もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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情熱の余熱

 

 緊張すると腹が痛くなる。

 そんなことを白状すれば「ガキかよ」と言われそうでアオイは言い出すことができず、結局喉まで出かかった言葉をのみ込んだ。

 たとえ友情があろうとも隠しておきたいものはあるのだ。

 

 とはいえ。

 

(……マジかー、マジなのかー)

 

 滅多に使わない若者言葉を弄びながらアオイは腹をさする。

 アオイは自分が緊張しない人間だと思っていた。しかし、悲しいかな。もはや過去形、いや過去設定となりそうだ。

 これまではプレッシャーや逆境はむしろ好条件として勘定していたが、これからはそうはいかないだろう。

 

「ミアカシさんは平気?」

 

「モッシー!」

 

「元気そうで何より。……なによりだよ」

 

 今日ほどヒトモシのミアカシの頭上に灯る焔を眩しく思ったことはない。むじゃきとは恐ろしい。緊張とは無縁の性格なのか。

 乗用車の助手席に座るアオイの膝の上で彼女がジャンプするのを眺めながら、家の中へ思いを馳せた。コウタはまだ出て来ない。

 

「おや」

 

 よじよじと運転席を越えてきたのはラルトスだ。近頃この家の新しい住人になる旨はミアカシにも伝えてある。そのせいかふたりはとても仲良しだ。

 しかし、そのせいで、

 

「……大丈夫かい?」

 

 数秒ほど手助けするかどうか考える時間を必要とする程度には、妬いている。男の嫉妬は見苦しいものだとパンジャに集る人々を思い出して感情を振り払う。

 不意に、ラルトスの赤いツノがアオイへ向いた。

 

「……君が悪いわけじゃないんだ。ただ、私は臆病者でね。ちょっとだけ不安になるんだ。すぐに慣れると思う。この子と仲良くしてあげてほしいものだよ」

 

 ラルトスは小さく鳴いた。

 

『きもちポケモン』だというラルトスの本質をアオイは計りかねている。

 気持ちとは即ち感情でイコールしてもいいのだろうか。だとすると、アオイの不安や嫉みもこのラルトスは受信していることになるのだろう。

 

(筒抜けというのは、一方的だな)

 

 それが、なんとなく受け入れがたい。

 

(私が秘密が多いと自覚しているせいだろうか?)

 

 答えを探してアオイは思考を巡らせる。

 一方的に知られるのは自分の領域を踏み荒らされているような気分になってしまう。それがラルトスには理解できない感情や思惑であっても、自分以外の誰かが自分しか知らないことを知っている……その事実がアオイを動揺させ、また困惑させる。幸いなのは、ラルトスがポケモンであることだ。もしも、人間だったらどんな手段をとっていたか分からない。アオイにとって自分の感情や気持ちというのはとても大切で触れさせたくない守りたいものなのだ。

 

 だが、こんなことを考えておきながら覆すようだが――全て、仕方が無いことだ。

 

(コミュニケーションというのは相互に行われて初めて成立するものだ……少なくとも人間にとっては)

 

 こちらにとってのコミュニケーションの手段は言葉だが、ラルトスやその進化形の個体にとってのその手段とは『きもち』の共鳴だ。

 アオイが考える、相互交流という前提は成り立たないことになる。

 

 人間とポケモンの境界は限りなく薄く低いと神話は言う。けれども、歴然としてこのように分厚い壁として障害はある。

 ふたりが手を取り合って鳴き声の合唱をはじめた。

 

「まあ、君たちが楽しいのならそれでいいんだ」

 

 何でもかんでも人間の基準に考えるのはおこがましいことだろう。科学者として反省しなければならないことだ。

 自分を戒めながら、家からコウタが出てくる音がした。

 

「遅いぞ」と声を欠けようとして――アオイは硬直した。

 

「な、なな、なあっ、何をしているんだ!」

 

「え? 着替えだよ着替え。おっしゃーいくぞーっ出発進行だぜ!」

 

「『出発進行だぜ!』じゃない! やめろ! 着替えてくれ!」

 

 アオイが悲鳴を上げて窓に頬を張り付かせる。誰も見ていないだろうか。よかった。誰も見ていない。

 

「えー、いいじゃん、これ制服だぜ? 正装だぜ?」

 

 そう言いながら頭の上の緑帽子を弾いた、コウタの服とは背景が地下鉄であれば馴染みのあるものだ。そう、地下鉄であれば。

 あぁぁ、と力の抜けた声を漏らしてアオイは久しぶりに大声を出した。

 

「常識を考えろ! ビギナートレーナーの試合にサブウェイの制服着たおっさんがいるわけないだろ!」

 

「おっさん!? なんてこと言うんだぜ、俺がおっさんならお前もおっさんだぜ!」

 

「うるさい! そうじゃない! 着替えろ! 着替えて! 今すぐだ!」

 

 興奮気味に腕を振り上げたアオイの膝上でミアカシが「モシモシ」笑っている。なんだっていうだ、見世物じゃないぞ。

 

「あー、じゃ、こうしようぜ」

 

「なんだよ」

 

 ポン、とコウタは手を叩いた。

 

「俺が黒ボスの制服着るから、お前白ボスな! なぁんだ、お前も着たかったのかぁ!」

 

「着たいわけないだろ! どうしてここまで来てこの流れで私がコスプレしたくなるんだよ! やめろって!」

 

「ちぇ。せっかく持ってきたのに」

 

 上着を脱げば多少はマシになった。帽子は……ちょっと熱心なファンくらいで済むだろう。

 

「はぁはぁ……朝から重労働させないでくれ」

 

「ぶぅ」

 

「『ぶぅ』じゃない。ビギナーの集いを威圧するような大人の姿勢はどうかと思うがね」

 

「へいへい、んじゃ行きますよーっと」

 

「ああ、安全運転で頼む。……ミアカシさん動きますよ」

 

「モシッ!」

 

 びしっと敬礼を決めるミアカシの隣で、ラルトスがつられてちょこんと片手を上げた。

 微笑ましい光景に思わず、によっとしてしまったのはコウタには内緒である。

 

 

 

◇ ◇ ◆

 

 

 

 クロガネシティ。そこは、炭鉱で栄えた街だという。

 

 エリアラジオの音量を下げるとコウタが車の窓を開けた。草木の萌える香りのなかに硬質な石の香りがした。石炭というものをアオイは見たことがない。この香りがそうだろうか。目を閉じて想像していると彼が話しかけてきた。

 

「電気にとって代わられて、一時期大変だったんじゃないのか?」

 

「今は他の天然由来の資源を開発しているらしい。それと観光だ。向こうに博物館があるだろう」

 

 アオイのガイドに、コウタは鼻を鳴らした。標識を通り過ぎたが、町並みを見る目は熱心ではない。

 

「石炭の博物館なのか?」

 

「どちらかといえば、街の歴史館という位置づけらしい」

 

「興味あるか?」

 

 必要なら寄るぜ、とコウタは言う。

 

「……あまり無いな。化石をいじっていたが歴史が好きというわけではない。まして人間の歴史は、概要だけで十分だ」

 

 アオイは以前購入したシンオウガイドマップをヒラヒラさせた。

 

「OK。――会場どこだっけ?」

 

「ポケモンセンター前の広場だそうだ。駐車場は東だ」

 

「了解」

 

 やがて、駐車場に着いた。当然というか、車は少ない。

 

「まあ、子どもが多いだろうからな」

 

「そうだな」

 

 コウタの助けを借りて地上に置いた車イスに移動する。

 

「すまない、手間をかけさせる」

 

「そんな手間じゃないっつーの。……大丈夫か? 顔白いぜ」

 

「あ、ああ……大丈夫だと思う」

 

 ミアカシの興奮は最高潮だ。ぴょんぴょん跳ねて時々温い焔がアオイの鼻先を焦がしそうになる。

 

(心が凪いでいる……でも)

 

 感情が消えるのを感じてアオイはしばらくこの状態に身を置きたくなる。けれども着いたからにはこうしてはいられない。

 

「ミアカシさん、ちょっと落ち着いて」

 

 飛び跳ねるミアカシをつかまえてアオイはしっかりと見つめた。

 

「焔を見るだけで君の状態が分かるのは私だけじゃない」

 

「モシ!? モシ?」

 

 黄色いつぶらな瞳が熱っぽく見つめてくるのに応え、アオイはもう一度注意を促すように言葉を選んだ。

 

「あまり奪いすぎてはいけない。君は、他のみんなと違う。……気をつけないと、いつか誰もいなくなってしまうよ」

 

 諫める言葉に、シュゥゥ、と音を立てて焔は小さくなっていく。同時に自分の表情が柔らかくなるのを感じた。ミアカシは指を握り「モシ!」と頷いた。焔はすこしぼやぼやしているが、できるだけ普段の通りの状態へ近づけようと努力しているようだった。

 

「いい調子。バトルの時は好きなだけ燃やしていいからね。メリハリは大切だよ」

 

「モシ!」

 

 気を抜くと、ぼやぁぁと大きくなってしまうらしく頭……だろうか、そのあたりを押さえてフルフルと横に振った。

 

「モシ? モシ……!」

 

「すこしずつ覚えていけばいい。加減というのはぶつかりながら覚えるものだ」

 

 だいぶ苦労しているらしいミアカシを抱えてそのからだを撫でた。

 

「今日は頑張ろう。……私もベストを尽くすよ」

 

「モシ!」

 

 キラキラした目でミアカシは右手をあげた。

 

 

 

◇ ◆ ◆

 

 

 

 受付を済ますと番号プレートを渡された。

 

「さんじゅうよん……」

 

「予想より多いな」

 

「あとこれ、パンフレットだとよ」

 

 小さな屋台で買った串団子を囓りながらコウタが手作り感溢れる薄いパンフレットを渡してきた。

 

「モシ?」

 

「ふむふむ。……『大会ではないため、相性に合わせランダムに組み合わせた対戦相手と三回試合を行います』と」

 

「モシ、モシ?」

 

「ミアカシさんの対戦相手? ちょっと待ってね」

 

 車イスの収容ボックスの中からレポート用紙を取り出すと、サラサラとペンをはしらせる。

 

「一回戦目、ムックルです。……こんなポケモン」

 

「モシ~」

 

 見たことがあるらしくミアカシがレポートをトントン叩いた。

 

「うん、シンオウ全域に生息しているポケモンだ。では、次……ポッチャマです」

 

「モシッ!」

 

 以前見たカートゥーンアニメを覚えていたのか、ミアカシは大きく頷いた。

 

(この試合が一番厳しいだろうけど……いい経験になるだろう)

 

 勝ちっぱなしでも負けっぱなしでも、極端すぎるのは良くない。挫折から生まれる成長もあるからだ。

 

「最後は、コロトックです」

 

「モシ?」

 

 長い前肢を持つポケモンを見せると、ミアカシはからだを傾けた。

 

「見たことのないポケモンだろうね。進化前のコロボーシはハクタイの森にもいるんだけど……こんな形のポケモンで、これがこっちの進化形」

 

「モシー……」

 

 人間なら「なるほどー」とでも言うだろうか。

 

「優等生ちゃん、お勉強はできるんだよなぁ」

 

「サポートには当然の知識だ。……そういえば、コウタはどのポケモンで登録していたんだ?」

 

「チョロネコだけど」

 

「そう……か」

 

 どうりでモンスターボールを出てからチョロネコが上機嫌にコウタの頭を小突いているわけだ。

 

「モシ!」

 

 アオイの腕から飛び出したミアカシがチョロネコの前に躍り出た。ふたりでじゃれあって転げ回っている。

 

「ミアカシさん、試合前に……」

 

「準備体操にはちょうどいいだろ。あんまり過保護になるなっての」

 

「そう、だが……」

 

 心配なんだよ、と言いかけたところでタタッと軽やかな足音が聞こえた。

 

「――わぁ、珍しいポケモン!」

 

 栗色の髪をツインテールに結った女の子だった。

 

「よう、お嬢ちゃん。この街の子かい?」

 

「うん!」

 

「そうかぁ、俺たちはイッシュからだ。嬢ちゃん、このイベントの参加にする?」

 

「うん!」

 

「…………」

 

 アオイは引き攣った顔で笑いながら、なぜか頷いた。

 

(これがコミュニケーション力の違いか……)

 

 やはり客商売と学者は違いすぎる。

 ちょうど彼女の目線に合わせて腰を落としたコウタが笑顔でチョロネコを抱え上げた。

 

「こいつ、可愛いレディで、俺の一等だぜ」

 

「むにゃ~ん」

 

「わぁぁ、ふわふわだぁっ!」

 

 いい子ちゃんの猫かぶりをしているチョロネコが甘えるような声を上げた。相変わらず女性を『乗せる』のが上手いもんだ。

 

「モシィ……」

 

「え? ああ……えーと」

 

 なぜか恨むようにアオイを見つめてきたミアカシに、言葉を探す。

 

「君だって素敵だ。危なっかしいところもキュートだよ。私の特別だからね」

 

 言っていてとんでもなく恥ずかしいことに気付いた。早口に言い切って彼はあたりを見回した。よかった。見ている人も聞いている人もいない。

 

「だから……ヤキモチなんてしなくてもいいんだ」

 

 いよいよ顔が赤らむのを感じて車の中に置いてきてしまった麦わら帽子を持ってくれば良かったと後悔した。

 しかし。

 

「モッシ~!」

 

「んむぅっ」

 

 アオイの顔に飛びついてきたミアカシが嬉しそうなので、まあいいや。どうせ顔見えないし。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 数時間後。

 

「ミアカシ、おどろかす!」

 

「モシ!」

 

 ムックル戦を終えた疲れを見せず、ミアカシはポッチャマを相手取って善戦する。

 

「ポッチャマ! みずでっぽう!」

 

 応じた声がぼやぼやとした暗闇を払い、勢いよくミアカシに水を浴びせた。

 

「モッ! ……シー……」

 

 くるくると目を回して倒れ込む。同時に審判の旗が揚がった。

 

「お疲れさま、ミアカシさん」

 

「モシ……」

 

 すっかりしょぼくれた様子でミアカシはアオイの白衣にごしごしと顔を擦りつけた。

 

「よく頑張ったよ。頑張った。頑張った」

 

 ぽんぽんと軽く撫でて――しかし、悔しさがあるのか、ミアカシは小さな手でアオイを叩いた。

 

「……たまには負ける時だってある。私だってそうだ。悔しさを忘れないで、次に生かせばいいんだよ」

 

 コウタと合流すると、チョロネコとそろってなぜか浮かないな顔をしていた。

 

「あ、ああ、アオイ。……お疲れ。どうだった……って、負けちまったのか。まあ、お疲れさん」

 

 チョロネコがアオイの膝にやってきて、オボンの実をミアカシに半分置いていった。

 

「そっちはどうだった?」

 

「勝ったには勝ったんだぜ? ……でも、相手が」

 

「怪我させたのか?」

 

 でも、ポケモンセンターがすぐそこだし――アオイが言いかけるとコウタは素早く否定した。

 

「ああいや、そういう意味じゃないんだ。相手がコイキングだったんだよ」

 

「コイキング? そうか。何が問題なんだ?」

 

「だから、釣りたてぴちぴちのコイキングだったんだよ」

 

「うん。それで?」

 

「だーかーらー、『はねる』しか覚えないんだよ!」

 

「……あぁ」

 

 勝った気分がしないのだろう。

 

 ミアカシがオボンの実を囓ってさらに半分にすると、アオイに渡した。

 

「ありがとう、でも君が食べていいんだよ」

 

「モシっ!」

 

 譲れないところらしく彼女は受け取ろうとしない。

 

「うん? それじゃいただくよ」

 

 疲れを癒やすにはちょうどよく、まろやかだ。

 

 

 

u ◆ ◆

 

 

 

「コウタ……すまないが、先に行ってくれないか」

 

 3戦目を終えてポケモンセンターに行こうぜ、という彼にアオイはそう声をかけた。

 

「おう? どうした?」

 

 3戦後、ミアカシの戦績は2勝1敗。概ね予想通りといえた。あとはちょっと街をぶらぶらしながら帰るだけだ。

 しかし、アオイの顔色は良くない。

 

「すこし、疲れてしまってね。……風にあたっていたいんだ」

 

「そっか。じゃあ、気分が良くなった来いよ!」

 

「ミアカシさん、コウタと一緒に先に行ってくれるかい?」

 

「モシ!」

 

 ミアカシと別れ、アオイは木陰で車イスを止めた。

 

「はぁ……」

 

 溜息は重い。

 

(辛い……)

 

 ただひたすらに辛い。

 体が重い。他になにも考えられないほど、体が辛い。ここまで来られたのは車イスが指先ひとつで動く電動だったからだ。

 

(3戦でこれほど消耗するのか。……さすがノボリさんというわけだ。さすが……)

 

 辛さとは厳密に言うと肉体疲労ではなかった。

 

 ミアカシの焔によって燃やされていた感情が影響の範囲外に出た瞬間に膨大な情報量で『今さら』アオイのなかで再構築されるのだ。

 埋め合わせるように時間差で起こる強烈な感情の爆弾にアオイは虚ろに視線を彷徨わせた。ぐるぐると世界が回っている。ともすれば自分の座標を見失いそうだった。

 

(こんな、もの、大したことないだろう)

 

 そう。

 恐らく、健康で気力のある人であればこんなものは大したことないものだろう。

 しかし。

 

 体を動かして発散する。それが満足にできない今、頭の中で膨張し続ける風船のように感情の渦はアオイを苦しめていた。

 ミアカシが燃やしているのはアオイから吸い出された命の欠片だけではないのだろう、なんとなくそう思った。

 

(寒い……)

 

 顎の下にできた水滴がぽつりとレポート用紙にシミを作った。

 辛い。苦しい。

 どれだけ思考を動かしても自分が楽になる方法が考えつかない。自分の頭脳が使い物にならないのなら他に何が残されているのだろうか。

 

(くだらないことを考えるな、しっかりしろ。この頭でっかちが)

 

 普段通り冷静になれ、パルス安定右左、自分を律しろ自律神経の乱れだ。ビタミンCが足りない明日は曇りだいや晴れか右だばかそっちは斜面だ誕生日月の花はラフレシキマワリに決まっているだろう廃工場だランニングシューズがたきのぼりをサブウェイにシンオウ新聞が置いてあるわけがないだろうが大型車だあのぬいぐるみがほしいのトムだと何度言ったら分かるんだカントーの化石がどこで見つかったと聞いたんだ旦那様がおっしゃったことをリークされた新聞に隠した妬みが分かるよ私ならね復元することで何が分かる捨てられたんだってこんにちはハローハローパンジャお願いだネジが緩んで仕方がない頭が苦しいんだと今朝に新聞が濡れて破けたエクスキューズ!

 

(しっかりしろ、アオイ……)

 

 思考がめちゃくちゃだ。何を考えているのか自分で分からない。

 血の気が引いた顔でアオイは遠くで光る金属の柵を見ていた。

 

(いつも通りに戻るんだ)

 

 3つ数えれば元通り。深呼吸をして目を閉じる。水面だ。それをイメージしよう。

 

 3。

 

 2。

 

 1。

 

「ハッ」

 

 目を開く。

 その瞬間。

 

「お加減が悪いんです?」

 

 声が聞こえた。

 

「はっイ!?」

 

「あぁ、失敬。なにやら具合が悪そうに見えましたので……」

 

 白手袋をした青年らしい。残念ながら顔を上げる気力が無い。

 咄嗟に平然を装おうとして。

 

「すみま、せん……辛い、です」

 

「ですよね。平気ですって言われたらどうしようかと」

 

 おどけたように彼は笑った。

 

「とりあえずポケモンセンターに行きましょうか」

 

「あ、ああ……いえ」

 

 手を軽く上げてそれを拒否する。

 

「み、水を……」

 

 鞄に入っていますので、とアオイは力なく鞄を指さす。

 

「これですか。失礼しますよ……これで?」

 

「ええ、はい、ありがとうござ……い、ます……?」

 

 水筒を受け取ると、ぱちりと目が合った。アオイの視線は次第に彼の顔から外れちょうど頭上を渦巻いた。

 

「……こせい、的な……あの、あれですね」

 

「よく言われます」

 

 なぜか嬉しそうに彼は言った。

 手が震えて上手く開けられないアオイに代わり水筒の蓋を開けた彼は「あのぅ」となぜか視線を落とした。

 

「ああ、すみません……挨拶が……私はアオイです」

 

「えっ、ああ、そうですよね。わたしは、アクロマといいます。研究者です」

 

「研究者……」

 

 ああ、同業者。もう『元』が付いてしまうけど。

 

 ごくりと水を飲み込むと、すこし気分が軽くなった。

 冷たいノメルの実風味の水には塩を加えてある。爽やかな味わいを喉で味わいながら、もう一度深呼吸をする。

 

 それからできるだけ自然に聞こえるように声の調子を整えた。

 

「すみません、ね、ちょっと、貧血……の、ような」

 

「何か必要なものがあれば持ってきますよ」

 

 いえ、そこまでは……。

 アオイは普段よりもゆっくり喋りながら、話を反らしたくなった。

 

「ああ、その、何を……調べていらっしゃるんです?」

 

 よくぞ聞いてくれた!

 彼は嬉しそうに手を叩いた。たぶん、聞いてくれるひとがいなかったのではないか。そんな喜びようだった。

 

「『ポケモンの力は何によって引き出されるか?』」

 

 ピクリとアオイの瞼が神経質に動いた。

 

「それが、わたしの研究テーマです!」

 

 ピュア。

 イノセント。

 

 そんなお洒落な言葉がよく似合う、青年はキラリと白い歯を輝かせて笑った。

 

「……なるほど」

 

 神妙な顔で頷きながら、アオイはその後とうとうと続いていく研究の成果にいちいち頷いていく。

 

 しかし。

 

(これは、まずい……)

 

 珍妙な髪型に気を引かれて会話がどうにも頭に入ってこないのは一生の秘密になりそうだ。

 

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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