もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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原作出典の登場人物のポケモンについての描写があります。
「あの人のポケモンが~するわけがない!」という方はブラウザバック推奨です。いわゆる死ネタがダメな方もブラウザバック推奨です。


情熱を失う日

「俺、そろそろ帰るわ」

 

 コウタの言葉に、アオイはほんの数秒理解のために頭を使った。最近、彼がここにいる風景にすっかり慣れきってしまっていたようだ。

 

「そうか。君にも生活がある」

 

 惜しいと思う。だが、ホッとした思いも抱えていた。彼は親友で本当に善いヤツだが、それ故にアオイは引け目を感じている。これまでの会話で溝は埋まりつつあるが、それでもやはり一朝一夕には変えられない。

 

 しかし。

 

「今までいてくれてありがとう。君がいてくれてよかった。話せる人がいるというのはいいものだな」

 

 素直に感謝できるようになったのは成長だ。そう思う。

 

「……俺もお前に頼られるなんて貴重な経験をさせてもらったぜ」

 

 それから、とコウタはアオイの言葉を訂正した。

 

「仕事っつーか、パンジャのところに行くならそろそろ帰ろうかと思い立ってな。実家にも寄りたいし。ふふん、ブッキーな親友の心配事をひとぉつ解消してやろうっていう俺様の優しさってヤツさ」

 

「心配なんて……。郵便システムに不慣れなだけだ」

 

「言ってろ言ってろ。ってわけで、俺は明日の朝には発つ。それまでに何か用事があったら手伝うぜ」

 

「用事か……」

 

 実は、無い。アオイは室内でネット経由のバイトをして、夕方に畑を見回りして水を撒くだけだ。それもホースを伸ばしてバラまくだけだからひとりでできる。

 

「まあ、それほど緊急のものはないか」

 

「ああ」

 

「んじゃ、ダラダラ話してていいわけだな」

 

 アオイは頷いた。コウタは言葉に困っている自分を気遣ってわざわざ提案してくれているのが分かってしまい、申し訳ない気分になる。いつもならもっと頭が回るはずだが、なんだかパッとしない。コウタがお茶を淹れに台所へ向かう間、アオイは自分がひどく鈍重なものになった気分がして研究室での過去と比べていた。

 

 そして、つい最近の出来事を思い出す。

 

「先日、研究者にあった」

 

「同業者か」

 

「『元』だがね。その彼はイッシュから来たというのだよ」

 

「へーっ、こんなところにねぇ」

 

 いつの話?

 先日、ビギナーの試合があっただろう。そのときだ。

 

 香りのいい紅茶をひとくち飲むと砂糖を入れた。

 大げさに驚いてニヤニヤするコウタに、定期船が出ているから滅多に来られないわけではない、と野暮なことを言った。

 

 だが、コウタが思わずニヤリと笑ったのは、元同業者が現同業者に出会った偶然を不思議で面白いことだと思ったからだ。嫌な思い出なら捨てればいい研究成果を後生大事に異郷へ持ち込む程度にはアオイは自分の研究に執着して心残りが多い。

 

 残り火があるのなら「燃料」によってそれを焚きつけることもできるだろう。コウタという男は人間の情熱についてそう考える節があった。

 

「ポケモンの力を引き出すにはどうすればいいか。それを研究しているらしい」

 

「力ねぇ。信頼と努力、あと、あれじゃないの、あれ」

 

 あれ、とは。

 コウタはちらちらとアオイの足下で取っ組み合いになっているヒトモシのミアカシとチョロネコを見た。特にミアカシを。

 

「まあ、定説ではそう。でも、他の方法があったら? その方法が近道かもしれない。そういうスタンスで調べ物をしているらしい。私たちと年は変わらないが、子供のような情熱家だったよ」

 

「暑苦しいぜ。見てて体が火照るだろ」

 

「ああ、私の話も聞かないでずっと話し続けるような人だったよ。もっともそんな失礼なことはしていないが」

 

 研究者というのは、どうしてああいう手合いが多いのだろうね。

 自分のことをすっかり棚に上げてアオイは可笑しそうに言う。

 

「でも、どうしてか新鮮だったよ」

 

「お前もそいつも似たもの同士ってことだろ」

 

「わ、私はちゃんと分かるように話をしているじゃないか」

 

「どーだかなー。んで、そいつ帰ったのか?」

 

「もうすこしシンオウをうろうろすると言っていたよ。ちょっと散歩していたらいつの間にかクルージングしていたらしい」

 

「なんだそりゃ。おかしなヤツだな」

 

「いやいや、ちょっと頭が変だと思うけど格好いい人だったよ」

 

 特徴的な髪でね。

 アオイがアクロマの髪型を説明すると「そんなおかしな髪のヤツがいるわけないだろ」と爆笑しながら手を振った。

 

「志が高い人を見ているのは、いいなぁ……」

 

「そうだな。デキるヤツってのは雰囲気が違うぜ」

 

「雰囲気という言葉はやめようぜ」

 

 アオイはコウタっぽい声音で提案した。

 

「オーケー、オーケー、では検討しようじゃあないか。問答だ。題目をくれ」

 

「ケース1、情熱家の条件」

 

 アオイは遠くで学校のチャイムの音を聞いた気がした。学校時代の思い出が再生されたのだろうか。

 議論の口火を切ったのはコウタだ。 

 

「ずばり、費やす『時間』だろう。比例する熱量、集中力と言い換えてもいいぞ」

 

「ふむ。私は『理性』だと考える。論理的思考と言い換えてもいいだろう」

 

 その根拠は。

 

「『時間』ってのは大切だ。タイム・イズ・マネーとか有限性の話じゃない。人間の集中力・注意力ってのは無限ではないからな。最高のパフォーマンスを発揮できる時間は限られる。で、情熱家ってのはつまりそのゴールデンタイムともいえる時間をたっぷり費やすヤツってことだ」

 

 なるほど。

 

「『理性』は指針だ。これから何を行うか、何を目指すか、その結果へと至る過程を思考する根幹だ。それがおかしくなっては元も子もないからね。情熱家とは研究の指針を決めるにあたって無駄のない努力配分をしている、もしくは周囲からそう見える人のことだ。」

 

 チリリ、と二人の間で火花が散った。とはいえ、どちらがどちらへ説き伏せようというのではない。互いの腹の底を見つめようとしているのである。

 先に目を反らしたのはアオイだった。

 

 あぁ、と小さく呟き窓の外を見た。

 

「パンジャなら、何というのかな」

 

「そりゃ、そうだな、えーと、『理想』だ」

 

「私は『選択』だと思う」

 

 ふたりの意見は真っ向からぶつかった。

 

「アイツはもっとロマンチストだぜ」

 

「バカな。リアリストだ。私が言うんだ、間違いない」

 

 ふたりはしばらくの間言い争って、コウタが直接会って確認してくるこということで話は結ばれた。

 

「モシッ!」

 

 ミアカシがすがりついてきた。何事かと思ってすくい上げると、なんだかドヤ顔したチョロネコがコウタの頭から「にゃおにゃお」鳴いた。

 

「ミアカシさんはチョロネコに、勝てないってさ」

 

「あぁ、ポケモンには適材適所というものがある。つまり、えー、適切な処置だな」

 

「アオイせんせー、わかりにくーい」

 

 チョロネコにアフレコするようにコウタが高い声で「みやみや」と鳴く。やめてくれよ。ミアカシ嬢が敵がふたつになったと思ってビックリしているじゃないか。

 

「勝つこともあれば負けることもある、ミアカシさん。それでも君は可愛らしくて、神秘的だ。そこの生意気なチョロネコよりよっぽど出来てる」

 

「いけ、チョロネコ、ねこだまし!」

 

「みゃあっ!」

 

 んぎゃッと変な悲鳴を上げてアオイの額にヒットした。華麗な身裁きでチョロネコはコウタの頭の上に降り立つ。驚くべき身体能力だ。それを、ミアカシがポカンと口をあけて見ている。

 

「うぅっ早いな」

 

「モシィィ」

 

 恨めしそうにミアカシがチョロネコをじろじろと見つめた。なるほど、君もこれにやられたのか。

 

「はっはっはーっ、俺のチョロロちゃんに嫉妬するがいいぜ」

 

「手癖が悪いと言われなきゃいいね」

 

 皮肉が分かるのかミアカシが挑発するように口を尖らせて「モシモシ」と溜息を吐いた。

 

「ははは、あは、ははは……!」

 

 可笑しそうに笑っていたコウタが目の色を変えた。

 

 しまいには大きな溜息を吐いて、頭上に君臨するチョロネコを膝の上で丸くして抱えた。

 

「どうした」

 

「んー……あぁ……どうしようかなと思ってさ」

 

「なに……?」

 

 おや、とコウタを見つめる。

 

 どうやら彼は何か秘密を持っているらしい。

 アオイは「言わないのならそれでもいい。思わせぶりなことはやめて欲しいけどね」と言うと彼は覚悟を決めたように目を細めた。

 

「あのさぁ。たぶん、俺が話さなきゃお前は一生知らないままでいられることがあるんだけど、知っておいた方がいいだろうと思うんだよな。ノボリさんと話す機会も少ないだろうし」

 

 真剣そのものの顔でコウタは言った。

 

「それは、ミアカシさんのことか」

 

 問い返すということは、意思の確認だった。

 この話を聞くか、聞かないか。アオイは迷わず聞きたいと思った。

 

 そこに何があるか、もう知っているような気がするのだ。

 

「ん、ああ」

 

 ちら、とミアカシを見てコウタは頷く。分かった、というふうであった。しかし、言葉は当たらずともいえども遠からず、といったところだ。数値にして64点。

 

「ノボリさんがヒトモシを厳選し始めた理由について、俺はお前への説明に『降板』という言葉を使ったはずだ」

 

「ああ、そうだな。私の事故の数ヶ月前にライモンの酒場で飲んだ時にそう言ったな。シャンデラが『降板』したと」

 

「あれは、嘘だ」

 

 コウタはあっさりと言った。

 ミアカシがなにやら自分のことを話しているらしいことを察して、言葉を聞いている。

 

 沈黙は雄弁だ。生きている日数が少ない彼女でさえ何かを悟ったようだった。

 

「もういないんだよ、どこにも」

 

 豊かな感情をどこかに落としてきたかのように彼は言った。

 

(この顔だ)

 

 憂いとも悲壮とも違う、曖昧で温度の低い顔をするようになってからだ。彼が私と話す機会が多くなったのは。

 

 アオイが瞬き一つする間に彼の表情は切り替わる。

 そして、彼が語ったのは次のようなことだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◇

 

 

 

 その日は、最高に忙しかった。

 手練れが多かったんだ。まるで示し合わせたようにドッと集まってさ。

 

 サブウェイはフル回転さ。何度往復したことか分からない。みんながみんなてんやわんやでお祭り状態さ。ノボリさんもクダリさんもパタパタ走り回って、俺はお客さんの乗車・下車の管理をしていたんだがうっかりシングルとダブルの説明を間違えるほどには混乱していた。でも、楽しかったんだぜ。お客さんも笑っていたよ。負けたとか、勝ったとか。本当に楽しそうだった。

 

 その日は、最高に忙しかった。

 強いポケモンばっかりだったぜ。他の地方からのポケモンも多かった。

 

 でも、ポケモンたちも疲れていてさ。こっちで体力を回復させるっていったって限界がある。見えないところで疲労は着実にたまるからな。それだけじゃない、疲れているとポケモンも次第に適当になってくるんだよ。ああ、適当ってのはいい加減な方の適当のことな。

 

 ジュンサーさんの見立てでは午後五時十九分のことだ。

 

 血気盛んなポケモンがいてさ、ああ、ここらへんは職務秘密に抵触するから何のポケモンとは言えないが、まあ、察してくれ。

 

 あるトレーナーのあるポケモンが最後に負けたんだよ。それでもノボリさんところまで行ったのはスゴいと思うぜ。ほんとさ。皮肉じゃないぜ。

 

 だが、トレーナーの態度が最悪だったんだ。

 トレーナーの態度が悪きゃ、ポケモンも悪くなるのは道理ってもんだ。負けたのが悔しかったんだろうな、八つ当たりしたんだよ。

 

 ノボリさんに。

 

 ではなくて、シャンデラに。

 

 でもなくて、天井の照明に。

 

 お前も来たことがあるから分かるだろ。うちの天井の照明は吊る形の照明でさ、室内だが外よりも明るくなるように規格外サイズを使ってる。デカくて重いんだ。

 

 暴れたのが電車の中だったのなら、まだいいんだよ。暴れても大丈夫なような設備をしているからな。

 

 でもさ、ホームで暴れるなんて想定は誰もしなかったんだ。

 

 マッドショットが天井の照明に激突し、ケーブルが切れた。

 

 その日は、最高に忙しかったんだ。

 

 誰も気付けない。分からない。見ていたとして止めれなかっただろうさ。誰も彼もが自分のことで精一杯で仕事を回してるからな。

 

 停車して、休憩時間だから降りたんだ。

 ノボリさんとシャンデラ。

 

 ずっと話していた。「6ターン目のあの動きがよかった」だとか、「よくどくに耐えきってくれた」とか「クダリが買ってきたお菓子を一緒に食べましょう」とか。

 

 俺も一緒に休憩だったからすこし気が抜けてさ、ふたりとも相変わらず仲がいいなぁって見ていた。

 

 

 なあ、アオイ分かるだろ?

 

 その日は『最高に忙しかった』んだぜ?

 

 

 ……だからこそ、気付いたのは他の誰よりも『ちょっとだけ』余裕のある俺だけだったんだよ。

 

 ふらふら揺れる照明の光が次第に強く狭くなってさ。

 

 頭を上げた瞬間だった。

 その時に分かったんだ。どこに何が落ちてくるか。

 

 何か叫んだのかもしれない。手を伸ばした気がする。でも、していなかったかもしれない。いや、していないほうがいい。だって、最期まで話し続けていたほうが幸せだろう? ああ、くそ。俺は知りたくない。

 

 真っ白いスポットライトに照らされたみたいに炎が透けた。

 ひゅるひゅる燃えてさ、青を帯びた紫が艶があって綺麗だった。今思えば、光が当たったから見えたんじゃない。光が消えたからよく見えるようになったんだな。

 

 ものすごい音だった。ホームにいる全員がこっちを振り向いた。

 54kgの照明が落下した衝撃で砕けたんだ。すごい音だったんだ。

 

 でも、俺には何も聞こえなかった。

 

 だって、照明の下にいるんだ。

 いや、いたんだ。

 たしかにその下に、いたんだよ、シャンデラが。

 

 ノボリさんはまだ話し続けていた。事情が分からなかったんだと思う。足下に転がった破片が何なのか分からなくて首を傾げていた。

 

 なんでしょうねっていつもみたいに呟いて、辺りを見回すんだよ。もういないのに。

 

 俺は事情を説明しなきゃならなくて、でも、言えなくて。

 そのうちに視界の端っこでキラキラしたのが目に入ったんだ。

 

 小さな炎だった。

 

 何のものか、ノボリさんも気付いたよ。

 

 あっ。

 

 って言ったんだ。

 彼が手を伸ばして、何か叫んだ。

 でも、消えてしまった。

 

 照明が落ちても、まだ生きていたんだ。

 でも、炎は消えて、いなくなってしまった。

 

 だからもう、どこにもいない。

 

 

 

 ◇ ◆ ◆

 

 

 

「これが、降板の顛末だ。黙っていて悪かったな」

 

 コウタはぽつりと言葉を加えた。

 

「話せる程度には過去になったということだろう」

 

 穏やかにアオイは言う。

 

 そう。

 

 ただの。

 

「事故だ」

 

 そうだろう?

 

 そこにどれほどの感情が交錯していようと、不可抗力の事故。

 

 ならば仕方がない。

 

 

「…………」

 

 

 と、事実で感情が割り切れるほど人間は出来ていない。

 

「辛いものを見たな」

 

「あ、いや、俺はいいんだ。……こんな話……して、ごめんな。お前だって、辛かっただろうに」

 

「私に謝る必要はないさ。ノボリさんに言ってあげたほうがいい。いや、言わないほうがいいかな。……すると、彼はすぐに厳選作業を始めたわけだ。彼がサブウェイを任されている理由が分かった気がする」

 

「薄情なわけじゃない。そうせざるを得なかったのさ。……運営にせっつかれたらやらなきゃならない」

 

 仕事だからね。二人は声を揃えた。

 

 アオイとてノボリが無責任な男ではないのは知っている。

 知っているからこそ、ぐつぐつと腹の底が茹だった。

 

 妬んでいるのだ。

 自分と似た境遇にいながら未だにそこに立ち続けている彼に。

 

 アクロマについぞ感じることの無かった嫉妬を、ノボリには抱いてしまう。

 

 情熱を手放した自分を憎悪し、一方でその余熱を抱きしめる自分を肯定している。

 

 複雑な感情だ。

 アオイは自己否定が強いと自覚している。だが、彼がいなくなったことでそれは変質した。自分だけの命ではなくなったことで自分は自分を愛さなければならなかった。

 

 そのうち、仏頂面を思い浮かべていた。

 ノボリの心境をアオイは知りたいと思った。でも、それは知ってはいけないことなのだろう。

 

「私は、探さなければならないんだよ」

 

 ぽつりと吐息混じりにアオイは言う。

 

 自分と彼で何が違うのか。失ったものは同じだろう。それでも、彼と自分はこんなに違う。その理由を探して、自分の感情の落としどころを見つけなければならない。

 

 だが、こうも詳らかにその差異を突きつけられると胸の内が苦しくなった。

 

「彼は強いね。私は使い物にならなくなってしまったのに、彼はまだそこにいる。正しく歯車のようだ。私は爪楊枝なのに」

 

 ここにはない楊枝を眺めるようにコウタは人差し指と親指をすりすりとすりあわせた。

 

「歯車か、面白いたとえだな。なら、俺もお前も歯車さ」

 

「もうそれほど丈夫じゃないさ。……私自身がよく分かっているんだ」

 

「バカだな。こういうのは自分じゃ分からないもんなんだよ。研究室でもまだ歯車だろうさ」

 

「研究室って……」

 

 もう私はいないのに。

 

「パンジャはまだまだお前を歯車にして回っているだろうよ。そこのミアカシさんだってそうだ。チャチャさんも、へんちくりんな研究者も、みんなそうだ。お前が俺にメールしてこなきゃノボリさんとも縁が無かった。お前が動いたから今があるんだよ」

 

「…………」

 

 ふたりの間に妙な緊張がはしった。

 スッとアオイの瞳から光が消え、瞼が半分ほど落ちる。

 

「……へぇ」

 

 ああ、これはマズイぜ。

 

 背中が寒くなる。

 コウタは一度だけアオイを本気で怒らせたことがある。

 

 これは、それによく似ていた。

 

 あと一歩だ。アオイの領域に踏み込んでしまう。

 

 一転、からりと笑ってコウタはお茶を飲んだ。

 

「ま、あ……だからなんだって話だが、話を聞いてくれてありがとうな」

 

「それは私が言うことだ。知ることが出来てよかったよ」

 

「そう言ってくれたら、嬉しいぜ……」

 

 

 ノボリに起こった出来事は、ふたりに重い問題を突き付けた。

 

 思い悩むのは、いつでも遺された者だ。

 

 特権であり、責務でもあった。

 

 

 

 ◆ ◇ ◆

 

 

 

 次の日。コウタは予告通りに家を去ろうとしていた。

 

 5日間、滞在したことになる。長いような、短いような……けれど、生活の基盤になりそうな畑が出来たことは大きかった。

 

「本当にありがとう」

 

「あとでたっぷり見返りをもらうとするさ」

 

 ニヤッと笑うコウタを見て、アオイも思わず笑った。

 

 見送りには慣れている。

 アオイは常に置いて行かれる立場だったからだ。トレーナーとして旅立つ者あり、夢を追って大都市に出ていく者あり、別れは様々だ。

 

 やがて、車にエンジンをつけてコウタは窓から身を乗り出した。

 

「じゃあな」

 

「ああ。また会おう」

 

 きょとん、と表情が緩むとコウタは破顔した。

 

「『また』ってお前が言ったんだからな、お前が! 約束だぞ!」

 

「何度でも言うよ。そう簡単にくたばるわけにはいかないだろう、お互いに」

 

 もう、ふたりとも大人だ。

 命の重さも時間の貴重さも情熱の温度も知ってしまっている。

 何も知らなかった少年の頃には戻れない。

 

「生かされた命だ」

 

 だからこそ。

 

「生きるよ。腐らず妬まず疎まず、淀まないように」

 

「……お互い素敵な生き方をしたいもんだぜ」

 

 ポエマーかよ、なんて冷やかしたりしなかった。それが彼の決意だった。

 

「そのためのBest Wishだ」

 

 固く握手をしてふたりは分かれた。

 轍を通って車は遠ざかる。

 

 ラルトスが寂しそうに鳴いた。

 その物憂げな声に、涙と共に故郷が浮かび、つんと鼻の奥が痛くなった。

 

「…………っ」

 

「モシ?」

 

 別れが理解しがたいのか、ミアカシが手を振り終えて力なく下げられた手を揺すった。

 

 気付いたら泣いていた。

 

 あぁ、ぁ……。

 

 悲しくはない。ただ、辛い。

 

 決して晴れることのない靄が喉の奥に詰まっていて嘖む。

 膝の上でミアカシが雨とは違う水の温度に戸惑っていた。

 

 

「……慣れているんだ、私は、慣れていたつもりだったんだよ、別れることなんて。……でも、違ったんだ、本当は私は待っていたんだ。本当に別れたことなんてただの一度も……なかったんだ」

 

 普通に生活を送るなかで生きている限り、二度会えなくなることは少ない。

 

 だから本当の意味で『別れた』ことは無かった。

 

 

 『彼』との別れが初めてだったのだ。

 

 

 コウタの話を聞いてから、ずっと思っていたこと。

 自分でさえ分からなかった言葉をすこしずつ音にする。そして、あの日から視界の隅をちらつく言葉の群をつかんでいった。

 

「『彼』が、もうどこにも本当にいなくなってしまってから、それが分かるなんて。命はひとつしかないんだ、それが無くなったらいなくなるなんて当たり前じゃないか、当然じゃないか、どうして私は……」

 

 いつかくる瞬間のために、もっと大切にしなかったんだろう。時間を大事にしなかったんだろう。『彼』だって私だって望むことだったのに。

 

 きっと、心のどこかでは分かっていたんだ。自分が臆病者だから、その瞬間を迎えたあとで自分が傷つかないように思い出を持たないようにしていた。私だけじゃない『彼』だってそうだ。飢えてるフリをしておくびにも出さない。

 

 そんなこと出来るわけがなかったのに。

 

「バカだ、私は、バカだよ」

 

 ああ、と唇を震わせるとはらはら涙がこぼれた。

 

 何が傷の舐め合いだ。互いを温めることも癒すこともできた。

 こうして再起不能になるほど大切にしていたのに、何もしなかった。

 

「ごめん、ごめんよ……ごめん……ごめんね……ミアカシ」

 

 新しく歩むことを決めたにも関わらずどうしても引かれて振り返ってしまう、足を止めてしまう。

 

 ミアカシは『彼』の代わり――そんなつもりは無いけれど、もしかしたら心のどこかで望んでしまっていたことなのかもしれない。こうして嘆いて許しを請うほどに。

 

「大切だった、同じ痛みを持った似た存在だったんだ『彼』は」

 

 消え入りそうな声で言う。ミアカシは黄色の瞳で見上げていた。

 

 しばらく、泣いていたと思う。

 ラルトスがコウタがいなくなったことを理解して、ミアカシと同じように膝の上へやってくる。

 

 その時、悲しみで暗む心の縁に、光が差した。

 

「え……」

 

 自分のものではない感情だ。もっと簡単で純粋な思いが空洞に満ちた。

 

「モシ?」

 

 それはミアカシも同じようだ。不思議そうにからだを傾けてラルトスを見ている。

 

 赤いツノをアオイに向けてじーっと見つめているらしい。

 

(慰められているのか……)

 

 相手は『きもち』ポケモンだ。もしかしたら人間より鋭い感性をもっているかもしれない。また影響されてしまうこともあるだろう。今がそれだ。

 

 ぐずぐずと鼻をすするとアオイは顔を上げた。

 

「すまない、取り乱した……」

 

 ぽんぽんとミアカシがアオイの腕を叩いた。

 

「大切なんだよ……今も、昔も」

 

「モシ……?」

 

 ほんのすこしアオイが笑ったことに応じてミアカシは「モシモシ」と笑った。

 

「今の君と同じように大切な相棒がいたんだ。それをちょっとだけ忘れないでいてくれると嬉しい。勝手な願いだが」

 

「モシ!」

 

 写真でもあればいいんだけど。全部、捨てたかもしれない。

 

 ぼやいて鼻をすするアオイは部屋にはいるとスケッチブックを探そうと思った。せめてイラストを描こう。ミアカシさんに伝わるように。

 

 もう二度と同じ後悔を繰り返さないように。

 

 アオイはいくぶん軽くなった心でミアカシとラルトスを部屋へ誘った。

 

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 がさがさと乾いた葉の音が聞こえる。風の音に混じるが、見る人が見ればそこになにかが『いる』ことに気付くだろう。

 

 珍しいものを見た、と。

 

 もしもここに人間がいれば、そんな言葉が浮かんくるに違いない。

 

 

 

 その場に長居することなく、黒い影は森の深い闇の中に消えていった。

 

 

 

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