もしもし、ヒトモシと私の世界【完結】   作:ノノギギ騎士団

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(今さらですが)オリキャラが出てきます。ご注意ください。原作キャラについての言及もありますので苦手な方はバックしてくださいね! また原作にはない建物について等の設定もありますので「そこにその建物無いはずだよ!」という方もバックしてくださいね!


情熱が後悔を凌駕する可能性についての証明
萌える情熱


 

 

 ここはハクタイ博物館。街に必ずひとつはある、ありふれた博物館だ。アオイがこれまでいた研究室のように巨大で高価な機械が置いているわけでもない、過去のありさまを現在と未来に伝えるための施設である。

 

 アオイのこれまでの人生のなかで、博物館とは遠いような近いような存在だ。歴史は苦手だが、過去にあった物を見ること自体は嫌いではない。たしかに過去にも人がいて、ポケモンがいて、豊かではないにしろ暮らし、生きていたことを実感できるからだ。

 

(ああ、そうか……だから私は)

 

 実感のもてない過去を思いやる時に、概念と化した歴史の大きな掌の上で、押しつぶされそうになる小さな自分を自覚するのがたまらなく嫌なのだ。

 

 

 

 

 この年の春から、アオイは博物館の事務に勤めることになった。

 

 朝の空気はまだ冷たさが残っている。それでも、空は明るく森は美しい風景だった。

 

 久しぶりにアイロンがけをしてシャツをキチンとさせ、ネクタイを締めてみた。なんだかまともな勤め人になったような気がして気分がいい。

 

「ふむ……」

 

 姿見の前で身だしなみを整える。まだ朝もはやいが、今日は初日だ。早めに出勤しよう。

 

「それにしても……」

 

 ――これで貯金を切り崩さずに済む。すこし落ち着いた気分にもなった。生活も豊かになるだろう。家にこもりきりになるのもよくないことだ。また体を動かしていると、果ての無い思考の渦にとらわれなくて済む。嬉しい忙しさだった。

 

「いくよ、ミアカシさん。……お仕事だよ、お仕事」

 

 ヒトモシのミアカシはまだピンと来ていないのか、目をぱちくりさせている。

 

「ラルトスはどうする?」

 

 ミアカシを膝の上にのせたアオイは窓の外を眺めていたラルトスに話しかけた。

 

 コウタから預かっているラルトスは、アオイがこれから外へ出かけることを察しているようだ。でも、気乗りしないようで小さく頭を振った。

 

「そうかい。それもいいだろう。それじゃ、行って……行って……いって」

 

 アオイは言葉に迷った。

 

「いってきます」という言葉は苦手だ。父や母を彷彿とさせるからだろうか。でも、アオイは彼らと違う。違う『様』でありたい。そう願っている。だからこそ、いま胸を張って挨拶をしようと思う。

 

「いってきます」

 

 

 

「今日から事務員として入りますアオイです。皆さんよろしくお願いします」

 

 しごく簡単な自己紹介にもならない挨拶をして、アオイはせめて笑いかけた。上手く笑えているかは微妙なところだ。そぞろな挨拶がいくつか返ってきて朝礼はなんとなくのお開きになった。

 

(まあ、こんなものだろうな)

 

 仰々しい辞令式などされても関係の無い職員には面倒なものだろう。

 博物館の規模は小さく互いの距離も近い。このような軽い挨拶だけで十分なのだとアオイは思えた。

 

「それじゃアオイさんの席はこっちね」

 

 諸々の手続きが終わり、事務員の席に座ったアオイを待っていたのは資料記録を眺める作業や入場料を確認する作業、電話の取り継ぎだった。

 

 仕事のひとつひとつは忙しないものだが、一定の規則とルールに基づいて行われる、悪く言えば単純作業、良くいえば頭を使わずに済む作業だった。

 

(…………平和だ)

 

 たまに鳴る電話コールを除けば、本当に静かな空間だ。他の職員はフィールドワークや展示物に関わる作業をしているのだろう。別室にいるらしい

 

 しかも平日である。来場者はまばらだ。

 

(…………すごく、すごく平和だ。こういう仕事もいい……)

 

 静かだし、居心地がいい。ミアカシもすっかり慣れたようでアオイと並んで大人しくしていた。知的好奇心に燃える命が彼女にとって味わい深いものだったらアオイは嬉しいと思う。静謐な空間はいるだけで価値があるように思えた。でも、すこし眠くなりそうなのが欠点だろうか。

 

 研究室での煩わしいあれこれが無いだけでこれほど気分が違うものになるとは。アルバイト並の金額だが、それでもこの仕事は気分が楽だ。

 

「実にいい……素晴らしい……」

 

 背もたれに体を預け、行きがけに買ったコーヒーを一口飲む。ぬるくてマズイが眠気覚ましにはちょうどいい。

 

 アオイの高揚をうけミアカシも少なからず影響をされているらしい。ミアカシの焔が強さを増した。

 

 研究者になったことを後悔していないしこれからもするつもりはないけれど、社会経験の少なさは思考を狭める障害になっていたのではないだろうか。いや、そもそも――

 

「アオイさん、なに飲みますか?」

 

「熱いコーヒーを。いやはや、まったく実に楽な仕事じゃないか……楽な……?」

 

 ちょっと待てよ。いったい誰と話しているのか。アオイは我知らず指差していた手を握って振り返った。

 

「ん? コーヒーですね、了解っす」

 

「あ、ちょ、ちょっと、まって、まって、そういうことはわたしがやることだから」

 

 研究所で臨時職員へ頼んでいた習慣のままに口を滑らせてしまった。立場が違うのだ、立場が。アオイは白衣の青年、その背中を見ながらあせあせと手を上げたり下げたりした。

 

 彼は、アオイよりさらに若い。ひょろりと背が高い人物だった。アオイが立った時だってここまで高くはいられない。

 

「いえいえ、いいんですって、自分、アオイさんには下心があるんですから」

 

「はい?」

 

 部屋のすみでゴポゴポ音をたてていたコーヒーメーカーを傾ける。弾けるように部屋に溢れたコーヒーの香りをいっぱいに吸い込んだ。アオイはなんともいえずに流れ作業のように受け取ってしまった。

 

「あなたの名前は?」

 

「僕はマニです。マニ・クレオってね。アオイさん、研究員のひとだってお聞きしたんですが本当ですか?」

 

「『元』ですけどね。……あなたは」

 

「『新人』ですよ。ここの展示品――地域資料を管理するための研究者ってね」

 

 新卒でここに来たという、彼は自分もカップにコーヒーをなみなみと注いでいく。ミアカシが新しい人物に目を輝かせた。

 

「あの……下心というのは?」

 

「言ってしまうと、いろいろとご指導いただけないか、というお願いの話です。ここには専門職という専門職がいない。特に化石の研究なんて分野を知る人材は稀で、貴重です」

 

「……それは、そうなんですか。」

 

「仕事外だとは分かっているんです。でも、経験がある方と話すのは貴重な機会なんで。本当はシッポウのような化石の復元装置がある大きな研究室で働きたかったんです。でも、それが叶わなかったから僕はいまここに。……どうか助言いただけないでしょうか? 近々、展示会があるのはご存じですか? 見る人はきっと素人でしょうけど、だからって他のひとみたいにテキトーに終わらせたくないんです。ちゃんと専門のひとが見ても評価してもらえるような、そんな展示をしたいんです」

 

「……それは……ええ、でも、しかし、すみませんが……わたしは……」

 

 アオイは咄嗟に断ろうと思った。貴重な機会は、理解できる。

 同業者に会うのは理由が無くても嬉しいことだということをアオイはアクロマに出会って知った。

 

 しかし、これは――それとこれとは違うだろう、と思う。

 

 断ろうという苦い表情が現れていたのだろうか。慌てたようにマニが手を振った。

 

「あ! そ、そのいますぐに、という話ではないんです。ちょっとでも、考えていただけたら。ひとこと。見るだけでいいんです。専門家のコメントとして参考にしたい、ということなんです。でも、でも、どうか……どうかお願いします!」

 

「でも……わたしは、……」

 

 アオイの頭の中にはアクロマとの会話が蘇っていた。

 

『人間もポケモンも大好き。そうでしょう?』

『あなただって研究者だ。「今」だってそうでしょう?』

『その冴えた頭脳を浪費させておくなんてもったいない。誰もが届くわけではない、その先へ。あなだって手を伸ばせるはずです!』

 

『もう一度、探してみては?』

 研究テーマ。私の、生き甲斐。

 

 

 あの時は、彼のすすめを断り、研究に戻る道を『すっかり』諦めたのだ。それなのに、ここで手助けをして彼をその道へ、その先へ進めていいものだろうか? もう研究の先達でもない自分がそれを行うのは果たして『正しい』行いなのだろうか?

 

 

 助言は、指導は、あらゆる教導は無責任ではないだろうか?

 

 

 頭では、そう思っている。理解している。

 

 ゆえに。

 

 いつ終わるとも知れない研究に命を費やし、あとには何も残らない危険を抱えながら、一切の見返りを求めず一心に情熱を注ぎ続ける勇気を持つ、彼に――言わなければならないことがある。

 

『研究者の道は過酷だ。誰もが結果を出せずに苦しんで貴重な時間を浪費する。現実の正解を求めて不正解の泥海を這いずり回る日々だ。悪いことは言わない、ただの博物館でただの学芸員として過ごすべきだ。その方が間違いなく有意義だ。紅蓮の泥海で死に損ねた私が保証する』

 

 アオイは思っていることを伝えたい。これが研究者の一面の真実だからだ。

 

 伝えるべきだ。彼が若いうちに、彼が浪費する前に、彼が何かを失う前に。

 

 

 

 

 しかし、だからこそ。

 

「……すこし、か、考えさせていただいていい、でしょうか……」

 

 感情が逆説的に口を滑らせた。

 

「えっ!?」

 

「あぅ……あ、いえ……私は」

 

 ミアカシの頭に浮かぶ焔が大きく揺れたのを見て、アオイは自分が激しく動揺していることを知る。そして、口を突いた肯定とも受け取ることができる――いや、きっと彼は肯定と受け取るに違いない、そんな言葉を言ってしまったことに心底怯えていた。

 

(ばかじゃないのか、私は……いったい何を言っているんだ)

 

 なんのためにこの地方に、この新天地にいると思っているのだ。新しくやり直すためだろう。それなのに、また戻ろうとしている。研究の道へ。

 

 何度だって同じことを繰り返すのならば、それは恐らく愚か者のすることだ、いや、間違いなくそいつは愚者なのだ。そしてそいつはまさしく私だ。

 

 アオイは手袋をした指が頬のあたりをしきりに掻いていることに気付き、手をギュッと握りしめた。今なら、まだ遅くない。まったく遅くない。やっぱり無理だと言えばいい。脚を言い訳に断ればいいのだ。時間労働の契約のことを持ち出しても良いだろう。断る理由はいくらでも作ることができる。

 

 アオイは、口を開く。

 

 

 

 その口を、手袋が隠した。

 

 自分で、自分の頭がおかしいのではないかと思う瞬間がある。それが今だった。

 

(いやいやいやいや? バカを言うなよ。ああ、これは好機ではないか!)

 

 摩耗した私が研究の道に戻れないのならば、別の誰かを私の代わりに。彼が私より優れているか劣っているかなどこの際、関係無い。単なる数量の問題として、彼は私の代わりになり得るのではないか?

 

 ここで出会ったのは、運命とも、ラッキーとも、縁とも言えるだろう。断る理由を並び立てる思考と並列して受け入れる理由を作り出していく。

 

『大失敗』した人物が、その失敗を生かしていくのは当然の義務であり、唯一の権利だ。そのためには『大失敗』を最大に活かさなければならない。それは例えば――後発の育成ではないか? 後に続く彼らこそ失敗した私よりも賢くあるべきではないか?

 

 知識の蓄積、その運用は後発の特権だ。

 研究者にあるまじき倫理観の欠如した思考をする一方で、『彼』を失った事故を盾に断ることのできない動機を作り出していく。

 

(教えるだけ教えて……それだけならば『良い』ことだろう)

 

 なんとか自分のなかの反論を黙らせる。並び立てた理由は、受け入れることに傾いた。

 

「マニさん、いいですよ。時間外になるかもしれないですが、ええ、あなたがそれでよければ私は喜んでお手伝いしましょう」

 

 アオイはこれまでの沈黙を忘れさせるように笑い、快諾したように手を伸ばした。彼は驚いたように、しかし、嬉しそうに握手に応じてくれた。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

「私なんて…………礼を言われることなんて何もないんだ」

 

 謙遜に聞こえたのだろう。マニは「そんなことないですよ」と重ねて礼を言ってくれた。心苦しい思いでそれを聞く。アオイは自分が虚ろな表情をしているのではないか不安に思った。だからといって何かをする気力などないのだが。

 

 この彼は近いうちに、どうしてアオイがこの判断をするに至ったか知ることになるだろう。この判断をした以上、その先が軽蔑であっても構わないと思った。

 

(私が得た知識、何にも変えられない経験……)

 

 その全てを打ち明ける心算だ。

 

 先達が語るのであれば、後輩へ伝えるのであれば、そうでなければならない。

 

(そうでなければ……)

 

 この先の失敗は、彼のものになりえない。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◆

 

 

 

 

「あぁぁ……パンジャ…………私には、わからない……わからない……わからないんだ……何が正しいかなんて……私は、私は、ぁ…………」

 

 マニが去った後で、ファイルの陰に隠れたアオイの横顔に悲惨なまでの悲壮が浮かんだ。生きていることを後悔し、呪う低音は誰の喉から零れたものか。頭を抱え、髪の毛を絡ませる手袋がキツく握られ続ける。

 

 それをミアカシが不思議そうに見ているのに、彼はついぞ気付くことはなかった。

 

 




【あとがき】
ようやくです。
物語を動かしていきます。


【マニ・クレオという男】
理科系男ってなんか「○○オ」って名前がつくのが多いような気がしていたけれど調べたらそれほど多くなかったという……。

作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。

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  • 物語(ストーリーの展開)
  • 世界観
  • 文章表現
  • 結果だけ見たい!

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