生活と就活の話
まな板のコイキングとはこんな気分だろうな、と思ったりすることがある。
「あぁ……その……こういうことってやはり絶対やらなければならない――のでしょうね」
「当然です。なんてったって、公共施設ですからね!」
チャチャがテーブルの上に書類を広げて見せた。
「そうですよねぇ。うん……」
アオイは喫茶店のお茶を飲みながら紙上の「志望動機」という言葉を見つめた。
どうして世の中、書類審査だけではないのだろう。書類上ならば自分はいくらでも誠実でまっとうな人間でいられるのだが。
面接になった途端、腹底の醜い部分と向き合わねばならない気分になる。それはアオイを苛立たせ、落ち込ませ、高揚させ、感情を持て余した。
彼の葛藤を知ってか知らずか、チャチャは質問例を片手に白紙を指した。
「まあ、アオイさんならばガッツリガッツリ面接練習をする必要はないと思います。話すネタさえ用意していれば、ですよ。……え? まさか人との会話が苦手ですなんてことないですよね」
「はっはっは、まさかそんなわけないじゃないですか」
アオイはなぜ自分が見栄を張ってしまうのか分からない。しかし、正直に『実は、事務的な連絡を除いて人間関係を円滑にするコミュニケーションはパンジャに全部任せていました』とは口が裂けても言えず、から笑いをした。
しかし、まったくできないというわけではないのだ。そう、パンジャがやっていたような言動をすればいいのだ。すべての行動は模倣から始まると――。
「では何か具体的な実績が?」
「あっ………………い、え、思い浮かばない、です……」
どんなに記憶を探ってもパッとするものが浮かばずアオイは白状した。まな板の上のコイキングのほうがマシだろうとさえ思った。こんな恥ずかしい思いをするなんていい年して何をしているのだろう。
「……すみません」
「そんなに気落ちしないでくださいよ。就職活動のために生きているわけではないんですから、そういうものですって。記憶を辿りながら、話すネタを作っていきましょう!」
「はい……」
適当にレポート用紙をめくり、アオイは素直にペンを取った。
「まず、志望動機を……といいたいところですが、物事には手順というものがありまして。こういう時は根っこの部分からやっていくのがいいんですよ」
「は、はぁ……?」
「つまり『あなたにとって働くとは何ですか?』とか、そういう問題ですよ」
「あぁ、そういう動機ですか。働く、ですか。うーん……? 生きるために必要なこと、とかですか?」
「おっと、アオイさん、気をつけてくださいね。質問はアオイさんの価値観について聞いているのであって世間一般の平均解答を聞いているわけではないんですよ」
「なるほど。それはそうですね……。働く……働く……。ふむ――私にとっては、働くことは必ずしも営利的な行為ではありません。むしろ学んだことを公、社会に還元するために行われる行為です」
崇高な行為をしている人間が必ずしも素晴らしい人間ではないことを惜しみながら、自分の考えをまとめてみた。ともかく、私にしては素直でまっとうなことを言っていると自画自賛したかった。
「『それを仕事にどう活かしていけそうですか?』」
「仕事に……? うーん、博物館は地域の研究機関ですが、同時に知識を保存、展示し、提供する立場でもあります。地域の発展と情報の発信を支援していけるのではないでしょうか。今のところ技術はありませんが、そういう心構えだけはあります」
「いいんじゃないですか、そんな感じで」
チャチャは手を叩いた。
「こんな感じいいんですか?」
「ええ、まあ。30秒くらいでさっくり話してください」
「30秒? そんなに短くて良いのですか?」
「いえ、かなり話しますよ。だいたい、普通に話して400字詰め原稿用紙の8割から10割です。よどみなく話すとそれくらいの分量になります」
「な、なるほど……」
すこし認識が甘かったかもしれない。アオイは一問一答を想像していた。質問に関する理由を話すとたしかにチャチャの言う分量になりそうだ。
注意点としてメモをしていると、彼女が雑談のように話をはじめた。
「それにしても、アオイさんってやっぱりすごい方ですね」
「えぇ? そんなことありませんよ……」
すごい人というのはそもそもこんなところで隠居生活していないと思う。それをぐっと飲み込み、苦笑を浮かべてチャチャの話を聞いた。
「アオイさんに限らず、かもですが、研究者の方ってこう、なんというかストイックで向上心があって真面目な方が多いじゃないですか。やっぱりアオイさんもそうなんだなぁって思って……」
「研究者なんてだいたいこんな感じだと思いますがね。もっとも私は勤勉家ではないですが。志は高く、そして真面目に生きていきたいと思っていますよ」
「うーん、学者さんってそういう志が必要なんですね……。わたしも、もうすこし頭が良かったらなぁ」
「――わたしは、机上の勉学よりも、旅をして歩くチャチャさんのようなトレーナーのほうが尊敬に値すると思います」
「そ、そんなことないですよ。10歳くらいになればみんな行くじゃないですか」
「そうなのですが、その期を逃すと……気まずいんですよね」
あぁ、とチャチャが目に手を当てた。たしかに、トレーナーは若者が多いという印象が、風潮としてある。
「時間は金なりとも言いますね。……そうそう金といえば、それ目当てで学者なんてやってられないですよ。結果が出るかどうかは博打ですからね。ほんと儲かりませんから……。それに、化石の再現なんて――」
アオイは喫茶店のポケモンフリースペースで遊んでいるミアカシを眺めた。
「人間性を捨てなければできませんよ。それから『この実験が世界に有益な情報をもたらす』という崇高な目的意識です」
薄く笑い、アオイは志望理由の文字をなぞった。
「もう存在しなくなったものを再びこの世界に存在を確立させる『作業』です。まともに考えると恐ろしい実験ですよね」
「……それは、でも、まぁ……」
「よくポケモン愛護団体に叩かれるんですよね。……私は皆さんのために頑張っていたのに本当にショックです」
アオイの言葉は本心に近い。
どんなに研究者を批判をしていても、ある利便性に味を占めればこれまでの罵詈を忘れたように一般人の彼らは結果を使う。世間は日和見主義だ。もっとも、真剣にそれに怒り、非難のためにペンを取るほどアオイは考えているわけではなかったけれど。
「あ――」
語りすぎてしまったかもしれない。アオイは気まずい思いで頭を掻いた。
チャチャが次のコメントを考えるように視線をさまよわせた。
「……え、あぁ、研究者とは、ふ、複雑なんですね」
「いえ専門領域の問題です。倫理を考えるのは文系の仕事ですからね。……すみません、話が脱線してしまって。ええと、仕事についての考え方は差し障りのないところをうまく話していきたいと思います」
「はい。そのほうがいいでしょうね。――あー、志望理由は、生活のためとか言っちゃっていい気がしますね。学生ならばまだしも、アオイさんは社会人ですし。えー、あとは、なにか心配なことはありますか?」
「趣味とか、無難な解答は何でしょうか」
「ええぇ……そこは悩まずに好きなものを言ったらいいと思いますよ。読書とかお好きじゃないですか?」
「読書は、人並みですが……」
もうすこし別な趣味はないだろうか。アオイは思考をまわす。
読書と答えて、面接官に内向的だと思われたくない……気がする。そもそも読書なんて最近ではおじさん趣味だと思われているのではないだろうか。最近の若い子は……自分だってまだ二十台だが……ゲームとかネットサーフィンとか、いや、ちょっとまて、ゲーム、ネットサーフィンのほうが読書より内向的と思われるのでは……? なんだかよくわからなくなってきた。
言いかけた言葉をなんとか飲み込み、アオイは「ところで」と話題を変えた。
「参考までにおうかがいしたいのですが、いえ、女性に聞くのは失礼だと重々承知していますが……チャチャさんは、休日をどのようにお過ごししているのですか?」
「へっ? わたしですか。わたしはぁ……ごろごろしたり、庭のガーデニングしたりですね。……庭って言ってもアオイさん家よりずっと狭いところですよ」
家庭的なところが見える素晴らしい趣味だとアオイは感心さえした。これを参考にするとどうだろう。
「ガーデニング……庭、そうだ、庭とかいいですね。皆さんが手伝ってくれた畑の見回りは日課にしているんです。近頃はきのみの木を植える予定ですし」
「そうなんですか。日程はもう決まっています? お手伝いに行きますよ」
「ああっ土を掘らないといけないのか……。すみません、いろいろあってそこまで頭が回っていませんでした。お、お願いしますね」
チャチャは話の内容よりもオマケで話したきのみの木が気になるようだった。それもそうだろう、畑を作る話をした頃から計画だけはあったものの、実体が無かった話題だった。
それにしても森のなか遭遇以来、アオイの予定は微妙に狂いっぱなしだ。その影響がここにも出ていた。本来であればもっと早くチャチャに知らせるべきだった。アオイひとりでは木を植えることができない。
「あちゃ、もう注文してしまったんですか」
何か不都合があったのだろうか。心配になっていると、チャチャは軽く手を振った。
「ああ、いえ、うちの利用ポイントが付くとかそういう話です。生活しておく上でお得になりますからね」
盲点だった話をされ、アオイは「生活」という語に生々しい感触があるらしいことに気付いた。それと同時に、これまで淡泊で味気なくもったいないことに金を使い、生きてきたように思えた。ポイントか。今度から気をつけてレシートを見てみよう。貯めると何かいいことがあるかもしれない。
適当な雑談をして、病院の予約を確かめる。それで今回の相談は終わった。
ミアカシはというと、最初からクライマックスで最後まで退屈しなかったらしい。頭上の炎を大きくして飛びついてきた。
「おや、楽しかったのかな。何よりだよ」
「モシモシ!」
ミアカシが小さく手を振り、アオイも控えめに手を振った。フリースペースのポケモンたちが思い思いの声を上げ、短く別れを惜しんだ。
その光景を見て喫茶店にあるフリースペースも侮れないものだな、とアオイは思う。いろいろなポケモンが入れ替わり立ち替わりやってくる空間は彼女にとって珍しい出会いの場であったことは想像にたやすい。
出会いうことは楽しいというだけではない、一期一会。喜びの数だけ悲しみが訪れるのをきっと彼女も知るだろう。自分がそうであったように。日増しに経験を積み、賢くなっていく彼女をアオイは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか――まだ分からない。
【無粋な話】
アオイの台詞、
「人間性を捨てなければできませんよ」
「『この実験が世界に有益な情報をもたらす』という崇高な目的意識です」
「愛護団体に叩かれるんですよね」
「倫理を考えるのは文系の仕事ですからね」
このあたりの台詞を提供してくれた知人に感謝です。アオイという筆者にとって、いつまでも書き慣れぬキャラクターを考える上で、彼の信条や何人かの研究者を描写するうえで参考にした言葉でもあります。ぬくぬくした価値観のなかにいる筆者には、なかなか思いつかない言葉です。
知人はとある動物実験に携わっていた人物ですが、全てのひとがこういうことを考えて、本気で言っているわけではない、ということを注意書きしておきます。人間性を保ったまま、高い志を持ち、周囲の理解を得、人倫に即した研究をしている人は当然いますし、そちらのほうが多いことでしょう(現実にもこの作品の中でも)。
この言葉が出たのも疲れた雑談のなかですし、この作品のなかではそういうものなのか、と思っていただければ幸いです。
なお【無粋な話】というのは筆者が解説することを指したものです。
こういう台詞は、もっと賢い作者ならば考察の余地を残しつつ伏線にしていくところだと思いますが、この作品の描写については何に影響を受けたものなのか、できるだけ明記しておこうと思っているため、こんな感じになりました(テイストが違いますが、前話ネタの寺山さんのような感じです)。しかし、これによって、物語を構築する作者の思考過程が見える→小説を書こうとする人が増える→読める小説が増える→筆者嬉しい、というサイクルが確立する――といいなぁ、という目論見もちょっとあります。日常のさりげないところに話のネタはおちているものらしいです。
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
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