もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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前回に引き続き、原作キャラが登場しますので苦手な方はブラウザバック推奨。


情熱の温度

 とにかく、このアクロマという男は強烈だった。

 髪型のセンスを抜きにしても思わず二度見してしまうほどだ。

 

「やりますよ、とことん」

 

 言うのは簡単である。実際出来ない人の方が多い。

 

 けれど、この人ならやり尽くすのだろうなと思わせる何かがあった。その過程で人間やポケモンが文字通り八つ裂きになろうが構わないと考える性質の人間である。支配したいとか名誉を得たいとか高尚な志は無さそうだ。

 

 とはいえ。

 

(研究者には珍しくもないタイプだけど)

 

 その程度が彼の場合、ヤバイ領域に脚をつっこんでいるだけで珍しくはない。何度でも言う、珍しくはない。かつてのアオイもそういう側面があったし、パンジャは今でもそうだ。程度と動機の差異こそあれ、間々いるものだ。

 

「そういえば、あなたも研究者でしょう?」

 

「ごふッ……え、どうして分かったんです」

 

 思わず、だばだばと水筒から水を零してアオイの声は上ずった。それをおかしそうに笑うアクロマには意地悪そうな思惑は全く無さそうだ。

 

(どこかで会っただろうか。……いや、記憶に無い。パンジャなら知っているだろうか……?)

 

 思いを巡らせるアオイをよそに彼は驚いたようにほんのすこし目を見張っていた。なぜ驚くんだ。そこでかまをかけられたことに気付いた。

 

「む……」

 

「失敬。そのレポート用紙は有名ですよね、わたしも御用達品ですから。ちょっと……いま切らしてますけどね」

 

「は、はぁ……あ」

 

 アオイはピンときて汚れてしまったレポート用紙を破り、アクロマに差し出した。

 

「これ、もしよければどうぞ。今日はもう使いませんし」

 

「いえ、受け取れませんよ。これではまるでこれを目当てに話しかけたようじゃないですか」

 

「そう……ですか? でも、切らしているんでしょう?」

 

「そうなんですが」

 

「私にも助けさせてくださいよ」

 

 さあ、受け取ってください。いえ、それはちょっと。お願いですから。困ってますけど……。

 

 押し問答をしているとアクロマは白衣のポケットから、ちょっと溶けたチョコレートを出した。

 

「では、交換ということでいかがですか」

 

「望むところです」

 

 アオイはチョコレートを受け取り、代わりにレポート用紙を差し出した。

 

「助けていただいてありがとうございます。ちょっと今……本当に辛かったので」

 

「こちらこそ、助かりました。……貧血の気がおありで?」

 

「ええ、まあ……。それと、ヒトモシの監督をしていたら体調を崩しましてね」

 

「ヒトモシ」

 

 ああ、そういえばこの地方にもいなかったな。

 説明をしようかと曖昧に口を開こうとした。

 

「それはまた珍しい。イッシュの方ですか?」

 

「ええ。もしかして……?」

 

 彼もイッシュの人なのだろうか。ちらりと彼を見ると、なぜか遠くを見ていた。

 

「イッシュから考え事をしていたらここまで流れてしまいましてね……」

 

「は……さようですか」

 

「いやぁ! それにしても、こんなとところで同じ出身地方の方と出会うなんて!」

 

「あぁ、あの、立ち話もなんですから、あそこまで行きませんか?」

 

 喜んで! 彼が車イスを押した。ちょっと待ってくれ。それは電動だから!

 

 

 その5分後。

 

 

 彼は近くにあったベンチに腰掛けモバイルを握っていた。モバイルの充電口からはコードが延びておりアオイの車イスに繋がっている。

 

「助かりましたぁ、レポート用紙だけでなくモバイルの充電までしていただくなんて」

 

「困ったときはお互い様ですよ」

 

 私もチョコレートをいただいてしまいましたし。

 

 パキリと板状のチョコレートを小さく砕き、口に含む。舌の上で溶ける味わいは子供時代から変わらない。懐かしく優しい味だった。

 

 アオイの顔色はすこしずつだが、良くなっていた。会話というガス抜きは功を奏しているらしい。ひとりで鬱々と降り積もる感情を耕しているよりは健全だ。

 

「そうそう、聞いてくださいよ。実は、先ほど助言をいただいたんですよ。ゲーなんとかさんから」

 

「そうなんですか。役に立つ助言だったのでしょうか?」

 

 つらつらと差し障りのない会話をして、ある話題から再び研究テーマの話になった。

 

 アクロマはおしゃべりだ。自分のことを知ってもらいたくて仕方がない。そんな様子である。子供っぽいとも言われやすいが、この手のタイプは打ち解けるのも早い。秘密主義のアオイとは正反対である。

 

 起動できる程度に充電されたモバイルをいじりながらアクロマは小首を傾げる。

 

「ふむ、やはりフリーダイヤルからですね」

 

「というと、企業からお声が? スゴいじゃないですか」

 

「いえいえ、本当にただの助言だったので特別なことは何も」

 

 アオイは口を開け、彼が世間知らずなのか、冗談を言っているのか真剣に検討していた。一般的に一研究者に企業から助言を受けることは無い。提携や資金後援についているのなら別だが、彼はどこかの研究室に所属しているわけではないようだから、企業から連絡があった時点で彼は特異な存在と言えた。

 

 謙虚なのか鈍いのか、はたまた興味が無いのか。

 

(きっと全部なのだろう)

 

 怖いもの見たさにアオイは水を向けた。

 

「先方の用件とか、どうだっていいんです。研究の役に立てばね」

 

 にっこり。人好きしそうな笑顔だった。幸せそうに笑っている。

 その顔を見て、腹の底がチリチリと温度差に灼けた。そして、そうでしょうね、と頷いた。

 

「分かりますよ。テーブルの上に並べる材料は多いほうがいい、包丁だって、調味料だって、お皿だって、多ければ多いだけ楽しいでしょうからね」

 

 アオイは理解できた。そういう性質の人間だと分かれば接することは怖いことではかった。

 

 手段を選ばないのだから頓着しない、というわけだ。

 妥当である。合理的である。超然と存在する素数に似ている。そして結局は小数点以下の無駄なことだから最初から員数にも入れない。

 

(スゴいねぇ)

 

 理解の瞬間、アオイはこのアクロマという齢の近い研究者に一種の尊敬が生まれた。同時に妙な敗北感を覚える、そして、最後に悪戯心が疼いた。

 

 尊敬は、そのまま尊敬だ。解答に焦がれる彼の姿は、愚かだと万人に笑われたとしても愛すべきものだった。情熱という点において彼を笑える者が世界にどれだけいるだろう? 何人もいてたまるか。

 

 敗北感は分かる。アオイがいなくなった世界で好き勝手に生きている彼に敵わないと思っているのだ。アオイだって願わくば一生を捧げられるテーマに出会ってみたかった。

 

 けれど、悪戯心はどう控えめに言っても綺麗な感情だとは思えない。

 

(見てみたいなぁ)

 

 この男は挫折することがあるだろうか。

 ダイヤモンドだって砕ける。絶対とは言い切れないものは世界にごまんとある。人間の芯だってそうだ。

 

(やはり、ポッキリいくんだろうか?)

 

 いいわけが欲しい。アオイは自分を納得させるためにアクロマを見つめて微笑んだ。

 

 彼の不幸を願っているのではない。研究がうまくいくことを願っているし、また会えればいいと思う程度には並々ならない縁を感じている。

 

 これは、ただの興味なんだ。悪戯心が引き起こした、アオイの錆び付いた好奇心。

 

 気付いてしまえば、止められなかった。

 

(情熱が無くなった時、彼はどうするんだろうか?)

 

 情感の薄い笑みを浮かべたまま、そんなことを考えていた。

 

(情熱の行き着く果ての果てが見たい)

 

 終ぞたどり着くことのない世界の境界を彼ならば越えて見ることができるかもしれない。

 

 アオイにとって彼の研究テーマが何であれ関係なかった。どうだっていい。アクロマと同じだった。それはそうだ。アクロマがアオイのなかの研究材料になりそうな情報を物色する間に、アオイはアオイでアクロマを観察している。

 

 情熱は人を動かすという、刺激・感化・伝染・教導、その作用の仕方はさまざまだ。

 

 そして、アクロマの情熱は、

 

(遠目で見ている分には、面白いなぁ)

 

 アオイの歪な心を狂気的に魅了した。

 

 

「あなたは難しいテーマを掲げたと思うのですが、不安ではないのですか?」

 

「不安ですか?」

 

 あ、意味が分かっていないようだ。そう気付いたアオイは「たとえば」と視線を流した。

 

「生きている間に、結果がでないかもしれない。失敗するかもしれない。……そうは考えないのですか?」

 

「私の研究は終わります。いつかは分かりませんが、生きている間に最終結論は出ますよ」

 

「その根拠は?」

 

「私が始めたことですから、私が終わらせます。どれだけ資料が膨大でも、この世界を何十周、何百周することになっても」

 

 私だけの研究テーマだから!

 

 アクロマはごく自然に柔らかく目を輝かせ、自分がどんなに素晴らしい事業を手掛けているのか諭すように言った。

 

「そうですか。スゴい、ですね……」

 

 てらうことなく、アオイは言った。圧倒された、そんな感動が思わず頬を緩ませていた。これは本物だ。酔狂やファッションではない。本物の中の本物だ。

 

「いえ、まだまだですよ。分野の素人から助言をもらうくらいですからね、もっと考えることはたくさんあります」

 

「そうだとしても、スゴいですよ。軽率かもしれませんが、私もお話をお聞きしてもよろしいですか?」

 

「えっ……聞いてくれますか!?」

 

「アクロマさんの情熱にほだされてしまいましたんですよ」

 

 ニヤリとアオイは秘密を共有する仲のように笑った。また、嬉しそうにアクロマは笑った。よく笑うひとである。

 

 そして。彼らは、話し続けた。

 

「……うん」

 

 一息吐いて水筒の水を飲んだアオイは呆気にとられた。

 

 要約すると、なんだ、研究分野が多方面すぎて笑えた。

 

 専門分野の項目を眺めているのではないかと錯覚するほどだ。少なくともひとりでどうこうして捌ける研究量ではない。各分野で10年以上学んで活躍する専門家50人を集め、意志疎通を図ってようやくできるかどうかというテーマだ。

 

「えっ? 共同作業? 信用できないから嫌いです」

 

「なるほど」

 

 十二分に柔軟な思考を持っているようだが自分の目以外は信用できないタイプのようだ。頭のメモ帳に書き留める。テーマへの助言はヒントのようなもので解答は求めていないらしい。アンサー? 俺がなるんだよ!というわけだ。

 

 気を取り直し、アオイは「まず」と言葉を探した。

 

「先に感想を述べさせていただくと、人間とポケモンの信頼関係、という古錆びた研究テーマを中心に据えているのが気になりますね。従来の意見を裏打ちしつつ、新しい観点を盛り込んでいくつもりで?」

 

「それですか。できれば否定したいんですよね」

 

「ポケモンの力を最大限引き上げるのは人間との信頼ではない。そんな結論に落とし込みたいと」

 

 そんなもの見向きもされないぞ、とアオイは思う。それでも事実なら書くのが科学者なのだが、外聞というものがある。

 

「ああ、失礼。否定というよりは、別の方法が確立さているならそれでいいでしょ、という結論にしたいんですよね。たとえば、人為的な方法なら取れる手段がいくらでもあるわけでしょう?」

 

「さらりととんでもないことを言いますね。何がとは言いませんが、そうですね、ありますね。分量を間違えなければ」

 

「そうそう、薬物とか」

 

 アオイがわざわざぼかした言葉を使い、アクロマはジェスチャーを加えて話を続けた。

 

「絆で引き出した力と薬で増幅させた力なら、薬のほうが強そうだと思いません? ああ、持続時間は考慮しないものとして同一個体、同環境と仮定して」

 

「瞬間なら勝るかもしれません。実験したことありませんけど」

 

「私だって実際にやっていたら今頃ジョーイさんを拝んでいますよ。まあまあ、倫理観とかメンドクサいものは置いておいて。でしょう? この場合、薬が潜在能力を引き出したと言えそうですよね。人間が、がんばれ♪がんばれ♪するよりも確実に結果を得られると思います」

 

「そうですねぇ。まあインドメタシンとかタウリンとか、突っ込みまくっている人もいますから。実際、問題になってますし」

 

「そして提案ですが、もうちょっと穏便に楽してポチッとポケモンの能力を最大出力できるとしたら、素敵ではないですか!」

 

「ポチッと? 光とか音とか、五感から訴えるタイプですか。まあ、薬よりはマシかな。廃人ならぬ産廃になったらどうしようもないですし」

 

「こんらん状態に着想を得まして電波とかどうでしょう?」

 

「こんらん。あやしいひかりとかでなる状態異常ですよね」

 

 とっておきの秘密を明かすようにアクロマは指を立てた。

 

「ちょっと光を浴びただけで普段とは違う行動を、自殺行為をするようになるんですよ? 生命の目的を生きることと増えることだとすれば、そのひとつを積極的に害していることになる。つまり、自分を攻撃すると言うことは本能にさえ逆らっているということなのです!」

 

「そう考えると、こんらん状態って恐ろしいですね」

 

「ええ。それで、こんらんの攻撃に向かうエネルギーをチョチョイのチョイして自分を高めるものにできないでしょうか」

 

「高めるというと、ちょうはつを受けたポケモンは闘争本能を刺激されるらしく攻撃的になりますね。それのこんらん抜きのバージョンということでしょうか?」

 

「そうです! ああ、理解が早くて助かります。それをもっと強化することができたら」

 

「あれ。思ったより早く研究が終わりそうですね」

 

 この時、サッとアクロマの顔に朱が差した。まさか自分でも気付いていなかったのだろうか。

 

 ゴールを見つけたマラソンランナーのような顔をしているが、中継地点どころか自分がどこを走っているか分かっていない状態だ。気が早いですよ、アクロマさん。

 

「まあ、問題は山積みですけどね」

 

「あぁ、いずれ解決できる問題は構わないのですよ。私がやるだけですからね。ペンを動かしていればいずれ終わります。しかし、もっとインスピレーションが欲しいんです!」

 

 ふむふむ。分かってる人だ。アオイは心の中で頷く。物事の軽重を判断するのは大切だ。ひとりで出来ることはわざわざふたりでやることはない。

 

「インスピレーションですか。そうですね、すこし問答してみましょうか。何か糸口が見つかるかもしれませんよ?」

 

 問答、と呼んでいるのはアオイやパンジャが困った時にやる解決へのプロセスである。情報の差異がある状態で知識やものの見方を質問しあい、そこからヒントを得るのが目的である。

 

「先ほどの電話の助言として、ポケモンが引き出すことの出来る出力を疎外する要因を考察してみては? と言われたそうですが、実際のところ該当しそうなことは思いつきましたか」

 

「身近なところでいうと、モンスターボールでしょうか」

 

 アクロマ曰く、収納に便利なものとしか認識されていないが、ポケモンにして見れば枷が檻に変わっただけだ。

 

「ボールの中は快適だと言いますが、本当にそうでしょうか?」

 

「身動きができない状態はストレスだと思いますよ。動ける私でさえこのていたらくなんですから」

 

 アクロマが「あぁ、失敬」と口を噤んだ。車イスで生活するアオイに言わせるべきことではなかった。しかし、アクロマが言うほうがアオイにとっては問題だったので「お気になさらず、話を続けましょう」と先を促した。

 

「ふむ、まずは阻害要因1はボールですね」

 

「あとは、そうですねぇ、人間の配慮でしょうか」

 

「配慮ですか」

 

「『こんなに傷つけちゃ可哀想』とか皆さん言うでしょう? 人間と一緒にいるポケモンはいいですよ、それでも。けれど、野生のポケモンと呼んでいる彼らは普通、ポケモンセンターなんて使いませんよね。昔のポケモンもそうでしょう。そう考えるとこの時代のポケモンはなんというか、緊張感が無いと思います」

 

「なるほど。昔はポケモンを戦争の道具に使うこともあったと聞きますからね。その頃に比べれば練度も気概も低いポケモンが増えているのかもしれません。環境は、人間によって変容していますからね」

 

 数百年前の話になりますが。

 前置きをしてからアオイは目を伏せた。

 

 昔、世界のはじまりの樹を中心にでふたつの勢力に別れ、世界を二分する争いが起きた。

 

「経験、練度がものを言います。現代の強さの基準である勝ち負けではなく、生死の次元で戦っていたのですから昔のポケモンは強かったのでしょうね」

 

「なるほどなるほど。これは、昔の文献を調べ直す必要がありますね。伝説的に語られるポケモンの逸話もあながち嘘、誇張ばかりというわけではないかもしれない」

 

「潜在能力の最大値としての見方もできるかもしれませんよ」

 

 猛烈な勢いでレポートにメモをしていくアクロマは「ふむふむ」と頷いている。

 

「では、阻害要因2として人間の影響が挙げられますね」

 

 ふたりは次々と話を続けた。

 

「最後は、阻害要因というか研究対象の根本の話なんですが、選別という言葉があるでしょう?」

 

 ミアカシのことを思い出してしまったのはごく自然のことだった。

 アオイは頷きもせず視線で彼の指先を追った。

 

 ♂と♀。見慣れたはずの記号が生々しく記憶を刺激した。

 

 アクロマの話は続く。

 

「普通ならば覚えない技を遺伝させるために使われるあれです。優れた種同士の組み合わせで人為的に優秀個体を発生させる。個体数値のベストを作るのなら使えますよね」

 

「そうですね。サンプルを揃えてしまえば簡単ですね。度が過ぎると睫毛が破滅の呼び水となることもあるそうですが」

 

「? 何の話です?」

 

「ああ、知りませんか? カントーの研究所の話ですよ、なんでも最強のポケモンを作ろうとしたとか」

 

「へえ。そんなことが」

 

「あまり興味はないようですね」

 

 靴で小石を転がすアクロマは「うぅ~ん」と悩ましい顔をしている。そして「そういうわけではないんですがね」とアオイの言葉を否定する。

 

「作ることよりも調べることが重要なんですよ、わたしの場合」

 

「そうですか。では、阻害要因3は環境としておきましょうか」

 

 アオイの言葉を書き付けてアクロマは顎をなでた。

 

「たった3つだけでもいろいろできそうな話題がたくさんですね」

 

「もっと絞る必要がありそうです」

 

「ええ。でも、まだまだ刺激が欲しい。そう。あなたも研究者だったんでしょう? 専門分野は何だったんですか?」

 

「土いじりですよ。化石からポケモンを復元させる、その技術を磨いていました。専攻は生態学ですが」

 

「その知見から何かありませんか?」

 

 アオイは膝の上で手を組むと、解き、組んで握った。

 

「そうですね……。これまでさんざん非道いことを言ってきましたけど、私は言うほど非情にはなれません」

 

 意外な言葉だったのか、アクロマがすこし緊張したのが分かった。

 

「というのもですね。ポケモンにとって人間は、ほかの生物、同種のポケモンと比べても特別なんです。ポケモンは人間と接することで大きく変化します。私は、ポケモンが人間と出会うことがまったく無意味だとは思えない」

 

 何か秘密があるらしい。アオイでもそこまでは分かった。それがなになのかまだ分からないだけで。

 手を組んだまま、空を見上げた。

 

「理論上、薬や電波で力を引き出すことは出来る。でも、どうして人間が関わることでも同じ結果を導き出すことができるのでしょうね?」

 

「それは……」

 

「だから、あなたの研究テーマは素晴らしい」

 

 その言葉を聞くとアクロマは「でしょう!?」と同士を見つけた顔をした。

 そして。

 

「だからこそ」

 

 恐ろしい温度差を交わらせながらアオイはまっすぐにアクロマを見つめた。

 

「かび臭くて古錆びて使い古された『ポケモンと人間の絆』に関する研究は、いつの時代でも検証するに値する」

 

 そして。

 

「私は人間に賭けてみたいですよ。――はじまりのミュウでさえ世界の争いを止めるには人間の力を必要とした。一匹ではできないこともふたりならやれる。夢のある、素敵な可能性だと思いませんか?」

 

 転がった小石が止まった。

 

「わたしもですよ! 不確かで曖昧だからこそ調べる意味がある!」

 

 アクロマは子供のように目を輝かせてベンチから立ち上がる。彼が急に大声を出したのでアオイは車イスの上で飛び跳ねてしまった。

 

「わたしはポケモンと人間の絆を信じてみたい! そのために、この研究があるんです! わたしは、身を尽くしありったけの情熱を注いでこの研究を完結させる! そして、それを打ち倒す実証を待っている!」

 

「………実証?」

 

「私の研究を否定する新しい研究が現れたのなら、それ自体が『ポケモンの力を引き出すのは人間とポケモンの絆』ということの裏付けになります!」

 

「なるほど……」

 

 それしか言えなかった。それ以外に言えることは、無かった。

 

「ええ! そうですとも! わたしの研究は実証を糧に飛躍する! いつか全てのポケモンに、すべての人間に、新しい知見をもたらす! わたしの研究が終わったおまけに!」

 

 ぷっ。

 アオイはくすぐったいような思いがして笑ってしまった。

 

「あはっ! うふ、あははっは、はははっ!」

 

 ひとしきり笑った後で涙を拭った。

 

(ここまで突き抜けていると清々しいな)

 

 夢が大きい。

 人の腕に抱えきれないほどの大きな夢だ。そして、ロマンがあった。過去から現在へ続く永久のロマンだ。

 こんなに愉快な気持ちになったのは久し振りな気がする。

 

「アクロマさんは、人間もポケモンも大好きなんですね」

 

「ええ。もちろんです! あなただって、そうでしょう?」

 

 喉の奥で息が詰まった。

 

「ん、え?」

 

「あなただって研究者だ。『今』だってそうでしょう?」

 

 まっすぐに見つめ返された。思わず自分の頬に触れたアオイは、いつになく熱くなっているのに気付いた。しかし、逆光を背負う彼を直視するに耐えられず、嘘をつこうと思った。

 

(ああ、でも)

 

 微かに残る余熱が引き留め、唇を結ばせた。

 

(彼に嘘を吐くのは――)

 

 過去の自分を否定することと同じだ。

 それは耐えられない。ただ、アオイの自尊心の問題では無かった。いなくなった『彼』を否定することと同じだった。

 

 それゆえに、アオイはこれまで気付かないふりをしていた自分と向き合う。

 

 この情熱の余熱でさえ温め続ければ、炎になるだろうか。

『彼』とともになくした温度を再び持つことはできるだろうか。

 

 応えを戸惑うアオイにアクロマは研究と同じだけの情熱を差し向けた。

 

「その冴えた頭脳を浪費させておくなんてもったいない。誰もが届くわけではないその先へあなただって手を伸ばせるはずです! 今だって疲弊するほどヒトモシに体力を費やしたんでしょう?」

 

「……あ、いや……」

 

「あなたは自分のために頑張るのには向いていないかもしれません。でも、他の誰かのためなら頑張れるタイプのような気がします!」

 

 アクロマはアオイの手を引いた。握手にしては力が強すぎた。

 

「もう一度、探してみては?」

 

 互いに手袋越しだが、温度は分かる。

 

(探す)

 

 もう一度、探す。

 何を――研究テーマを。

 

(私の、生き甲斐を)

 

 情熱の欠片を掴まえてしまったアオイは、もう知らなかった頃の温度ではいられないことに気付いた。

 

(私は――)

 

 傍観者のような関心で彼に接してみようと思った。それがどうだ。今まさに、主演に手を引かれ、舞台へ上がろうとしている。

 

 情熱を失った者がどうなるかなんて、もう嫌と言うほど知っている。人間は情熱が無ければ生きていけない。

 

(私は――)

 

 この世界で生きていくしかないのだろうか。

 研究という世界。ポケモンがいる世界。人間の世界。

 

 触れがたく、恐ろしい、傷つきやすい、けれど素晴らしい世界だ。それを知っている。

 

 その過酷さも覚えている。

 

 アオイは、怖いのだ。

 

 いつ終わるとも知れない研究に命を費やし、あとには何も残らない危険を抱えながら、見返りを求めずに一心に情熱を注ぎ続ける勇気を再び持てるだろうか。――アクロマのように。

 

ゾッとした。

 

(無理だ、無理だ……)

 

 あまりに危険だ。もう自分だけの命では無いのにそんなことができるわけがない。

 

 自分には出来ないと分かっているからこそ、アクロマを尊敬するのだ。妬む気持ちさえ起こらないほど! 好奇心に邪念が宿らないほどに!

 

 手を振り解く。それさえ、勇気が必要だった。

 

「私は、退いた身です」

 

 できるだけ静かに、アオイは言う。

 きっと彼は理解ができないだろう。アクロマとは、そういうタイプだ。

 

「二度と、二度とは、戻りませんよ……失われたものが、そう簡単に戻るわけがなかったんだ」

 

 理解しなくていいと思う。この人はこのままでいい。

 

(これが、あなたと私の違いだ)

 

 今でも指先に残っている。冷たい岩石の感覚。……元に戻らなかった化石の成れの果て。

 

「中途半端がいちばんいけない……だから、戻らないんですよ」

 

 記憶の中の『彼』に語り続けながら、ミアカシを見つめ、新しい人生を歩んでいく。そう決めたんだ。だから、もう、研究はやめだ。

 

 不意に脳裏に再現されるのは、パンジャとの会話だった。――ほぼ完全な状態の化石しか復元されない理由は……。いや……やめよう。これ以上は、考えてはいけない。

 

「……勝手なことを言ってすみません」

 

 アクロマなりに感じることがあったのか、彼はベンチに座った。

 彼は底抜けに明るく前向きなこともあって誤解されているだろうが、鈍感ではない。むしろ心の機微には聡いのだろう。あえて空気を読まないようにしているだけで。

 

 今なら超然とした雰囲気の彼が、初めて同年代に見える。アオイは肩を竦めた。

 

「いいえ。気に病まないでください。……私の友人はみな私を気遣ってくれて、誰も真っ正面からそう言ってくれることはしませんでしたから、なんだか、新鮮、でした。嬉しかったです」

 

「いえ……」

 

「事故を起こしてしまいましてね、これがその後遺症なんです。今は今で充実した生活を送っています。……隠居生活は気楽なもんですよ」

 

 溜息のような返答のあとでアクロマはばつが悪そうに何度かベンチに座り直した。

 そんな彼に、アオイはモバイルを見せた。

 

「アクロマさん……あの、ポケッター、交換しませんか?」

 

「えっ。いい、ですけど…………いいんですか?」

 

 不機嫌になったのではないか。そう窺うような視線に首を振り、アオイは言った。

 

「もし、よろしければ友達になりませんか? ここで会ったのも何かの縁だと思うんです」

 

「また相談に乗ってくれますか!?」

 

 ポケッターの画面を出してアクロマはキラキラと目を輝かせた。

 

「もちろん。私でよければ常識の範囲内で口を挟ませていただきます」

 

 やった!と子どものように喜ぶアクロマのポケッターを登録しながらアオイは上目遣いで微笑んだ。

 

ほら、私って、

 

「あなたにほだされちゃいましたからね」

 

良縁か悪縁か、分からない。ともかくこの瞬間、ふたりの間で固い握手が交わされたのだった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「おーい、アオイ!」

 

 コウタの呼ぶ声に、アオイは車イスをはしらせていた。

 駐車場で合流すると「モッシー!」と元気いっぱいになったミアカシが出迎えてくれた。

 

「おかえり。怪我もすっかり治ってよかった」

 

「モシ~!」

 

 アオイの掌にすりすりと体を擦りつける様子を見ていると――なぜか、チョロネコを彷彿とさせた。

 

「何もしてないんだぜ!」

 

「……まだなにも言ってないじゃないか」

 

「細かいことは気にするなって、ほら乗った乗った!」

 

 ひょいと簡単に抱え上げられてアオイは助手席に座らせられた。

 

「私達のお家に帰ろうね、ミアカシさん」

 

 日が傾きはじめた。アオイは目を細めて地平線を見つめた。視線を感じる。そんなことを言ったらきっとバカにされるだろう。

 

「どうした?」

 

「ううん。なんでもない、ただちょっと……情熱的な人に出会ったからさ」

 

「へぇ。……え、ま、まさか女の子じゃないよな?」

 

 にやにやしながらコウタが車イスを車の中に搬入した。

 違うよ、と言ってアオイは手を振る。なんでもない。なんでもないんだ。ほんとうに。

 

「ただ、ほんのちょっとだけど……名残惜しく思うんだ」

 

 昨日見た夢の内容を語るような口ぶりだ。

 だが、ぼんやりとミアカシを見つめるアオイの瞳には消しがたい確かな焔が揺らいでいた。

 

(戻らないんだよ、私の情熱は……)

 

 だって『彼』と一緒に埋葬してしまったから。

 

「モシ?」

 

 一度失ったものを元通りにすることはできないんだ。

 そんな残酷なことをしないでくれ。

 

 自分でさえ分からないほど低い声でそんなことを呟いていた。

 

『今さら』情熱が戻っても、

 

「温度差に私の心は耐えきれないよ……」 

 

 ぽつり。

 

 滲みはじめた感情が良いのか悪いのか、その夕陽が沈むまで判断はできなかった。

 

 

 

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