もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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ハクタイー手がかりへ至る路
ちいさい子


 朝早い時間にベルが鳴った。

 ちょうど朝の散歩から帰ってきたばかりで手洗いうがいを済ませ、これから朝食を、と思っていた矢先のことである。

 

「チャチャさんが来るにはまだ早いけど……」

 

 そう言いつつインターフォンを確認すると隣に住むリーン老婦人だった。

 玄関で迎えると驚きの言葉を聞くことになる。思わず、白昼夢を疑ったくらいだ。

 

「え、あ、あ、預かるですか? 私が?」

 

 軽い頭痛を感じてアオイは隣の家に住む少女リリを見つめた。10歳に満たない少女である。

 

割れ物のようなそれを自分が世話をする……ぞっとする話だ。考えただけで寒気がした。

 

「おじいさんの具合があまりよくなくってね、ちょっと預かってもらえないかね」

 

「いえ、あの、……私、ひとり暮らしですよ?」

 

 自分で言うのはものすごく恥ずかしいが、ここは男の一人所帯である。しかも、住人は子供が嫌いだ。

 

 最近引っ越してきたばかりの得体の知れない男よりもっとほかの選択肢があるだろう。そんなことを遠回しに聞けば、ここは仕事人ばかりの地区で昼間に街にいる人といえば小さな子供を持つお母さんやリーン家と同じような老夫婦が多いのだという。

 

 おばあさんの手をぎゅっと握っているリリはリュックサックが重いのか、顔を伏せていて表情が読めない。

 

 ちゃんとお世話できる自信は全然無かった。しかし、拝み倒されるように頭を下げられてはこちらに否があるのではないかと変な罪悪感を覚えてしまった。

 

「あの、本当に、食事くらいしか、お世話できないかもしれませんが……」

 

「迷惑かけないようにしますので」

 

 おばあさんは色よい返事に嬉しそうにすると、リリの肩を押し、何度も頭を下げて行ってしまった。

 

 こうしてアオイの緊張感溢れる1日は始まったのだった。

 

 

 

 

 

「初めまして、ではないけど、あらためて自己紹介してもいいかな。私はアオイ・キリフリ。ハクタイに来るまではイッシュ地方のシッポウシティというとこに住んでいた」

 

 こんな小さな子に馬鹿丁寧な対応はどうかと思う人もいるだろう。しかし、この子が自分の家に戻った時に、あーでもない、こーでもないと吹聴するかもしれない。隣人トラブルなど最悪だ。いくらひとり暮らしといえどもう一度どこかの家を買い取ってバリアフリー化するほど財布は温かくない。すでに微熱なのだ。

 

 そんなことに思いを馳せれば『バタフリーよキレイハナよ』という姿勢になるしかないのだ。

 

 あまりに普段の姿とかけ離れているのに驚いたのか、ヒトモシのミアカシはラルトスと部屋の隅の段ボールから頭をちょこんと出して様子を伺っている。

 

「わたしは……リリです」

 

「おじいさんの具合が悪いと言っていたけど、どうしたんだい?」

 

 お茶を淹れて砂糖を入れると「前から失礼」と言いながら椅子に座るリリにソーサーごと置いた。

 

「なんか……お腹痛いって」

 

「そうか。心配だね……」

 

「あの、アオイさんは、どうして、この街に、来たんですか?」

 

 慣れない敬語を使うようで、彼女の言葉はたどたどしい。

 

「一人暮らしをしたくて」

 

「お仕事は? お昼もお家にいるみたいだから……」

 

 もしかして、リーン家では隣人がニートだと思われていたのではないだろうか。そんな予想が脳裏をよぎった。

 

「お家でできるお仕事をしているんだよ、パソコンで。運動不足になってしまうのが難点だけどね」

 

 ハハッと笑ってアオイは視線をさまよわせた。本当に自分は向いていない。子どもの世話なんてどうすればいいのか。

 

「ええと、本当は歩いてこの家の説明をしたいんだけど、見ての通り脚を不自由していてね。トイレはこの先を右に曲がったところ。……向こうの角を曲がると私の部屋だから、そこだけは入らないように気をつけてくれるかな」

 

「…………」

 

 こっくり頷いて彼女はリュックからノートを取り出した。

 

「ああ、それと冷蔵庫にジュースが入ってる。勝手に開けて飲んでくれて構わない」

 

 段ボールから、うかがっていたヒトモシのミアカシとラルトスを誘い出すといつものように膝の上に座らせた。

 

「そういえば、君のロコンは?」

 

「え? ボールから出してもいい、ですか?」

 

「いいよ。ひとりだと心細いだろう。この部屋は自由に使ってくれて構いませんから」

 

 それから、とミアカシの手を取ってアオイは言った。

 

「ミアカシさん、リリさんはお客さんですから、失礼なことをしてはいけませんよ」

 

「モシ!」

 

「それでは、リリさん。私は部屋にいますから何かあったら呼んでください。テレビとか、自由に見てもいいですし。あ、お昼ご飯は12時30分頃にしましょうかね」

 

 そそくさとパソコンを抱えてアオイは私室に逃げ込んだ。自分の家なのに他人の気配がするのは落ち着かない。

 

(どうしよう……)

 

 子供の扱いなんてネットで調べてみてもイクメン特集の記事ばかりでおしめ交換などをしている。こそばしく、恨めしい、そして最後にはいたたまれない気分になって、ページを閉じ、仕事用のページを開くと数字を追いかけた。

 

 カタカタと今日の分のノルマを終えると、時計を確認した。まだ昼食には早い。リリの様子を

 

見に行こう。そう思い、車輪を回すと背後においてある段ボールとぶつかった。

 

「…………んむ」

 

 つごう9個の書類とフォルダーはアオイの研究室での成果だ。その奥に埋めている金庫に保管している極秘書類を含めれば段ボール10個分の資料だ。

 

 こんなに、と見るのか、これだけ、と見るのか。

 

 アオイは腕を伸ばして道を確保すると扉に手をかけた。

 

 段ボールはまだ開けていない。

 いつか整理しなければならない。そう思う気持ちも無いわけではないのだが、決心が付かないのだ。

 

 

 

◆ □ ◆

 

 

 昼食はピラフにした。洗い物が少なく済むからだ。炊飯器がピーという音を立てて炊き立てをお知らせしてくれる。

 

 お昼時に来ると彼女はまだノートを開いて何かメモをしていた。アオイがやってきたところでようやくお昼の時間に気付いたようだった。

 

「あっ、お手伝い、します」

 

「そう、えっと、じゃあ、棚にスプーンが入ってるからそれを持ってきてくれるかな?」

 

 ミアカシとロコンがじゃれてカーペットの上で転がっているのを見て、つい吹き出してしまった。

 

「ミアカシさん、ロコンさんも、ご飯ですよ」

 

「あ、あの! オレン味がいいです!」

 

「え? あ、ロコンさんの、だよね?」

 

「あ、うん……」

 

 スプーンを受け取ると、彼女はとてとてとロコンを抱えてきた。それを見たミアカシが羨ましがってアオイの足をよじよじと登ってきた。

 

「ミアカシさんもお昼ご飯ですよ。……オボン味も食べてくださいね」

 

 よじ登った先に苦手な味を見つけると逃走を図った。

 

「ラルトスさんは好き嫌いしないで偉いですねー、コウタにもそういっておかないといけないねー」

 

 それを聞いたミアカシが猛然と口に青いポケモンフードを詰め込んで身体をばたばたさせた。

 

「あ、こら食べ過ぎだよ」

 

「モッブッモジッンッッ」

 

 おそよヒトモシらしくないことを叫んでアオイはミアカシに小さなコップの水を差し出した。

 

ほのおタイプであっても喉(?)が乾くのか彼女は時々、水を飲むのだ。隣でポリポリ食べているラルトスでさえ笑っている。

 

 ふっ、と息を漏らすようにリリが笑った。

 

 この家に来てから初めて笑った。

 

「あ」

 

「笑ってくれたほうが、私も嬉しいよ」

 

「…………」

 

 口を覆って上目遣いになるのは、なぜか分かったーー気がした。

 

なにか引け目があるのだ。

 

「私は、こんな身体でも普通に笑うことができるよ。君が笑っても怒ったりしない。君が気に病むことは何もないんだよ」

 

 その言葉で、ホッとしたように表情を緩めたのをアオイは見た。

 

 子供だから、頭では分かっているつもりでもまだ分かっていないことも多いのだろう。

 

 ほんのすこしの苛つきは、その考えに至ると消えていった。

 

「気を使わせてしまってごめんね。普通に話しかけてくれると嬉しいんだけど。私、人と話すのが、その、慣れていなくてね」

 

「…………あの、その」

 

「何か分からないことがあったら聞いてくれると嬉しいんだが」

 

 じっとアオイの顔を見ていたリリが、「じゃあ」と口を開いた。

 

「男の人なのに、どうして私って言うんですか? ……ニュースの人だったの?」

 

「え? あ、これは、癖みたいなもので。元は、研究者なんだけど、あらたまったしゃべり方をしなければならないことが多くてね」

 

「研究……?」

 

 また、じーっとアオイを見て黙り込むリリはすこし考え事をしているようだった。

 

「ハクタイの博物館と関係ある?」

 

「私は化石が専門だから、ハクタイとは関係ないけど、どうして?」

 

「パパがそこでお仕事しているから」

 

「ああ、なるほど……」

 

「がくげーいんなの」

 

「そうなのか」

 

「……もしかして、行ったことないの?」

 

 まるで珍獣を見るような目で見つめられてアオイは「まあ、ね」と逃げたくなった。

 

「恥ずかしい話だけどね。そう、恥ずかしいんだ、いい年して一人で行くの」

 

「こ、今度一緒にいこうよ! ひとりだと嫌なんでしょ? なら、今度いこうよ、楽しいんだよ、博物館」

 

「あ、い、いや、そう、いうわけじゃ」

 

 食い気味に言い募られてアオイはピラフをこぼしながら、結局頷いてしまった。これまでなんとなく避けていて話題にも出さなかった博物館行きが思わぬ方向で決定してしまった。

 

「リリさんは、行ったことあるの?」

 

「何回も。展示しているの、全部言えるよ」

 

 それだけが取り柄であるかのように彼女は熱のこもった頷きをした。

 

「そう、なんだ、すごいねぇ……」

 

 しかし、と。アオイは後頭部にスッと寒い風が入ったような嫌な予感がした。

 

 アオイは隣の家に住んでいるというリリの両親を見たことがなかった。

 

 これは、どういうことだろう。

 

 博物館は広い。わけのわからない男に子供を預けるくらいなら、この子を博物館のどこかにおいておけばいいものを。そうしないのはなぜだ?

 

 妙な胸騒ぎと共に起こる予感は酷く嫌な妄想を掻き立ててアオイはピラフをかき込むと食器の片づけを始めた。

 

 

 

◆ □ ◆

 

 

 

 夕方にリリのおばあさんとおじいさんが訪ねてきた。病院では何も異常は見つからなかったそうだ。それはよかったとアオイは言う。リリとおばあさんがアオイの家から離れるとおじいさんが残った。

 

「朝から孫がお世話になりました……」

 

「いえ、お世話と言うほどのことは。それより、どうして私を頼ったのでしょうか? 失礼ですが、私はこんな身の上ですから見守るくらいしかできないのです。この度は緊急とのことでしたが、今後同じようなことがあっても責任は持てませんよ」

 

 預かりはするが責任まで持てない。それを無責任だと老人は思うだろうか? しかし、実際は重要な問題なのだ。ふつうではない人間に何かを預ける危険性を彼らは分かっていない。

 

 責めるつもりはなかったが、やはりそういう口調になってしまう。小さい子でも五体満足なら役に立つと思っているのだろうか。

 

 微かな怒りが口調を早めた。

 

「それは、申し訳ないと。実は」

 

 両親が帰ってこないのだという。

 

 言葉はもっと婉曲なものだったが、要するにそういうことだ。さすがのアオイも開いた口が閉じれなくなった。

 

 わたしたちも、もう年だしいろいろと患っている。他にお頼りする人も少ない。

 

「……無理を言っているのは、本当に分かっているけれど、それでもどうしてもとお頼みしているのです」

 

 何も言えなくなってしまったアオイは「それでも」と本当は詰ってやりたかった。

 

「リリさんは……?」

 

「何もいわないけど、察しのいい子だから。きっと」

 

「そう、ですか」

 

 博物館に誘われたことは言えなかった。

 

 私を出しに使ったのか。胸に秘めたまま、アオイは引き受けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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