前衛的信者の野望
ベルガは退屈していた。けれど苛立っていた。
研究者になればワックワクのドッキドッキの日常が送れるのではないかと期待していたこともあったけれど、アオイが残してくれた仕事のせいで彼女は研究者としての現実がどのようなものであるかを知りつつある。
決まりきった仕事を決まった手順で。敷かれた線路を行くほどの無関心さで行える仕事は彼女のそれほど粘り強くない根気をすっかりめげさせた。
しかし、どんな失望のなかでも箱の底にはひとつくらい良いことがあるものだ。
それが彼女の場合、先輩であるパンジャ・カレンという人物だった。聞けば研究室で大事故を起こした張本人のひとりというではないか。イッシュ唯一の最高機材を実験開始数秒でスクラップに作り替えた手腕はいかほどのものか。野次馬心が疼き、何がなんでも親しくなって事故のことを自白させてやろうと思った。それが着任3日目のことであった。
そうと決めれば積極的なアプローチを仕掛ける。これは大した問題はなかった。研究室では元気で若い女の子キャラというのはいなかったのでそう演じればすぐに周囲に打ち解けることができた。しかし、パンジャは違う。パンジャだけは演技を見ていた。
何度目かの昼食の誘いの後で彼女は静かに切り出した。
「……わたしの姿勢を明確に提示しておこう。わたしは、この研究室の誰とも親しくなるつもりはないんだ。わたしの唯一は他にある。だから誰も……彼のようにわたしの例外にはならないだろう。しかし君は優秀だと思うよ。飲み込みも早いし、好奇心も旺盛だ。だからわたしは君に期待している。助手としての力量は、特にね。お互い頑張ろう。さて、何を食べにいこうか? はぁ……」
要するに。
「わたしは君に興味はないけど仕事は仕事なので、本当は嫌だけど昼食に付き合うよ」
と言ったのである。顔に書いてあったので間違いない。しかもこれみよがしにため息まで吐かれてはふたりの仲は温度にして0度からマイナスに突入した。
呆然してから俄然腹が立った。
氷じみた冷たい無関心に煮えるような怒りさえ覚えた。
ベルガはスクールで優秀生だった。だからこそイッシュ屈指の専門機関にこうして就職できた。順風満帆な人生を送っている。今後だってそのつもりだ。
そんな彼女の前に突如現れたパンジャという女性は、一点のシミ。1ドットの欠如だった。
彼女が、豪華一点主義の欠陥品であったのならどれだけ気分が楽だっただろう。しかし、彼女は『見かけ上』理想的なステータス配分だ。
(そんなはずはない)
ベルガは思う。
ポケモンに向き不向きがあるように『人間』もどんな人だってどこか欠けていて、不完全だ。
欠点が無い人間がいるだろうか? 目の前の彼女だってどこか欠けているはずだ。でなければ『人間』ではない。
だが、ベルガは数ヶ月たっても彼女の欠点らしい欠点が分からない。
(何か隠しているんだ。とても重大な何かを)
だからこそ、彼女は決意する。
(――暴いてやる)
グラエナが獲物にとびつく前に牙を研ぎ澄ませるようにベルガは決意する。
(そして情熱の失せた、その仮面を剥がしてやるんだから……!)
だが。
しかし。
ベルガに逆風が吹いていた。
パンジャは本性どころかいつまで経っても大事件の誘因になりそうなボロを出さないのである。あの大事故を起こしたひとりだから、注意散漫とかだらしない性格とかそんな性質がひとつくらいあるだろうと思っていた。それが見あたらないのである。
これはおかしい。それどころか。
「……ベルガ君、ここ去年の日付になっているよ。いや、データの修正だけでいい。赤いれておくよ。先輩の務めというものさ。……さて、そろそろ休憩しようじゃないか。コーヒーは飲めるかい? わたしは紅茶を飲むが。君の好きなものを淹れよう。そうそう、甘い物も出しておこう。疲れた時にはこれだ。ふふっ恥ずかしいことにわたしは甘い物に目がなくてね。とはいえ、ひとりだとどうも食べきれない。ここに置かせてもらうよ。気が向いたらぜひ減らすのを手伝ってくれると良いんだが……」
なぁんだ、ふつうにいい人じゃん。
お菓子を食べながらそう思った。
いやいやいや、これはおかしい。ぜったいおかしい。懐柔だ。間違いなく懐柔されようとしているぞ。ベルガは自宅で体重計に乗った際に強く思ったことを思い出していた。
けれど彼女を目の前にすると、化けの皮を剥がそうという威勢が削がれ、いま見えている顔が本物だと思いそうになる。見かけ上の優しさのせいだ。
そんなはずは絶対に、きっと絶対に無いはず。妙な勘に惹かれてベルガは目をこらす。彼女の一挙一足見逃さないように目を皿のようにして。
すると彼女は困ったように笑って口元を隠した。
「……ん。あまり熱心に見つめないでくれないか。恥ずかしいよ」
吐息成分が多めの声音に思わずベルガは「えう」と変な声を出した。はっきり言おう。誤解を恐れずに言ってみよう。言うんだベルガ。……あぁぁ、いろっぺえ。
しかし、これも、彼女の本性を隠す1枚の仮面に違いない。
みんな愛想の良い彼女の仮面に誤魔化されている。
きっとそうだ。
そう信じていても次第にベルガは自分の考えに自信が無くなってきた。彼女の本性を知ろうとすればするほど新しい発見があって目はそちらに奪われる。そしてそれこそが本性なのではないかと期待して、裏切られ続けるのだ。
あの人はどんなひと?
ハンガーを1本しか持っていない。洗濯物がたまるのは嫌い。未処理の書類は視界の左側。愛用のペンは右の胸。測量手帳は左のポケット。両手の手袋は外さない。とても『手の焼ける』大事故で火傷を負っている。無事な皮膚を晒すように指の間接ごとに空漠がある手袋を愛用している。その手は最近忙しい。利き手の右手、右側のポケットに何かをひそませているのか、確認するような手の仕草が多くなった。
あのポケットに何があるのだろう?
いや、そんなことはどうでもいい。問題は、最大の問題はあのひとの本性をどうしたら暴けるかという疑問を解消することだ。
そろそろベルガは限界だった。
手段を選んでいてはたどり着けないのではないか。そんなことを考え始めていた。目的達成のための思考としては二流に違いない。けれど諦めたら三流だ。忘れてしまったらもう凡人だ。許せない。それなりに優良だと自覚して優秀を目指す彼女にとって好奇心を殺して謎と共生することはできなかった。
しかし、決定打は無い。現状を打倒する手段は見当たらない。
あの忌々しいクリスタル・フェイスを打倒する術は今日も闇の中。考えあぐねているうちにパンジャは人間関係の編み目を抜けて今日も定時で帰っていった。
きっとそれもこれもどれも違うはずだという確信は朧気になり、ベルガのイメージは拡散し続ける。
『――何か困ったことがあれば、あの人に聞きなよ。いや、先輩だからとかそういう意味じゃないんだ。研究室のことならアオイさんとあの人が、ひょっとしたらアロエさんよりも詳しいんだ。まあ、あの人だってアオイさんにはかなわないかもしれないが、俺たちが気軽に聞ける同僚のなかなら知識も技量もピカイチというハナシでね――』
研究室の誰かが言ったことが気にかかった。どうしてこの言葉だけが気にかかってしまうのか。ベルガはまだ分からない。けれど、その時に背筋がぞわりと粟立つのを感じた。たかが言葉だ。けれど言葉には魔力があり、魅力が潜む。
とてつもなく不吉で、世界に押しつぶされそうな恐ろしい予感がするのだ。
(違う、違う! みんな上っ面に騙されて本当のあの人が見えていないんだ!)
確信を大きな声で言わなかったことが、ベルガの敗因になろうとは、まさか考えもしなかった。
【ベルガ・ユリインという女性】
アオイにとってのマニに相当する女性。好きな言葉は「蓄積」。ダサいダサいと言われる丸眼鏡を使い続けているのは単に視界が広いからである。外見より分かりやすい実利を選択するあたり正しく研究者であるらしい。
アオイのように最高の模範解答に近付くことよりも、自分の好奇心を優先させるあたりこの作品上のアクロマと似た性質の人間なのかもしれない。ただし、彼女の性質上ペーパーテストには無双するが人間が相手だと途端に相性が悪くなる。
【百合の花言葉】
小説を書くうえで二番目に楽しいのが命名だと思います。
そのなかで花言葉と鉱石の意味辞典だとか神話の神辞典だとかめくるのが楽しいことです。
百合には白に代表されるよう「純粋」「威厳」などの言葉がありますが、彼女の場合、瞳にあるオレンジに象徴される言葉であることはナイショである。
作中、面白かったもの、興味深かったものを教えてください。
-
登場人物たち
-
物語(ストーリーの展開)
-
世界観
-
文章表現
-
結果だけ見たい!