

 

「仕事が充実しているのであればそれでいいんじゃないか」

 

 適当なことを言い合って別れた。

 帰路では関係が無くなる時のことに思いを馳せていた。

 家庭を持つことがきっかけなのかもしれない。あるいは、どちらかが遠方に行くとか。

 

 ともあれ、カフェ・オレの賞味期限のようにすべての物事に『限り』があるのであれば、その時を惜しみ、こうして話するくらいどうということはないのだろう、とアオイは考えていた。

 

 事故に遭うほんのすこし前の話だ。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 毎週火曜に市がたつ。しかし、最近の冷蔵庫はすごいもので食材はかなり長持ちする。アオイの食糧はたぶん大丈夫だが、彼が来るのならばもうすこし買いこんでいたほうがいいだろう。

 

「今日は天気がいいですね!」

 

 病院へ向かう途中、チャチャの明るい声を聞いた。

 

「ええ。このところ天気が良くていいですね。洗濯物が乾きやすくって」

 

 そんな会話をしながら、病院に着いた。

 

「初めまして、アオイ・キリフリと申します」

 

「やあ、どうも」

 

 疲れた顔で迎えたのは初老の医師だ。カラマツ医師である。

 

「どうだい、調子は」

 

「なんともありませんね」

 

 部屋の中に二人きりで顔を突き合わせる。ヒトモシのミアカシはチャチャに預けている。老いてはいたが、目の鋭さは往年と変わらないのだろう。医師の目をしていた。

 研究職の自分もいつかこんな目をしていたのだろうか。

 

 在りし日に渦巻いていた情熱の温度をアオイは思い出すことができなくなっていた。今はせめて余熱を忘れないように抱えていることだけで精いっぱいだ。

 

 分厚いレンズの向こうから医師は笑わない目で射抜くように見つめてきた。

 

「脚の機能不全は精神的なものだとあるが」

 

「そうです。事故の後、私の脚は一度動かなくなりました。膝が砕けたようで……しかし、シッポウの医者からは歩けるようにはなる、と言われました」

 

「カルテを見る限りは健体だ。それでも動かないのだとすると。よほどショックなことがあったのだね」

 

「意識下で事故のことを忘れないようにしているのかもしれません」

 

「誰か亡くしたのかね」

 

「親友を」

 

 分かった、というようにカラマツ医師は頷き、カルテに何事かを書きつけた。

 

「歩けるようになりたいと思うかね」

 

「はい。最近、抱いて歩きたいと思える友人に巡り合いました。彼女のために歩けるようになりたいと思うこともあります」

 

「自分のためには?」

 

「過去に囚われてはいけないのだと、自分で歩かなければならないと思うことがあります」

 

「どちらの思いが強いですか?」

 

「彼女のためです」

 

「焦らずに治療しよう」

 

 アオイは恐れていることがある。

 事故のことを忘れること。

『彼』のことを忘れること。

 

 もし、脚が動くようになればたちまち『彼』のことを忘れてしまうような予感を抱いている。自分が薄情ではないと思いたい。けれど、アオイは恐ろしくて、怖くて、悲しいのだ。

 

 自分で納得して説明できてしまうからこそ、彼の病状は厄介だった。

 

 

◆  ◇  ◆

 

 

 棒きれのような脚に見えるだろう。関節以外の膨らみというのがなく、骨の太さがはっきりと分かるに違いない。老人のような脚だった。

 

 アオイが笑いかけるとチャチャがハッとした顔で脚から目を離した。その瞬間、腕の中からミアカシが飛び出して床に着地した。

 

「ごっごめんなさい! 失礼なことを……」

 

「いえ、いいんですよ。運動していないとこんなものでしょうから……あ、てててて……」

 

 動かしていない筋肉は意外とすぐ硬直し始める。そうでなくともむくんで血行が悪くなる。シッポウシティにいた時もマッサージを受けていた。こうして定期的に処置が必要になる。

 

「はーい、ちゃんと呼吸してくださいねー」

 

 男の看護師に促されて、アオイは診察台の上で肩を落として、首を回した。

 

「は、はい……」

 

 ミアカシが不思議そうな「モシ」と言って、呼吸を整えるアオイの顔を覗き込んだ。

 

「やあ、ミアカシさん」

 

 アオイはたぶん、幸せだ。ミアカシの揺れる炎を見ていると特にそう思う。

 もっと幸せになろう。大切にしよう。時間を、生命を……大切にしよう。

 

「治療、頑張るよ。いつか君と外で遊べるように」

 

 モシ! モシ! と嬉しそうな声を上げて、ミアカシが飛び跳ねた。

 

 

 たとえ、彼の『まとも』さが普通の『まとも』でなかったとしても、アオイはそれで構わなかった。

『彼』を失う以前の自分に戻る。

 戻りたい。

 

 凍えた時間の、その先をアオイは願っていた。

 

 

 

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