もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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現実の風見鶏

 ゆめうつつ。

 

「風見鶏が回っている間は、夢なのよ」

 

 ――そう聞いたのは、これは、あれは、それは、母の言葉だった、かも、しれない。

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 アオイは目の前の光景を理解した。なぜ、あんな夢を見たのかも同時に理解が及んだ。

 キリリ、と嚙みしめた歯が軋んだ。

 

 そして。

 

「ダークライ! そうだ、思い出した、思い出したぞ。ははっ! くだらないと購入後三十分でくずかごに捨てた雑誌がこうして役に立ったわけだ! ――そのための夢か! 夢だったのか……!」

 

「ハヤイな……マァ、落ち着け」

 

 アオイは自分が珍しく怒っているのを自覚して歯がみした。

 

「……落ち着いていられるかっ。夢は――夢として、そもそも、だいたい、なんで、なぜ普通に話しているんだ?」

 

「ナガク生きていれば、しゃべるだろ……エ?」

 

 森のなかと同じように低くざらついた声質でそのポケモン――ダークライは言った。

 

 その言葉のなかにささやかな優越があったのをアオイは聞き逃さず、それを教えるために笑ってやった。人間の見当を越えてやったというダークライの思惑を挫くために。

 

「私の知る限りポケモンは話さない。だが、君が特異であることは認めよう」

 

「ホカのポケモンは、ドリョク、が、足りないんじゃないか」

 

「君の言うドリョク、努力がどんなものか気になるが――話は置いておこう。どうしてここにいるんだ? てっきり森を住処にしていると思っていたのだが」

 

「ハヤサ、も足らないな」

 

「グズグズしていてすまなかったな。この通りだ、体力が無くてね……。きのみの木の交渉に――話し合いに来たというのなら日をあらた――いや、早いほうがいいんだろうな。すこし待ってくれ」

 

 気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。

 

 パソコンを起動している間にもヒトモシのミアカシの姿を探した。彼女も悪い夢を見ているのではあるまいか。ラルトスがテクテクと窓際を歩いているのは確認したが、ミアカシの姿が見当たらない。

 

「君、あのローソクのようなポケモンを見なかったか」

 

「コレ?」

 

「ああ、その子――ミアカシさん!?」

 

 ダークライの頭がやけに長いと思ったらミアカシが居座っていた。そりゃ私より背が高いけれど、高いけれどもさ。

 

「自分が、都合の悪い男になったようで心苦しいな……」

 

 自分が傷ついていることに気付いてしまい、アオイは落ち込んだ。

 

 これは幼かった頃、スクールで好意を寄せていた女の子の(おそらく)ファーストキスの瞬間を垣間見てしまった瞬間の気持ちに似ていた。

 

「しかし……、私は君が幸せであれば、それで……それでいいんだ」

 

 ミアカシが勢いよく左の頬に激突してきたので次は右の頬を差し出すべきなのか、アオイはしばし考えていた。彼女は朝から元気だった。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 さて、問題がある。

 

 畑の管理より容易にできるきのみの木の整備であるが、アオイはまだ選定にさえ着手していなかった。それはなぜか。

 

(イチから勉強をしなければならないからなぁ……)

 

 アオイを困らせる問題、それは。

 

(時間が足りない……)

 

 そう、いまのところ――すこし、足りていないのだ。

 

 これから日常的に畑の整備をしなければならず、ミアカシの世話もあり、博物館の事務を受ける面接の練習もしなければならない。せめて生活がもうすこし落ち着いてから、そう思っていたのだがダークライとの邂逅で全ての予定を前倒しにしなければならなくなっている。

 

 ダークライに待ってもらう、ということも一瞬だが考え、刹那その考えは打ち消された。他のポケモンならばいざしらず、人間の生命に及ぼす危険度を考ればここで信用を失う行為は得策ではない。

 

 それに。

 

(――どちらが上か、譲るわけにはいかない)

 

 ここはアオイの家で、ポケモン風に言えば『なわばり』だ。ここでの言動がこれからの関係を決めることになるだろう。迂闊なことは言えないし、できない。

 

 何度か瞬きをしてからカーソルを動かす。

 

 

 

 

 きのみの木。

 

 その種類は多種に及ぶ。味だけではない。地方によってはポケモンの毛並みや――嘘か本当か眉唾であるが――賢さに関与するとまで言われているらしい。ポケモンときのみの関係は複雑で多様だ。最近では新しくきのみを染め物に使うこともできると聞いている。

 

「……まあ、食料の確保は大切だ。これはどうかな」

 

 アオイは車イスを引くと、パソコンの画面をダークライに見せた。

 

「裏のスペース――土地を見て来たのなら分かってくれると思うが、植えることができるきのみの木は3本だ。そのうち1本はカゴの木を植えさせてもらう」

 

「ソウ、これとこれ」

 

 画面をちらりと見て、指――にあたる部分で差した。

 

「クラボとモモンか……分かった。注文してから3日で届くようだ。その間、じょうろでも調達しておこうか」

 

「オワリか?」

 

「終わりだ。近頃のネットショッピングは楽なんだよ」

 

「ヘェ……」

 

 感心したような声に、自分の手柄でもないのに誇らしい気持ちになった。

 

「マエの住人は……古い人間だったからな。こういうものは無かった」

 

「古い人間……老人ということかな」

 

「ワルイ人間ではなかったな」

 

「そう……」

 

「…………」

 

 この家に以前済んでいた人物をアオイは知らない。どうなったのかも、分からない。だがここがワケあり物件ではなかったことがすべてを語るだろう。

 

 彼らもまたダークライとは微妙でちょうど良い距離感で生活していたのだ。

 

 アオイは車イスを反転させて、右手を差し出した。

 

「私は、君との出会いがお互いにとって良いものであることを願っている」

 

「……ソゥ」

 

「それに、ミアカシさん――この子のことだが、彼女が楽しそうにしているからね。君にとっても得るものがある交流になれば嬉しいよ」

 

「…………」

 

 テーブルから床に着地したミアカシが床をゴロゴロし始めて、アオイは吹き出すように笑ってしまった。どうやらダークライがなぜ浮いているか気になっているようだ。

 

「まぁまぁ。ミアカシさん……朝から元気だね」

 

 床からミアカシを拾い上げたアオイは微笑ましい思いでいっぱいになった。この様子ではアオイのような悪い夢も見なかったのだろう。

 

(このまま恐れることなく……生きて欲しいものだ)

 

 朝方の冷たい指先にからだをすりつけてくれるミアカシを見て、ダークライも何か思うところがあったらしい。ふらりと揺れたと思うとどこかへ行ってしまった。

 

「……意外と、人間くさいポケモンだな」

 

 ぽつり。アオイの呟きは吐息と消えた。そして、自分が緊張していたらしいというのに気付いた。

 

 単語の多くを理解しているポケモンとは、そういうものかもしれない。なんせポケモンが自分のことを人間に説明するなんて――起こりようがなかったからだ。

 

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 

(…………)

 

 

 今日は、すこしだけ風が強い日だ。

 

 アオイはいま『依頼』が一段落してミアカシと朝食後のお茶をしている。この休憩を終えたら次は『仕事』をして、庭の見回りをして、それから森の異変を調べているナタネへの釈明を考えることになるだろう。

 

「…………」

 

 何気ない、日常だ。きっと、自分はいま幸せを感じている。

 たぶんこうして明日も、明後日も続いていくのだろう。――そう信じられる安穏な日常だった。

 

 今日は、すこしだけ風が強い日だ。

 

「だが、きっと……これでいい……」

 

 パンジャがいなくても、コウタがいなくても、両親を忘れて穏やかで緩やかな生活がある。心の傷は時間が癒やしてくれる――そう思いたい。

 

 しかし。どうしてだろう。こんなに気分が落ち込むのは。ああ、もしかして今日は、すこしだけ風が強い日だから?

 

(いいや、違う)

 

 アオイは耳障りになってきた風の音を探して窓を見つめた。

 

(私の気分が晴れないのは……)

 

『安穏』で『穏やか』で『緩やか』な満ち足りた生活ではどうにもならないことがある。それはたとえば時間で癒やすことが出来ない心の傷であり、過去への憧れであったりする。

 

 それに気付いた瞬間に、閉塞感を覚えてしまったのだ。

 

(ばかなんじゃないか、私は……)

 

 こんなに満ち足りた時間を過ごしているというのに。自分でも自分が可哀想に思えてくる。どうして満ち足りていると感じているのにまだ足りないと思うのか。どこまでも求めてしまうのは研究者の性か、飢えた本性か。自分の浅ましさを見つけてしまった思いでまた自己嫌悪になりそうだ。

 

 

 けれど、きっと、これでいいのだ。現実は常に正解なのだから。――何度だって自分に言い聞かせる。

 

 自己肯定と自己嫌悪を繰り返して、自分と向き合っていく。

 

 ここはそういう場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は、すこしだけ風が強い日だ。

 

 

(……風見鶏が)

 

 隣のリーン家の屋根の上に設置されている朱い鶏がくるりくるりと回っている。

 

 夢と現の狭間で囁いた母の声を思い出していた。

 

 あれは――いつのことだったのだろう。絵本の読み聞かせをしてくれた時のことだろうか。いや、そもそもあれは本当に母だったのだろうか。分からない。分からないけれど。言葉は覚えている。

 

(回っている間は……)

 

 最初は、詩人の言葉だった。

 

(夢……)

 

 遠い風見鶏に手を伸ばす。

 

 

 

 風見鶏が回っている間は、その世界は夢なのだ。

 

 夢でなければ、風見鶏は回らない。

 

 風見鶏が回らなければ夢ではないのだ。

 

 風見鶏が回っていれば、夢なのだ。

 

 夢の間は、風見鶏が回っている。

 

 風見鶏が回らなければ、その世界は現実なのだ。

 

 しかし、現実の風見鶏は回っている。それを現実の『私』が観測している。次の一秒に現実の風見鶏が回らない可能性を秘めているのは同時に夢の風見鶏が回り続ける可能性をもつことにほかならない。

 

(現実、夢、風見鶏、世界)

 

 もうすこしだ。もうすこしで、何かが繋がる。

 

 画期的な空想に取り憑かれた頭に、インターホンが鳴り響いた

 

「――はっ! あ、そうだ、コウタからの荷物……!?」

 

 アオイは慌てて車イスを操作した。それから床でゴロゴロしていたミアカシを轢きそうになったり、あわてたラルトスが飛び跳ねてテーブルに激突したり、いろいろなことが一緒になって起こったのでそれきり考えることは中断されてしまった。

 

 

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