もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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旧友

 

 夏の午前、それはもう茹だるような暑さだった。真っ白な白衣をパリッと着こなしてアオイはアイスコーヒーを飲んでいた。この店は良い。おかわりが自由だ。隣のパンジャはレモネードを飲んでいる。淡い琥珀色の影がテーブルに落ちて、氷が涼やかな音を立てた。炭酸飲料が好きなのは相変わらずだ。職場では紅茶に落ち着いている。なんでも子どもっぽく見られるのが嫌なんだそうだ。

 向かいの席でオレンジュースを飲み終え、氷しか入っていないコップをジュジョージュジョーと吸い上げたコウタが新聞のある記事を指差しながら首を傾けた。

 

「なあ、化石復元って何のための研究なんだ?」

 

「……登山家が山を登るのと同じ理由だ。技術があるからそれを使う、それだけの話じゃないかな」

 

 アオイの投げやりにも聞こえる言葉に、パンジャが「待て」をかけた。

 

「アオイ、そういう言い方は良くないだろう。技術は生活を豊かにするひとつの手段で、素晴らしい可能性を秘めている。化石の復元は昔この星にいた生物を再現してその生態系を観察するために行っている。それから種の保存のためね」

 

「復元した後は?」

 

「調べたら別の研究所で保管しているそうだ。そう言えば昔、カントーのほうでは脱走したとか事件があったそうだけど……まあ、都市伝説なのだが。詳しい話が何もない。向こうの言葉ではマユツバモノというらしいがね」

 

「なんでも研究施設がめちゃくちゃに壊されたってあの話のこと? 貴重な睫毛のサンプルと一緒に爆破されるとは……よほどのエネルギーだったのだろうね。興味がある話だな」

 

「単なる噂だよ、パンジャ」

 

 そのうちパンジャが持っていた学会雑誌を開いて学友三人は語り合う。

 

「しっかし、わけもわからないポケモンをよくも復活させようと思うなぁ、怖いだろ。何が出てくるか分からないなんて」

 

「個体からある程度推測できる。問題とすべきは、研究者が恐れるべきは、復元装置の安全性だ」

 

「安全性ねぇ」

 

「電車は定期的なメンテナンスを必要とするだろう? それと同じことだ」

 

 納得した、というようにコウタは何度か頷いた。

 

「アオイって機械いじり好きなんだね」

 

「別にそういうわけじゃない。莫大なエネルギーを扱って研究をしているんだ。不備があって爆発なんてした日には地下施設ごとぶっ飛ぶことになる。そう考えると迂闊なメンテナンスはできないだろう?」

 

「真面目ねー」

 

「真面目だなー」

 

 こらこら、とアオイが『真面目』に注意をして二人はおどけた仕草を見せる。

 喉を焦がすような夏の日、まだアオイの脚が動く頃のある日の風景だった。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 憂鬱なような、待ち焦がれるような……そんな感情につきまとわれないよう、アオイは精力的に仕事に取り組んでいた。もっとも、コウタに自分の住所を連絡することは忘れなかった。

 

「君には、よく分からないかもしれないがね。男には意地と言うものがあるんだ」

 

 極めて面倒だがね。

 たぶん、アオイにとってコウタは同じ男として意地を張り通さなければならない男なのだ。

 彼に会いたくないわけではないのだ。

 

「モシー?」

 

「モシモシ……」

 

「モシ!?」

 

「モシ……モシ……」

 

 ちょっとだけ現実逃避してアオイは「モシモシ」言った。突然、会話が成立して驚いているミアカシを傍目に、微笑んで肩を竦めた。

 

「きっと、君も気に入ると思う。彼は……私の、その、なんというか、親友、だからね」

 

 照れたすこしだけ赤い顔を隠すように口を手で覆って、アオイはミアカシに語りかけた。

 

「あぁ、ミアカシ嬢、そこの本を取ってくれる?」

 

 膝の上からミアカシが飛び出して、アオイが指差したソファーの上の本を持って来てくれる。

 

「ありがとう、優秀な助手になれるよ」

 

 アオイの服をよじ登り、ミアカシは彼の頭の上でゆらゆら揺れ始めた。アオイはローソクごっこと呼んでいた。今のところ楽しそうである。平衡感覚は良い方らしく首を動かしても転ぶ気配はなかった。

 

「私の親友のコウタという男は、イッシュのライモンシティというところに住んでいて、そのなかのバトルサブウェイに勤めていてね。きっと、バトルのコツとか教えてもらえるよ」

 

「モシーッ!」

 

「首にくるからジャンプはやめようね」

 

 思い至ったミアカシの興奮といったら、大きなものでうっかり口を滑らせたことをほんのすこし後悔するほどだった。

 

 

 やがて、午前中にデスクワークを終わらせ、夕食用のスープを作り始めた。

 

 

◆ ◆

 

 

 

「アオイからの連絡だ。……なんだ、すっげー街はずれに住んでるんだな」

 

 ミオシティに到着したコウタが真っ先にしたことと言えば、レンタカーを借りて車を走らせることだった。

 

「よう、外、何が見える?」

 

 助手席に座るラルトスが車酔いから復活してぴょんぴょんと背伸びをした。

 

「アラモスタウンがこの辺って……あ、あの塔のことかな」

 

 物珍しそうな高い声を上げている。彼は微笑ましく思いながら車を加速させた。地下暮らしが長いとどうしてかスピードを出したくなる。

 

「しっかり、つかまってろよな!」

 

 季節は春。青々とした若葉が茂り、ムックルは高く軽やかに歌い、ニドランがちょこちょこと草むらを駆けまわっている。

 

 窓を開ければ車の中に涼やかな風が吹いてくる。

 テンガン山沿いに長い一本道を走り抜ければ、目的地はすぐそこだった。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 閑静な住宅街にエンジン音が響く。

 脚が動かなくなってからというもの、聴覚がすこしばかり敏感になっていた。

 これが誰にも起こり得ることなのか、それとも偶然なのか、それはまだ分からない。

 

 お湯を沸かし、チャチャから引っ越し祝いに貰った(いちおう、断ったのだが結局押し切られてしまった)茶葉を入れる。

 

「いい匂いだね。何の品種だろう……」

 

「モシーっ」

 

 ミアカシと一緒にポッドの中を覗き込んで「はふー」と息を吐く。

 

「さあ、外で待とう」

 

 すっかり日焼けした麦わら帽子をかぶり、冷たいお茶とグラスを載せたトレイを膝に置いた。

 晴れの日は忌々しくて仕方が無かったが、今はそれほど嫌ではない。

 

「モシ! モシ!」

 

 外で出て嬉しそうなミアカシが庭へ遊びに来ていたムックルと駆けっこをして遊んでいる。

 

「あっ、ミアカシさん、見えましたよ」

 

 庭を駆けるミアカシの姿を眺めていたが、白の車体が見える頃、アオイが手を挙げた。

 

「コウタ!」

 

「ようっ!」

 

 運転席の窓を開けて手を振る。

 降りてきた男は黒の短髪のせいか明るく爽やかで――相変わらず、こちらが卑屈になってしまうくらいに格好いい奴だった。

 

「君は……相変わらず、イケメンだな」

 

 皮肉っぽくならない言い方ができるようになったのは、成長だと思う。

 

「はぁ? どうしたよ」

 

「なんでもないさ。久しぶりだな、コウタ!」

 

 アオイは車輪を動かしてコウタに右手を差し出した。

 コウタも両手の荷物を置いてその手を力強く握った。

 

「ああ! 久しぶりだな! アオイ!」

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 昼食がまだだというので作り置きしたスープと以前買ってきていたパンを二人で食べていた。

 

 ミアカシとラルトス、そしてチョロネコとスコルピはそれぞれの食事をしている。それぞれの食事と言ってもオレン味のポケモンフーズだった。

 

 まったくもってオレン味は売れ過ぎだろう。みんなに聞いたらみんなオレン味しか選ばないってどういうことなんだ。あと、ミアカシさんは意外とみんなに流されちゃう子だったんだ、アオイ初めて知ったよ。

 

 そんなこんなで、もっしゃもっしゃ食べてうまーとしている、コウタの向かいでアオイもまた食事を摂る。

 

「そういえば、ふたりで食事をするのは初めてかもしれないぞ、私たち」

 

「そんなこと……んー? ああ、そういや、ないな」

 

「仕事のほうはどうだ?」

 

「ぼちぼち。ノボリさんのシャンデラもこれまで通り仕事できるようになったみたいだし、俺はまだまだ下っ端さ。お前の方は?」

 

「向こうでやっていた研究の後始末を少々、あとは在宅ワークで日金を稼いでいるよ」

 

「ずっと家のなかにこもりきりじゃないか」

 

「君だってずっと地下にいる。似たようなもんさ。それに今は独りじゃない……」

 

 視線を動かすとミアカシが……チョロネコにからかわれてフーズを横取りされるところだった。しかし、寸でのところでスコルピが間に割って事なきを得た。なんだろう、あのスコルピ、苦労人の匂いがする。

 

「彼らは仕事仲間?」

 

「いや、俺のパートナー。仕事の時間が長いと構ってあげられないことも多いんだけどな。いい子だよ。外に出したままでも構わないか?」

 

「もちろん。好きに使ってくれ。そうそう、ミアカシさんにバトルの仕方を教えてくれると助かるんだが」

 

「いいぜ。っていうかさ。ミアカシさんってあのヒトモシのことだよな」

 

 ラルトスと謎の交信をしているミアカシを指差してコウタは訊ねる。

 アオイは素直に「そうだ」と答えなかった。

 

「君は私に向かって『おい、人間』というつもりかい?」

 

「あー、なる。そういう理屈ね」

 

「当人も気に入っている様子なのでね」

 

 名前があるというのは良いことだ。

 お腹がいっぱいになったらしく、ミアカシが報告にやって来る。普段はわざわざ来ないものだが、彼女もずいぶん楽しそうだ。

 

「彼らと遊んでいていいよ。私も彼とお話がしたいからね」

 

「モシ!」

 

 全身で『楽しい』を表現している彼女を見て、アオイの表情もつい緩む。

 

「お前、笑うようになったな」

 

「……そうかな」

 

 楽しそうにしているミアカシを見ていると、それにつられて楽しくなる。それだけなのだが、以前はそれさえ難しいことだったように思える。

 

 そう考えると、回復しつつあるのだろう。

 

 やがてアオイとコウタも食べ終えて、食後のお茶を飲んでいると車に戻っていたコウタが紙袋を差し出した。

 

「これ、土産な。……地元から土産ってのもおかしいかもな」

 

 紙袋と一緒に手渡された4つのモンスターボールをアオイはお手玉のように弾ませた。

 

「なんです、これ」

 

「ノボリさんから」

 

「どうして」

 

「ポケモンはやっぱりポケモン同士じゃないとダメなこともあるんだと。それから、お前の回復のお祈りさ」

 

「仲間を見つけられるくらい……元気になれってことか」

 

「そういうこと。話が早いぜ。あと、俺からも、ひとつお願いがある」

 

 もうひとつ。彼のボールホルダーから出て来たボールに困惑する。

 

「それは……」

 

「ラルトスの居場所だ。預かってくれないか」

 

「ラルトスの? ……理由を聞いてもいいか」

 

「これから仕事で休みが取れなくなるんだ。……あ、もちろん! お前が暇そうだから、とかそういう理由で預けるわけじゃないぞ! なんていうかな、性格が臆病なんだが、臆病過ぎてな。ちょっくらホームステイでもさせれば自信を持ってくれるかなぁ……とか思ったり……」

 

「そういうことならば、構わないが食事を用意するくらいしかできないぞ、私は。どこかへ遠出するというのも難しい。在宅ワークだし」

 

 そう言いつつ、アオイはラルトスのいる生活を想像してみた。

 思いやりのできるポケモンだと聞いているから、意外とアオイともミアカシともうまくできるのかもしれない。

 

 野生か、タマゴ生まれかと聞いたら、タマゴだと返答がきた。ということは、生まれてからずっと人間といるというわけだ。生活にも馴染み易いだろう。

 

「それでいいんだよ。ミアカシさんと仲良くなって、違う環境で適応する、それがちゃんとできるようになれば、すこし変わる気がするんだよ。ポケモン同士の交流って大事なんだぜ!」

 

「…………」

 

 そんなドヤ顔で言われても……困惑するアオイの向かいで咳ばらいをしたコウタが、

 

「と、パンジャが言っていました」

 

 白状した。

 

「パンジャは元気にしているだろうか」

 

「元気だぜ。っていうか、連絡とってないのかよ」

 

「連絡先は知っているよ」

 

「とってないのかよ」

 

 うわっ、お前マジかよ。

 それほど責められることとは思っていなかったアオイはカップに口を付けたままたじろいだ。

 

「あいつ、ほんとに心配していたんだからな」

 

「分かっているさ……」

 

「本当に分かっていたら連絡のひとつくらい入れるもんだぜ」

 

「では、今夜連絡しよう」

 

 これで文句はないだろう、とばかりにコウタに言い、アオイはアオイで先延ばしにした覚悟を再び決める必要があることを悟った。

 

 もしかしたら、コウタに会うこと以上にパンジャとの向き合い方に困っているのかもしれない。

 

 自己分析の結果、とんでもないことが分かってしまってアオイは「あぁ……」と呻いた。こういうものはできるだけ早く解決するほうがたいていうまくいくのだ。

 

 

 

 

 旧友との再会はアオイが想定していたものよりもずっと穏やかだった。

 

 

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